2015年6月17日
上村達男氏のその後の言説
しばらく間が開いたが、上村達男氏はNHK経営委員長代行者の職を退任して以降、前の記事(「他者への思いやり」を装った「自分への思いやり(自己弁護)」~上村達男氏の新稿を読んで(1)~)
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-0ec6.html
で取り上げた、
1. 「NHKの再生はどうすれば可能か」(雑誌『世界』2015年6月号)、
に続き、いくつかの紙誌に登場して持論を語っている。ここでは、次の2点の論説を対象に加えて、籾井NHK会長の任免をめぐる上村氏の議論の迷走ぶり、それがよって来る所以、今後のNHK会長選考のあり方にどのような示唆を残したかを検討したい。
2. 「特集ワイド:もう辞めるべきでは? 籾井会長 元NHK経営委員、上村達男・早大教授の直言」(『毎日新聞』2015年5月26日、夕刊)
http://mainichi.jp/shimen/news/20150526dde012040003000c.html
3. 「政府が人事で独立性を壊した」(『赤旗日曜版』2015年6月14日号)
ただし、上村氏のNHKガバナンス論については、同氏がNHK経営委員を退任するにあたって浜田健一郎・経営委員長宛てに提出した「意見書 NHKのガバナンスと監査委員会の機能について」を取り上げる必要がある。ただ、これは続稿に回し、この記事では、NHKのガバナンス制度ではなく、現在の制度のもとで今年の2月末まで3年間、経営委員(長代行者)を務めた上村氏自身の事績を同氏の言説にもとづいて検討することにする。
「最大の問題は放送法違反の信条を持つ人物がNHK会長職にいること」
~上村氏のこの指摘には大いに同感するのだが~
経営委員退任後、上村氏は上のような発言を繰り返している。確かに何回言っても言い過ぎでないくらい、今のNHKの人事の最大の恥辱を言い表す言葉である。
「政府が右というとき、左と言うわけにはいかないい」・・・・籾井勝人氏の会長就任会見の場でのこの一言で、同氏がNHK会長職と真逆の人物であったことが歴然とした。
私は2つ前の記事で書いたように、今のNHKが伝えるべき事実を伝えず、国民の前に提示すべき論点を示さない釈明として「会長が籾井氏だから」は通用しないと考えている。しかし、上村氏が上のような点を強調する点では、私も上村氏の見解にまったく同感である。
しかし、上村氏自身が、そんな信条の持ち主をNHK会長に選んだ経営委員の一人だった・・・・私に言わせると、この持論と実際の行為の背反を上村氏が誠実かつ理性的に検証できないでいることが、上村氏の苦しい釈明、議論の混迷の原因になっている。
前記2の『毎日新聞』のインタビュー-記事の中にこんなくだりがある。
「〔籾井氏への〕批判はさりとて、上村さん自身、籾井氏を会長に選んだ経営委員の一人だった。『内心忸怩たる思いです』と打ち明ける。『三井物産の副社長を務めるなど経営手腕があり、海外勤務経験も長いというのが推薦理由でした。経済界のトップクラスという点は“品質保証”になると思いました。ご本人も選任後のヒアリングで『放送法は順守する』と語っていましたから・・・・』と悔いる。」
「こんなはずではなかった」で済むのか?
確かに、経営委員会内に設置された指名委員会がまとめた、籾井勝人氏をNHK会長に推薦する理由の一つに、「ITに関する見識も深く、日本ユニシスの社長に就任して以降、3,000億円以上年間総売上を達成するなどの実績を持つ」という記載があった。
しかし、ITに関する見識があること、三井物産の副社長、日本ユニシスの社長を歴任したこと、日本ユニシス社長として年間3,000億円以上の総売上を達成したこと・・・・それがNHK会長の資質とどう関係するのか? そうした経歴が、どういう理由で公共放送のトップとしての「品質保証」になるのか?
メディアであり放送文化の担い手であるNHKのトップというなら、ジャーナリズムに関する造詣、教養文化の深さと広さをなぜ真っ先に問わなかったのか? 放送法の字面を復誦することで公共放送に関する理解の確かさが試されるとでも思っているのか?
あにはからんや、籾井氏の会長としての第一声は、「私の主たる任務は(NHKの)ボルトとナットを締め直すことになるんではなかろうかと思っている」という発言だった。これが経済人としての籾井氏の経歴から出た使命感だとしたら、あまりに侘しい。
こんな人物を、トップクラスの経営者という推薦理由を信じてNHK会長に任命する人事案に同意したことを「忸怩たる思い」という通り一片の言葉で済ませてよいのか?
また、上村氏は前記3の『赤旗日曜版』への寄稿文の中でこう語っている。
「経営委員会が会長を選びますが、書類とその場でのやりとりだけでは本当に最適任かはわかりません。推薦者の推薦を信頼するしかありません。」
こんないい加減な審議で選ばれたNHK会長に受信料から年間報酬3,092万円を支払わなければならない視聴者はやりきれない。
会長任命権と会長候補推薦権は切り離すべき
ここで、問題なのは「推薦者」とは誰だったのかである。選考に加わった経営委員の誰かからの推薦だったというのが公式の説明だということは分かっている。しかし、会長選考の成り行きを追跡取材したある報道関係者は次のように証言している。
「松本会長(当時)に引導を渡してNHKの『偏向』をただす――。政権発足以来、安倍晋三首相ら政権幹部がこだわってきたのはこの1点だ。」「だが、後任がなかなか決まらない。・・・そんな中、菅義偉官房長官は財界に人脈のある麻生太郎副総理(73)に『経営感覚のあるいい人をご存じないですか』と相談。麻生氏は『籾井っていうのがいるなあ』と、同じ九州出身で旧知の籾井勝人氏の名前を挙げた。」
(「検証・安倍政権 前会長降ろしに躍起 NHK籾井体制」朝日新聞DIGITAL, 2014年3月30日05:00)
「籾井氏を推薦したのは、仕事上から10年来のつきあいがあった、経営委員の石原進・JR九州会長だ。今月10日夜、石原氏を乗せた黒塗りの車が東京・南麻布の高級料亭の敷地内に吸い込まれていった。料亭にいたのは安倍晋三首相本人と首相を支援する財界人たちだ。現NHK会長の松本氏の交代を求めていた葛西敬之JR東海会長も出席していた。」
(「NHK会長交代劇に政権の影 問われる『中立』」(朝日新聞DIGITAL, 2013年12月21日, 10:56)
籾井氏が会長に選ばれた背後に、このような動きがあったのだとしたら、籾井氏を会長に推薦したのは、財界出身の経営委員だったと考えるのが自然である。
とすれば、政権中枢と気脈を通じた経済界出身の経営委員が推薦理由として挙げた経済人としての経歴で「品質が保証」されたと信じて籾井氏をNHK会長に選任することに同意した上村氏は自分の不明を大いに恥じる必要がある。
しかし、現行の「放送法」では会長任命権は経営委員会にあると定めてはいるが、それに先立つ会長候補の推薦まで経営委員だけの知見なり人脈に頼ることまで定めたわけではない。
むしろ、会長任命権と会長候補者推薦権を切り離し、後者は広く各界、各分野の推薦に委ねる方が適任者を見つける可能性を高められるはずである。この点は今後のNHK会長選考制度の見直しをするにあたって、重要な論点にすべきだと私は考えている。
政権与党から承認を受けて経営委員になったから会長罷免まで踏み込めない?!
会長職にとどまること自体が問題、と自ら考え続けていた籾井氏の罷免要求なり罷免の動議なりをなぜ経営委員在任中に出さなかったのかについて、上村氏は、繰り返し釈明している。が、その理由は発言の場面、場面でぶれている(罷免動議が否決されたら、逆に信任になってしまうからという理由は一貫しているが)。
たとえば、上村氏は上記2の『毎日新聞』のインタビュー記事の中で、各経営委員の心境を忖度して、次のように語っている。
「会長に問題があると思っていても、政権与党から承認を受けて委員になった以上、〔会長〕罷免までは踏み込めないと考えてもおかしくないでしょう」
上村氏自身がこう思ったわけではないにせよ、「政権与党から承認されて経営委員になったこと」と「籾井会長の罷免まで踏み込めないと考えること」が、どういう因果でつながるのか? 経営委員は国会の同意人事(その帰趨は上村氏も言うように多数議席を占める政権与党の意向で決まるが)で任命されるという今の制度の中に、「国会なり政権与党なりの意向を無視して、経営委員会がNHK会長を罷免することはまかりならない」という黙契があるのだろうか?
「放送法」は第55条で、「経営委員会は、会長、監査委員若しくは会計監査人が職務の執行の任に堪えないと認めるとき、又は会長、監査委員若しくは会計監査人に職務上の義務違反その他会長、監査委員若しくは会計監査人たるに適しない非行があると認めるときは、これを罷免することができる」と定めている。罷免に当たっては国会なり政権与党なりの同意が必要などと、どこにも書かれていない。明文法を脇において、荒唐無稽な憶測を挟むのは慎むべきだ。
視聴者の罷免要求よりもNHK・OBの辞任要求の方が重い?!
もう一つ、上村氏の言動のなかで私を驚かせたことを指摘しておきたい。
上村氏は上記3の『赤旗日曜版』に掲載された論説の中で次のように語っている。
「市民団体からは〔籾井会長に対する〕抗議や罷免要求が寄せられました。私が重く受け止めたのは1500人ものOBからあがった会長辞任要求でした。これは現職の声を代弁していると思ったからです。」
ウーン・・・・。OBの申し入れにはNHKの現職職員の意向がより反映されている・・・・ここまでは了解しよう。また、籾井会長の妄言によって多くのNHK職員の職務遂行に支障が生じていることも理解できる。
しかし、だからといって、NHK・OBからの会長辞任要求の方が、OB外の「純粋」?市民からの会長罷免要求よりも重いとは、なにゆえか?
「経営委員会委員の服務に関する準則」の第1条(服務基準)には、「経営委員会委員は、放送が公正、不偏不党な立場に立って国民文化の向上と健全な民主主義の発達に資するとともに、国民に最大の効用と福祉とをもたらすべき使命を負うものであることを自覚して、誠実にその職責を果たさなければならない」と記されている。
また、第3条(職務専念義務)には、「経営委員会委員は、公共放送を支える受信料の重みを深く認識し、職務上の注意力のすべてをその職責遂行のために用いなければならない」と記されている。
NHK会長としての資質と真逆の人物をすみやかに罷免すべきという視聴者の要望の重みとNHK・OBの要望の重みを天秤にかけること自体、珍妙な発想であるが、後者の方を前者より重視するというのでは、「公共放送を支える受信料の重み」が言葉の上でしか理解されていないと言って過言でない。
これでは、籾井氏に「放送法」の「家庭教師的な役目」を申し出る(前掲『世界』掲載論稿、96ページ)前に、上村氏自身が「経営委員服務準則」を学び直す必要があったことを意味している。
初出:醍醐聰のブログから許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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