桜が咲き始めたが、今年は到底、お花見を楽しむような気分にはなれない。三上治氏も書いておられたが、今年の桜は本当に可哀想だ。
福島原発事故については、相も変わらず楽観的な人は楽観的だし、悲観的な人は悲観的だが、ここまでくれば悲観的になるより、冷静に自分で判断するしかない。
新聞も、実に恐ろしいことを平然と書くようになった。29日東京新聞一面は、「東京電力は28日、(……)2号機の水の表面で毎時1000ミリシーベルト超の放射線量を計測した、と発表した」と、さも何事もないかのように、さら~っと書いている。これは一般人が年間に浴びてもよい放射線量の1000倍以上を1時間で浴びてしまう線量である。大雑把にいって一般人の許容線量の1000万倍である。
また同じ紙面の最終面は「減っている大気中の放射線」という大見出しの下、線量推移や食物安全基準などについて「Q&A」の形で説明している。その中で、「大気中の放射線量はどうか」という問いに対して、「27日の調査結果では、同原発から約40キロの福島県飯館村で最大0.0094ミリシーベルト、約60キロの福島市で0.0039ミリシーベルト、約200キロ離れた東京都新宿区で0.00012ミリシーベルトと数値は低かった」(!)と書いている。これでは飯館村の0.0094ミリシーベルト(通常の書き方では毎時9.4マイクロシーベルト)が「低い数値」ということになる(!)。これは、わずか4日半で1年間の許容線量を超えてしまう数値である。もっとも、その少し後で、「飯館村の28日の数値は1日で約0.2ミリシーベルト、年間で約80ミリシーベルトとなり、低いとはいえない」と、先程の「回答」を自ら否定しているが、その直後には「新宿区の同日の数値は年間で1ミリシーベルト程度なので、人体に影響はないレベルだ」と述べて、あくまで安全であることを強調し、飯館村の危険性から目をそらさせようとしている。また、同じページでは、国立がん研究センターの嘉山孝正理事長の、福島第一原発から放出されている放射性物質による健康被害について、原子炉の作業員を除けば「現時点では、ほとんど問題がない」という見解を大きく取り上げ、「健康被害「問題なし」」という大きな見出しをつけている。そんなに安全なのなら、嘉山孝正理事長は一家そろって飯館村で「健康な生活」を満喫してみてはいかがだろうか。また、飲食物の暫定基準値について「十分すぎるほど安全といえるレベル」との同センターの説明の少し後で、同理事長は、「牛乳はチーズなどにすれば良いのではないか」と語っているが、これは一体どういう意味なのだろう!? チーズにしてしまえば元は汚染牛乳であることがわからなくなるという意味なのか?
この日の東京新聞でもうひとつ気になった記事によれば、3号機のタービン建屋の放射能汚水で被曝した3人の作業員について、「いずれも治療の必要がなく、同日(28日)昼に退院した」という放射線医学総合研究所の発表を伝え、「3人とも健康状態に問題はない」との中山文明主任研究員の話を伝えている。ところがその直後、「このうち、足に放射性物質が付着した2人の局所被ばくは、推定2~3シーベルト(2000~3000ミリシーベルト)で、当初予想より低かった」と書いているのである。「2~3シーベルト」である! 驚くではないか。同じ紙面によれば、業務従事者が浴びる上限が50ミリシーベルトで、100ミリシーベルトを超えるとがんになる可能性があり、500ミリシーベルトではリンパ球の減少が起こり、1000ミリシーベルト=1シーベルトでは吐気などの急性放射線障害が起こり、3~5シーベルトを浴びると50%が死亡するのである。この2人の作業員が浴びた放射線量はほとんど50%が死亡するというレベルに達しているのである。それで「健康状態に問題がない」とはどういうことなのだろうか? 死なない限り「健康状態に問題がない」ということなのだろうか? この2人の作業員のことが次に記事になるのは、死亡したときであろうか? 死亡しない限り、今後どんなに健康が悪化しても、もはや誰も関心を持たないのだろうか?