Ⅰ.チェルノブイリ事故から25年
原子力発電が抱える危険の大きさ
原子力発電とはウランの核分裂反応で生じるエネルギーで蒸気を発生させ、それでタービンを回す蒸気機関です(図1参照)。蒸気機関であることを取り上げれば、それは 200年前の産業革命で生まれた技術で、原子力発電のエネルギーの利用効率はわずか 33%しかありません。今日標準的となっている100万kWの原子力発電所は毎日 3kgのウランを核分裂させ、そのうち1kg分だけを電気に変換し2kg分は利用できないまま環境に捨てる装置です。広島の原爆で核分裂したウランは 800gでしたから、1基の原子発電所は毎日広島原爆 4発分のウランを核分裂させていることになります(図2参照)。そしてウランが核分裂してできるものは核分裂生成物、いわゆる死の灰です。1年間の運転を考えれば、広島原爆がばらまいた死の灰の優に 1000発分を超える死の灰を生み出します。万一であっても、それが環境に放出されるような事故が起きれば、破局的な被害が生じることは当然です。原子力を進めてきた人たちは、死の灰は厳重に閉じ込めて環境に出さないから安全だと主張します。
事実として起きた破局事故
旧ソ連チェルノブイリ原子力発電所 4号炉が事故を起こしたのは、今から25年前の 1986年4月26日でした。ソ連きっての最新鋭の原子力発電所で、モスクワの赤の広場に立てても安全だといわれていたその原子炉は 1984年の初めから運転を始め、ほぼ丸 2年間順調に発電を続けてきました。初めての定期検査に入ろうとし、出力を徐々に下げていき、完全に停止する直前に突然核暴走事故を起こして爆発してしまいました。
発電所の所員と駆けつけた消防隊員が燃え盛る原子炉の火を消そうとしてまさに懸命の活動をしました。そして、特に重い被曝をした31人が生きながらミイラになるようにして、短期間のうちに悲惨な死に至りました。
当初事故を隠そうとしたソ連政府は、すぐに隠しきれない事故であることを理解し、まず周辺 30km圏内の住民 13万 5000人に「 3日分の手荷物を持って迎えのバスに乗るよう」指示を出しました。そして、累積で約 60万人に上る「リクビダートル(清掃人)」と呼ばれた軍人・退役軍人・労働者が事故処理作業に従事しました。3ヶ月後には強度の汚染を受けた土地が原発から 300kmも離れた彼方にもあることが分かり、ソ連政府はさらに 20数万人に及ぶ住民を強制的に避難させました。
一言で、核分裂生成物、死の灰と呼ぶものの正体は約 200種類に上る放射性核種の集合体です。代表的な放射性核種の一つにセシウム137(Cs-137)がありますが、その Cs-137を尺度にして測ると、チェルノブイリ事故では広島原爆 800発分が放出されました(図2参照)。
広がった汚染と破壊された生活
放射性物質が環境に放出されれば、それは他の有害物質と同じように風に乗って流れます。チェルノブイリ事故で放出された放射性物質も当時の風に乗ってあちこちに流れ、大地を汚染しました。その結果、「放射線管理区域」に指定しなければならない程の汚染を受けた土地の面積は、チェルノブイリから 700kmの彼方まで及び、その面積は日本の本州の6割に相当する 14万5000km2(東京都の面積は 2188km2、関東地方1都6県合計の面積は3万2424km2)になりました(図3参照)。「放射線管理区域」とは「放射線業務従事者」が仕事上どうしても入らなければならない時だけに限って入る場所です。普通の人々がそれに接する可能性があるのは、病院のX線撮影室くらいしかありません。しかし事故の影響もあり、ソ連は1991年に崩壊してしまい、前項で述べたように、避難させられたのは、特に汚染の激しい地域(15キュリー/km2)の約 40万の人だけでした。
しかし、40万という人々の数はどれほどのものでしょう? 集落の数でいえば、おそらく 1000にも達する村々が忽然と廃墟になってしまいました。放射線管理区域で働く人間の一人として、放射線管理区域内に一般の人々を生活させることを私は到底許せません。ましてや、そこで子どもを産み、育てるなどということは決してしてはならないことです。当然人々を避難させるべきと思います。しかし、「避難」とは、そこで住んでいた人々をその土地から強制的に追い出すことであり、そうすれば生活自体が崩壊してしまいます。今なお、本来なら放射線管理区域にしなければならない汚染地域に、子どもたちも含め500万を超える人々が生きています。その人たちを避難させるべきだとは思いますが、もしそうすればその人たちを生まれ育った土地から追うことになります。一体どうすればいいのか、私は途方にくれます。
地球被曝
人為的に引かれた国境は放射能の拡散にとってはまったく意味のないものです。チェルノブイリ事故で放出された放射性物質もやすやすと国境を越えて、汚染をソ連国外にも拡げました。私の職場である京都大学原子炉実験所は大阪の南の端にありますが、そこはチェルノブイリから直線距離で約 8100km離れています。いくら原子炉が破壊されたとはいえ、原子炉の中にあった物(放射性物質も物質です)が地球の裏側のようなところまで飛んでくるとは、当初、私は思いませんでした。しかし、それでは私の仕事が勤まらないので、事故のニュースを知った4月29日から、原子炉実験所で私が毎日吸っている空気中の放射性物質の測定、あるいは雨の中の放射性物質の測定を始めました。測定を始めた当初は私の予想通り、異常な放射性物質は検出できませんでした。しかし、事故が1週間経った5月3日になってついにチェルノブイリからの放射性物質が私の吸っている空気の中に姿を現しました。もちろん、その放射性物質は原子炉実験所だけでなく日本各地で検出されるようになりました。愕然としながら私は測定を続けました。そして、時とともに、空気中の放射性物質の濃度は減って行ってくれ、半月後には約100分の1程度まで減ってくれました。ところが、その後、空気中の放射性物質の濃度は再度増加を示し、 1週間後には10倍近い汚染を示すまでに回復してしまいました。すなわち、一度日本に届いた放射性物質がその後も風に乗って太平洋を越え、アメリカ大陸を汚染し、そして再度ヨーロッパを汚染し、ソ連国内をまた横断して日本まで戻ってきたのでした(図4参照)。
Ⅱ.悲惨な被曝
人知を超えて不思議なこと
この世に不思議なことはいくらでもあります。大きなものに目を向ければ、宇宙があります。私たちが住んでいる地球は太陽を回る一つの惑星です。太陽は銀河系と呼ばれる小宇宙に属する一つの恒星です。銀河 (galaxy)には1億から1兆個もの星が集まっており、その銀河が多数集まって銀河群・銀河団となり、それがまた集まって超銀河団になるというように階層構造が広がり、その総体が宇宙です。そして、宇宙の果てがどこにあるのかも未だによく分かりません。その上、宇宙の実体は実は無数にある星ではなく、ダークマター(暗黒物質)、ブラックホールと呼ばれる正体不明のものが占めているのだそうです。
生き物という不思議
一方、一番身近なものである私たち自身についても、不思議なことは山ほどあります。今、世界にはおよそ70億人近い人間が住んでいますが、誰一人として同じ人間はいません。それは遺伝子が異なるからです。遺伝子とは個々の細胞の核に含まれている DNA(デオキシリボ核酸、糖と燐酸の分子が並んだ物質)に記録されています。個体としての人間が生まれる一番初めは、父親からの精子と母親からの卵子が合体してできたたった1個の、いわゆる万能細胞です。その細胞には父親から得た染色体と母親から得た染色体が23個ずつ含まれており、それぞれの染色体はDNAの鎖で作られています。その1個の細胞が分裂して、同じ染色体、つまり同じ遺伝情報を持った2個の細胞になり、それぞれの細胞が分裂して同じ細胞を 2個生じというように細胞分裂を繰り返して行きます。成人の大人は約 60兆個の細胞からなっていますが、それらが持っている遺伝情報はすべて同じです。しかし、いつしか目の細胞は目に、皮膚の細胞は皮膚に、血液は血液にと、それぞれの役割だけを分担する細胞が分化していきます。みなさんも自分の身体を見てください。手の細胞、爪の細胞、血管が見えるならその細胞、中を流れている血液の細胞、それらを見ている目の細胞、すべては同じ遺伝子を持った細胞ですが、まったく異なる機能をそれぞれが担っています。
放射線が持つ巨大な力
DNAは二重の螺旋になっており、2本のDNAを繋ぎとめているのはチミン(T)、アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)と名付けられた4種類の塩基です。そして、チミンとアデニンがセットになり、グアニンとシトシンがセットになって梯子状に2本の DNAを結び付けています。この梯子状に並んだ T-AとG-Cがどのような並び方で並んでいるかに遺伝情報が記されています。もちろん、子孫を残す時にもその情報が大切ですし、個体が生きる時にもその情報に従って個々の細胞が機能を果たしています。そして、これら DNAに含まれる糖と燐酸、4つの塩基がお互いに結びつけあっているエネルギーはエレクトロンボルト(eV、電子ボルト)と呼ばれる大変微小なエネルギー単位で測られる程度です。ところが、放射線が持つエネルギーは数百 keV~数MeVという桁のもので、私たちの遺伝情報を記録するためのエネルギーに比べれば、数十万~数百万倍も高いものです。そんなエネルギーを持った放射線が細胞に飛び込んでくれば、遺伝情報はずたずたに切り裂かれてしまいます。
1999年9月30日、茨城県東海村の核燃料加工工場JCOで「臨界事故」とよばれる事故が起きました。その事故で、大内さんと篠原さんという2人の労働者が大量に被曝しました。それぞれの被曝量は 18グレイ当量(グレイ当量は中性子の急性放射線障害に関する生物学的効果比を1.7として換算した被曝量)と12グレイ当量でした。物体1kg当たり1ジュール(0.24カロリー)のエネルギーを吸収した時の被曝量が1グレイです。被曝する物体が水の場合、1グレイの被曝で水の温度は1000分の0.24℃上昇します。人間は、8グレイ被曝すれば100%死亡します。人体も主成分は水ですので、100%の人間が死亡する時に、人体が放射線から受けたエネルギーによって体温は1000分の2℃しか上昇していません。大内さんも篠原さんも被曝によって得たエネルギーでは1000分の数度しか体温が上がりませんでした。ところが、日本の医学会が総出で治療に当たりながら、彼らは筆舌に尽くしがたい苦悶の内に命を奪われました。被曝から6日目に得られた大内さんの骨髄細胞の顕微鏡写真には、本来あるはずの染色体はなく、写っていたのはばらばらに切断されて散らばった黒い物質でした。彼は自分の身体を再生する能力をまったく失っていたのでした。篠原さんも同じでした。移植を受けた皮膚は鎧のように硬くなり、死後の解剖を行った医師はメスを入れた時に「ザザッ、ザザッ」とかつて聞いたことがない音を聞いたと述べています(1)。
被曝量が少なくても被害はある
放射線が DNAを含め、分子結合を切断・破壊するという現象は被曝量が多いか少ないかには関係なく起こります。被曝量が多くて、細胞が死んでしまったり、組織の機能が奪われたりすれば火傷、嘔吐、脱毛、著しい場合には死などの急性障害が現れます。こうした障害の場合には、被曝量が少なければ症状自体が出ませんし、症状が出る最低の被曝量を「しきい値」と呼びます。ただ、この「しきい値」以下の被曝であっても、分子結合がダメージを受けること自体は避けられず、それが実際に人体に悪影響となって表れることを、人類は原爆被爆者の経験から知ることになりました。
「ヒバクシャ」というレッテルを貼られたそれらの人々を 60年以上調査してきて、どんなに少ない被曝量であっても、癌や白血病になる確率が高くなることが明らかになってきました。低レベル放射線の生物影響を長年にわたって調べてきた米国科学アカデミーの委員会(BEIR)は、2005年6月 30日、彼らが出してきた一連の報告の7番目の報告(2)を公表しました。その一番大切な結論は以下のものです。
利用できる生物学的、生物物理学的なデータを総合的に検討した結果、委員会は以下の結論に達した。被曝のリスクは低線量にいたるまで直線的に存在し続け、しきい値はない。最小限の被曝であっても、人類に対して危険を及ぼす可能性がある。
Ⅲ.起きてしまった福島原発事故
防げなかった悲劇
私は 40年間、原発の破局的な事故がいつか起きると警告してきました。その私にしても、今進行中の福島原発事故は悪夢としてしか思えません。
原発は機械です。機械は時に事故を起こします。その原発を作り動かしているのは人間です。人間は神ではありません。時に誤りを起こします。その上、この世には人智では測ることができない天災もあります。どんなに私たちが事故を起こしたくないと願っても、時に事故が起きてしまうことはやはり覚悟しておかなければいけません。そして問題は、原発とは厖大な危険物を内包している機械であり、最悪の事故が起きてしまえば、被害が破局的になることが避けられないということです。
放射能汚染地に人が居続けることを私は望みませんが、その地から人々を追い出せば、チェルノブイリ事故で起きたように、今度は生活が崩壊してしまいます。私にはどうすればいいのか分かりませんでしたし、そんな過酷な選択を迫られることがないように、何よりも早く原発そのものを廃絶したいと願ってきました。しかし、その私の願いは届かないまま、福島原発事故は起きてしまいました。
推進派も恐れる巨大事故と保険
原子力発電所でもし大事故が起きた時にどのような被害を引き起こすかということは、原子力を推進しようとした人たちにとっても深刻な問題でした。特に、原子力を設置しようとする会社にとっては、事故を起こしてしまった時の補償問題をどうするかが決定的に重要でした。世界の原子力開発を牽引してきた米国では、初の原子力発電所の稼働を前にして、原子力発電所の大事故がどのような災害を引き起こすか、原子力委員会 (AEC)が詳細な検討を行いました。その検討結果は、「大型原子力発電所の大事故の理論的可能性と影響」(3)として、1957年 3月に公表されました。この研究では、熱出力 50万 kW(電気出力では約 17万 kW)の原子力発電所が対象にされ、その結論には以下のように記されています。
「最悪の場合、3400人の死者、4万 3000人の障害者が生まれる」
「15マイル(24キロメートル)離れた地点で死者が生じうるし、45マイル(72キロメートル)離れた地点でも放射線障害が生じる」
「核分裂生成物による土地の汚染は、最大で 70億ドルの財産損害を生じる」
70億ドルを当時の為替レート( 1ドル当たり 360円)で換算すれば、 2兆 5000億円です。その年の日本の一般会計歳出合計額は 1兆 2000億円でしかありませんから、原子力発電所の事故がいかに破局的か理解できます。
原子力推進派が取った対策
①破局的事故は起こらないことにした
原子力を推進する人たちも万一破局的な事故が起きた場合、どんな被害が出るか知りたがっています。そのため、原子力開発の一番初めから、破局的事故が起きた場合の被害の評価を繰り返し行ってきました。しかし何度評価を繰り返しても結果は同じでした。もし破局的事故が起きると考えてしまえば、国家財政をすべて投げ出しても購いきれない被害が出ることが分かりました。
そこで、彼らは破局的事故に「想定不適当事故」なる烙印を押して、破局的事故は無視することにしました。日本で原子力発電所を建設する場合には、原子炉立地審査指針に基づいて災害評価を行うよう定められています。そして、「指針」では、あらかじめ決めておいた重大事故と仮想事故について評価を行うよう求めています。重大事故は「技術的見地からみて、最悪の場合には起こるかもしれないと考えられる重大な事故」と定義されていますし、仮想事故は「重大事故を越えるような、技術的見地からは起こるとは考えられない事故」と定義されています。それらの事故では原子炉が溶けてしまい、炉心に溜まっていた放射能が格納容器の中に放出されると仮定されています。そんな事故になれば格納容器の健全性も破壊され、大量の放射能が環境に漏れる可能性が高いのですが、重大事故や仮想事故ではいかなる場合も格納容器は健全だと仮定されています。そんな仮定をしてしまえば、住民に被害が出ないことは当然です。そして、格納容器が破壊されるような事故は決して起こらないとし、そうした事故を「想定不適当事故」と呼んで無視してしまうことにしたのでした。
もちろん誰だって原子力発電所の巨大事故など望みません。巨大地震や巨大津波を望まないのと同じです。しかし、どんなに巨大地震や巨大津波が起こらないように望み、仮にそれが起こらないと思い込もうとしたところで、時にそれらの天災はやってきます。
②電力会社を破局的事故から免責した
次に彼らがやったことはどんなに巨大な事故が起きても、電力会社は責任をとらなくてもいいという法律を作ったことです。米国議会[億円]では WASH-740の結果を受け、直ちに原子力発電所大事故時の損害賠償制度が審議され、9月にはプライス・アンダーソン法が成立、1957年12月18日のシッピングポート原子力発電所(電気出力 6万kW)の運転開始を迎えたのでした。
日本でも、日本原子力産業会議が科学技術庁の委託を受け、WASH-740を真似て、日本で原子力発電所の大事故が起きた場合の損害評価の試算を行いました。その結果は、1960年に「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害に関する試算」としてまとめられましたが、その結果が WASH-740と同様に破局的なものであったため秘密扱いとされてしまいました。それでも、電力会社を原子力開発に引き込むためには、どうしても法的な保護を与えねばならず、大事故時には国家が援助する旨の原子力損害賠償法を1961年に制定したのでした(図5参照)。
米国の「プライス・アンダーソン法」、日本の「原子力損害賠償法」は、破局的事故時の賠償の上限を定め、それ以上の賠償を電力会社から免責しています(図5参照)。さらに、日本の「原子力損害賠償法」の場合には、「異常に巨大な天災地変又は社会的動乱災」つまり、地震や戦争などの場合にはもともと電力会社は一切の責任を負わないでいいと記されています。誠によくできた法律というべきでしょう。
③原発を都会には作らないことにした
原子炉立地審査指針に基づいて「重大事故」「仮想事故」について評価し、その結果をもとに、立地の適否を判断しますが、その基準は以下のように書かれています。
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立地条件の適否を判断する際には、(中略)少なくとも次の三条件が満たされていることを確認しなければならない。
1 原子炉の周囲は、原子炉からある距離の範囲内は非居住区域であること。
2 原子炉からある距離の範囲内であって、非居住区域の外側の地帯は、低人口地帯であること。
3 原子炉敷地は、人口密集地帯からある距離だけ離れていること。
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そして、実際に、原子力発電所は一つの例外もなしに、過疎地に押し付けられました。
2007年 7月16日に事故を起こした柏崎・刈羽原発(7基、821万 kW)は東京電力の原発ですが、それは新潟県にあり、東北電力の給電範囲です。そして今回事故を起こした福島第1原発(6基、470万 kW)、福島第 2原発(4基、440万 kW)もまた東北電力の給電範囲です。東電は、自分の給電範囲に原発だけは作ることができなかったのでした(図6参照)。関西電力も同じです。 11基(980万 kW)の原発を自分の給電範囲に作ることができず、北陸電力の給電範囲である福井県若狭湾に林立させ、長大な送電線を敷いて、関西圏に電気を送ってきたのでした。
日本の遅れた核=原子力技術
日本は第二次世界戦争で負け、日本を占領した米軍はまず第一に日本国内の核 =原子力研究施設を破壊して回りました。日本の原子力(核)研究が許されるようになったのは、 1952年のサンフランシスコ講話条約が締結された後で、幸か不幸か、核 =原子力に関する限り日本の技術レベルは欧米諸国に比べて大幅に遅れてしまいました。世界で一番初めに商業用の原子力発電所を作ったのはソ連で、 1954年でした。オブニンスク原発という出力 5000kWという小さなものでしたが、それ以降、ソ連は一貫して黒鉛減速軽水冷却型(RBMK)と呼ばれる原子炉を独自に技術開発しながら作ってきました。続いて米国が 1957年に加圧水型(PWR)と呼ばれるシッピングポート原発を稼動させました。日本で原発が動いたのは、1966年の東海 1号炉が初めですが、それは日本が作ったのではなく、英国から買ったものでした。その後、 1970年になって敦賀原発、美浜原発を動かし始めましたが、それらも自分で作ったのではなく、米国から買ってきたものでした。世界の主要な原子力発電利用国、米国、フランス、日本ソ連、英国、ドイツ、カナダの中で、日本だけは独自に原子力発電の技術を開発してこなかった特異な国です。ところが 1979年に米国スリーマイルアイランド原子力発電所(TMI)が事故を起こした時には、「米国の運転員は質が低い」とか、些細な型の違いを強調して「型が違う」と言い張りました。
1986年にチェルノブイリ原子力発電所で事故が起きた時には、「ロシア人は馬鹿で、日本人は優秀だ」「ロシア型は日本が使っている米国型と型が違う」と言って、日本の原子力発電所だけはいついかなる時も安全であると言い続けました。もし、本当に日本の原子力推進派の人たちが、ロシア型の原発は危険だと思っていたならば、事故が起こる前にこそ、それを警告すべきでした。しかし実際には、米国のスリーマイル島原発事故の後、ソ連の原発を視察に行った日本原子力産業会議は、「ソ連において、広大な基礎研究の上に着々と原子力開発に取り組んでいる様子」に感激し、RBMK型のレニングラード原発と日本の東海 1号炉を姉妹発電所にして欲しいと申し入れていたのでした(4)。
もちろん、RBMK型の原発にはそれなりの危険がありますし、日本で使っている PWRにしても沸騰水型(BWR)原発にしても固有の危険があります。しかし、ウランを核分裂させ、発生したエネルギーでタービンを回して発電するという原理はどれも一緒です。当然事故はどの原発でも起こります。日本でも信じられないような事故が続いてきました。 1995末には、高速増殖炉「もんじゅ」が試運転開始直後、出力が定格出力の 40%に達した時点で事故を起こしました。1997年には、東海再処理工場が爆発事故を起こして、周辺に放射能をまき散らしました。そして 1999年には核燃料加工工場 JCOが、最低限の注意さえしていれば防げたはずの臨界事故を起こし、2人の労働者が悲惨な死を強いられました。日本国内では当初驚きを持って迎えられたその事故は、海外では「やはり日本だから起きた事故」と言われていたのでした。さらに、2001年には浜岡原発 1号炉で非常用炉心冷却系の配管が水素爆発と思われる爆発で砕け散りました。2004年には、美浜 3号炉で 2次系の配管が大破断し、5名の労働者が熱水を浴びて死にました。
慢心は常に人の心に忍び込みやすいものです。「日本人は優秀だ」「日本の原子力技術は進んでいる」「日本の原子力発電所だけは安全だ」という宣伝は、国や電力会社の積極的な宣伝も手伝って、いつしか日本人の心深くに住みつきました。しかし「神国日本」が戦争に負けたように、「大和魂」では戦争に勝てなかったように、事実は冷徹に進行します。ましてや日本は原子力技術後進国です。これまで日本の原子力安全委員会は根拠のない安全宣伝を繰り返し、「原子力安全宣伝委員会」と呼ばれました。その安全委員会もJCO事故後、2000年度の「原子力安全白書」では以下のように述べました。
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多くの原子力関係者が「原子力は絶対に安全」などという考えを実際には有していないにもかかわらず、こうした誤った「安全神話」がなぜ作られたのだろうか。その理由としては以下のような要因が考えられる。
・外の分野に比べて高い安全性を求める設計への過剰な信頼
・長期間にわたり人命に関わる事故が発生しなかった安全の実績に対する過信
・過去の事故経験の風化
・原子力施設立地促進のためのPA(パブリックアクセプタンス=公衆による受容)活動のわかりやすさの追求
・絶対的安全への願望
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しかし、原子力安全委員会は本当は何の反省もしていません。どんなに起こらないようにと願っても、そしてどんなに人間が注意を払っても、原子力安全委員会がはっきりと認めたように、事故が絶対に起きないと言うことはできません。そして、起きた時の被害が破局的であるのであれば、その時の対策を準備しておくことは必要です。しかし、原子力安全委員会は、日本の原発では 8~10㎞範囲を超えて被害が出るような事故は決して起こらないと言い続けてきました。そして、今回の事故が起きてしまいました。原子力安全委員会はほとんど姿をかくしてしまいました。彼らは、来年度の「原子力安全白書」に一体どのように書くのでしょうか?
福島事故で起きたこと
起きたことはいたって単純です。発電所が全所停電したことで、私たちはそれを「ブラックアウト」と呼び、原発で破局的事故を引き起こす最大の要因であると警告してきました。
原発とはウランの核分裂反応で発生するエネルギーでお湯を沸かして発電する装置です。しかし、実際には、原子炉内で発生しているエネルギーには 2種類あります。その一つが核分裂のエネルギーですが、もう一つが「崩壊熱」と呼ばれるエネルギーで、ウランの核分裂によって生み出された核分裂生成物と呼ばれる放射性物質そのものが出すエネルギーです。原発が長期間運転された場合、原子炉内で発生しているエネルギーの7%分は、「崩壊熱」です。今回地震が発生した時に、原子炉内には制御棒が挿入され、ウランの核分裂反応自体は止められたものと思います。しかし、崩壊熱はそこに放射性物質自体が存在する限り、止めることはできません。
皆さんが自動車を運転中にタイヤが外れる事故が起きたとしましょう。もちろんブレーキを踏む、エンジンを切ることによって、車を停止させることができます。しかし、こと原発の場合には、事故が起きても7%分のエネルギーは止めることができないまま、走り続けなければいけないのです。
原子炉の中で発生するエネルギー(熱)を冷やすためには、水を送らなければいけません。水を送るためにはポンプが動かなければいけません。ポンプを動かすためには、電気がなければいけません。しかし、福島原発の事故では一切の電源が断たれてしまったのでした。原発が運転中なら自分で電気を起こすことができます。しかし、地震で原子炉を停止させたため、自分で電気を起こすことはできなくなりました。通常なら、外部から送電線を通して電気を得ることができますが、地震によって送電線が被害を受け、外部からの電気もたたれてしまいました。そのために、発電所には非常用発電機が複数用意されていましたが、それらは津波でやられてしまいました。こうしてすべての電源が断たれてしまい、東京電力は多数の電源車を現場に集めましたが、電源車を構内の電力系統に接続する場所は水没してしまっていて、電源車も使えませんでした。こうなれば、原子炉は溶けるしかありません。東京電力は、思案の挙句、消防用のポンプ車を連れてきて、原子炉内に水を送る決断をしました。それも、真水が利用できなかったため、海水を原子炉の中に入れることになりました。原子炉内に一海水を入れてしまえば、その原子炉は 2度と使えません。そのため、この決断は福島原発の所長にはできず、東京電力社長の決断を待たねばなりませんでした。そして、その間にも原子炉の損傷は進んでしまいました。
今現在、福島事故で進行していること
私は、当初、この事故が破局に至るか安定化できるかは 1週間で決まると思っていました。しかし、その予想は全く外れ、事故後すでに 1ヵ月半以上経た現在もなお苦闘が続いています。原子炉はいまだに溶け落ちていませんが、冷却を続けない限り溶け落ちて破局に至る可能性が今でもあります。従ってやるべきことはただ一つ、原子炉に水を入れ続けることです。ただ、事故後ずっと続けてきたように、外部から水を入れる限り、入れた分は外に溢れてくることになります。その水は放射能で汚染した水であり、発電所の敷地内のあちこちに溜まってしまい、作業員を被曝させ、環境に漏れ出ていっています。
すでにその水が 7万トン近くに達し、処理の方策が見えません。何とか、こうした外部からの水で原子炉を冷やす方策から抜け出さねばいけませんし、そのためには原子炉を冷やす水を循環式にし、途中に熱交換器を設置して、熱だけを環境に捨てるようにしなければいけません。そのためには大掛かりな工事が必要です。そしてそれができるまでは、今まで通り外部から水を入れ続けなければいけませんが、それを続ける限り汚染水があふれてきて、工事を妨害します。
行くも地獄、帰るも地獄の膠着状態の中で、作業員は必死の作業を続けていますが、彼らの被曝はどんどんと蓄積してきています。もともと、日本人は 1年間に 1ミリシーベルト以上の被曝をしてはいけないことになっています。私のように放射線を取り扱って給料を得ている人間は「放射線業務従事者」と呼ばれて、1年間に 20ミリシーベルトまでの被曝は我慢するよう法律で定められています。しかし、今回のような異常事態になってしまえば、そんな限度を守ることはできず、事態に対処する為に、 100ミリシーベルトまでの被曝は我慢するようにとの法律の定めもありました。しかし、それすら守ることができず、その限度は一気に 250ミリシーベルトへと引き上げられ、おそらく今後 500ミリシーベルトまで引き上げられてしまうのではないかと私は危惧しています。それでも、事故に立ち向かうための作業員を確保できるかどうか、私には分かりません。
福島事故の今後のシナリオ
今後の展開を予測することはできません。私の最悪シナリオは、原子炉の冷却に失敗し、炉心の大部分が溶けて落ちる、いわゆるメルトダウンが起きることです。そして、その時に原子炉圧力容器と呼ばれる、炉心を格納している巨大な圧力がまの底に水が残っていると水蒸気爆発と呼ばれる爆発が起きる可能性があります。そうなれば、原子炉圧力容器を格納している、放射能を閉じ込める最後の防壁であるか原子炉格納容器も壊れるはずだと思います。そうなってしまえば、炉心は溶けている、圧力容器も破壊され、格納容器も破壊されているということで、原子炉の中に存在していた大量の放射性物質が何らの防壁もないまま環境に出てくることになります。何とか、その最悪シナリオを避けるために今現在、福島原発で作業員の苦闘が続いています。その苦闘が実を結んでくれることを私は願います。
ただ、作業員の苦闘が実を結ぶ場合でも、彼らの被曝は避けられませんし、すでに環境に放出され、そして今後長期間にわたって環境に漏れ出てくる放射能によって一般の人々が被ばくすることも避けられません。すでに原子力安全委員会は、普通の人々の被曝限度を 1年間に 20ミリシーベルトに引き上げるとしています。
低線量被曝の影響
福島原発事故を受けて、各地で空間ガンマ線量が増加しましたし、水道水や野菜などの食べ物も汚染しました。それを前に、政府はしばしば「ただちに影響が出るレベルではない」と言ってきました。逆に言うなら、それは、ただちには出ないがやがて影響が出るということの裏返しです。すでに述べたように被曝に安全量はなく、「急性障害」は出なくても、いずれ「晩発性障害」と呼ばれる被害が出ます。原爆被爆者などの長年の疫学調査に基づき、いくつかの評価がなされてきました。国際放射線防護委員会(ICRP)、先にも述べた米国科学アカデミーの電離放射線の生物影響(BEIR)委員会、私が信用している故 J.W.Gofmanさんの評価などがあります。それらの評価を表1に示します。
10人・シーベルトという概念は分かりづらいでしょう。たとえば、1シーベルト被曝した人が 10人いれば合計の被曝量は10人・シーベルトになりますし、一人が 100ミリシーベルトの被曝しかしなければ、合計の被曝を 1万人・シーベルトにするには 100人の人が必要になります。
また、被曝量(Dose)が低い、あるいは被曝線量率(Dose Rate)が低い場合には被曝の影響が小さくなるとして、被ばく影響を小さく評価するという考え方があり、それが「補正(悪)後の値」として示したものです。しかし、もともと低線量あるいは低線量率での被ばく影響の効果が小さいとする主張には根拠がありませんので、J.W.Gofmanさんはそのような効果を含めることは正しくないとしています。
そのため、表1の「LNTモデル」の欄に示した人数だけがんで死ぬと考えるべきでしょう。一人ひとりが 1ミリシーベルトしか被曝しないのであれば、10人・シーベルトの被ばくにするまで1万人が集まることになります。そして、最低の評価値を与えている ICRPの評価でも 10人・シーベルト当たり1人、Gofmanさんの評価では 4人が、がん死することになると評価されます。日本の法令は ICRPの勧告を基に作られていますので、一般人の被曝限度である 1年当たり 1ミリシーベルトは、1万のうち 1人ががんで死ぬことを 1年ごとに容認する基準です。
子どもの被曝は何としても避けなければならない
すでに述べたように、私たち人間と言う個体の始まりは、精子と卵子が結合して生まれたたった一つの細胞、いわゆる万能細胞です。そのたった一つの細胞が持っている遺伝情報を、細胞分裂によって複製しながら、目ができ、手ができ、頭ができ・・・といったように人間が作られます。人間の成人の身体はおよそ 60兆個の細胞でできています。もし遺伝情報に傷が付けば、傷を持った遺伝情報が複製されることになります。そのため、ガン死/1万人・シーベルト細胞分裂の活発な時に被曝をすると、狂った遺伝情報がどんどん複製されることになってしまい、若く、生命活動の活発な子どもほど放射線感受性が高いことになります。したがって、同じ量の放射線を浴びるのであれば、大人よりも子どもの方が被害を多く受けます。
放射線の年齢別の感受性を図7(5)に示します。20歳代、30歳代の大人に比べれば、赤ん坊年齢の放射線感受性は 4倍も高いし、逆に 50歳以上の大人は、1桁も低くなります。
この点と評価の違いを考慮に入れただけでどれだけの被害が出ると予測されるかを、表2に示します。仮に、一般の人たちの被曝が 1ミリシーベルトとであるなら、1万人のうち 1人ががんで死ぬのは仕方がないとするのが今の日本政府の基準です。その値は、 Gofmanさんの評価では 4人となります。また、子どもの場合にはその約5倍の被害が出ると考えなければいけません(表2参照)。福島事故を受け、政府は緊急時として現場の作業員、そして避難指示を出す地域の被曝線量を決めました。それらによる危険度も併せて表3に示します。
今回、避難区域の基準として出された20mSv/yという値は、通常時であれば、放射線業務従事者に対してのみ許されるという被曝限度です。それを子どもたちにもあてはめるとすると、通常時に一般の人たちに許される危険度の 100倍もの危険を子どもたちに押し付けることになります。
汚染への向き合い方
チェルノブイリ事故後、ソ連国内とヨーロッパの食べ物は強い汚染を受けました。それを知った日本人は、放射能汚染した食品は食べたくないとして、国に輸入規制を求め、日本の国は、セシウム 134と137の合計で 370ベクレル /kg以上汚れているものは日本国内に入れないと規制しました。しかし、日本人が食べないからといって汚染した食料がなくなるわけではなく、それは原子力の恩恵などまったく受けず、貧しく食料にも事欠いている国々へと押し付けられました。
いま、福島原発事故で、福島県内や周辺の食料は汚れています。もちろん、誰だって放射能など食べたくありませんし、私も同じです。しかし、私たちが汚染した食料を拒否すれば農業と漁業が崩壊します。私たちはエネルギーを厖大に使える社会があたかも豊かであるように思い、農業と漁業を崩壊させてきましたが、その象徴が原子力だと私は思います。その原子力が事故を起こした時に、さらに農業と漁業を崩壊に追いやってしまうことは、事故から何の教訓も汲み取らないことになります。
「原子力だけは絶対安全」と偽りの宣伝を流してきたのは国と電力会社、巨大産業群です。一般の人々が騙されても仕方がないと思います。しかし、騙された者には騙されたことに対する責任があります。子どもたちは少なくとも原子力を選択したことに責任はありませんし、放射線の感受性が高いので、何とか彼らを被曝から守らなければいけません。すべてのデータを公表し汚染した食料は日本人の大人が引き受けることこそ必要だと思います。
Ⅳ.都会で引き受けられない危険
地球という星と地震
私たち日本人にとって地震は身近なもので、地震を経験しないまま一生を終えることはできません。しかし、この地球という星では、地震が起きない所の方がむしろ普通です。図8に示すように、この地球という星で地震が起きるのは、いわゆるプレートと呼ばれる地殻の境界だけです。日本は「太平洋プレート」「フィリピン海プレート」「ユーラシアプレート」「北米プレート」の4つのプレートがひしめく地震発生地帯にあります。国土面積では世界全体の 0.25%しか占めませんが、マグニチュード6以上の地震のうち20.5%が日本で発生するという世界一の地震国です(地震情報サイト JIS、http://j-jis.com/data/plate.shtml).。
人知を超えた地震
その日本では、私たちが望むと望まないとのに拘わらず、地震は突然に起こります。昔から現在に至るまで、大小さまざまな地震に襲われ、さまざまな被害を受けてきました。平安時代末期に、京都下鴨神社の神職にあった鴨長明が「方丈記」を書きました。「ゆく河の流れは絶えずして・・・」の名文で始まるその方丈記には当時起こった5つの厄災についての記述があります。そのうち1つだけが人災(清盛による福原遷都とその失敗,1180)で、残りの4つは天災(火の災い(安元の大火,1177)、風の災い(治承の旋風 ,1180)、水の災い(養和の飢饉 ,1181-82)、地の災い(元暦の大地震,1185))です。このうち元暦2年の地震のマグニチユードは 7.4でした。その被害を「方丈記」は右のように記しています。
地震の規模とマグニチュード
地震は地下で岩盤が崩れ、岩盤同士が擦れ合う時にエネルギーを放出します。その時に生じたエネルギーの量を数式を使ってマグニチュードという値に換算します。マグニチュードと放出されるエネルギーの量の関係を表4に示します。
マグニチュード 6の地震が放出するエネルギーは、広島原爆が放出したエネルギーに換算すると 0.92発分、つまり約 1発分です。つまり、マグニチュード 6の地震が起きた場合、地下で広島原爆約 1発が爆発したと思えばいいのです。ただし、このマグニチュードという値は少しおかしな数式で換算していて、例えばマグニチュードが 6から 8に 2上がると、地震が放出したエネルギーは 1000倍になります。
今年 2月 22日にニュージーランドのクライストチャーチで発生した地震はマグニチュード 6.3でした。表 1でわかるように、その地震で発生したエネルギーは広島原爆 2.6個分でした。そのため、100人を超える人々が死に追いやられました。
1995年 1月 17日に発生し、6500人近い死者を出した兵庫県南部地震のマグニチュードは 7.3でした。そのエネルギーは広島原爆が放出したエネルギーに換算して 82発分に相当します。その日の朝、淡路島から神戸にかけての地下で広島原爆が 82発、次々と炸裂したと考えれば、その地震の規模を想像できるでしょう。
それまで、日本の耐震工学の専門家は、たとえば以下のように言って日本の建築物だけは壊れないと豪語していました。しかし、阪神淡路大震災を受けたあと、彼らは「予想を超える揺れだった」と言ったのでした。
ノースリッジ地震の後も、サンフランシスコの被害が大問題となった 1989年ロマプリエタ地震の後も、日本の建設技術者は、『ところで日本の構造物は大丈夫なんですか』という質問をあちこちで受けるはめとなった。『あれくらいでは日本の構造物は壊れません』というのが、我々の答えである(中略)設計で使う力は、世界の地震国で使われている力の数倍は大きい(中略)なんと言っても最大の理由は、地震や地震災害に対する知識レベルの高さであろう。
片山恒雄東大教授、「予防時報」第 180号(社)日本損害保険協会(1995年 1月)
2004年 10月 23日に起きた中越地震のマグニチュードは 6.8でしたが、多数の集落が根こそぎ破壊されて生活できなくなりました。2007年 7月 16日には、マグニチュード 6.8の中越沖地震が起き、世界最大の原子力発電所である東京電力柏崎・刈羽原子力発電所を襲いました。東京電力がこれ以上の地震は決して起きないとして想定した最大の直下地震はマグニチュード 6.5で、中越沖地震はその 3倍もの大きさでした。2004年暮れに起きたスマトラ沖地震のマグニチュードは 9.0、広島原爆3万発分のエネルギーに達しました。そのため、地球の回転軸がゆがみ、1年の長さまでもが変わったほどの巨大な地震でした。そのため 20万を超える人たちが死にました。 2010年 1月 12日にハイチで起きた地震はマグニチュード 7.0でしたが、その地震でも 23万もの人が死んでしまいました。そして今回の東北地方太平洋沖地震のマグニチュードも 9.0でした。
危険な浜岡原発
今、怖れなければならないのは東海地震です。古くから本州、四国の耐変容沿いでは、巨大な地震が周期的に起きてきました。四国沖から紀伊半島西側にかけて起きる南海地震、紀伊半島先端から東にかけての東南海地震、そして駿河湾付近の東海地震は、 100年から 150年に一度は起きることを歴史が示しています(図9参照)。しかし、 1854年に起きた安政東海地震、安政南海自身の後、東南海地震と南海地震がそれぞれ 1944年と 1946年に起きたにも拘わらず、東海地震はすでに 160年近く起きていません。政府の地震調査委員会は、「東海地震」は今後 30年以内に 87%の確率で起き、その規模はマグニチュード8程度と予測しています。そして、その予想発生震源域の中心で中部電力浜岡原子力発電所が動いています。1号機(54万 kW、1976年運転開始)、2号機(84万 kW、1978年運転開始)は、耐震補強工事にカネがかかりすぎるとの理由で 2009年 1月 30日に運転を終了しました。しかし、未だに 3号機(110万 kW、1987年運転開始)、4号機( 113.7万 kW、1993年運転開始)5号機( 138万 kW、2005年運転開始)の 3基が運転中です。今日、この後に広瀬さんが詳しく話してくださるでしょうが、もし東海地震が起きてしまえば、浜岡原発で破局的事故が引き起こされる可能性は十分にあると考えておくべきでしょう。マグニチュード8の地震では広島原爆 920発分のエネルギーが放出されます。その上、当南海地震と連動する場合にはその規模はマグニチュード 8.5になると言われ、その場合に放出されるエネルギーは広島原爆 5200発分に相当します。国や電力会社は原子力発電所だけは何時いかなる時も絶対安全だと言い続けて来ましたが、事故は何度もおきてきて、その都度、彼らは「予想を超えた事態であった」と言ってきました。広島原爆数千発が直下で炸裂してなお安全だといえる構造物とは一体どのようなものなのでしょう? そこに危険物があるかぎり、事故が起こるかもしれないことは覚悟しておかなければいけません。
超危険な物質を内包した原発は地震地帯を避けなければならない
世界の原子力発電所はほとんど例外なく地震地帯を避けて建設されています(図10参照)。米国には 100基の原発がありますが、それらは地震が起きない東海岸に建てられています。ヨーロッパには 150基の原発がありますが、ヨーロッパは安定した地殻の上にあり、地震の心配をする必要がありません。しかし、世界一の地震国日本に、今現在、 54基の原子力発電所が動いています。何故、そのようなことをするかといえば、電気が欲しいからだそうです。発電方法には原子力だけではなく、火力、水力、さらに太陽光、太陽熱、風力、波力、潮力、地熱などなど他にもさまざまなものがあります。仮に何もないとしても、たかが電気のために、これほど愚かな選択をする必要があるのでしょうか?
浜岡原発での破局的事故シミュレーション
浜岡には 1976年に運転を始めた 1号炉以降、これまでに 5基の原発が建設されました。しかし東海地震がいよいよ切迫して来ていることが明らかになり、また敷地が劣悪な地盤で、地震の揺れが増幅されることも分かってきました。そのため、中部電力は 1号炉と 2号炉については耐震補強工事にカネがかかりすぎるとの理由で、2009年 1月末に運転を停止しました。それでも 3号炉、4号炉、5号炉は未だに運転を続けていますし、あろうこと6号炉を増設するなどという計画も出されています。
チェルノブイリ原発( 100万 kW)よりも大きな原発が事故を起こせば、どんな被害が出るか、シミュレーションすることもばかげていると思います。でも、一番小さな3号炉(110万 kW)が事故を起こした時の被害を計算してみました(6)。その結果は、すでに「終焉に向かう原子力(第 10回)」(2010年 12月 12日)で報告しました。ここでは、代表的な結果だけを示します。
汚染を受ける土地の広さ
すでに記したように、チェルノブイリ原発の時には、セシウム 137の汚染が 1 km2当たり 15キュリー以上になった地域は強制的に避難させられました。また、日本の法令に従えば、1 km2当たり 1キュリー以上の場所はすべて放射線管理区域に指定しなければいけないことになっています。チェルノブイリ事故の場合、東側で風下 700kmの彼方まで、西側でも 500kmの彼方まで 1km2当たり 1キュリー以上に汚染を受けた地域が広がりました。つまり東西に 1200kmにわたる地域が放射線の管理区域に指定しなければならない汚染を受けました。
浜岡原発で事故が起きた場合に、どのような汚染がどの程度の範囲まで起きるかを図11に示します。風下に入ってしまえば、1200kmの彼方まで、つまり日本中どこでも放射線管理区域にしなければなりませんし、風向きが西から北西方向であれば、韓国はもちろん朝鮮民主主義人民共和国もそのほぼすべてが放射線の管理区域にしなければならない範囲に含まれます。
強制避難させる場所は 250kmの風下に及びます。つまり風下に入ってしまえば、東京も名古屋も、大阪も人々をすべてその場から追い出さなければならなくなります
長い時間がたった後に生じる癌による死
ここでの計算では、風下に巻き込まれた地域は、 30日後に避難し、その後は無人地帯になると仮定しています。それでも、避難するまでに受けてしまった被曝、さらには体内に取り込んでしまった放射能からの被曝は続き、それらはやがて長期間たった後に癌で死ぬ被害をもたらします。この場合も、被害を受けるのは風下だけで、例えば放射能の雲が北東方向( 45度方向)に流れた場合には、静岡市さらには首都圏が放射能の雲に巻き込まれることになり、東京周辺だけで 65万人、静岡など他の地域も含めれば 130万人の癌死者が生じます。風が 285度方向に向かった場合には、浜松市と名古屋周辺が被害を受け、癌死者の合計は 120万人になります(図12参照)。原発を過疎地に押し付けてもなお、都会でもたくさんの人々が犠牲になります。
急性死が出る地域
原発事故の被害は、遠く離れた地域でも発生するとはいえ、それでも原発周辺地域が受ける被害は言葉には尽くせません。
短期間に大量の被曝をすれば、JCO事故での大内さん、篠原さんのように、人間は筆舌に尽くせない悲惨さのうちに死んでしまいます。急性死の出る範囲を図13に示します。被害を受けるのは風下だけですが、旧浜岡町を含んだ御前崎市はほぼ全域が 90%の人が死ぬ範囲に含まれています。
Ⅴ.原子力からは簡単に足を洗える
原子力は即刻やめても困らない
日本では現在、電力の約 30%が原子力で供給されています。そのため、ほとんどの日本人は、原子力を廃止すれば電力不足になると思わされています。また、ほとんどの人は今後も必要悪として原子力を受け入れざるを得ないと思っています。そして、原子力利用に反対すると「それなら電気を使うな」と言われたりします。福島原発事故が現在進行中であるのに、原発を止めると電気が足りなくなる、豊かな生活ができなくなると思う日本人は多いようです。
しかし、発電所の設備の能力で見ると、原子力は全体の18%しかありません。その原子力が発電量では28%になっているのは、原子力発電所の設備利用率だけを上げ、火力発電所のほとんどを停止させているからです。原子力発電が生み出したという電力をすべて火力発電でまかなったとしても、なお火力発電所の設備利用率は7割にしかなりません。それほど日本では発電所は余ってしまっていて、年間の平均設備利用率は5割にもなりません。つまり、発電所の半分以上を停止させねばならないほど余ってしまっています(図14参照)。
ただ、電気は貯めておけないので、一番たくさん使う時にあわせて発電設備を準備しておく必要がある、だからやはり原子力は必要だと国や電力会社は言います。しかし、過去の実績を調べてみれば、最大電力需要量が火力発電と水力発電の合計以上になったことすらほとんどありません(図15参照)。電力会社は、水力は渇水の場合には使えないとか、定期検査で使えない発電発電設備量[100万kW]所があるなどと言って、原子力発電所を廃止すればピーク時の電気供給が不足すると主張します。しかし、極端な電力使用のピークが生じるのは一年のうち真夏の数日、そのまた数時間のことでしかありません。かりにその時にわずかの不足が生じるというのであれば、自家発からの融通、工場の操業時間の調整、そしてクーラーの温度設定の調整などで充分乗り越えられます。今なら、私たちは何の苦痛も(最大需要電力量は電気事業に関するもののみ。)伴わずに原子力から足を洗うことができます。
Ⅵ.何よりも必要なことはエネルギー消費を抑えること
少欲知足
しかし、私が思っていることは別にあります。原発は電気が足りようが、足りなかろうが、即刻全廃すべきものです。福島原発の悲劇を見ながらそう思うことができない人がいるとすれば、私は不思議です。
いったい、私たちはどれほどのものに囲まれて生きれば幸せといえるのでしょう?
人工衛星から夜の地球を見ると、日本は不夜城のごとく煌々と夜の闇に浮かび上がります。建物に入ろうとすれば、自動ドアが開き、人々は階段ではなくエスカレーターやエレベータに群がります。夏だというのに冷房をきかせて、長袖のスーツで働きます。そして、電気をふんだんに投入して作られる野菜や果物は、季節感のなくなった食卓を彩ります。
現在、地球温暖化問題がとてつもなく重要なものだと宣伝され、それを防ぐためには原子力が必要だなどという途方もないウソが流されています。「地球温暖化」もっと正確に言えば気候変動の原因は、日本政府や原子力推進派が宣伝しているように、単に二酸化炭素の増加にあるのではありません。産業革命以降、特に第二次世界戦争以降の急速なエネルギー消費の拡大の過程で二酸化炭素が大量に放出されたことは事実ですし、それが気候変動の一部の原因になっていることも本当でしょう。しかし、生命環境破壊の真因は、「先進国」と呼ばれる一部の人類が産業革命以降、エネルギーの膨大な浪費を始めたこと、そのこと自体にあります。そのため、多数の生物種がすでに絶滅させられたし、今も絶滅されようとしています。地球の環境が大切であるというのであれば、二酸化炭素の放出を減らすなどという生易しいことではすみません。人類の諸活動が引き起こした災害には大気汚染、海洋汚染、森林破壊、酸性雨、砂漠化、産業廃棄物、生活廃棄物、環境ホルモン、放射能汚染、さらには貧困、戦争などがあります。そのどれをとっても巨大な脅威です。温暖化が仮に脅威だとしても、無数にある脅威の一つに過ぎませんし、その原因の一つに二酸化炭素があるかもしれないというに過ぎません。日本を含め「先進国」と自称している国々に求められていることは、何よりもエネルギー浪費社会を改めることです。あらゆる意味で原子力は最悪の選択ですし、代替エネルギーを探すなどという生ぬるいことを考える前に、まずはエネルギー消費の抑制こそに目を向けなければいけません。
残念ではありますが、人間とは愚かにも欲深い生き物のようです。種としての人類が生き延びることに価値があるかどうか、私には分りません。しかし、もし地球の生命環境を私たちの子どもや孫たちに引き渡したいのであれば、その道はただ一つ「知足」しかありません。一度手に入れてしまった贅沢な生活を棄てるには苦痛が伴う場合もあるでしょう。当然、浪費社会を変えるには長い時間がかかります。しかし、世界全体が持続的に平和に暮らす道がそれしかないとすれば、私たちが人類としての叡智を手に入れる以外にありません。私たちが日常的に使っているエネルギーが本当に必要なものなのかどうか真剣に考え、一刻でも早くエネルギー浪費型の社会を改める作業に取り掛からなければなりません。
【参考文献】
(1) NHK取材班「被曝治療 83日間の記録」、岩波書店(2000)、現在この本は絶版ですが、新潮文庫から「朽ちていった命」として出版されています。
(2) BEIRⅦ-Phase 2、”Health Risks From Exposure to Low Levels of Ionizing Radiation”
http://www.nap.edu/catalog.php?record_id=11340
(3) USAEC,”Theoretical Possibilities and Consequences of Major Accidents in Large Nuclear Power Plants”,
WASH-740(1957)
(4) 日本原子力産業会議、「ソ連原子力事業視察報告」、1979年9月
(5) J.W.Gofman, “Radiation and Human Health”, Sierra Club Books(1981)
(6) 原発事故のシミュレーションに関しては、以下の本をご覧ください。
瀬尾健、「原発事故、その時あなたは・・・?」、風媒社(1995)
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(本稿は、「終焉に向かう原子力」第11回 (2011年4月29日(金) 明治大学 アカデミーホールで開催)での講演用に作成されたものです。――編集部)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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