経産省前にみんながやってきて脱原発の広場にして欲しい

2011年9月15日 連帯・共同ニュース第152号

9条改憲阻止の会

■  中秋の名月からは欠けはじめたがまだ円い月が浮かんでいる。ここ霞ヶ関の夜更けに見上げているが、周辺には客待ちタクシーがずっと並んでいる。何やら無線で交信していた若い運転手と話しこんだ。テントの周りの路上である。「最近は景気が悪くていい客がつかまらない…」「そういえば新宿ではタクシーが拾えなくて始電まで飲んでいたことがあったね」「昔のことでしよう。先輩から聞いていますよ。…原発は気持ちが悪いですね」。こちらに気使かってくれたのか(?)。いい客がつくといいね…とおかえしをした。この経産省前の座り込みやハンガ―ストライキの現場には多くの人が訪れる。脱原発の意思表示の広場になりつつある。が、もっと多くの人が参集して内には脱原発の討議が弾み、外にはそのアピールが出来ているというようになるといい。そう言えば昨日は9・11新宿デモで逮捕されたフランス人のフランク夫妻もやってきた。夫婦はテントに泊り込んだがいろいろと話も弾んだ。なかなか愉しいひと時だった。

■  大震災の復興の遅れが指摘されているが、原発震災についてもそれは言える。未だに正確な情報は開示されていない。福島第一原発の復旧の見通しも、復興の展望もできてはいない。就任早々の経産省の大臣の現地視察の話が糾弾され、辞任に追い込まれるような始末である。しかし、ここ経産省や原子力ムラの面々はこうした中でも、停止中の原発を再稼働し、原発保持を画策していると言われる。勝手な憶測ではない。菅前首相の退任後のインタビューでも明らかな事だ。政府は混乱状態から脱せず、官僚たちは再稼働を準備している中で僕らはどうすればいいのか。脱原発という国民の意志は裾野を広げ強くはなっている。しかしながら、政府や官僚たちの思惑を打ち砕き、国民の脱原発の意志が原発の帰趨を決定するには至ってはいない。どうすればいいのだ。デモに参加しながら、テレビを見ながら、またこの広場の訪れる人も自問していることのように思う。何が欠けているのか。人々の意志を表現する行動形態がまだ現れていないのだ。この行動形態に不可欠な広場もできていない。別の言い方をすれば脱原発という国民的祝祭を生み出し得ていないのだ。ただ、萌芽はいくらか見られるようになった。新宿のアルタ前は広場であり、祭りのような行動を生み出す可能性がある。権力は脱原発の行動と広場の出現を警戒し押しつぶそうとする。それが彼らの戦略であり戦術である。祭りのエネルギー(愉しさ)を持った脱原発の行動と広場の創出で対抗しよう。経産省前を広場にするために参集を!(文責 三上治)