2011年10月3日 連帯・共同ニュース第164号
9条改憲阻止の会
■ 私たちは、経産省の敷地の一角にテントを建てて、「原発問題の国民的議論」の場所として提供せよと要求してきましたが、9条改憲阻止の会宛に、9月29日「国有財産使用の不許可通知書」というものが出されました。不許可の理由は、「経済産業省所管国有財産取扱規定」第16条に該当するためと明言されていますが、要するに「行政財産の公共性、公益性に反する」「行政財産の用途又は目的を妨げる恐れがある」ということらしい。
■ 今回の福島第一原発の事故は、事故の大きさや深刻さ故に、多くの市民・住民が原発及び国の原子力政策を根本的に問い直そうとしています。福島第一原発の事故寸前まで、経産省など国の行政と電力会社が結んで、脆弱な財政基盤の地方市町村に多額の交付金などを提供して、「原発は安全ではない」という意見を排除・無視して、一方的且つ強引に原発を推進してきたことに対する根本的な反省が求められているということです。この場合、深刻な被害を受け続けている被災者自身の声は極めて重要であるのは言うまでもありません。しかし国や行政の大部分は未だに原発推進という枠の中に収まって、根本的な見直しの緒にもついていません。なかなか地に足を着けていない政治の成り行きを窺っているだけで、深刻な被害を受けている被災者を理解するどころか、自らはその専門的な情報を隠蔽し、放射能汚染被害等の程度や見通しを常に過小評価し続けています。その先兵となり重要な役割を努めているのが経産省であり、原子力安全・保安院であり、文科省なのではないでしょうか。経産省(原子力安全・保安院)が、電力会社、地方行政等と共に三位一体で進めた「やらせ」の一角を担うとは何たることでしょうか。
■ 福島からわざわざ自費で東京に来て、経産省や文科省に被災地の具体的な様子を示し、抗議し陳情する母親達の心情を、彼らはどのくらい理解しているのでしょうか。経産省、原子力安全・保安院は、事故の収束もなく、事故の経過も解明されていないにも関わらず、去る6月18日には早々と「安全宣言」を出して、休止中の原発の再稼働を進めようとしています。彼らにとっては「ストレステスト」さえ通過儀礼にほかなりません。こういうやり方は、そのまま現在までの原子力行政、原発推進の実体なのですが、その前に、こうした実体とは逆に、自ら積極的に「幅広い全市民的議論」を呼び掛け、市民・住民の真剣な意見にこそ率直に耳を傾けるべきです。
■ そうした場の1つが、彼ら経産省にとって、考えようによっては、おあつらえ向きの、その敷地の一角に立てられた「テント」です。このテントは、経産省が形式論議だけで排除すべき対象ではなく、幅広い市民的立場から積極的に歓迎すべき対象です。国民に基礎を置く開かれた民主的な経産省という期待に応えるべきです。民に開かれた経産省が求められているのであって、旧態依然たる官僚主義では深刻な原発事故から何も学ばないことになるのは火を見るより明らかなことです。
●ちなみに経産省にとっても既に身近な存在であり始めているのだから、これから寒くもなるので、電力の提供の便の労をとっても罰はあたらないと思うがいかがだろうか。(文責 渕上太郎)