経産省前脱原発テント座り込み日誌1月2日版

経産省前テントひろば、脱原発テント設置日(2011年9月11日)から1807日目(2016年8月21日)にテント強制撤去。2025年1月2日は、座り込み4,863日目。これは、マハトマ・ガンディー「非暴力、不服従」の実践です。

12月27日(金)  (K.M)
エネルギー基本計画が福島を愚弄、東電に原発動かす資格無し  
杉崎さんのオープニング音楽:「原発じゃ明日が無い」、「怒りのこぶしを上げよう」。
K.M:今朝の東京新聞記事<エネ計画原案「福島を愚弄」 事故原告団長らが知事に申入れ>の一部を読み上げ、福島が終わっていない、エネルギー基本計画確定反対を訴える。
コール:福島は終わっていないぞ、エネルギー基本計画糾弾、再エネを延ばせ、原発ゼロは可能だ、脱原発、再稼動反対、運転延長反対、命を守れ、地球を守れ、未来を守れ、‥。
K.M:若狭の原発再稼動反対の12.8行動の報告などを紹介。
浅草月一カンカラ岡大介さん:沖縄のカンカラ三線で明治の演歌「オッペケぺー」を歌い、アメリカの言いなり政府を批判し、オッペケペッポウぺっポッポ‥。
白倉さん:経産省は御用納めしたのか、12月25日の東海第二運転差止訴訟の控訴審で口頭弁論が行われ、水戸地裁の差止判決を生かす為の弁論が行われた。避難計画は机上の空論を批判し災害特別措置法から避難計画が不備であれば再稼動を差し止めるべきと主張、一方被告の日本原電は未だに弁論せず。来年も負けない。
吉岡さん:AIは電気を食う怪獣で、その為に原発を作るなんて間違い。国民の命を犠牲に原発稼動は可笑しい、日本は三流国、官僚がひどい、司法も袴田無罪から何も反省しない、ひどい。
乱さん:13年以上前の3.11でひどい事故。なのにほとぼり冷めたとして原発回帰、これほど世論と乖離した政権を厳しく批判し、退かない闘いを呼びかけ、1月6日の抗議始への参加を。
平岡さん:いろいろの問題が一杯、来年度予算78兆円、財務省前で消費税無くせの行動があったが、消費税の比率が上がっている。原発については13年前の事故を忘れた如く、原発再稼動や新設が言われている。国民の意見を聞いていない。原発20%維持する流れ。私たちの声を聞かない、放射性のゴミを消せないにも拘らず。政府は核兵器の所有を考えているのではないか? 原発は良好な電源ではないことを主張し続けよう。不景気ゆえに米欧に政変が起こる。来年も頑張ろう。
守屋さん:「座込め、ここへ」を歌い、沖縄本島にNATO加盟国などが軍事演習をやっていたことは許されない。アメリカ依存の国を変えようと訴え、「水に流すな」を歌う。
K.M:配付した資料<島崎邦彦氏談「こういう会社が原発を持っていいのか」、東京電力に原発動かす資格無し!「東電と共に脱原発をめざす会」(12月12日)の質疑から>を概説。
1原子力ムラで誤魔化し続けて汚染水海洋投棄を続行、
2経産省と東電による「国策民営」原発推進、
3「特別負担金」払わずに日本原電支援、
4事故隠しし続ける東電、
5JERAが5年間も再エネ潰し不正、
6核ゴミ問題先送りし巨額をつぎ込んで柏崎刈羽再稼動目論見、
7原子力は衰退産業 と。
原子力規制委員会の初代委員長も初代委員長代理も、離職後に原子力ムラを厳しく批判している。
若木さん:来年2月26日の大間原発訴訟の報告集会でオシドリマコさんを迎える、是非ご予定を。
漆原さん:脱炭素のために島根原発の再稼働が必要だと島根県知事が言った。宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』(1932年)で、主人公が火山を爆発させてCO2の放出により温暖化が起き地域が冷害から救われた。この様に1970年代まで温暖化が良いことと考えられていた。1988年のハンセン証言以後、温暖化は地球環境の危機を招く恐ろしいものだということになり、「温暖化」に対する価値観が180度変わった。その間に、1979年のスリーマイル島事故、1986年チェルノブイリ事故という2つの原発過酷事故が起きた。気候危機説が世界に広まるにつれて、原発は発電時CO2を出さないから地球温暖化防止に役立つという理由で原発が推進されるようになった。そして政府はGX推進の名のもとに原発関連法制の大改悪を行った。地球の温暖化とは何なのか、脱炭素は何のために進められているのか、根本から問い直してみる必要があるのではないか。
堀江さん:いよいよ今年も終わり、島根原発が稼働される、核のゴミが増え続ける。
最後に関電批判歌を歌う。
奥内さん:東京は電力を福島から送ってもらっていた、2023年4月29日の高浜集会に参加した青田恵子さんの詩「原発いらね!」を詠む、「…若狭の海に魔物のドーム外側固めてミサイル対策 内側老朽傷だらけ 地震が来たら一発だ フクシマが物の見事に証明して差し上げた …」と。急遽若者がTikTokの動画撮影を開始。
コール:経産省は嘘をつくな、原発は安全では無い、安くは無い、電気は足りてい
る、原発はクリーンではない、原発はグリーンではない、…。

12月28日 (土)    絶えず消され続けてきた存在 (O・O)
国際難民機関(IRO)という組織があるが、パレスチナ難民は対象ではない。それについてはパレスチナ難民とユダヤ難民を比較させまいとイスラエルが関与を妨害したという話がある。
国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)、UNRWAは「UN Relief and Works Agency」の略称だが、「Palestine(パレスチナ)」も「Refugee(難民)」も含まれていない。あたかもパレスチナ難民は存在しないかのように。
イスラエルはパレスチナを「エレツ・イスラエル」と呼ぶ。またパレスチナ人などとは呼ばない。2013年10月7日より遥か以前からエルサレムでは定期的に入植者のデモが行われ、大勢の若いユダヤ人が「アラブ人に死を!」と叫ぶという。

12月29日 (日)   (峯島)(はしゆき)文章は峯島さん
(参加者:藤原、千葉、男性、ハシユキ、峯島)
快晴、風なし、日向は暖かい。通りかかるのは観光客ばかり。いつもより遅く12:25に着いたら、藤原さんは横断幕2枚設営しただけで休憩中。「なぜ私ひとりが働かなきゃならないんだ」と。E藤さん休みで13時に横断幕7、のぼり旗4、やっと完成。
もう時間遅いのでいつもより、のぼり旗減らした。藤原さん持参の食料は、ふかしサツマ芋・ゆで卵・ゆでトウモロコシ。
日なたは上着いらず、経産省正門左側のケヤキの枝切られている(強剪定)。
13:15スズメが20羽以上座り込みの近くにやって来て歩道を突いている。食べるものがなくて?餌をねだっている。歩行者が来ると一斉に舞い上がり木に止まり、通りすぎるとまた歩道に降りる。
13:20通りがかりの親子連れが会話「『原発いらない』…原発ってなあに?」「原子力発電所のことだよ」
13:25 T葉さん来る。藤原さんが食料プレゼント、
13:30右翼車6台軍歌調の曲鳴らして来た。非常事態に備えT葉さんに頼み、少し長くいてもらったが、右翼車は通り過ぎ、こちらに被害はなし。
14:05男性ひとりとはしゆき来る。男性は終了まで座り込み。N瀬さんがMLに流した50歳定年説が話題に。皆が意見を出した。
・それは普通の考え方だ、昔はそれほど働かなかった。農閑期とか。産業社会になってから働かないと食えない社会にさせられた。
・伊能忠敬のような生き方が理想なので、早期引退は良いことだ。
伊能忠敬について調べてみようと、ウィキ読みながら話をした。
・佐原の伊能家婿入りし財産蓄え、50歳に暦学まなびに江戸へ…
15時少しすぎているのにも気づかず…。撤収完了15:17 座り込み人数5人でした。(峯島)
終了後、事務所でお茶(おちゃけ)タイム、藤原さんがトラメガ2台の整備、導電不良を直しました。

12月30日 (月)  (保)
朝から晴天だったが、経産省前は、風がときどき強く吹いてバナーが翻ってしまうので、椅子などを利用して緩めに固定した。 セッティングを終えて反原発ソングを掛けながら、おにぎりを食べていたら、目の不自由なHoさんが来られた。「きょうは座り込みが終えたら静岡の友達の家に行く事になっている」とのこと。先日、その友達が送ってくれたミカンを頂いたのを思い出した。とても甘かった。
 午後1時頃、通りかかった女性が相棒のSaさんに「これどうぞ」と言ってバッグからお菓子を取り出して渡してくれた。テントニュースを渡そうとしたが、足早に去って行かれた。寒空にも拘わらず座り込んでいる我々に同情してのことでしょう。有難く頂戴した。
 午後2時頃、私宛に電話が掛かってきた。誰からだろうと電話に出たら「こちらは入管庁です。あなたのパスポートが不正に利用されている可能性があります云々」と言ってきたので直ぐに電話を切った。これは詐欺だと直感したから。その後、どこからも電話は掛かってこなかった。詐欺師は大量に発信しているので、私が誰だか知らない、たまたま電話した人が詐欺にあってしまう。20年ほど前、小包配送していた時の同僚がお客さんかと思って電話に出たら、アダルト電話だったので、直ぐに電話を切ったのだが、相手に電話番号を知られてしまったので、しつこく電話をかけてきた。それで、警察に通報して金を払わずに済んだということがあった。
 その後は何事もなく時間が来たので撤収した。Hoさんとは6日の再会を約束して別れた。

12月31日 (火) (EO)
今年の経産省前の座り込みも、今日でおしまい。昨年の年末年始は、福島浪江の請戸川テントひろばに私も泊まり込みで参加して、正月1日の夕方になって東京に戻ったのだった。
本日、経産省前の歩道に3枚のバナーを掲げて座り始めると、通りかかる人たち(主に、外国人観光客たち)は立ち止まって眺めていく。空は快晴、風もなく春の日向ぼっこの感じ。2011年の3.11後も生き続ける「希望の牧場」のやせ細った牛が「原発さえなかったら」と唸るバナーは、「正月の太平洋からの初日の出を見る」と言って、福島浪江の請戸川河口に出かけた一行が持っていったので、この日は飾れなかった。
午後2時頃に太陽がビルの陰に隠れたころ、Hさん、Aさんがやってきた。彼らと一緒に、3時に撤収したあとに、事務所で5時近くまで梅酒や麦焼酎「脱原発」を飲み、今年の反省会を行った。皆さんも来年は良いお年をお迎えください。

2025年1月1日(水)(IT)
「明けましておめでとうございます」とは言いずらいが、年は明けた。風が強い。お正月で通る人も少ないだろうからとバナーの数を少なくした。ヌシという名のニワトリのバナーを張る。吉沢さんのウシのバナーは浪江の請戸川河口テントひろばの初日の出を見る会に持っていった。橋ゆきさんから請戸海岸で牛の絵のバナーを持つ吉沢さんや黒田さんたちの写真が送られてきた。
経産省前ではセッティングが終るとまもなく、オビちゃんがおせちを持ってきてくれた。オビちゃんは久しぶり。毎年元旦におせちを持ってきてくれていて、今年もそうしてくれた。ありがたい。「高級おせち」をおいしくいただく。
Mさん、Sさんが当番だけだと寂しいかもしれないと来てくれた。当番のIさんは娘さんからメールが来たと喜んでいる。縁起がいい。おせち料理の話や健康の話などをして、今年も頑張ろうと「確認」。

1月2日 (木) (IK)
快晴で風もなくコートがいらないくらい暖かい。いつも一人で荷物を運んでくれるUrさんは都合でお休み。残り当番同志のちょっとした連絡ミスで少し遅れての座り込み開始。請戸で初日の出を見て来たSさんが乱さんと車で荷物を運んでくれて、持ち帰った牛の絵の横断幕などで賑やかにセッティング。一緒に請戸から帰って来たHaさんのレコーダーにあわせて、ヨーカンさんが昔の唱歌や反原発ソングなどを歌って楽しそうだった。その後、Sgさんの芋串だんごや、乱さんの差し入れなど頂きながら、請戸の話などしていると、午後1時半頃、TaさんがOsさんとやって来た。少しして鎌倉のMiさんも来てくれて賑やかになった。予想外に多くの人が来てくれて嬉しかった。
日の丸の小旗を持って通る人がいたので、聞くと皇居の一般参賀に行ってきたという。Sさんも車で近くを通り、警備の厳重なのに驚いたそうだが、それも一般参賀のせいだったようだ。あまり縁のない話だけど・・・・
午後2時になって、私は一足お先に失礼したが、その後は特別なことはなかったそうだ。

=====添付資料======
・原発週報2024.12.25-12.31 編集:漆原牧久
・12.27グスコーブドリの伝記再考.docx
・テントニュース304号.docx

=========デモ、集会==========
◆12月28日(土)~1月5日(日)までの座り込みは、12:00~15:00まで。
1月6日(月)経産省前新春抗議集会(座り込みは12:00~) 14:00~16:00
 南京玉すだれ:森丸さんは出席できず(病気のため)   
音楽:守屋さん 発言予定:江田さん、乱さん(請戸の報告)、杉山さん(大津漁協裁判の呼びかけ)、大口弁護士、他
1月8日(水)12:00~13:00原子力規制委員会前 (原則として、毎週水曜の同時刻に開催)
17:00~18:00 日本原電本店前
18:45~19:45 東電本店前抗議行動
1月10日(金)17:00~18:00 経産省前抗議集会 (原則として、毎週金曜の同時刻に開催)
1月17日(金)首相官邸前(原発いらない金曜行動) 18:30~19:45

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye5874:250106〕