経産省前テントひろば、脱原発テント設置日(2011年9月11日)から1807日目(2016年8月21日)にテント強制撤去。2024年10月03日は、座り込み4,772日目。これは、マハトマ・ガンディー「非暴力、不服従」の実践です。
◎ 袴田さん無罪、総裁選石破氏、西村裁判、JCO事故後29年 9月27日(金)
日本祈祷会の「鎮魂」のあと、雨の中で袴田さん無罪発言を喜んだ。自民党総裁選で石破勝利(高市敗北)を確認のあと、<脱原発、核ゴミ増やすな、福島は終わってないぞ、二度と事故を起こすな、被ばく労働を人に押しつけるな、温排水で海を温めるな、原発再稼動反対、運転延長反対、命を守れ、地球を守れ、未来を守れ、…>のコールで抗議行動を開始。
三上さんが、野田と石破との闘い、自民党内の派閥を論じ、岸田政権の原発推進と防衛装備を批判、裏金・統一教会問題を確認、石破茂が憲法改悪に踏み込むのではないか、日本の戦争国家体制化に注意、野田立憲代表も心配、我々の運動で憲法改悪を止めよう、日本を戦争ができる国にしない、非核と脱原発の運動を!
カリフォルニア州で多くが廃炉が決まっている中、ディアプロキャニオン原発が稼動方向の動き(火曜の院内集会)。原子力規制委員会の2人の委員が長崎・山岡に交代、東電の再稼動許すな、東京新聞反響欄投稿から日米安保条約改訂にも影響する米日政府の(第4の)被ばく隠しを糾弾。
白倉さんが、被ばく事実隠し、特に福島第一事故の影響が多い、人形峠でウラン採掘で被ばく、動燃のもんじゅナトリウム事故の後始末をさせられ、不審死してしまった松本清張ばりの西村裁判を応援しよう。避難者が不当に追い出されようとしている鴨下さんの裁判の判決が10月7日。
守屋さんが、袴田さんの無罪を喜び、控訴しないでくれの団体署名を依頼し、「座込め、ここへ」と「水に流すな」を歌う。
横浜の佐藤さんが、日本への情報が米英からばかりで偏っている、世界はBRICSが発言権を持っている、ウクライナ・中東・中国への見方も異なる。
関連して、ネタニヤフの米議会演説と拍手、長崎市集会にイスラエルを招待しないと米欧が大使を出さなかったことを確認。
坂東さんが、1999年のJCO事故後29年の10時からの抗議行動(経産省別館)を案内。
一方、高浜町で9月23日に大きな集会が行われたことを確認。再度<脱原発、再稼動反対、運転延長反対、老朽原発うごかすな、経産省は嘘をつくな、NONUKES、NOWAR、ガザ虐殺糾弾、…〉コールで終了。雨の中の片付けを多数の方が応援してくれた。 (K.M)
◎ 冤罪を考えるって大変のことだ 9月28日 (土)
・冤罪 それを生んだのはマスコミ。それから世論。
そして警察、検察、裁判所。全員が共犯であり役割を分担した。極めて残忍な事件だけに、マスコミと世論は思ったのだろう、犯人を許さない、早く犯人を捕まえろ、さっさと自供させろと。容疑者を有罪にしなければ、叱責・非難・責任追及を受けると警察と検察と裁判所は恐れたのか?
警察と検察にとって犯人は誰でもよかった。証拠を捏造、自白を偽装し、裁判では偽証を行い無実の人を罪人にする。それを正当化したのは、容疑者を犯人にできないことこそが問題だという意識があったのではないか。とにかく彼等の都合が犯人をこしらえた。「疑わしきは被告人の利益に」。被告に有利な証拠を隠し続けてまで、それを拒み続けた検察。自らには黒を白と言いくるめ、他者には白を黒と強弁するのが彼等の威信と面子。無実の人にとって最後の砦である裁判所は検察の主張を鵜呑みにした。だが、袴田厳さんの無実を信じた人たちがいた。
袴田ひで子さん。亡くなられた御両親様。袴田家の皆さん。袴田厳さんと同じ東京拘置所という獄中にいた皆さん。弁護団の皆さん。故西嶋勝彦弁護団長殿。支援者の皆さん。書籍を執筆した皆さん。発行に携わった皆さん。ドキュメンタリ-映画を製作した皆さん。上映を企画した皆さん。世界ボクシング評議会(WBC)や後楽園ホ-ル、ボクシング関係者の皆さん。「袴田さんにおわびします」を朝刊1面に掲載した東京新聞編集部の皆さん。故熊本典道元裁判官殿。村山浩昭さん(元裁判官、弁護士)。
林通晴さん(裁判官)、大善文男さん(裁判官)、国井恒志さん(裁判官)。
半世紀近い年月を経て正義を実現した。2014年、後楽園ホ-ルのリングの上、WBCの名誉チャンピオンベルトをつけてファイティングポーズをとった袴田厳さん。その時に眼が輝いたように見えたのは錯覚だったのか。ドキュメンタリ映画の中の短いシ-ンだった。だが、私も冤罪に荷担している一人だ。無関心だったのは知らなかったから?
じゃあ知ろうとしろよ。教えて貰うまで待っているのか?
〈参考文献〉文春新書1453、2024.8.20発行、「袴田事件
神になるしかなかった男の58年」著者 青柳雄介
「神が存在しないなら、私が神である ドストエフスキー『悪霊』より」(O・O)
◎ 今日は賑やかだった 9月29日(日)
今日は乱鬼龍さんの青空川柳句会、あいにく曇り時々雨のお天気でしたが、ここしばらくでは珍しいほどの盛会。句会参加者が10人、不参加の座り込み者が5人でした。初めて句会に来てくれた方は、代々木公園でお誘いした女性。こういう方が増えてくれれば将来有望ですね。勝手に武建一さんを応援する会のSさん。よくお見かけする方ですが座り込みは久しぶり。
右翼車4台大音声で接近。国会方面から外務省脇を降りてきて、外務省側には曲がらせてもらえないのか、こちらの前を通過、「こーじきー、まだそんなところに座っているのかー」等の悪態をつきながら去っていった。
雨模様で蚊が多かった。藤原さんが私物の殺虫剤を持ってきてスプレーしてくれた。家電のノジマが配っていたポケットティッシュの柄が一億円だったとか。「流行っているんですか?」と乱さんが聞かれていた。(K・M)
◎ 12時より脱原発青空テント川柳句会が開かれた 9月29日(日)
涼しい風が吹いて過ごし易い曇り空でしたが、時折雨もぱらつきました。川柳句会参加者は初参加の1名を加えた10名。
選者は乱鬼龍氏、席題は「遅い」、「本当」14時35分投句締め切り、14時45分より入選者の発表、披講となりました。
選者により入選句が読み上げられ、入選者へ”原発は無しに”梨、一皮剥けば嘘だらけ”そんなバナナ!”バナナ、”原発は未完の技術”みかん、”活動のノリを良くしよう”海苔、”如何にも”イカの缶詰など数々の賞品が手渡されました。
入選句は以下の通りです。
「遅い」の特選
・ギネス級 無罪拘留 世界一 - 芒野
「遅い」の秀句
・遅くない 原発やめる 時は今 - 乾草
・原発の 信頼回復 もう遅い - 水蓮仏
・遅すぎる 地方は既に 枯れススキ - 海の民
・改革より ガラパゴス選ぶ 自民党 - ふ64
・五十八年 濡れた袴を やっと脱ぎ - ふ64
「本当」の特選
・本当は 弾よけですよ 日本軍 - 原子力ガリレオ
「本当」の秀句
・原発で 本音を言えぬ 経産省 - 水蓮仏
・本当は 革命するしか ないのです - 幸柳
・本当は 徴兵狙う マイナカード - 海の民
・本当に 刷新するか 自民党 - 乾草
・本当の 恐怖これから 石破首相 - 芒野
次回の脱原発青空テントひろば川柳句会は、10月20日(日)12時より開催いたします。是非ご参加ください。 (S.E.)
◎ 最高裁への要求行動あり 9月30日(月)
きょうは福島原発事故刑事訴訟支援団による「最高裁は弁論を開け!」という要請行動が、午前10時から最高裁前で(1時から衆議院での院内集会)。
同時刻に経産省別館前では9/30・JCO原発事故・追悼集会が予定されていた。しかし、自宅を出るのが遅くなってしまって間に合わず事務所に直行してしまった。
12時前に経産省前に着いたら、Ou姉妹が我々の到着を待っていたので、ビックリした。JCO原発事故の追悼集会に参加されてから経産省前の座り込みに来てくれたとのことでした。感謝!感謝!です。
午後1時過ぎに時々、座り込みに来てくれるAさんが来られた。1時からの院内集会に来られたついでに寄ってくれたと思っていたら「きょうは経産省に呼ばれてきた。以前にリニア新幹線の大深度法について意見を書いて提出したら『直に意見を聞きたいからこちらに来て欲しい』というからでてきた」とのこと。カンパも頂いた。大変、感心したので「頑張って言ってきて下さい」と言って激励しました。
午後3時過ぎに英語の先生が来られた。「今ちょっと前のニュースで、東京ドームを築地跡地に移転、その空いた所にIRを持ってくると言っていた」と知らせてくれました。これも開発担当は三井不動産。晴海、神宮外苑と同じ。大阪万博?IRをやろうとしている「大阪維新の会」と同じ発想。「両者は、始めからそのように動いていたのではないだろうか!」というのが、英語の先生の意見。
どちらにしても、日本をギャンブルだらけにしてはならない!これだけは、はっきりしている。足腰を鍛えて小池の暴走を止めよう!(保)
◎ 霞が関での抗議行動の継続は大事なことだ 10月1日〈火〉
晴れ、時々曇り、風もそれほどなく、座り込みとしては適度な天気模様だった。脱原発テントを張ってから13年、驚くほどの長さだが、その期間、多くのことがあった。
なんといっても霞が関の中心的一角の占拠であり、かつての70年安保闘争でできなかったことを、それも13年、14年にわたって続けてきた…ということは、時代の産物でもあるが、われわれの「歴史を背負ってゆく」という覚悟でもあった。
今、テントのあった場所は、鉄の柵が張られてしまっているが、あの狭い一角に三つのテントを張り、「反原発」の一角としてきたことは、やはり時代の精神…勢いといったことの産物であり、我々は今もそれを引き継いでいるわけだ。今はテントは撤去され、毎日椅子、机、旗を運び…並べて陣形をつくり、座り込みを続けている。
霞が関の一角の占拠・座り込みを続けているということは、やはり全国の反原発運動のはげみであり、その持続はさらなる拡大・飛躍の基礎となってゆくであろう。われわれはそれを目指して、経産省座り込み、その旗を拡大してゆく。「反原発」「反帝国主義」の拡大を心に秘めながら。(旭凡太郎)
◎ 経産省前でも見つけた赤とんぼ 秋だね 10月2日(水)
経産省前で赤とんぼに出会った。確かに涼しくなってきている。蚊に食われた。今年はあまりに暑かったので、真夏にはボーフラが育たず、秋になってから出てくるとTVで言っていたが、その通りのようだ。
保っちゃんは植え込みに生えている「やぶがらし」のツル草を取っていた。今日は、あぶくまの会の控訴審だった。あぶくまの会の訴訟は、田村郡都路村への移住者(自然との共生を求めて移住)の原発被災の訴訟で、一審は移住者の精神的損害を認めず、家屋等々の被災も軽んじた判決で、控訴審になっている。ナベさんが傍聴に行った。総括集会にも出で、16時少し前に戻って撤去を手伝ってくれた。
16時頃に中国人の若い人が来て、英語で話しかけてきた。英会話ができる人がいなかったのだが、中国人がスマホの翻訳アプリを使って、会話できた。最初は、その人が道を聞いてきたのかと思って「どこに行きたいのか」とかを聞いたが、それは違っていた。それで、スマホ会話にした。スマホに向かって英語で話し、日本語変換する。こちらがそれを読んで、日本語で答えるとすぐに英訳が画面に出る。便利だ。その人は次のようなことを言った。「中国では、皆さんのように路上で、どこででもプロテストを表現できない。汚染水反対を市民がこのように意思表示できない。(汚染水流すなのバナーを出していた)
民主主義にとって自由な意思表示は大事なことだから、皆さんは全世界の人々のためにも、こういう行動を続けてください」という趣旨だった。
要するに、そのことを私たちに伝えたかったわけだ。みんなにも伝え、バイバイと挨拶して去って行かれた。もっと早く来てくれていたら、もっと話せたのにと思った。スマホの翻訳アプリでちゃんと話すことができることを知って良かった。もっとも私のスマホには翻訳アプリは入ってないけれど。今日は第一水曜日で原電と東電への抗議行動の日だ。保っちゃんは休んでから東電の方に参加すると言っていた。(T・I)
◎ 少年小女に出会うが、彼らの記憶に原発のことは残るか 10月3日(木)(M.U)
Inさん、Yoさんと3人で設営。12:30
「今日は3日なので月例の国会前行動に参加する」と言ってYoさんは国会前に向かった。入れ替わりでHoさんが参加。私はいつもの反原発ソングをiPadで流す。13:30国会前集会に行っていたYoさんが戻る。「今日は130人余りの参加で、澤地久枝さんも元気に発言されていた」という。同じ集会に参加していた女性2人も立ち寄り、カンパしてくださった。
続いてRaさんも参加。修学旅行シーズンなのか、少年少女を乗せた大型バスが何台も通る。こちらが手を振ると、何人かは手を振ってくれる。14:00 Taさん参加。15:00 2人組の男子が立ち止まって経産省を覗き込んでいるので話しかけてみた。
私: 修学旅行?
男子: いや、大学の授業が暇なのでちょっとこの辺を歩き回っているのです。
私: 福島事故のことは覚えていますか?
男子: 覚えていますよ。
私: 13年前にあんなに大変なことがあったのに経産省はどんどん原発を進めようとしているから、私たちはここで座り込んで抗議しているのですよ。
男子: 座り込みして意味あるのですか?
私: ありますよ。原発についてはどう思っていますか?
男子: 自分は必要だと思っていますよ。需要は増えるし、石炭も石油も輸入だから需要をまかないきれない。電気代が上がるのも問題ですし。
私: 古い原発は原価償却が終わっているから安くなるように見えるけど、新しいものを作ろうと思ったらべらぼうなコストがかかるから、原発は値下げに貢献するものではないよ。だいたい原発は10万年も管理が必要な「核のごみ」を出してしまう。日本は地震大国だから安全な捨て場はどこにもない。このまま原発を使い続ければ君たちの世代や次の世代の人たちが大変困ることになるのだよ。
男子: すごいですね。自分はあと50年くらい生きるだろうけど、あなたはもっと短いのに、そんな先のことまで考えるのですか?自分なら自分が生きている間に楽しく過ごせればいいと思っちゃいますよ。
私: 事故はいつ起こるかわからないし、自分が生きている間だけよければいいとも思わないからね。よく考えてみてくださいね。
これらの会話のあと、チラシセットを渡し、国会方面に向かう2人を見送った。
その後、小雨が降り始めた。時間になりTaさんと2人で撤収していると、黄色い法衣を着たお坊さんを含む10人ほどの一行が立ち止まり私たちにあいさつした。聞くと、「武器輸出反対の抗議行動をこれまで何か所かでやってきて、これから経産省前で抗議を始める」という。台車を押すTaさんの後を歩いていると、武器輸出反対運動のリーダー杉原浩司さんとすれ違い、お互い「ご苦労様」とあいさつした。事務所に着き、冷蔵庫で冷やしておいたビールをTaさんと2人で飲み、4772日目の抗議を終えた。(M.U)
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経産省・エネ庁は「今だけ、金だけ、自分だけ」の大嘘つき! その229
東京電力の歴史が示す電力国家管理・民有国営・国策民営の悪
~山本義隆<核燃料サイクルという迷宮?核ナショナリズムがもたらしたもの>から~
2024年10月5日 木村雅英
311事故を起こした東京電力の歴史を振り返ると、明治からの「資源小国」・戦時民有国営から戦後の核ナショナリズム・国策民営への繋がりが良く分かる。
〇 明治時代の東京電燈設立からアジア太平洋戦争までの電力「民有国策」
1883年に設立された東京電燈が東電の始まり。その後、第一次世界大戦中の好景気のなかで、電力の照明への使用よりも動力への使用が上回り、「電燈会社」が「電力会社」に脱皮し、1920年代に東京電燈、東邦電力、大同電力、宇治川電気、日本電力の5大電力会社に。昭和にかけては電力の全面使用の時代に入り、「電力戦」とまで言われた激烈な市場獲得、大口消費者争奪の泥仕合が展開。
一方、大正から昭和にかけての電力業は、数多くの中小企業や地方自治体、さらには農山村部での村営や協同組合等による電力の自給自足、地産地消体制、等のさまざまなレベルの事業体によって担われた。
満州事変の1931年に戦争にともなう増産体制の確立が必要となった時点で、電力事業に対する国家管理の重要性に国が開眼し、改正電気事業法が、供給地域の独占を認め電気事業を許可制にして「電気料金などを認可制に改め、国の権限を強化。統制経済の法律としての先駆をなす。
1932年に財閥系5大銀行が音頭をとって電力連盟を結成。1936年には事業数3%の電気事業が資本金額23%の巨大事業に。1933年には電力会社は日本の総資本の25%をしめ、最大の電力会社である東京電燈は日本一の資本規模に。需要の中心は電気化学工業で電力は主要に軍需産業の基盤を形成。
1936年の2.26事件後に発送電事業の国有化案が公表され、電力問題は単なる経済問題でなく国家の浮沈に関わる国防問題に。
電力管理法および日本発送電株式会社法により、電力会社の所有設備を強制出資させ、全設備を国会が借り上げ、発電・送電を国家管理とし運営を持株会社としての日本発送電株式会社に行わせた。東京電燈も日本発送電の管轄となり、さらに太平洋戦争直前の1941年8月には首都圏における送電事業が関東配電に移管させられた。
戦争遂行のために電力国家管理「民有国営」路線の完成である。「ファシズム体制」で、国家は国民を恫喝しながら、財閥の生産拡大のため、電力の面でもあらゆる手段で軍需産業を保護した。
〇 敗戦後の「国策民営」核発電
太平洋戦争終結後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による再編命令が下され、1950年11月24日にGHQがポツダム命令を発したことで電気事業再編成令と公益事業令が公布され、日本発送電(株)は解体される。
1951年5月1日、関東配電の営業地域を引き継ぐ形で東京電力が発足。
【原発推進過程】
・アイゼンハワー アトムズ・フォー・ピース(1953年12月)
・対米戦争で大儲けした旧財閥系の企業グループが米国企業と提携して日本の原子力産業界を形成
・東電が他社に先がけて社長室に原子力発電課を新設(1955年)
・東電会長を会長として250社が結集して日本原子力産業会議発足(1956年)
・日本原子力研究所と原子燃料公社(のち動燃)の設立
すなわち、庶民は敗戦で体制が変わったと早合点したが、軍国を陰で支えた官僚は生き残り、原子力は支配体制を再構築するには格好の標的で、日本の核政策で実質的に力をもっていたのは中央官庁。脱原発、自然エネルギーの世界への道筋は、地方から中央に電力を吸い上げる中央集権主義からの脱却でもある。経産省は、3.11直後に東電をつぶさずに原発を続けることを決め、気候変動や電力需要増を口実に未だに核発電を継続。
亡国の省による国策民営核発電推進を終わらせよう。
=====添付資料=====
・原発週報2024.9.25~10.01 編集:漆原牧久
・テントニュース298号
=========デモ、集会==========
◆10月7日(月)避難住宅追い出し訴訟 判決です。
14時 103号法廷 13時ころからアピール行動
報告集会(閉廷後)参議院議員会館B109会議室
◆10月9日(水) 原子力規制委員会毎水曜昼休み抗議行動 12時~13時 六本木ファーストビル前
◆10月11日(金) 17時~18時 経産省前抗議集会(毎週)
経産省前テントひろば経産省正門 ◎経産省前の座り込み行動は、
平日:12~16時(月 ~木)、13~17時(金) 土・日・休日:12~15時
◆10月15日(火) 月例祈祷会「死者の裁き」
14時30分~ 経産省前テントひろば (JKS47士)
◆10月18日(金) 「第40回原発いらない金曜行動」
首相官邸前 18時30分より~
◆10月20日(日) あおぞら脱原発川柳句会 12時~
経産省前テントひろば 選者;乱鬼龍
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye5786:241008〕