経産省前脱原発テント座り込み日誌11月14日版

経産省前テントひろば、脱原発テント設置日(2011年9月11日)から1807日目(2016年8月21日)にテント強制撤去。2024年11月14日は、座り込み4,814日目。これは、マハトマ・ガンディー「非暴力、不服従」の実践です。

◎ 遅い紅葉って本当だ、まだ街路樹は青い 11月8日(金)

昨日今日と急に寒くなってきた。私(S・S)も家を出るとき上着を1枚余計に羽織って出かけた。家を出て、バスを待っている間、街路樹の枝には、まだまだ、青々と葉っぱがついているのが見える。これから徐々に、この葉が落ちてくるのだなと思っていると、待っているバスが到着した。これから年末に向けて毎日のように葉が落ちてくるのだなと思う。そんなことを思いながら事務所にたどり着く。既にMさんとEさんが台車にテントグッズを載せ、作業をしていた。WさんとSさんは所用で遅れてくるとのこと。Yさんは手術後のリハビリでお休み。で、メンバーのうちMさんと私の二人だけで、助っ人でEさんが来てくれた。人手不足の折に本当に助かる。感謝である。

台車を押して経産省前に行くと、YさんとSさんが待っていてセッティングの作業に加わる。つい最近まで、暑さが残っていてパラソルが必要であったが、街路樹の影になって日差しが遮られ、寒さを感じた。Mさんが座り込みしている最中、顔色も悪く体調異変を訴えたので、帰宅を促したが、帰宅する途中ふらついても困ると言うので暫く休んでから帰宅するようすすめた。メンバーがそれぞれ高齢化しているので無理は出来ない。やれる範囲での活動になるが、いったいどこまでできるのだろうか心配になる。

そうこうしていると、ひまわりの絵が描かれているバナーを見て、親指を立てて僕らに合図していく外国人の人もいた。この座り込み行動も13年目になるが、命ある限り続けたい。(S・S)

◎女川が緊急停止、敦賀2号「不合格」、もんじゅ敷地に活断層で美浜心配  11月8日(金)

座り込んでいると「希望の牧場」の街宣車が到着、吉沢さんがしばしの雑談の後、経産省に向かって抗議のアピールをし、長野に向かって移動。杉崎さんの怒りのこぶしを上げて「原発再稼動反対」の歌と「原発じゃ明日が無い」の歌で抗議行動を開始。

K.M:先週に白倉さんが「女川にトラブルが起こるよ」と予想した通り、原子炉起動後トラブルが起こり止まった。島根や柏崎刈羽の再稼動も心配だ。敦賀2号「不合格」が、パブコメが終わって一カ月以上経つが、規制委が定例会議で議論を引き延ばし。先週の師岡カリーナの東京新聞「本音のコラム」からレーガンがイスラエルの横暴を止めたのにバイデン・ハリスが止められなかったことを確認し、<経産省は嘘をつくな、…>コールの抗議。

漆原さん:NONUKESに核兵器反対ゆえに「I agree」と応じたカナダ男性と「フクシマ事故があったから原発をやめた」と話すドイツ女性、COP28に盛り込まれた「気候変動対策・脱炭素のために原発を推進しよう」、でも「原発をやめよう」には大義がある、闘いを続けよう。

白倉さん:原発を推進している経産省に抗議を続けている。東海第二を再稼動しない様に活動している。被災老朽原発だ。11月29日再稼動した女川原発は6日で止まった。同じBWR。電力会社が投げやりになっていないか? 無責任な態度は葛飾区にもあり福島事故の折に高濃度放射線被ばくしたのに原子力防災計画がない。闘い続けよう、地球は動いている、考え行動しよう。原発の耐震性がとても低い、動かしてはならない。

平岡さん:寒くなりましたね。衆議院選挙で議員構成が変わり、衆議院予算委員長を立憲民主党にゆずった、気になるのは国民民主党の自民党へのすり寄り、野党は原発問題に曖昧、私たちが頑張らねばならない、これからも頑張ろう。

K.M:今までは官僚が決めたことを自民党が追認して進んでいた。衆議院選挙後はこれを止められる。

守屋さん:原発はクリーンではない。万一事故を起こしたら地球全体が汚染される。原発を無くそう。「座込め、ここへ」と「水に流すな」を歌う。

K.Mが、配付した<経産省・エネ庁は「今だけ、金だけ、自分だけ」の大嘘つき! その232 核ナショナリズムが推進する核発電と核兵器を止めよう~山本義隆「核燃料サイクルという迷宮?核ナショナリズムがもたらしたもの」から(4)~>を紹介し、核ナショナリズムが推進する核兵器と核発電と核燃料サイクルを終わらせよう。

奥内さん:デブリが人さじ取れたそう。「デブリ」からシンデレラの魔法使いのおまじない「ビビディ・バビディ・ブー」を思い起こした。私たちは、けむに巻かれないようにしっかりウォッチングしましょう。

乱さん:3.11で被災した老朽化した女川原発が稼動して大丈夫か?と考えていたら6日間でダウン。こういうことをするのは犯罪。原発の時代は終わっている。防潮堤を作るのも、ばかばかしい、ナンセンス。なぜ原発に固執するのか? 40年を20年延長は馬鹿げている。原子力を学ぶ人も減っている。原子力の内部がメルトダウンしているのではないか。誰も責任を取らない。ここまで体たらくの政治を変えよう。

K.M:一昨日の規制委定例会議で、もんじゅの敷地内を通る活断層の存在が確認された。美浜など若狭の原発稼動が心配だ。

最後に<脱原発、核ゴミ増やすな、命を守れ、地球を守れ、未来を守れ、ガザ虐殺止めろ、殺すな>のコールで終了。(K.M)

◎ シオニストの憂鬱    11月9日(土)

・シオニストの憂鬱

イスラエルが暗殺してきたのは抵抗組織の幹部だけではない。ガッサ-ン・カナファ-ニは、その筆の力を恐れられイスラエルの諜報機関に暗殺された。『ハイファに戻って/太陽の男たち』川出書房新社

ナージー・アル・アリーも、若くしてロンドンで何者かに暗殺された。相手が誰であろうと遠慮なく批判する風刺漫画はイスラエルや米国だけでなく、産油国とその莫大な援助金に依存するPLOも辛辣に批判した。(立読みで著者の写真を見て欲しい。こんな優しい笑顔を見たことない)『パレスチナに生まれて』イソップ社。

そして、リファアト・アル=アルイ-ルは、2023年12月6日にイスラエル軍の空爆の標的となり殺害された。

同じ年の11月1日に彼はSNSに英語詩を投稿した。その内容は、自分が死んだら白い凧をつくり、空高く飛ばしてほしい。空爆で殺された父を探して空を見つめる子供が「天使」がきたと思ってくれるように--。以下、終わりの3行。

私が死なねばならないなら それを希望にしてほしい 物語にしてほしい

パレスチナ難民の子供たちは親から故郷の村の話しを聞かされて育ち、一度たりと見たこともない村の名前や景色(その多くは痕跡すらない)、家族の歴史がオ-ラルヒステリーとして受け継がれているという。

ユダヤ人の歴史は、迫害を受け続けた歴史でもある。信仰、詩、文学、芸術、他者への思いやりが苦しみから生まれるのであるならば、苦しみだけを与える者が生み出すものは何か。

サラ・ロイ氏と早尾貴紀氏の著述を要約する。

2008年と同様に2023年10月からのガザ侵攻でも、イスラエル軍はガザの土地に戦車のキャタピラーで巨大なダビデの星を刻み、その航空写真を公開した。それらは大量虐殺や生活基盤の徹底的な破壊が、たんに治安を守るのではなく支配の完遂を誇示することを今回もまた示唆しているのだろう。だがロイに言わせれば、このダビデの星は支配の完遂ではなく、パレスチナ人に対する収奪と侮辱なのであり、そうした破壊と暴力なしには生きていけないという欠陥の暴露である(イスラエルの力に限界があること、ユダヤ人の生活に欠陥があること)。暴力は無力の裏返しだ。

最後に1930年代のマハトマ・ガンジ-のシオニズム批判。パレスチナ入植より、生まれ育った国で自らの権利を守るために闘うことが気高い行為である。(O・O)

◎ 少しは肌寒いが、雨が降らずよかった  11月10日(日)

私(M島)が12時過ぎに経産省に着いた時には、F原さんとE藤さんの2人で座り込みの設営は終っていた。E藤さんは私と入れ替わりに帰る。ありがとうございました。横断幕4枚とのぼり旗13本が立っている。「ニワトリの横断幕と他にもう一枚は、11月17日の静岡の集会へ持って行っているのでは」とF原さんが推測。横断幕の少なさは、Rさんが購入してテントひろばに寄贈した、のぼり旗のポール5本で埋めることが出来た。Rさん助かります。F原さんも、いつものおにぎりやで卵を用意して下さり、美味しく頂きました。

曇り。少し肌寒い。天気予報の雨は降らずに良かった。座り込み装備品の水分補給も、今日は冷水タンクではなく、ポットにお湯。おととい金曜の抗議行動では参加者から「秋がなく、夏から急に冬になった」との発言があったなと思い出す。紅葉はもう少し先だが、経産省の前庭のサクラは、色はまだ青いのに葉を大分落としている。これは霞ヶ関以外の、近郊のサクラでも見られる現象。ケヤキの茶変と同様に、夏の高温の影響なのか。

12時30分、背広の男性がカンパ。男性は、女川は再稼働すべきではなかった、しばらく止めると言うし、このまま廃炉にすべきだ、と語った。うーむ…誰も座り込みに来ない。三里塚に関わっている2人組に期待するも、彼らも来ない。F原さんとM島の2人体制が続く。

1時30分、Rさんが来る。以下、自称寡黙なRさんの談話。

カネをきれいに使うのは難しいが、汚く使うのは簡単。月刊部落解放の12月号に、狭山事件の石川夫妻と並んでRさんが、表紙に載るそうだ。官邸前では石破おろしが吹く。二階氏の息子や甘利、丸川らが落選。石原伸晃は浪人中。自民、次は掘ちえみを出すとか。与党が減らした票は保守の野党に流れ、実質野党不在。自民は与党であり続けさえすれば、玉木でも野田でも飾りは何でもいい。大同団結も有り得る。元武蔵野市長の松下玲子は比例で復活。れいわ大石や社民大椿のような、活きの良いのが増えてくれるといい。「選挙」が古すぎる。江戸時代のような「お上の言うとおり」意識や、ご近所付き合いがある。左翼が動員するのは高齢者。逆に右翼は若者が増加。たんぽぽ舎が近々引越しするそうだ。公安やご近所から睨まれる市民運動に、部屋を貸す家主は少ない。救援センターは50年入っているが、追い出しは無い。家主が戦前の元共産党員から物件を譲り受けた、という経緯があるからだろう。

2時20分、いつもより遅れてキリスト教街宣車のT葉さんが来る。右翼がいないのを確認して、日曜礼拝へ向かう。たとえ立ち寄る時間は短くても、日曜担当は彼を座り込み参加者としてカウントしています。RさんはT葉さんと話した後、テント事務所へ私物の整理に向かう。

経産省の隣でずっとガリガリ工事中の、環境省が入る予定のビルの足場が一部撤去されて、中が見える状態であることに気づく。ビルの表面が削られ、コンクリと細い鉄筋が露わに。「表面を新しくして、化粧替えするのでは」とF原さん。

2時55分、F原さんとM島の二人で撤収開始。3時15分に撤収完了。座り込み参加者は5人でした。(M島)

◎ 外国人が結構エールを送ってくれるのに 11月11日(月)

きょうも曇一つない天気。午前中は肌寒いがセッティングする頃には、陽射しが差して暖かく心地よい気候だ。にわとりの絵が描かれたバナーと女の子のバナー1枚が静岡のイベントに貸し出されていたが、残りの3枚もそれぞれが自己主張していて見栄えがすると改めて感じた。いつものように反原発ソングを掛けて道行く人々にアピールした。

1時20分頃、外国人の女性2人がカンパしてくれた。経産省前テントひろばのことは知っていたようで「随分長く座り込みされているのですよね」と言われるので、テントニュースを渡しながらテントの歴史を手短に説明した。忙しいようで、直ぐに虎ノ門方面に行かれた。

2時頃にいつも、通りかかったときにカンパしてくれる女性が来られた。「少ないですが」と言われるので「そのお気持ちに励まされています」と言って、テントニュースをお渡しした。

きょうは特別国会開会日なので第二議員会館前では「政府の戦争政策にNO!」集会が行われた。その関係で(月)には珍しく、10名に近い人が寄ってくれた。気候も良いので、多くの人の参加をお願いします。(保)

◎ まだ間に合う吉本隆明生誕100年祭の催し  11月12日(火)

14時少し前に着くと、Oogさん、Hirさん、Yamさん、Ogwさん、Edaさんが座り込み中。Asaさんすぐに到着。Hirさん、Edaさん、Yamさん、交代で帰路へ。特記事項ないまま終了。16時にOogさん、Ogwさん、Asaさん、私とで片づけて事務所へ。

以下、吉本隆明・ハルノ宵子 『開店休業』から

 フランシス子

フランちゃんこと「フランシス子(牝)」 は、父の“愛人”と言われていた猫だ。

父が海老天の切れ端や牛丼の肉を持って書斎に入るのを待ち構え、定位置の座椅子に座るやフランシス子も父の胡坐の中に入り、父も噛んでやった食べ物を与えたりして、イチャイチャと‘二人だけ’の時間を過ごしていた。フランシス子の目当ては食べ物ではない。食べても、ほんの一欠けか舐める程度だ。フランシス子は他の猫とあまり交わらず、自分から甘えて来ないので、私も特に構ってやらなかった。フランシス子は、自分だけに向けられた‘愛’が欲しかったのだ。

[略]

フランシス子は2011年6月に急性腎不全で死んだ。その時、父の中で何かが終った。‘守り守られる’対の関係を喪失したのだ。妻も娘たちも最早その対象ではない。父にとってフランシス子が唯一、愛せば同等の愛を返してくれる対象だったのだ。

その頃から父は眠りがちになり、半ば夢の中で思考するようになった。父が亡くなったのはフランシス子の死から9カ月後だった。

《ハルノ宵子 『開店休業』

(2013年プレジデント社、後、2015年幻冬舎文庫) より引用》

吉本隆明生誕100年祭が企画されています。今月7日、‘「少年時代」を探索する’と題して月島から佃島、門前仲町への散歩が実施されました。今後、14日、19日の渋谷LOFT9での、そして23日の神保町一ツ橋会館8Fでの、討論やパーフォマンス、証言者たちのお話などがあります。是非ともご参加ください。添付ファイル内の要領にてご予約ください。まだ間に合います。(石上)

◎ ポロシャツでOKなほど暖かい日だった  11月13日(水)

暖かい日で、当番の保っちゃんは夏のポロシャツ姿だった。セッティングを終ってまもなく、OKiさん、Yさんが「裁判の傍聴と報告会の帰りだ」と寄ってくれた。裁判は「福島原発被害東京訴訟第2陣」。あとから、裁判参加者のTさん

、Wtさんも寄ってくれて長い時間、座り込みをしてくれた。次回期日(来年)は2025.2/12、4/9、5/21、7/2、9/3、10/15が決まっていて、10時~16時30分まで、103号大法廷で、本人尋問が行われるそうだ。皆さん参加をおねがいします。なお、Yさんからはこの間ケガをした回復状況などを聞いた。

続いて、長老の下山さんが久しぶりに来られた。身体の調子は少し良くなられたようだ。続いて、Ysさんが寄られた。今日は動労千葉の「国鉄1047名解雇撤回・東京地裁判決公判とデモ」が行われる日で、Ysさんはそれに「参加」してきたようだ。裁判は「分割民営化」による解雇は不当労働行為(最高裁判決)だが、職場復帰は認めないという理不尽な判決が予想された。YsさんはYさんやOKiさんからテントの金曜日行動にも参加するように薦められていた。

そうこうするうちに、前にテントに来たことのある人が、茨城からこられた。昔のことから今日の情勢に至るまで、いろんなことを話された。茨城なので東海第二原発廃炉闘争には参加しているとのことだった。「今度はテントの金曜日行動の時、来たい」と言っておられた。

今日は水曜日なので、木村ゲタさんとヨーカンさんが規制委員会抗議闘争から回って来た。今日の原子力規制委員会では「敦賀2号機の地下の断層は活断層の可能性が高く、不適合」を決定した。木村さんは、アメリカ大使館の前で「アメリカはイスラエルへの武器供与をやめろ」「普天間基地を直ちに閉鎖し辺野古基地建設反対」を叫んできたと言っていた。

ヨーカンさんはお弁当を食べて帰られたが、木曜日の座り込みに時々参加する「カワラせんべい」の河原井さんが「日の丸・君が代」の不起立闘争の本を出した(共著)ことが、朝日新聞の1面広告に載っていたので、明日は河原井さんが来ればその話になるだろうということを言っていた。今日はいろんな人が来られた。もちろん当番も。賑やかな日になった。うれしい。(T・I)

◎ 通りがかりの女性のカンパ、多いよね  11月14日(木)

Inさん、Yoさんと3人で設営。12:00 Kaさんが参加、いつもの「あきらめないせんべい」を持参、柿もお裾分けしてくださった。共著で「「日の丸・君が代」強制って何?」という本を出されたということでその本も持って来られた。その本はYoさんが手作り味噌と一緒に購入した。

13:00 通りかかった女性がカンパをくださった。以前、官邸前集会に通っており、「70回くらい、行きました」とのこと。

13:50 若い外国人男性が立ち止まってバナーを見ているので、話しかけてみると、10月にドイツから来日したという。「あなたの国は原発をやめたから尊敬していますよ」と言うと、嬉しそうに応じ、自分のことを話してくれた。「ドイツではエンジニアとして1年間働き、その間に原発の廃止業務に関わった。今はスカラーシップの資格を得て日本語を勉強しており、これから外務省でのイベントに向かう途中だ」という。英文リーフレットを含めチラシセットを渡すと、私たちの活動に共感してくれた様子だった。「また寄ってくださいね」と言って見送った。14:00 頃Suさん、Hoさん、Okさんが参加。続いて後半担当のTaさんが到着したのでバトンタッチした。(M.U)

 

========投稿=========

経産省・エネ庁は「今だけ、金だけ、自分だけ」の大嘘つき! その233

核発電(原子力発電)は昔も今も事故多発、隠蔽頻繁、イチエフ事故を繰り返すな!

~山本義隆<核燃料サイクルという迷宮?核ナショナリズムがもたらしたもの>から(5)~

2024年11月15日  木村雅英

2024年11月13日の原子力規制委員会定例会議では、敦賀2号の「不合格」を確定する一方で、「原子力施設等におけるトピックス」として何と4件もの重大な「事象」(事故)が報告された。

山本義隆さんの標記書の高度成長後の原発産業(3.1節)には、これまでに原発事故の発生とその隠蔽がどれだけ多いかを明らかにしている。心配だ。核発電(原子力発電)は危険だ。

◆原子力施設等におけるトピックス(2024年11月13日、原子力規制委員会定例会議)

11月5日~11月10日の間に発生した「事案」として次の4つが報告され、それぞれについて委員も心配な指摘をしている。まさのあつこさんが、この日の記者会見で質問しているとおり、非常に心配な事故集中頻発である。引き続き監視しないといけない。

〇11月6日 関西電力 高浜発電所2号機における運転上の制限からの逸脱・復帰

LCO逸脱(6日14:41)、LCO復帰(7日20:45)  中性子束計測設備不良

〇11月10日 四国電力 伊方発電所3号機における運転上の制限からの逸脱・復帰

LCO逸脱(9日20:30)、LCO復帰(9日21:07)

小田・大洲・川内の各変電所間の受電不良?

11月9日(土)四国エリア停電が原因?

〇11月3,4日 東北電力 女川原子力発電所2号機 設備点検に伴う原子炉停止

ゴムシート養生のままナット締め付け=>ナットく(納得)できない! 現場が劣化?

〇11月8日 北陸電力 志賀原子力発電所2号機 ブローアウトパネルの一時的な開閉

ブローアウトパネルのクリップの変形で5cmの隙間、他にも問題、地震後10ヶ月で本当にこれだけ?

◆頻繁に起こっていた事故(3.1節、高度成長期の原発産業から)

次に示す様に、事故が多発しその多くが隠蔽された。

1971年7月 日本原電東海発電所で制御棒取出し中に作業員3人が被曝

1973年はじめ 関西電力美浜1号機で燃料棒2本折れて炉内落下(4年近く隠蔽)

1974年9月 原子力船「むつ」で放射能漏れ

1978年11月 東電福島第一原発3号機で定期点検中に制御棒5本が抜け落ち原子炉が臨界状態になり7時間半も制御不能、日本初の臨界事故、運転日誌などの改竄で発覚したのは29年後

1979年11月 関西電力高浜2号機で一次冷却水80トン喪失9時間打つ手無し、あわやスリーマイル

1981年3月 日本原電敦賀1号機で高濃度放射性廃液漏れ、隠されていたが海藻放射能10倍で発覚し事故後40日目に日本原電が認めた

1984年10月 東電福島第一原発2号機で、数秒間臨界状態になり、緊急停止装置が動く事故、これも記録改竄により2007年3月まで隠されていた

さらに、鈴木達治郎の書から、1989年1月の東電福島第二原発3号機事故、…、2010年8月の「もんじゅ」再度の事故で運転停止まで、合計14件も列記されている(168~169ページ、ここでは省略)。

また、2002年8月には、東電が少なくとも10年間にわたって原発の事故点検作業と原子炉損傷に関する記録を改竄し、虚偽報告をしていたことが発覚(『罠』8-44)。

さらに、JCO事故(1999年9月、茨城県東海村、666人の従業員や住民が被曝、作業員2人死亡)や、関西電力美浜3号機事故(2004年8月、タービン建屋において復水配管が破損する事故、5人死亡6人重傷)も忘れてはならない。

それゆえ著者の「頻繁に起こっていた事故をこうして列挙すると、2011年の東京電力福島第一原発の大事故は、遅かれ早かれ起こるべくして起こったのではないか」が確かな説得力を持つ。 2024年11月13日の4件の事故報告を見ても、これらでどれだけ真実が明らかにされているのか怪しい。私たちがしつこく監視し、再稼動と事故を防がねばならない。

原子力ムラの人たちよ、事故多発を認識せよ、隠蔽するな。原発(核発電)の危険性を認識して二度と同じ過ちを繰り返すな。直ちにすべての原発(核発電)を止めろ。

 

=====添付資料======

・原発週報2024.11.6~11.12 編集:漆原牧久

 

=========デモ、集会==========

◆11月20日(水)

12時~13時 原子力規制委員会毎水曜昼休み抗議行動(六本木ファーストビル前)

◆11月22日(金) 17時~18時 経産省前抗議集会(毎週)

経産省前テントひろば経産省正門 ◎経産省前の座り込み行動は、平日:12~16時(月 ~木)、13~17時(金) 土・日・休日:12~15時

◆ 11月24日(日) 脱原発青空テントひろば川柳句会

12時~ 経産省前テントひろば 選者:乱鬼龍

◆11月30日(土) 18h30― 『東海第2原発をいまこそ廃炉へ!』

データー改ざん・欠陥工事の隠蔽・財政破綻の日本原電に原発を動かす資格はない。文京区民センター3A会議室。とめよう!東海第2原発首都圏連絡会主催。

 

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye5823:241119〕