経産省前テントひろば、脱原発テント設置日(2011年9月11日)から1807日目(2016年8月21日)にテント強制撤去。2025年2月20日は、座り込み4,912日目。これは、マハトマ・ガンディー「非暴力、不服従」の実践です。
◎原発を止めよう、核兵器も核発電も直ちに止めよう 2月14日(金)(K.M)
「福島原発被害者との4.12~13交流ツアーのお誘い」(戦争させない1,000人委員会東京南部)チラシを預かる。文科省前の朝鮮学校差別反対の抗議行動が終わりトラメガが戻って来て、午後5時から経産省前抗議行動を開始。
まず、脱原発、再稼動反対、運転延長反対、核ゴミ増やすな、経産省は嘘をつくな、資源エネルギー庁は嘘をつくな、原発は安全ではない、安くはない、クリーンではない、準国産ではない、無くても電気が足りている、東電が原発を動かすことは許されないぞ、…のコール。
K.Mから今週の報告:
水曜に規制委定例会議で東海第二中央制御室の火事がトピックス報告され外では東海第二を廃炉にと抗議、午後に「STOP!原発推進」院内集会(参議院)で福島からの人たちが経産省・東電にエネ計とALPS処理水海洋放出中止を求め、非戦ネットによるOSA(政府安全保障能力強化支援)に関する外務省との意見交換会(衆議院)。そして木曜に原発ゼロ・再エネ百の会で東海再処理施設が取り上げられた。除染後の放射能汚染土の環境省パブコメに放射性物質をばらまくなと意見を出そう(2月16日締切)。
Hoさん:若狭の原発稼動に怒り経産省に対して原発再稼動反対の声を上げよう、北海道への最終処分を許すな。
K.M:若狭の原発の使用済み核燃料は県外に出すと関電が地元と約束していた、伊方では乾式貯蔵を進めてプール満杯を避けて原発再稼動を目論んでいると補足。
Yoさん:ミサイル避難訓練は戦争をすることではないか、景気が良い軍需産業、琉球弧にミサイル基地、ベトナム戦争に利用された沖縄の基地、ベトナムでは沖縄が「悪魔の島」と言われていた、トランプが狙うノーベル平和賞は口先でもらえるものではない。人類に危険な原発を止めるべき。
Skさん:経産省に「早く原発を止めよう」と声をかけ、12日に福島原発被害訴訟を見た、十年経ったのにやっと本人尋問が始まったところ、日本の裁判は余りに理不尽。30km外ゆえ自主避難扱い、避難した人も福島市に戻り東京に避難しいじめにあい、家族がばらばらになった、東電側は最後に証人に「あなたはお金を受け取っていますよね」と質問する。人生も家族も心も壊された人にこんな質問は「悪魔」だ。原発は止めましょう。核のゴミの利益はせいぜい3世代、あと3千世代は核のゴミ対策をしなくてはならない。今、ここで原発を止めましょう。経産省の皆さん、14年目です、原発は止めましょう、それしか答はありません。
K.M:東電は84の訴訟を抱えている。
Ouさん:青田恵子さんの詩「10年後の今」を読む。<3.11東日本大震災と原発事件から間もなく10年、三枚の掛布団とわずかな手荷物、…、アパートを借りるお金がない、銀行郵便局どこも閉鎖している、食料もない、…、水はなかった、…片道20分歩いて水を運ぶことが日課になった、……、今スーパーの食料棚には豊富な品数が揃っているが あの日、コンビニで見つけた売れ残りのお酢お醤油乾燥きくらげ程の喜びではない>
K.M:ネット署名<深刻な原発事故を起こした東京電力による柏崎苅和原発の再稼動を許すな>のカラーチラシを配布。
Myさん:「あったかフードバンク大泉」のミニちらしを配付、「座込め、ここへ」を歌い、被ばく労働を憂い40年稼働を60年延長を怒り、「水に流すな」を歌う。
海外からの方が「がんばってね」と声をかけて通り過ぎていく。
Rnさん:山本義隆<反核をめぐって-反核兵器と反核発電は単一不可分の課題である 被団協ノーベル平和賞受賞について思うこと>(10.8山崎博昭プロジェクト事務局)を紹介し、今年も3.11を迎え3月11日(火)午後2時?4時に経産省前抗議行動をする、朴保さんが歌う。さらに3月12日にレイバーネットTVが福島被害者の声を聞く。私憤でない公憤をぶつけよう。
Ksさん:日が長くなってきましたね、首相官邸前で辺野古基地建設反対の抗議スタンディングをしている。この数日沖縄では町民が家も土地も奪われた伊江島で非常に危険なパラシュートの降下訓練が行われている。外務省も防衛省も黙認、ホワイトビーチにはフランス軍の軍艦が入ってきた。ひどい。
Bdさん:翌日(土曜)のたんぽぽ舎の学習会の案内、
Skさん:2月20日(木)の東京都による福島からの避難者追出し裁判(東京高裁)の案内。
最後にひとしきりのコール。(K.M)
◎2月15日 (土) (O・O)
◯太平洋独りぼっち
「答え」は漂流を続けている。その「答え」を捜索する私は二重遭難者となる。
◯会談中は外でお待ちください。
パレスチナ抜き、ウクライナ抜き。
◯好感度
その人は、酒と煙草は一切嗜まず、菜食主義でペットはジャーマンシェパ-ド。金銭欲は乏しかったらしく、未来のビジョンを幾つも持っていた。そして、英国の思想家や米国の経営者(確かヘンリー・フォード二世だったか)から高い評価を受けていたという。人柄が信用できそうかな? この人はアドルフ・ヒトラ-です。
◎ 2月16日(日) (M島)
(参加者:藤原、遠藤(自)、千葉、寺崎、乱、峯島)
12:10 F原さん、E藤さんが設営中に、M島が、経産省前に着く。記念撮影し、入れ替わりにE藤さんが帰る。12:35設営を完了。横断幕8枚、のぼり旗11本。F原さんが準備した昼食用ふかしサツマイモ、ゆでトウモロコシ、バナナ、乳酸菌飲料をいただく。F原さん「鶏卵は、鳥インフルエンザのため、値段が倍になった」とのこと。このため、今日は、ゆで卵はナシ。
季節外れのぽかぽか陽気。薄雲かかるが、日差しあり。日なたでは、上着いらず。郵便ポストの脇の木立ちで、スズメがチュンチュン、チチチと盛んに鳴く。F原さんがサツマイモやカンパンをちぎってくれてやると、ハト3羽、ヒヨドリ1羽、スズメ約25羽が集まる。
12:55右翼街宣車の曲が聞こえてきたが、姿は見えず。13:10再び曲。街宣車1台が、国会通りを日比谷公園方面から来て、外務省横の坂を登る。F原さんの縄跳びの縄が新しくなった。黒い縄が太くて重い。F原さん「9㎜直径のPVC縄で、ボクシングトレーニング用。朝昼晩、縄跳びをやる。100回跳びで、5セット。もう、そろそろ、往年のような逆三角形体型になる。150歳まで、健康で長生きするぞ。目指せ、タイムトラベラー、浦島太郎だ」とのこと。良い天気で、日曜としては人通りも多いのに、誰も座り込みに来ない。もったいない。
13:50キリスト教街宣車で、T葉さん来る。F原さんの準備した昼食セットを渡すと、お返しは、紙パックの野菜ジュース。T葉さん、すぐに日曜礼拝へ。同時に、T崎さん、Rさんも来る。Rさんは、まんじゅうを振る舞う。T崎さん買い出しに行き、14:20ふかし肉まん、串フランクフルトソーセージ、カレーパンを振る舞う。ありがとうございます。14:45 Rさんは、新宿へ。トランプ「ガザ所有」抗議デモとは別の用事とのこと。何事もなく15:00に撤収開始。15:20撤収完了。座り込み人数は6人。
◎2月17日 (月) (保)
我々が12時前に経産省前に着いて間もなく目の不自由なoさんが来られた。セッティングが終わるまで空いている椅子に座って貰いました。 風が強かったのでセッティングは牛と鶏、女の子を3枚括り付けて終わりとしました。oさんには温かいコーヒーを飲んで貰いました。 何時ものように反原発ソングを掛けようとしましたが電池が正常にセットされているのにうんともすんとも言わないので諦めました。音楽無しで過ごしました。
そういう所に見たことのある女性が来て「ここに座り込んでいる人からリニア問題について教えて欲しいと連絡が来たのできょう来ました。その人にどうやったら連絡できますか教えてください」と言われました。それについて何の伝言を聞いていないので分からないと答えるしかありませんでした、どなたか心当たりありませんか?「金曜日には大勢集まるのでその時にもう一度来てみてください」と言いましたので心当たりのある方よろしくお願いします。
午後1時前から急に雨が降ってきた。夕方まで大丈夫だろうと思っていたので慌ててパラソルを広げてその下で雨を凌いだ。地下鉄から上がってきた人の多くが傘を持たないので慌てて虎ノ門方面に掛けて行った。雨は2時頃まで降っていた。 雨が止んでしばらくしてから乱さんが来られた。皆に温かい肉まんを差し入れてくれました。美味しく頂きました。
午後2時半に来られた男性がカンパしてくれました。早速、テントニュースをお渡しすると「頑張ってください」と励まされた。嬉しい限りである。 その頃から風が強くなってきた。しかし気温は14℃でここへ来た時と変わらなかった。
午後3時半前から急に突風が吹き荒れてきたので、女の子のバナー2枚を慌てて外した。その後も、突風が止まず寒くなってきたので、3時40分に片付け始めて、午後4時前に経産省を後にした。
◎2月18日(火) (石上)
今日はOogさんはヴィエトナムに行っているため休み。11時30分に到着。間もなくYmさんが資材を押しながら到着。続いてOgwさん、Edさん到着。4人で設営する。風がやや強く、幟、膜を低めに立てる。陽は照っており、快適。14時、Asさん到着。
14時30分より、JKS47士の鎮魂月例祈祷会。地震と津波と原発事故によって明らかにされた無謀な原子力行政を反省もなく繰り返そうとしている政財界の愚かさを、死者と共に正していかなくてはならないと、太鼓を打ち鳴らした。 次回祈祷会は3月27日(木)。 祈祷会終了と共に、座り込みも16時に終了。片付けて事務所へ。
昨日、石田藤男さんより、私が預かっている運営会議の電話に連絡があった。1月31日、2月15日と、財務省前で行われた、右翼・左翼合同デモ、《財務省解体デモ》に対する警戒を促すものだった。「緊縮財政より国債発行による経済回復。財務省解体こそ最大の経済対策」と言った森永卓郎さんの追悼デモでもあり、消費税増税、社会保障費の節減に対する反発から、今後、デモが継続・拡大する可能性もあり、財務省の向かい側、経産省前テントひろばの私たちも、注意が必要との意見だった。
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今日は小池昌代の『通勤電車で読む詩集』を読みながら来た。
《次の駅までーはしがきにかえて》に次のようにある。
《バッテリーが、あがりそうだ。ちょっと無理して走ってる。無理しないで、と人は言う。でも生きるって、どこかでどうしても無理をすること。誰かに無理を通されることもあるし、無理のなかでもみくちゃになることではないか。
{・・・・}
それにしても、電車で運ばれるという経験は、改めて考えると、実に面白い。
私たちは、どこかに行くため、その途上の時間を、見知らぬ人と共に運ばれる。電車が走っている途中は無力であり、降りたいと思っても簡単には降りられない。あがいても、次の駅まで運ばれていくだけだ。
移動あるいは途上の時間は、目的地に着けば、消えてなくなる。それはこの世のどこにも根を下ろさない、不思議な間としか言えない時間である。しかもそのとき乗り合わせた人々とは、おそらく再び会うこともないだろう。そんな人々とひととき、運命を共にする。
そのことは、どこか人間の生涯を、圧縮したような感覚がある。
死に向かって、私たちも皆、運ばれていく。自分の力で積極的に人生を切り開き、生きていくのだと言ってみても、人は今、為していることの意味をおそらく知らずに死ぬのである。自分の人生に対して操作できないばかりか、どこまでも無力なのだ。
「いつ立ち去ってもいい場所」 谷川俊太郎
何をしに来たのかもはっきりせずにぼくはここへやってきて
見様見真似でいつの間にか大人になった
掛値なしに好きでたまらないものももちろんあるけれど
それは風のように一刻もここにとどまっていない
電気スタンドのスイッチを直していて思ったことがある
ぼくをここに結び付けるものはこのスイッチひとつで十分だと
人間の作り出した小さな物が正常に働くこと
それがぼくにとっては何にも代えられない喜びだ
金属や木や硝子で作られた物は明瞭な輪郭をもっているが
人のうちに隠れているあの図りがたい何かにはどんな輪郭もない
だがそれは途方もない力でぼくをここに閉じこめ
同時にどこかへ追放しようとする
もみくちゃにされながらぼくは驚く
人の手で作られた小さな物が泰然としてここにあることに
それがそんなにもはっきりした目的をもっていることに
ここがいつ立ち去ってもいい場所のように思えることがある
詩のなかで「ここ」と示されている場所を「地球」と拡大して読むこともできる。「ぼく」はほとんど谷川俊太郎のようだが、詩人の特殊事情を書いた作品ではない。誰もがこんなふうに、いまいるここから、心を離してしまう瞬間がある。物と魂が対比的に出て来る。「ぼく」は疑いようもなく孤独であり、その孤独には、「物」のように、くっきりした輪郭がある。
「ぼくの娘に聞かせる小さい物語」 ウンベルト・サバ 須賀敦子訳
娘よ、泣くのはおよし、悲しみにふくれるだけだから、
戻るものなら、ひとりでに、大事なものは戻ってくる。
ぼくはツグミを飼っていた。金の輪が目の
まわりにある、くちもくちばしも金いろの。
そいつのために松の実や小さいミミズなんかを
ぼくは、たからものみたいにかくしておいた。
だれにもなつかないのに、ぼくが
学校から帰ると、大よろこびして、ほんとうだ、
ぼくの言うことはぜんぶ、ともだちみたいに
あいつはわかった。二年のあいだ、すてきなことも
にがいことも、あいつだけに、ぼくはぜんぶ話した。
ある日、逃がしてしまった、あいつはヴェランダから
中庭に逃げてしまった。ぼくが大声で泣きに
泣いたものだから、みんなが窓に駆け寄った。ぼくは
あいつを目で追い、なつかしい名をくりかえし呼んだが
だめだった。屋根から屋根へさまよって、
だんだん小さくなって、遠くへいった。
まるでぼくの大きな痛みを嘲うみたいに、
ぼくの絶望を無視するみたいに、
どんなに悲しかったか、娘よ、きみにはとても
わからない。なにもかもが失われたのだ。やがて
泣き止んだのは、もとどおりになると思ってじゃない。
それなのにあいつはひとりでに、
ねぐらに戻った、たった一個の松の実に釣られて。
生きることは、何かをなくし続けること。誰の言った言葉だったか。私もそう思う。でも怖れはしない。泣いている娘に聞かせる父の物語。娘はきっと泣き止んだに違いない。もうひとつの哀しみに触れて、人生のかけらを垣間見て。
他にも、白石かずこの「池(pond)」や、小池昌代本人の「記憶」など、全部で41の詩撰集。それぞれに付けた一言がとてもいい。 (『通勤電車でよむ詩集』NHK出版生活人新書302 小池昌代 編著 2009年)
◎2月19日(水) (T.I)
朝は、0.8℃で、確かに寒い。その上、風が強くその分よけい寒く感じる。風のため、バナー二枚と、のぼり旗6本でやめることにした。ところが、机の上に置いたチラシ類をセットにしたものが、風で吹き飛ばされてしまった。紙類は道路に飛んで行き、更に財務省にまで、飛んで行ってしまった。残ったものは、急いでポリ袋にいれた。財務省前に集め行ったが、植え込みなどに引っかかっているのはわずかで、ほとんどが、どっかに行ったしまった。
今日の新聞では、前日2月18日に開かれた政府の閣議で「エネルギー基本計画」と「GX2040ビジョン」なるものを決めたことがトップだった。見出しは「エネ計画 原発回帰鮮明」「原発依存低減を削除」だった。朝日新聞では橘川武郎という人が「電源2割が原発というのは実現不可能」というコメントをしていた。
私たちはなんといっても絶対反対だから、座り込みも大変ではあるけれども、闘いがいがあると言うものだ。ヨーカンさんが規制庁抗議から回ってきてくれたが、「余りにも寒いから」とすぐ帰られた。Tさんが裁判の傍聴に来たが、「時間を間違えた」と言って、1時間、座り込みをしてくれた。韓国のハン・ガンの本は、図書館で借り出し待ちだそうだ。Tさんは「韓国のジェンダー論関係の小説でいいのがある」と言い、今度貸してくれることになった。保っちゃんの温度計では、10℃を切っていた。暖かいインスタント珈琲などを飲む。 WさんとAnさんは今日の夜、田中宏先生の米寿を祝う会に参加すると言われた。ともかく寒いので、少し早めに撤収した。
◎2月20日(木) (M.U)
Inさん、Yoさんと3人で設営。快晴で穏やかな日和だ。Inさんは私(M.U)の写真が載っていると言って昨日の『東京新聞』を持って来てくれた。見ると1面の写真左端に私が写っている。18日にエネルギー基本計画が閣議決定された直後の官邸前での抗議集会の様子だ。気候グループ主催の集会だったが、マイクリレーの中で私はエネ基の原発回帰路線を批判し、「今後、この計画を実施させない闘いが必要だ」と訴えた。12:20 Hoさんが参加。私たちのバナーを見た外国人男性が「Great!」と言って通り過ぎて行った。13:30 いつも通るたび雀にお米を撒いてあげる男性が、赤い実のついた街路樹を見上げて「今日いるのはヒヨドリだね」と言って、お米は撒かずに去って行った。Yoさん、Inさんは地元で起きている公園内の樹木伐採問題に関連して、明日区議会の傍聴に行くという。14:00過ぎ後半担当のTaさん、Suさんが到着。日が陰り、冷たい風が吹き始める。寒風に耐えながら、政治談議や、テントが建っていた頃の思い出話などして過ごす。時間になり、3人で撤収し4912日目の抗議を終えた。
=============【投稿】==============
経産省・エネ庁は「今だけ、金だけ、自分だけ」の大嘘つき! その237
柏崎刈羽の再稼動に向けて1兆円以上、何が何でも原発に固執する経産省と東電!
~「東電と共に脱原発をめざす会」(2月18日)の質疑から~
2025年2月20日 木村雅英
福島第一原発事故を起こした東京電力には原発を動かす資格はない。2月18日の「東電と共に脱原発をめざす会」で東電の原子力センターにこのことを訴え回答を求めた。「暖簾に腕押し」の模様を以下に示す。事前の質問と回答は次をご覧いただきたい。 https://www.jca.apc.org/~kimum/TEPCO250218.html
1 「原発ゼロ」の弊害と大事故を起こした東電が原発稼働することについて答えない
「原発ゼロ」の弊害も、なぜ原発が低廉なのか、14年間動かせられなかった原発がなぜベースローか、東電は何を反省しなぜ柏崎刈羽の再稼動を目論むのか、誰もが不思議に思うこれらの質問について、東電は全くまともに答えない。ただ国の方針を述べるのみ。
2 六ケ所再処理施設もRFS中間貯蔵施設も「核のゴミ」問題の先延ばし
高木仁三郎さんが30年以上前に予測した様に、六ケ所再処理施設は稼動せず、全国から使用済み核燃料を集める口実でしか無く、3000トンの使用済み核燃料が六ケ所に集められた。今また東電は使用済み核燃料をRFSむつ中間貯蔵施設に搬入開始し、青森に「死の灰」を押付ける3年間の計画を提示。貯蔵期限50年を過ぎたらどうするつもりなのか? 六ケ所再処理施設に搬出すると嘘の上塗り 「核のゴミ」問題先送り回答。
私から、原発稼動利益はせいぜい3世代、使用済核燃料の負担は3000世代に及ぶと指摘。
3 柏崎刈羽7号機の配管の総延長は回答せず
樋口健二さんの「配管のおばけ」写真から7号機の配管の総延長を尋ねたが、7号機の配管に穴が見つかったり減肉対象箇所が3257箇所に及んだ(2022年11月)にも拘らず、「総延長は算出しておりません」と逃げた。
4 柏崎刈羽6,7号機を稼動する為に1兆円以上浪費、広報活動費用も企業秘密?
再稼動の為に2019年時点で1兆1690億円を費やした。その後の費用を加えた安全対策コストの総額は「見極められない状況」と答えない。
一方で「柏崎刈羽原子力発電所の視察勧奨や、県内各地で開催しているコミュニケーションブースに加え、ニュースアトム、東電通信、SNS など、様々な手段を活用し、広く新潟県の皆さまに発電所の取組をお伝えさせていただいております。」と答えながら、その広聴広報活動費用は答えない。
5 損害賠償請求裁判で東電側が暴言
84もの訴訟を抱える東京電力。2月22日の福島原発被害訴訟で東電側が被災者に「あなたはお金を受け取ってますね?」と質問したそう。加害者であるあなた方に心は無いのか?と責めた。
6 被ばく労働問題は隠すばかり
2024年4月25日のイチエフ労働者火傷事故で被ばくした労働者のその後を明らかにせず、2月4日に東京都労働委員会が福島作業員の被ばく労働管理について元請け団体交渉命令を出したことについても、これから対応すると答えない。
7 全体像を明らかにせずに強行し続ける汚染水海洋投棄
34憶円の費用で9年ほどで終わるとの予測で選択された海洋投棄「海洋放出」についても、科学的質問にはIAEA頼りの曖昧回答に終始するばかり。5年後、10年後、20年後のイチエフのタンク保管状況を明らかにせよと訴えた。
8 14年前の過ちを繰り返すな
東電は、かって津波予測されていたにも関わらず目先の収益の為に福島第一原発の防潮堤建設を避けてイチエフ事故を起こした。東電は、今また能登半島地震が教える自然からの警告を無視して柏崎刈羽原発を稼動しようとしている。山崎久隆さんが政府地震本部の長期評価に基づき厳しく追及した。
大事故を起こした東電が、またまた柏崎刈羽再稼動で同じ過ちを犯してはいけない!
【ネット署名】深刻な原発事故を起こした東京電力による柏崎刈羽原発の再稼動を許すな https://chng.it/hdF9YZcPgG 以上
=====添付資料======
・原発週報2025.2.12-2.18.docx 編集:漆原牧久
=========今後の集会・行動等==========
・2月23日(日)脱原発青空テント川柳句会 12:00~16:00
・2月26日(水)規制委員会抗議行動 12:00~13:00
・同日 大間原発建設差し止め裁判 103号法廷 15:00~
報告集会 衆議院第一会館第3会議室 16:30~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye5903:250222〕