溝の口の立ち飲み屋で見るからにブルーカラーという格好の三人が愚痴っていた。上司の悪口を肴に飲んでいたが、つい避けていた工場移転の話になってしまった。
工員:
「係長、今日の工場長の話、どうなってんすかね」
臨時工:
「いやぁー、今日の話には、正直おどろきました」
工員とはたまに飲みにいって、なんでも話してるからいいが、係長のいる席でどこまで言っていいものやら気になる。まあ工員の話についていって様子をみるかと思いながら、
「俺たちのような臨時工まで出席させていただいてはいいんですけど。この先、どうなっちゃうんですかね」
工員:
「三年前だったっけ、いやもう四年になるかな、八王子の工場を全部そのまま中国に持っていっちゃったじゃないですか」
工員もどこまで言っていいのかと思いながら、
「あのとき、希望退職を募って、臨時工の人たちやパートの人もいれて、ざっと三百人いなくなったでしょう。どこもかしこもグローバリゼーションなんて言ってるし、うちも海外に進出してと言えば聞こえはいいですけど……このままいけば、日本の会社じゃなくて、中国の会社になっちゃいますよ」
係長:
「そうだよな、オレもうこの会社で二十七年だぜ、いまさら転職たって、この年じゃ、そう簡単にはいかないしなー」
係長も気が重い。工員も臨時工もまだ若いからいいじゃないか。お前たちのことよりオレ自身のことで頭がいっぱいなんだよなと思ってはいても、口にはだせない。
「今度、厚木の工場まで持っていっちゃうって話だろう」
自分のことよりみんなのことが心配だという格好だけでもと思って、
「厚木には四百人はいるな」
「なかには前々から辞めようと思っていて、退職の割り増しがつくってんで、二つ返事でオレ辞めますっていうのもいるだろうけど……」
臨時工:
「オレ、職安で一年勤めれば正社員登用って聞いて、よろこんで来たんだけど、臨時工のままでもう三年ですよ」「オレたちには割り増しどころか退職金なんてないし……」
係長:
「そうさな、臨時工の人たちには……」
言葉を探しても、続ける言葉が見つからない。
臨時工:
「そうすっよ、同じ仕事してたってボーナスないし、年収でみれば給料は半分ですからね」
係長:
下を向いちゃいけないと思いながらも、
「オレたち正社員の給料が高いってんで、臨時工やパートさんにしてきたんだけど、これ以上のコストダウンはできないからって……」
工員:
「オレんとこだって、女房と共働きでやっと食ってるようなもんですよ」
「係長だって、お子さんの進学もあって金がかかる時期でしょう」
「今ですら、みんなピーピーなのに、コストダウンしなきゃってんで、給料下げられたら、子供の塾代、どうしようかって……」
係長:
そんなことは言われなくたって分かってる。なんと言ったものか、お前たち以上に年いってるオレの方が大変なんだよ。わいわい言われたって、何もできないの分かってんだろうって言いたくなるのを抑えて、視点をそらさなければと、
「だよな、でも中国のメーカと競合できなければ、会社もたないんだろうしな」
工員:
「そりゃ、わかりますけど、どうしろってんですかね」
臨時工:
「給料下げるってんなら、生活費を下げてもらわなきゃ」
「なんかの雑誌で読んだんですけど、日本人の生活がよくならないのは、衣食住の食と住が高すぎるからだって書いてありましたよ」
「給料二倍もらったって、食と住が二倍以上したら、額面だけの話で、生活なんか楽になりっこないですから」
係長:
給料があがったはいいが、それ以上に物価もあがっていったのを思い出して、ちょっとため息をつきながら、
「そうだよな。地元の人で土地成金みたいなのもいるけど、みんなローンでどうやって駅に行くのかってところに家買って、毎日一時間以上混んだ電車で通って、この給料だもんな」
工員:
「なんか変なんですよね。バブルが崩壊するまではみんな良くなったと思って、浮かれていた感じがあったけど、ずいぶん昔の話で、いい夢でも見てたんかなって……」
「貸し渋りだとか、引き剥がしだとか言ってましたけど、デフレってんですか、みんなちじこまっちまって、このままじゃまずいってんで、二、三パーセントのインフレにしなきゃって話でしょう」
係長:
「そうさな、インフレ気味にしないと、だれも買い控えちゃうし、投資もしないから……」
臨時工:
「でも、そこがよく分からないんすよ。インフレ気味にしなきゃっては分かるんですけど、そうしたら衣食住が今まで以上に高くなるってことじゃないんすかね」
工員:
「そうだよ。オレたちの給料が高いってのは、食と住が高いからで、それをなんともしないで、給料下げるってのはないすよ」
係長:
「そうさな、着る物は我慢するとしても食と住はなんとかしてもらわなきゃ、今のままのじゃこの先どうなるんだろ……」
臨時工:
「食は、食糧自給なんていって、海外からの安い食材を入れないようにしてるじゃないすか」
「確かに中国あたりのは汚染が心配だし、安い米や小麦に乳製品なんかそのまま輸入したら日本の農業崩壊するかもしれないし……」
係長:
「でも、米を輸入するのと、米をつくるために石油を輸入して、それで発電した電気で灌漑設備を稼動して、肥料作って、除草剤作ってって考えていったら、日本の米って、輸入した石油が米に化けているだけじゃないかって……」
工員:
「へー、そうなんだ。そこまで考えたことなかったな」
「そうやってみていったら、かなり大きな地図になっちゃますよ。食料自給って騒いでいる人たちどこまで考えて、やってんですかね。食料自給や農村は旗印で、内実は農家ためどころか、関連するいろんな産業の、政治家やお役人どももふくめた、一大利権集団ってことじゃないですか」
「昔みたいに製鉄やって造船やってテレビ作って、カメラ作って、米でも牛乳でも肉も魚も、なんでもかんでも日本でって時代じゃないすよね。本部長の口癖じゃないですけど、グローーバリゼーションなんだから」
工員がグローバリゼーションに変なアクセントをつけたのがおかしくて、三人で今晩はじめての笑いだったが、空っぽの笑いは続かない。
臨時工:
「食料自給はだんだんと海外品の割合を増やしていったら、困る人もいるだろうけど、サラリーマンがほとんどの日本で、ほとんどの人たちの生活が楽になりますよね」
係長:
「そうさなー、でも住のほうだけどさ、土地の値段がだ、たとえば来年十パーセント、再来年にはまた十パーセントなんて調子で下がっていったら、どうなると思う」
工員:
「オレの家の価値も暴落ってこってすかね。もしかしたら運よく売れたとしても残っているローンの方が多いなんてことになるんすかね」
係長:
「そうさなー、多くのサラリーマンが困ったことになるだろうけど、問題は企業の資産が瑕疵ってことにでもなれば、銀行もどこもここもパニックになるだろうな」
工員:
「そのカシってなんすか?」
係長:
「平たく言えば、傷ものになるってのか、資産価値が半分になったら、それをもとに借り入れている金はどうなる。借り入れ金は額面で、たとえば百億円。かるく百億はくだらない土地をもってるからって貸してもらったはいいけど、そのかるくってのが半分なっちゃったら、銀行は倒産さわぎになるだろうな」
「デフレが怖い、インフレのほうが緩やかならよっぽどいいってのがここにあるんだな」
臨時工:
「なんすか、じゃあ、日本は、生活コストを下げようとすれば、会社が持たないってことですか。それうちだけじゃないですよね」
工員:
「なんだ、まるで江戸時代の百姓みたいなもんで、生かさず殺さずってやつですか」
臨時工:
「いや、それよりひどいな。オレたちに給料は中国なんかを理由にして下げたいだけ下げて、生活コストを下げれば、自分たちのもってる土地や資産が安くなるから、絶対下げない。ひでえ話っすよね」
工員:
「でも、そんなことしてたら、みんな貧乏になって、日本じゃ物が売れなくなっちゃうんじゃないすっか」
係長:
「そうさなー、売れっこないよな。人口は減るは、年寄りは増えるは、金はないはで、もう新車登録の三分の一は軽自動車になっちゃったろう。オレたちが作ってる自動車部品だって減ってるし……」
なんと説明したらいいかと迷いながら、このまま話が続いていくのが怖くなってきた。「状況はもうちょっと厳しいかな。もし、月々の生活費が二十万だったとするだろう」
「そこにちょっと予定外の出費が二万円出ちゃったら、大変なことだけど、まあ十分の一ですむ。それがコストダウンで残業やらなにやらがなくなって、月々十八万円になっちゃたら、同じ十分の一じゃすまない。なんでもそうだけど、成長しているとき、大きくなっているときはさほど痛みを感じないけど、小さくなっていっているときは同じ痛みじゃすまない」
酔いもまわって、話しているうちに何をはなしていたのか分からなくなってきた。
工員:
「同じ痛みじゃすまないってレベルの話じゃないんじゃないすかね」
臨時工:
「銀行や会社は生き延びるために、オレたちのような現場で汗流して働いている人たちの給料を減らしても、オレたちの生活が楽になるようにと物価を下げないってことですよね。物価を下げるようなことをしたら、自分たち持っている資産の価値が減って。昔ちょっと働いていたところで聞いたんですけど、それは資本主義の宿痾の問題で、金持ちはもっと金持ちに、貧乏人はもっと貧乏にってやつですかね」
係長:
「オレ、専門学校出で定年までいたって課長なんかにゃなれない万年係長で組合員だから、ぶっちゃけた話になっちゃうけど、そういうこった」「オレたちみたいにマシンオイルにまみれて働いている油虫はいつまでたっても油虫ってこった」
「見てみろ。組立一課の昼行灯みたいなオヤジいるだろう。あいつは農地解放で土地もらった、もとは水呑百姓だ。それが今じゃ土地成金になっちゃって、金使い切れねぇって、飲み歩いてるだろう。検査のパートのオバちゃんも似たようなもんだ。アパートいくつももって、パートの給料なんか、いい年してエステにいって散財してるわな」
臨時工:
「そういうこってすよね」
「あーあ、明日から会社行くのやんなっちゃったな」
工員:
「でも家にいると女房がうるさいし、会社以外に行くとこないし。どこか行こうったって、金ないし」
係長:
「まあ、仕事があるだけ、あるうちは、まだ幸せってことかもしれねぇなー」
臨時工:
「なくなったら、そのうち革命ってこっすかね」
係長:
「そのうちな、このままいったら……。でもそこまでいったら、とんでもないことになるかもな」
工員:
「大変なことになるだろうけど、オレ、革命ってのを、死ぬまでに一回は見てみたいな。映画じゃなくて」
臨時工:
「見てみたいってんじゃねぇだろう、お前もオレも見てる側じゃなくて、当事者だろうが」
係長:
「工場の移転なんてのとは話が違う。こればっかしは他人事じゃないだろう。オレもお前たちも当事者だ。そのうちな……」
係長の口癖「そーさなー」と「そのうちな」で今日が終わって、なにが変わるでもない明日がくる。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion8085:181015〕