絶対的真実:誰かの黒字は誰かの赤字  誰かの支出は誰かの収入 ――頑迷ドイツの石頭をすげかえよ!――(その二)

元凶は愚かなドイツの石頭

――倹約のすすめ 「まずは貯蓄、買物はその後」――緊縮=貯蓄のパラドックスを理解せず――

 今回は部門別収支の分析をもう少し実態にそって行おう。

ドイツには「まずは貯蓄、買物はその後」という倹約のすすめがある。

驚くべきことに、これをそっくりそのままマクロ経済に適用しているのがドイツの緊縮政策なのだ。こんな倹約のすすめをマクロ経済に適用して信じて疑わない。愚かそのものである。

(もっとも日本のザイム真理教も同じだ。ドイツの場合はオルド自由主義というが)

そもそも、倹約のすすめは一個人のレベルで通用するものでしかない。これを経済全体に適用すれば重大な誤りとなる。ケインズの言う貯蓄のパラドックス、合成の誤謬だ。(マルクス=宇野弘蔵の恐慌論も合成の誤謬を強調する)

この倹約のすすめでは、自分が貯蓄した後も自分の所得が低下しないことが暗黙の前提になっている。

しかし、この暗黙の前提は実現しないのだ。

 

倹約のすすめが考えるのは自分の貯蓄だけ

――他人の貯蓄は考えない――

この倹約のすすめは自分だけを考えたものであり、他のみんながどう行動するかを考えていない。倹約のすすめが報われるのは、他のみんなは貯蓄せず自分だけが貯蓄する場合だ。

前述の部門別収支の分析にそって考えよう。

経済が停滞する局面で、皆がそろって貯蓄を増やそうとしたらどうなるか?

倹約のすすめに皆が従えば、消費支出が減少し総需要が減少するから生産は低下する。その生産は所得だ。だから所得は減るのだ。だから予定した貯蓄はできなくなる。つまり次のようになる。

消費支出が減少すれば、企業の収入(売上)は減る。これに対応して企業の設備投資は減る。この時、総需要は減少した消費と設備投資しかないので、生産が減る。この生産は所得である。すると減った所得から貯蓄するしかないので、貯蓄は減少する(この時、減った設備投資と減った貯蓄は等しくなる)。

それでも減った所得からなお貯蓄を続けようとすれば悪循環に陥り不況が一層深刻化する。

この悪循環から逃れようとすれば、対外的に貿易黒字や対外直接投資による所得収支の黒字を獲得するしかない。これはしばしば近隣窮乏化とよばれる。EU域内でドイツが儲ければ儲けるほど、当然のことながら他のEU国は輸入超過に陥った。その後ドイツは中国を中心にEU域外への進出を急増させたが、

いずれにしても、ドイツの貯蓄は自分だけの倹約で可能になるものではない。対外的に打って出ることによって可能になっているのだ。それは、部門別収支の「政府と民間が両者とも黒字を出している場合には、かならず外国部門は経常赤字になる」ケースだ。前述したとおりである。

 

とはいえ、ドイツの家計貯蓄=低水準の消費は単に倹約の勧めを中心に続くわけではない。

ドイツでは、EU加盟国が増えるにつれ東欧を中心に低賃金労働者が流入して、ドイツ労働者の賃金抑制に貢献した。また、2000年代半ばの労働市場、社会保障制度に関するシュレーダー、ハルツ改革の影響も大きかった。これによって非正規労働者の増加をはじめ、賃金抑制・社会保障制度の民営化も進み、所得・資産格差が拡大した。これら施策は労働側の弱体化に成功し、その結果消費は抑制された。この労働側の弱体化と倹約のすすめがあいまって、消費抑制が長期にわたって続くのである(なおドイツの低い失業率には、操業時間短縮・ワークシェアなどの活用も一時的に功を奏した。しかし、基本的には労働側の弱体化が賃金上昇を緩慢にしていることで説明がつく)

他方、国内設備投資はどうかといえば、消費不振であるからには生産能力増強の投資は抑えられる。また海外直接投資へのシフトが並行したから、輸出が伸びても国内設備投資は伸びない。だから内需全体が不振となって国内民間部門の黒字・貯蓄超過が続くのである。

 

悪名高い「債務ブレーキ」―― 憲法で財政支出を抑え込む愚かしさ――

それでは政府部門はどうか?

ドイツの「借金」嫌いで貯蓄重視の倹約のすすめは、化石ともいうべき硬直したイデオロギーになっている。このイデオロギーによって、憲法では財政赤字を硬直的におさえこむ条文が書き込まれている。これが悪名高い「債務ブレーキ」というものだ。09 年には基本法(憲法に相当)を改正し、「連邦および州の財政は、原則として借り入れによる収入なしに、これを均衡させなければならない」(基本法 109 条 3 項 1 文)とする均衡財政を憲法上義務づけた。

このため公共投資をはじめとする財政支出は、下図に見るように長期にわたって抑えこまれ、国民生活を圧迫している。

ドイツ・公共投資の推移

 ドイツGDPのサムネイル

(出所)ドイツ連邦統計局 JBpress(2024/6/1)より

 

その結果、ドイツの社会インフラはみじめな状況を呈している。前述のように、鉄道をはじめとしたインフラ、学校などの公共施設は老朽化が著しく、特に鉄道への投資不足で故障、トラブルは日常茶飯事で、定時運行がめずらしいという状態にある。さらに、今日必須となった行政も含めたデジタル化も大きく遅れている(このデジタル化の遅れについては、ドイツ人の権威主義、官僚主義の影響も影響しているのだが)。

「2018~22年に2.5%だったGDP比の公共投資総額は、スペインを除き主要高所得国の間で最も低かった。英国の3%をも下回った」(マーチン・ウルフ)

2019年以降のGDPは、コロナ禍によるマイナス成長、さらにはコロナ後の2023年もマイナス成長に転落し、この5年間平均はゼロ成長に陥っている。従って公共投資の絶対額も抑制されたままである。社会インフラは2010年代のみじめな状態から変わっていない。

 

国際競争力の源泉は安いユーロ

――ユーロは「永遠の割安」に。ドイツが有利に――

さらに貿易黒字拡大について見れば、共通通貨ユーロがその最大の推進力となってきた。ドイツよりも競争力が弱い弱小国が次々とEUに加盟し、ユーロ導入国は20か国へ拡大した。そのためユーロはもともとドイツにとって割安だったが、さらに割安となって昨今では「永遠の割安」と云われている。

かつて、ドイツ首相ゲルハルト・シュレーダーは、フランスのドイツに対する政治的意図と共通通貨ユーロについてこう述べた。

「――ドイツの国際競争力が高まるということは、ドイツがより弱体化することではなく、より強力になることを意味する。考えてみれば、それは明白で不可避な結果であった。なぜなら我々の経済は欧州最強だからである。我々のインフレ率は他国より低い。しかも他国はもはや為替の切り下げによって、我々に対抗することができなくなっているのである――」(David Marsh EUROから引用:竹森俊平訳)

通常であれば主権国家は独自通貨をもつ。独自通貨をもっていれば、経常赤字がつづくと為替レートが下落し対外競争力は回復する。しかし単一の共通通貨のもとではそれは不可能だ。従ってドイツは弱小国の加盟と為替切り下げ不可能という、他国の弱みによって対外競争力を高めていったのである。つまり、ドイツは弱い国からの恩恵を多大に享受しておりながら、もっぱら自国の対外競争力は強いと強調するばかりであったのだ。

ここからドイツに対する反感が増幅して、「ユーロから離脱せよ、自国の主権=自国通貨による金融財政政策を取り戻せ」という反ユーロ・反EUの主張が膨れ上がってきたのだ。

 

このようにドイツ経済は、外需の寄与度が高く名目上の企業利益が伸びるだけであった。従って、国内の一般国民に対してもユーロ圏諸国に対しても、ドイツ経済が貢献するところは少なかったのである。その後、ドイツの貿易はEU域外への依存度を急激に高めていった。周知のように、その中心は中国だった。中国の高成長が、引き続きドイツの外需依存を可能にしたのである。中国への輸出は米国、フランス等に次ぐ第3-4位にまで急上昇した。その結果、ドイツは「最強の工業品輸出国」と「称賛された」が、EU域外への貿易依存度をあまりにも高めすぎた。EU域外からの黒字は域内からの輸入増に向かうから、その分は域内諸国へ還元されるともいえる。とはいえ、もともとドイツの極端な域外依存はEUがめざす経済的自律性・自立性の向上に反するものである。

 

そもそもEUの統合は、政治的にはかっての戦争への反省から域内の平和をめざすものだった。同時にそれを経済的に裏打ちすべく、EU域内において完結度が高く、基本的に域内需要を基礎とする自律的経済体制をつくることが目的だった。しかし過度に域外に、特に中国に依存したドイツはその本来のありかたからはずれ、逆にEUの脆弱性を強める結果を招いたのである。

近年の中国の急激な落ち込みは、ロシアへのエネルギー依存とともにドイツ経済に大打撃を与え、それがEU域内の低迷につながっている。

(つづく)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/

opinion13910241011