今年の記録的な猛暑がやっと終わったと思っていたら、今度は秋の長雨で、気分は最悪の状態。毎日を鬱々と過ごしていました。昨日(10月1日)、久しぶりの晴れ間がのぞき、やっと外に行こうという気になって、かねてからお誘いしていた若生のり子さんと沢村美枝子さんをいざなって小金井市の名所見物としゃれこんでみました。もっとも沢村さんは仕事の関係で、どうしても着くのが4時ごろになるとのこと、またわが女房殿も仕事のため、6時過ぎでないと合流できないとあって、まず若生さんと二人で「滄浪泉園」(JR武蔵小金井駅南口から徒歩15分ぐらい)に出かけました。
この日は小金井市の市民祭りと重なっていたため、入場は無料(普段は100円)。園内には国分寺崖線の「はけ」(「はけ」とは「崖」の関東方言らしく、崖の下の砂礫層から地下水がわき出ている)の湧水を引き込んだ池(東京の名水57選に選ばれているが、このままでは飲めないそうだ)があり、それを取り巻いて、かつての武蔵野の様子を彷彿させる木々や野草などが鬱蒼と生い茂っていました。所々に石地蔵があるのもここの雰囲気にぴったりします。「水琴窟」という地中に甕を埋めて空洞を作り、上を塞ぐなどして、そこにわずかずつの流水を滴らせ、その音色が琴の音色に似ているのを楽しむという、まことに風雅な装置などもあります。しかし残念ながらこの日は、甕の水がいっぱいだったのか、琴の音色を楽しむことはできませんでした。
しかし、今の時期の特徴ですが、園内はやたらに藪蚊が多くて、これには悩まされました。入り口で団扇を貸してくれたのですが、そんなものではとても間に合わず、あっという間に数か所刺されてしまいました。(僕が夏の2ヵ月間を過ごしたドイツには蚊はほとんどいません、勿論それほど寒くて、なおかつ乾燥しているからでしょう。だからでしょうが、ドイツ人は草原で裸になって寝転がるのが大好きなようです。時々は目のやり場に困ることもありました。)感心したのは、若生さんはさすがに美術家だけあって、藪蚊を恐れず、果敢にカメラのシャッターを押し続けていました。
案内のパンフによれば、この泉園は、元は明治から大正にかけて三井銀行の役員、外交官、議員などを務めた波多野承五郎の庭園を持つ別荘だったようです。かつては大きな茅葺きの家や門があったそうですが、1977年(昭和52)に買収される直前に取り壊され、庭園は宅地化により当初の3分の1の大きさにされたそうです。 それでもこれだけの広さですから、当時の金持ちがどれほどの財をなしていたかが想像できます。
沢村さんとの待ち合わせ場所に行く途中に、かなり名の知れたレストラン(フランス料理)の「寺子屋」があります。この店も「滄浪泉園」と同じく国分寺崖線に位置しています。雰囲気は良さそうですし、料理もうまいそうですが、値段が高くて僕には手が出ません。
4時に約束通り沢村さんとおち合い、今度は「中村研一美術館」を尋ねました。ここも同じく武蔵小金井駅南口から徒歩15分ぐらいです(駅を三角形の頂点として、「滄浪泉園」とこの美術館を結べば二等辺三角形ができるだろうと思う)。この美術館もこの日は無料開放されていました。
中村研一は、1895年に九州の福岡県宗像市に生まれています。この地には終戦後に住みついて死を迎えるまで住んでいたようです。現代美術を追及する若生さんは、さすがに評価が厳しく、とくに彼が第二次大戦中日本美術報国会の一員として藤田嗣治らと軍に協力して従軍し、作戦記録画を多く手掛けたことを憤っていました。勲章をつけた軍人の絵やフランス帰りらしく裸婦像などが目立ちました。彩色が少しケバいなというのが僕の印象です。しかし、かつての山下奉文によるシンガポール作戦に従軍した下級兵士が、腹ばいになって泥水を飲んでいる姿を描いた絵には、なぜか感動を覚えました。
序にネットで次のことを調べましたので、ご紹介いたします。
「日本では戦争を遂行するために国家総動員法が制定され、大政翼賛会をはじめとする官制国民運動が組織された。文化関係でも業界ごとに翼賛組織がつくられ、美術界では日本美術報国会が結成される。戦争画は、そうした「国民精神総動員」の一環として、国民を戦争に駆り立て戦意を高揚させることを目的に制作された。」
「ちなみに陸海軍に画家を斡旋し展覧会を組織するなど、戦争美術は朝日新聞社の「独占的な文化事業」(河田明久)だったという。」
詳細を知りたいと思われる方は、『画家たちの「戦争」』河田明久ほか(新潮社)をお読みください。
この中村研一美術館のある場所は、大岡昇平の小説『武蔵野夫人』の舞台になったところでもあります。大岡はこの小説の出だしの所で、国分寺崖線(「はけ」)の様子を精密に描写しています。この環境がこの小説のひとつの重要な要素になっています。大岡自身この近くの富永次郎宅に1948年のおよそ一年間寄寓していて、その時書かれたのがこの小説です。ただ、僕はこの小説は大衆小説だと思っています。国木田独歩の有名な『武蔵野』もそうですが、情景描写の素晴らしさ以外、これといって評価すべき個所を見出し得ません。
いまでは、この美術館の裏手の小さな公園にある、これも小さな喫茶店兼茶室が往時を偲ぶにふさわしい場所となっています。
ここでも、藪蚊を恐れず、竹やぶに分け入る若生さんの美術家魂が目立ちました。
まあ、ともかく楽しい時間を過ごすことができました。お二人の美女に心から感謝いたします。今度は多摩湖までの3時間ほどを歩いてみたいのですが、歩くのが苦手な沢村さんはついてこれるのでしょうか?
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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