脱原発 - ドイツ的決断の背景について <1>3・11とその後の展開

著者: 小林敏明 こばやしとしあき : ライプツィヒ大学教授
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                                                                  <1>3・11とその後の展開          

 三月一一日の福島の事故が起こったときのドイツ政府の反応は非常に早かった。それは当初東電および日本政府の発表よりはるかに破局的な事態を「想定」したからであった。滞在ドイツ人に対する避難勧告やルフトハンザ航空のパイロットの一時的乗り入れ拒否などに見られたように、その過剰とも思えた反応は時には日本において不評をさえかったりしたのだが、つぎつぎに情報を下方修正し、結局はチェルノブイリ級の事故を後々になって認めた日本とどちらの認識が正しかったかはあえて問うまでもないであろう。関東東北の汚染状態は、日本の政財官にマスメディアのくわわった「原発翼賛体制」による情報の「小出し」戦術に麻痺させられた被害当事者たちが思っているほど楽観的ではない。すくなくとも日本以外ではそう認識されているし、それは残念ながら「風評」などではない(そもそも「風評」という概念自体がおかしい。人間心理を考慮すれば、それは原発事故が必然的に生み出してしまうれっきとした「被害」の一つなのだから)。

 いずれにせよこのドイツの抱いた危機感は、メルケル保守・中道政権によって画策されていた脱原発見直しの動きをたちまちにして動揺させ、福島の事故の直後ドイツ政府は急遽自国にある七基の旧式原子炉の停止を命じ、国の内外をあっと言わせたことは、すでによく知られた事実である(ちなみに、これに合わせて、度重なる事故のため停止していたクルュメルの原子炉の永久廃炉が発表されている)。これまでの動きから見て不思議にさえ思えるのは、原発を何基も抱え、推進にいそしんできた保守の牙城ともいうべきバイエルン州が急激に態度を変え、それにつられるようにして、やはり原発延命を唱えていた連合政権の一部をなす自由民主党も、あわててメルケル首相の停止命令に同意したという事実である。それまで脱原発といえば、緑の党の専売特許、それに社民党の半分くらいが賛同するというのが相場であっただけに、この保守層の雪崩をうったかのような急変ぶりは大きな出来事だったということができる。

 政府はその後ただちに倫理と技術に関する二つの諮問委員会を招集し、そのうち各界の専門家たちを集めた倫理委員会が五月末に答申し、今後一〇年以内の原発全面撤廃を勧告するとともに、それが実際にも可能だという公式見解を発表した。これと並行してメルケル政権はキリスト教民主同盟CDU、キリスト教社会同盟CSU、自由民主党FDPによる与党連合会議を開き、二〇二一年と二〇二二年の両年に全面撤退すること、また一時停止させられた七基(クリュメルを入れれば八基)をそのまま廃炉にすることに合意した。この背景には三月二七日におこなわれたバーデン=ヴュルテンベルクの州議会選挙で原発廃止を訴えてきた緑の党が二四%の得票率を獲得し、一躍第二党に躍り出るとともに、三位の社民党と連合を組んで、ドイツ国内ではじめて州首長を誕生させるという事態があったり、その後の五月二二日におこなわれたブレーメン州の選挙でも、都市労働者をバックにもつ社民党の第一党の地位は揺らぐことはなかったものの、やはり二二%強を獲得した緑の党がCDUを破って二位に躍り上がったりしたことがある。とくにシュトットガルトを中心とするバーデン=ヴュルテンベルク州は自動車、電機など基幹産業の本社などが集中し、それまで保守党CDUが政権をにぎりつづけていただけに、この政権交代は大きな意味をもっている。

  ドイツの政治システム上、与党合意だけでは政策は実現しない。議会の最終承認はもちろんだが、その前に連邦共和国という建前から、自治制の強い各州との合意という条件が充たされなければならないからである。これはいま述べたバーデン=ヴュルテンベルク州以外にも、社民・共産連合のベルリンをはじめ、社民党がらみの政権があちこちにあり、それらとの合意を図らなければならない。六月三日にその全国一六州との合議結果が正式に発表され、その結果は全州一致で二二年までに全面撤退、しかも二二年を待つことなくそれ以前にも可能なものから順に停止、廃炉を進めるということで、与党合意より一歩進んだ内容となった。そしてこの合意を受けて六月六日に閣議決定がなされ、三〇日の連邦議会で政府から提出された原子力法改正案が五一三対七九票の圧倒的多数で可決され(もっとも反対七九票のうち七二票は撤退を法案より早めるべきだという立場からのものなので、全面撤退そのものに関していえば、五八五対七ということになる)、フクシマから始まった一連の動きにいちおうの決着がついたわけである。

 もちろん、問題はこれで片づいたわけではない。代替エネルギーが計画通りにいかなかった場合の緊急対策として廃棄予定の八基のうち一基を予備として二〇一三年まで残したい政府当局(正確には連立与党を組むFDPの要望)と、それに反対する野党との対立、あるいは廃止されることになる原子炉が法律上まだ生産してもよいことになっている残りの電力量の扱い(これには法的には財産問題が関係してくる)や企業側に課せられている核燃料税などが、ここ当面の争点となるであろう。じじつ電力会社側は後二点をめぐって裁判覚悟の賠償請求を考えているようだ。

 ついでに触れておけば、それまでは国民投票で原発推進、新設の計画もあった隣国スイスも、福島の事故を受けて現在稼動中の原発の期限が切れる二〇三四年までに全面撤退を発表しているし、オーストリアはもともと一基ももっていないので、近い将来ドイツ語圏域では原発は消失することになる。また日本でもよく知られているように、六月一二、三日におこなわれたイタリアの国民投票も九五%の圧倒的大多数で一九八七年以来あらためて原発拒否を確認することになった。そうなると、ヨーロッパでの問題は原子力産業を国策とし、八〇%を超える世界的にも異常な原発依存率を示しているフランスの今後の動きということになるだろうが、隣国にありながら、ちょうどそれと対極をなすドイツの新たな挑戦は今後のヨーロッパ、ひいては世界のエネルギー政策にとって非常に大きな意味をもつといえるだろう。

初出:「atプラス09号思想と活動」(太田出版)より許可を得て転載

http://www.ohtabooks.com/publish/2011/08/09181230.html

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study409:110901〕