脱連帯的『連帯』資本主義におけるモゼレフスキとクーロン

著者: 岩田昌征 いわたまさゆき : 千葉大学名誉教授
タグ:

 ポーランドの基幹的重化学工業の労働者階級が党社会主義体制を打倒するまでは、彼等の『連帯』労組を支援して来たポーランド知識人・専門家階層のすべてが、『連帯』政権の反労働者性の推進に歓喜したわけではない。オスト教授は、少数の例外として、リシャルド・ブガイ、バルバラ・ラブダ、カロル・モゼレフスキ、ヴオジェミシ・パンクフ、ユゼフ・ピニョルの名を挙げて、彼等が「もう一つの道」を説き続けた、と語る。特にタデウシ・コヴァリク教授は、1956年と1980年の労働者蜂起の知識人相談役であったが、『連帯』主流の反労働者的転換・純粋資本主義一本槍に抵抗して、今日も健筆を振るっている、と書く(オスト、p.57)。
 私=岩田が注釈を入れると、この「今日」とはオスト著『連帯の敗北』が出版された2005年のことである。2013年にワルシャワを訪ねて、久しぶりにコヴァリク教授に電話をしたら、家人が出て、教授が2012年に亡くなった事を知らされた。
 オスト教授の思想性は上記の少数派に近いと思われる。しかしながら、教授は、ポーランドの資本主義化における『連帯』基幹労働者の運命を分析するに際して、少数派の発言をあえて取り上げない。「彼等は、完全に異論派であって、『連帯』エリート圏から、『連帯』に起源を有する諸プレスから排除されており、政権獲得後に労働世界に起こった事柄を理解する上で考察対象にならない。」(p.58)からである。
 上記の少数派に見えるカロル・モゼレフスキは、ヤツェク・クーロンとの共著『ポーランド共産党への公開状 反官僚革命』(塩川喜信/訳・解説、柘植書房、1973年)で日本の新左翼卒業者達には良く知られている。ところで、クーロンであるが、彼は2004年6月に死去しており、晩年は自分が労働大臣として急進資本主義化の「ショック療法」の鍵的推進者として活動した事を「我が生涯最大の誤謬」であったと告白し、再び労働者参加と能動的社会運動を主張し出した。勿論、主要メディアや政界主流から疎外されながら。資本主義が万能薬ではないと現実の中で気付いた若い世代から頼りにされながら逝ったと言う(オスト、p.197、p.231)。

 塩川喜信とクーロンは泉下で何を語り合っているのだろうか。

      平成29年8月14日

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/

〔opinion6866:170816〕