腰が抜けそうだった-はみ出し駐在記(66)

倉庫で入出庫を担当していたアメリカ人が辞めてしまった。若いからなのか入出荷の単純な作業に身が入らない。一人しかいなかったこともあって、気分次第で乗らないときは、それこそダラダラ仕事しかしなかった。五時になれば何があってもさっさと帰ってしまうから、何かある度に駐在員も一緒に、しばし駐在員だけで入出荷作業をしていた。解雇するとなると一仕事だが、自分から辞めてくれるなら好都合、倉庫の仕事の経験のある人を雇うことになった。いつまでも駐在員の手をかけていられない。一日も早く次の人に来てもらわなければならない。

副社長がGeneral Affairsのアメリカ人のおばちゃんに指示して、地元の新聞に求人広告をだした。辞めてしまったアメリカ人とは違って、倉庫のオペレーションの経験者が欲しい。それなりの給料を出さなければ思ったらしいが、おばちゃん、その辺りのことには長けていた。求人広告には、平均的な現場作業者の給料にちょっと気持ちだけ上乗せした金額を提示した。応募資格としては、機械屋の倉庫のオペレーションの経験があることと高校を卒業していることくらいしか明記しなかった。その応募資格を聞いて、駐在員の誰もがその程度で十分だと思っていた。ただ、そんな安い給料で応募してくるのがいるのか、誰もが心配していたといより、まともな人はきっこないと思っていた。

不景気で就職難だったのだろう、新聞に求人広告が出たとたん問い合わせの電話が入りだした。小さい支社で、General Affairsが総務や人事から経理まで担当したところに、次から次へと電話がかかってきた。あまりの多さに、おばちゃんが仕事にならないとぼやいていた。電話を受けて、話を聞いて、聞かれることに答えて、応募のアプリケーションフォームを送るだけなのだが、十人二十人でも一仕事になる。それが五十人を超えると、もうそれだけで一日仕事になってしまう。それでも、しっかり者のおばちゃん、応募者からの問い合わせに対応しきった。

サービス部隊のマネージャーは日常業務で忙殺されていていた。毎日客からトラブルの電話がひっきりなしにかかってくる。電話でトラブルの症状を確認するプロセスを客に説明して、できる限り客にトラブルシューティングをしてもらうようにしていたが、処理しきれない状態が続いていた。E先輩もマネージャーの負荷を減らすべく電話対応をしていたが、二人で処理しても、電話で話をしているうちに、別の客から問い合わせの電話が入る。二人でそれこそ鬼のようになって処理をしていたが、処理が済むより処理しなければならない問い合わせが増えていった。余程のことでもなければ、音を上げる人たちではなかったが、なにかのときに「夢にまで見て仕事をしていたが、。。。」と言っていた。

本来であれば、副社長と同席して面接をしなければならないのだが、サービスマネージャーにはその余裕がない。辞めた若いアメリカ人より労働意欲のある、経験者であれば誰でもいいと副社長に伝えていた。

副社長が何人も面接していないのに音をあげた。まさかこんなに多くの応募者が出てくるとは思ってもみなかった。

書類選考で候補者を絞ってはいるのだが、最後は二三十分の面接をしなければならない。駐在員何人かと相談して、書類選考の後に簡単なペーパーテストをして候補者を篩いにかけてはどうかということになった。駐在員が作れる簡単なペーパーテストでしかない。英語の能力や一般常識を問うようなものは作れない。候補者を絞るための、篩い落とすキー、みんなが思いついたのは、なんと分数の足し算だった。

小学校の算数、日本でそんな問題を出したら、馬鹿にするなと叱られる。驚いたことにというべきか、想像通りといっていいのか、かなりの人たちが通分せずに、分母と分母、分子と分子を足していた。

倉庫の経験の豊富な、三十をちょっと出たくらいのいい人(Frank)が来てくれた。ロジスティックス全般に精通していた。ひと月もしないうちに作業改善を図るべく、部品棚の配置やさまざまな機器の導入から始まって、ロジスティックス会社とのやりとりまで整理してくれた。

入出荷のほとんどがサービスマネージャーからの指示によるもので、副社長から話がくることは年に何回もない。あったとしても、副社長の指示はいい加減と言っては失礼かもしれないが、あいまいというのかあやふやで、何をどうすればいいのか判然としない。ひと月もすれば、実質の上司は面接した副社長ではなく、サービスマネージャーであることに気が付く。

アメリカの常識では、直属の上司が面接をして採用を決める。直属の上司が自分だけでは判断しきれないと思えば、関係者との面接をアレンジするが、採用を決めるのも解雇するのも直接の上司、Frankの場合は副社長になる。

ある日、出荷が多くて駐在員の何人もが遅くまで残ってFrankと一緒に機械部品を梱包した。作業がひと段落して、帰る前にFrankがサービスの事務所に立ち寄った。駐在員がFrankと倉庫で一緒に作業することはあっても、Frankは倉庫の事務所に詰めていて、めったにサービス部隊の事務所に顔をださなかった。

今日は大変だったと言いながら、ちょっとした世間話になった。そこであらたまった口調でFrankが言った。面接してくれた副社長が上司だと思っていた(事実組織上はそうなのだが)。実際に仕事始めて分かったけど、実質上の上司はサービス部隊のマネージャーだった。ただ、みんながマネージャーだと思って、日常業務はそのように動いているけど、正式なタイトルはなにもない。オレたちと同じ平社員だ。組織上は副社長が上司だが、何時見ても新聞を読んでいるか、コーヒーをすすっている。一日中何をしているのか分からない。なんであんなのが副社長で、実質の上司は平社員なんだ。あいつが副社長だと聞いたとき、びっくりして腰を抜かしそうになった。何もしない副社長に、全てを仕切っている平社員、これ日本の会社ではフツーなのか?もし、フツーだとしたら、誰が一体どのように責任をとるのか、とれるのかわからないんだけど、。。。

「びっくりして腰を抜かしそうになった」、Frankが言ったのは「I was so surprised that I almost fell down on the floor」だった。そこから「almost fall down on the floor」が、駐在員と応援者の間で、一時期流行語になった。

駐在員も何年も働いているアメリカ人の誰もが何が何でもそりゃないと思っている状況を、背景や経緯を知らないアメリカ人が見たら、そりゃ確かに腰を抜かすほど驚いても不思議じゃない。日本にいるとき、あるいはその延長線にいると、不思議なことに慣れすぎて不思議を不思議と思わなくなってしまう。それが一歩海外に出ると、特別何の努力をしなくても不思議が不思議と感じられるようになる。

拙い経験からなのだが、どうもこれは日本企業の海外駐在所だからということでもなさそうだ。アメリカ企業やヨーロッパ企業の日本支社にも腰を抜かすほどではないにしても、不思議なことには事欠かない。事欠かないはずの不思議に気がつかなくなるようなことだけには、ならないようにと思っているのだが、そうすると、気がつかなくなってしまっている人たちにとっては困った人になってしまう。困った人にはなりたくないのが、困った人と思う側になるわけにもゆかない。なったら人として欠かせないものを失う。

<後日の笑い話>

ある日の夕方、Frankが疲れきった顔をして事務所に入ってきた。十時過ぎに慌てて出かけていったのは見たが、何を慌てているのか知らなかった。

日本から送ってきた新型のマシニングセンターのクレートの背がちょっと高すぎた。床の低いトレーラに乗せて、計算通りに橋の下は通れるのだが、交差点に吊り下がっている交通信号を引っ掛けてしまう。大きな機械なのでトレーラの運転手は信号を壊しながら走っていることに気が付かなかったらしい。偶然居合わせたお廻りさんに捕まって、それ以上走れなくなってFrankに助けを求めてきた。Frankが現場にかけつけて、トレーラを先導して、信号にさしかかる度にクレートによじ登って信号器を抱え上げて、トレーラを通過させてを繰り返して、やっと事務所にたどり着いた。

日本の工場は橋の下を通過できる最大高さは知っていたが、ケーブルで吊り下げられた信号器の高さにばらつきがあるとことまでは考えてなかった。

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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