*古賀暹著『北一輝―革命思想として読む』(御茶の水書房2014.6.1刊 4600円+税)
北一輝に関する書籍は、私が知る限りでも数多く存在する。雑誌などに発表された短い評論を加えると、その数は膨大なものに上るだろう。これは、明治維新以降の日本の歴史にとって、唯一の叛乱であった二・二六事件に彼が関係したことに由来することは言うまでもない。それ故、それらの著作の多くが―もちろん、「革命のロマン」をそこに見ていたものもいるだろうが―、北をファシスト、もしくは、国家社会主義者と断定するところから出発したものであったのは当然のことであったと言えよう。
その結果、これらの著作の多くは、『国体論及び純正社会主義』やそれ以前の佐渡新聞時代の北の文書の中にファシズムの痕跡を求めることが課題だとされていたようにさえ見受けられる。そこで、私は、まずは二・二六事件の北一輝ということを、とりあえず、カッコにいれて、北を社会主義の理論家として初期の北一輝を分析してみることにした。これが、本書の前半の「理論は革命へと誘う」である。こうした作業の上で、その北が、なぜ、海を渡り、なぜ、日本に帰ってきたのかを問題としたのが後半の「革命家は海を往還す」である。
ここで、本書の目次を記しておこう。
理論は革命に誘う
第一部 国家・社会と進化論
第一章 社会有機体論と国家の進化、第二章 近代国家の矛盾と世界聯邦への道
第二部 近代的個人と社会主義
第一章 社会主義と関係論の構図 第二章 社会主義とプロレタリアート 第三章 「万人一律」の社会主義のイメージ 第四章 二つの社会主義と共産主義のモデル
第三部 天皇制イデオロギー批判
第一章 万邦無比の国体への挑戦状 第二章 美濃部憲法学の継承と深化
第三章 穂積八束批判と古代-中世 第四章 明治維新と近代天皇制の成立
以上が本書の前半部の内容であるが、この部分は北の思想の骨格を形づくっている『国体論及び純正社会主義』の紹介に充てられている。その際、私は、可能な限り、北が書いたものから引用することによって、北そのものの思想を伝えることに心掛けた。わたくしから見ると、この部分を分かりやすく整理し紹介した『北一輝論』は今まで皆無であった。というのは、『国体論及び純正社会主義』の北の文体は論争的であったため、学者の文章とは異なり、そこから北の国家論や社会主義論や天皇制論を整理し、論理化するということが困難であるという事情が大きな原因であったと言えるが、それに加えて二・二六事件を起点として分析しようとする論者の視点の一面性によるものであったことも事実である。
本書の後半の目次を紹介しよう
革命家は海を往還す
第四部 中国ナショナリズムと北一輝・孫文
第一章 対立する二つの革命コース、第二章 南京政府の成立と崩壊 第三章、宋教仁の暗殺と孫文批判 第四章、東洋的共和制と辛亥革命
第五部 『改造法案』と過渡期の国家
第一章 政治革命としてのクーデター 第二章 合理化せられたる社会主義
第三章 アジア政策の基本構想とイギリス 第四章 ロシア問題と極東の体制
第六部 北一輝とは何だったのか
第一章 二・二六事件とたった二人の党 第二章 北一輝の思想とその時代
この後半部で問題とするのは、『支那革命外史』、『改造法案』と二・二六事件である。私はこれら著作や事件を前半部で明らかにした北の根本的思想との関連で捉えようとした。大まかに語ってしまえば、前半部で明らかにした「国家を実在の人格である」と捉える北の国家論が北をして中国に赴かせ、また、『改造法案』を中国で書かせたということができると本書では力説している。『改造法案』は中国革命の進展を願って書かれているのである。
ご存じのように、私は歴史家でも、また、北一輝の伝記的な研究家でもない。情況という雑誌の編集者であり、その中でも私の得意分野は、インタビュー記事をまとめることであった。インタビュー記事をまとめることにおいて大切なことは、相手の話、相手の思想の核心を、まず、つかむことである。その上で相手が話すことをその核心が明らかになるように記事を構成する。
私はこの北一輝論においてこうした方法を駆使した。私が考える北の思想の核心に北が語る諸部分が合致しなければ、私が把握したと考える核心がまちがっていたのである。そこで私はその核心の捉えなおしを行わなければならない。だから、この作業は苦闘の連続でもあり、また、パズルの連続でもあった。
こんな風に書くと、ある程度、北の書いたものについて知識のある人から言わせると、大げさだと言われるかもしれない。というのは、彼の著書は、何十巻に及ぶものではなく、『国体論及び純正社会主義』『支那革命外史』『国家改造法案原理大綱』の三冊しかないし、それにいくつかの論文を加えてみてもその著作の分量は限られている。だから、苦労のほどは多寡が知れていると思われるかもしれない。
だが、少しでも、北の著作に触れてみれば、たちどころに、そうでないことが分かるはずだ。というのは、北の著作は体系的ではないからだ。ある一節について疑問を持ったとすると、それに対する答えが思わぬところに見出せるからだ。本書においては、北からの引用を多用しているが、その引用された頁表示を見て欲しい。例えば、二〇頁から引用した論理の続きが二五〇頁に見られるというようなことが多々生じる。北は自分の文体に関して、「択伏的口吻」とか「諫争的文体」と呼んでいるように、それらの著作が論争的だったからである。
相手を論破しようとすれば、話は飛ばざるを得ない。「誰かを説得しようと思へば、口から出放題に話を始め、、、、、いつしか当の出鱈目が当人にも真実に思われてきたのかと見えるほど真剣になり、やがて苦もなく相手を手玉に取る」と大川周明は北一輝の弁舌の巧みさを表現している。これに魅せられて「魔王」と呼ぶことにしたそうだが、私は、これと同じことを北の文体から感じてしまう。逆に言えば、こうした弁舌の巧みさから、その底に潜む一貫したものを引き出すことは極めて難しい。
大川もそのことを北の文章に関しても見ていたようだ。「北君の場合はその精神全体を渾一的に表現した文章」だと表現している、だが、彼はその肝心な「精神全体」については厳密には触れることが出来ないでいる。私が挑んだのはこれである。しかし、相手が「精神全体」であるのだから、こちらも「精神全体」で立ち向かはなければならない。いつしか、私は、北の「精神」に飲み込まれそうになる。だが、飲み込まれてはならない。私は、少なくとも、北を超えようとするものであり彼を飲み込まねばならない。北とある時は一身同体でありつつ、しかも、離れていなければならない。
この試みは、当然のことながら、私の「精神」そのもののより高次化を要求することになる。自分の抱いていた市民主義的世界観や社会主義やマルクス主義的な世界観を固定化して置いて、そこから、北を斬るようなものであってはならない。ところが、多くの「左翼」や市民主義的な立場からの北一輝論というものはこうした類のものだった。二・二六事件がファシスト的なクーデターであるというイメージに基づいて、それに都合のよい箇所を北の著作から抜き出して、ファシスト、国家社会主義者、天皇主義者としての北一輝をでっち上げ続けてきたともいえる。
そうした私は、本書の前半部において、「実在の人格である国家」という北の国家論を中心に再構成することによって、彼の思想の骨格を明らかにし、後半部においてはその思想が実践的にどう展開されたのかを、彼の著作に依拠することによって解明しようとした。こうした方法が成功しているか否かは読者の判断に任せる他はないが、それとともに、この書を書きつつ痛感した点がいくつか存在する。
一つは、明治維新以後のこの日本という国の思想界の頼りなさである。恒に流行に支配され過去を置き去りにしてきた思想のありさまが「不惑一貫」を軸として考えるときに読み取れるのではないだろうか。また一つは、中国との関係である。北は、誤った面を含んでいたとはいえ、必死の思いで中国革命に取り組んできた。その想いを今日のわれわれはどのように受け継ぐべきなのか。さらに、もう一つは、北もその一人であった「空想的社会主義」とマルクス主義の関係である。マルクス主義を、再度、フランス革命当時の「空想的社会主義」の精神のなかに置いて見なおすことである。
極めて、舌足らずではあるが、こうした観点からもこの書を考えて頂けたら幸いだと願っている。おそらく、この書を読み終えた読者の方々から、私などが思いも浮かばない感想なり発想が生まれてくることを期待している。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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