自著を語る:伊藤淳著『父・伊藤律 ある家族の「戦後」』

*伊藤淳著『父・伊藤律 ある家族の「戦後」』(講談社 1800円+税  2016刊)

ito伊藤律は、ロシア革命の4年前の1913年に生まれ、ベルリンの壁崩壊の年に没している。つまり社会主義の勃興とその終わりの始まりに沿った人生を生きた革命家である。戦前は一高で共産主義者青年同盟への加入から入党、共産党再建準備運動、そして戦後の社会運動高揚期には共産党の政治局員、農民部長として全国を駆け巡ったがそのうちの半分近くは戦前の治安維持法違反による投獄、戦後は26年間に及ぶ北京郊外監獄での秘密監禁を余儀なくされるところとなる。

私は当初、執筆にあたってこれらの伊藤律の生涯を描くこととともにスパイ説汚名をはらすことに重きを置いて筆をすすめていたが、途中で書き直すことにしたのである。

それは『偽りの烙印』(渡部富哉.五月書房)に代表されるように、伊藤律スパイ説は崩壊し、職者の間でも常識となり、伊藤律が摘発の端緒を供述したとされていたゾルゲ事件に関してそれを否定する一次資料の最新の発見(『ゾルゲ事件』加藤哲郎著、平凡新書)なども続き、もはや、日本共産党を除き、伊藤律を知る多くの人の間ではスパイ説の誤りは正すべき歴史となったと思ったからである。

1980年に父の生存が明らかになり28年ぶりに帰国したとき、慌てた野坂参三が家族の引き取りを阻止しようとしたことは著書でもふれたが、伊藤律が名もなき「三号」罪犯として監禁されていたとき宮本顕治をはじめ多くの日本共産党幹部が北京を訪れているが、「被除名者には関与せず」として結果的に長期にわたる監禁生活を放置したことや、文革期には生命の危険にさらされたり、伊藤律の“始末”を中国に依頼した痕跡があったことなど、文章から削った部分はスターリン主義の残滓であっただろう。

そうしたことよりも、私が父について思うこと感じたことをありのままに綴ることの方が生活を共にした時の父と同じ年代になった私にはふさわしいかもしれない。

知人、友人たちからも、私に大きな影響を与えた母に関する記述も含め、そうした期待が多くあったこともあって、著書のような2部作となった。

未発表の伊藤律著作には千ページに及ぶ『獄中遺書』や中国共産党が保管する自己批判書などがある。本著を刊行して、私はこれからの目標を先の公開の実現に向けている。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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