自著を語る 『野にも山にも炭を撒く』 炭の力で緑の地球に

著者: 宮下正次 みやしたしょうじ : 森林の会
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『野にも山にも炭を撒く』 炭の力で緑の地球に 宮下正次著 五月書房

はじめに

私は中学生のころから兄に誘われて、ロッククライミングの真似事をしたり、冬の谷川岳に登って、吹き付けるガスを小枝に受けて美しく輝く氷の芸術にいたく感動したことを覚えています。

群馬県と新潟県を道路で結ぶ三国トンネルの工事が進んでいる時、中学の先生から「宮下自転車に乗れるか」と。親から自転車を借りて三国トンネルに向かいました。一汗も二汗もかいて終始登りの自動車道をこぎ続けました。

三国トンネルの手前にかかる橋の上に立ちました。梅雨のガスでけむる谷底を見おろすと、赤紫の花が見えます。“何と美しい花なんだろう”今も脳裏にありありと写っています。

ガスの中にときどき浮かび上がる赤紫のツツジ。

先生の花の説明も鮮明に記憶しています「あの赤紫のツツジはムラサキヤシオツツジです。もう一つの花はシラネアオイです」と。

高校に入って義兄に誘われて日光白根山に、植物採集の胴らんを下げて登りました。

「ここは日光国立公園です、採取許可証はありますか」レインジャーの声掛けに驚きました。

シラネアオイの美しさに魅かれて白根山には何度も足をはこびました。

高い山に登ればもっと美しい花に会える。

高山植物を求めて山登りが続きます。

職場は栃木県の大田原営林署に決まり、大きなリュックを背負って新天地に向かいました。

“ヒマラヤに登りたい”休みの日は近くの標高1000mほどの八溝山に登りました。

リュックには石を積めてトレーニングです。

近所の子供達はリュックに積める石を見て「石は何にするの」と聞きます。

高みへの夢はついにヨーロッパアルプスへ、1972年マッターホルン北壁に挑みました。

1973年インドヒマラヤに。夕闇迫る山頂に立ち、世界初の登頂になりました。

休暇を貯めて次の海外登山の計画が始まりました。

ロシアの山に向かいます。パミール高原、カフカズ山脈、アルタイ山脈へと。

1981年、カフカズ遠征ではパートナーが欠けて単独に。

部長室に呼ばれました。「また海外に行くのか。君は仕事と遊びを秤りに掛けたことがあるのか」と暖かい指導をいただきました。

「一晩良く考えてくるように」と。

一晩良く考えて部長室に入りました「やっぱり行かせてもらいます」

今度は「将来どうなってもいいのか」

「将来どうなってもいいというのはどういうことですか」と聞き返しました。

その答えは返ってきませんでした。

「では行ってきます」と部長室を後にしました。

1984年、アルタイ山脈でデロネ北壁を攀り世界初登攀となりました。

山で2個の金メダルをいただいた気持ちです。

故郷の山がヨーロッパの枯れと同じ

1987年、日光白根山の山頂付近で若いダケカンバが広大に枯れています。

「この枯れはヨーロッパの立ち枯れと同じです」この発言が朝日新聞の一面で取り上げられました。

奥日光の立ち枯れに火がついたのはこの時からです。すごい火の粉が飛んできます。

「学者でもない宮下に何が分かるか」

酸性雨の勉強をしました。もっと深く知りたくて世界の山を歩き、酸性雨研究の第一人者であるミュンヘン大学のシュッツ教授を訪ねたのもこのころです。

シュッツ教授に「日本でナラ枯れは起きていますか」と尋ねられました。

枯れていないというと「必ずナラ枯れが起こるから学者と手を組んで研究を続けていくように」と言われました。

日本列島は松枯れからナラ枯れへ

松枯れを許してきたら、ナラ枯れが起こり始めました。

このまま広葉樹を失なってしまうとこの後には森が残りません。

これほどの短時間に、しかも大量に、生きていた樹が枯れ広がったことは今までありません。

熊は餌を求めて山を下りてくるようになりました。

熊などの獣害は何百億円にものぼります。

大変恐ろしいことが忍び寄っていると思われます。

国は松枯れを抑えようと法律に基ずいて農薬散布を続けてきました。

マツノザイセンチュウという虫が松を枯らすと法律で結論ずけたのです。

運び屋のマダラカミキリを殺せば松枯れは止まるとして、30年以上にわたって猛毒の農薬散布を続けてきましたが、松を守ることができませんでした。

国が行った行政評価でも効果無しの「C」評価が下りました。

それに要した1兆円もの巨費が無駄になったばかりでなく、森の生き物をも殺りくし、生命循環の根幹をなす微生物をも殺してきました。

土砂をつかみ、国土保全上大きな働きをしてきた松を失ってしまいました。

今度は広葉樹枯れです。広葉樹林を失ったら文明を閉じることになりかねません。

国はナラにはカシノナガキクイムシ(虫)が運んだナラ菌が枯らすと発表し、農薬などの対策が始まりましたが効果は上がっていません。

ナラ林は虫に関係なく枯れています。

枯れている樹はナラだけでなく、寄り添うようにしてサクラ、クリがすでに白骨樹になり枯れてしまいました。それを追いかけるようにナラ枯れが始まり、ブナ、トチ、カエデなどの広葉樹の枯れが広がっています。

私は立ち枯れを追って25年、炭を撒き続けて15年、日本から世界へ450か所踏査、125か所で炭撒きを続けてきました。

この様子をまとめたのが『野にも山にも炭を撒く』です。

この立ち枯れは地球規模の広がりです。

南極を取り囲むように4か国がありますが、ここでは常に極渦が吹き続けてこれらの国の原生林が傷つき枯れています。

化石燃料を燃やし続けた結果のようです。

新潟県佐渡市のナラ枯れ

新潟県佐渡市大佐渡のドンデン山では全山が枯れています。ここではミズナラ、クリ、アオダモ、クマノミズキ、タニウツギといった若い広葉樹も一緒になって枯れ始めています。

少し下がるとコナラの林になります。

佐渡の専門学校の生徒さんと一緒に山に入りました。朝、先生から「ナラ枯れの現場に入ると虫の入った穴から白い木屑が落ちているので、ナラ枯れの原因がすぐに分かります」こう説明を受けてきました。

先生は現場に入って、枯れたナラの根の周りの木屑を探し始めました。生徒も探し始めました。

50本以上探しましたが虫が入った樹が一本も見つかりません。

山の持ち主の古澤諭吉さんは、このナラ山をマイタケ人工栽培の原木山として使ってきました。この山が枯れてしまうと大変困ります。すでに半分のナラが枯れています。

「いま記憶をたどれば、15年ほど前から枯れ始めてきました」と言います。

生徒さんと枯れたコナラを一本一本観察しました。なかにはまだ枯れていない樹もあります。生き残った樹を観察してみると、梢だけが枯れています。これだけでも虫が枯らしているのではないことが十分に分かります。梢枯れの始まった樹は、根元に近い幹の部分から新しい枝を伸ばし始める胴吹き現象も見られます。

根が弱って梢まで養分・水分を上げる力を失ってくると、根に近い部分から新しい芽を伸ばし活動をはじめます。伸ばし始めた枝の年齢を数えてみると17年が数えられました。

古澤さんが15年前から枯れだしたという証言に合致してきました。

佐渡の平野部では海岸線のクロマツが農薬散布のかいなく枯れ、屋敷に植えたスギ、ケヤキなどの広葉樹の衰退が始まっています。

炭で甦ったナラ

私たちはナラ枯れの原因は土壌の強酸化にあると考え、炭のミネラルを活用して対策をとってきました。

虫も入って弱ったナラに炭を撒きました。

1年後に現地に入ると、虫穴から樹液が流れ出しています。枯れる一歩手前のナラが息を吹き返していました。90%も衰退が進んでいたナラには炭を撒きませんでした。あきらめて炭を撒かなかったナラも助かったのです。隣に撒いた炭が効いたのでしょう。

東京の会議で「炭を撒いてナラが助かりました」と報告すると、菌類学者の小川眞博士は「ナラを助けるのは難しい、本当にナラが助かったのか現地を見たい」と。

小川博士を佐渡に案内しました。木の葉をはぎ、炭をはぎナラの根を探し、そこに菌根が発達していました。5か所調べて4か所で菌根を確認し「宮下さん成功です。ナラを助けたのは日本で初めてです」と言われました。

確実にナラを助けることが出来たのです。

小川博士は林野庁にいって報告すると言いました。

ヨーロッパは石灰で酸性雨対策を行いましたが、いい結果が出ていません。

佐渡では炭を撒いて3年目、枯れそうだったナラがドングリをどっさり落としました。

「思わず、熊さんドングリだよ」と叫びました。

2012年、国は法律を変えて炭によるナラ枯れ対策に予算を付けました。私はこのニュースに耳を疑いました。

沼田正俊林野庁長官を訪問して、炭の事を質問しました。「県を通して申請してください。300万円まで補助金が出ます」と。

2012年、1600万円のナラ枯れ対策の補助金が支給されてきましたが、内容を見ると効果のないフェロモン処理、ペットボトル処理などに使われてきました。本命の炭による対策は含まれていませんでした。

国がナラ枯れ対策に力を入れてきたわけですから、正しい方向にかじ取りをしなおさなければいけないと思います。

耐用年数が切れた土壌

ヨーロッパの土壌は花崗岩を母材にした土壌で、もともと酸性雨を中和する力が弱く、早い段階で酸性雨被害が起きています。

日本の土壌は酸性雨の被害を受けながらも、ここまで持ちこたえてきました。

西日本の赤土土壌の耐用年数は30年、東日本の黒土土壌は50年と言われてきました。

共に耐用年数が切れています。

酸性雨で失った土壌中のミネラルを戻してやることが酸性雨対策になります。

ヨーロッパでは土壌を調べると、カルシウム、マグネシウム、カリウムが不足していることが分かり、石灰にマグネシウムとカリウムを加えて全土に撒きました。

一見成功したかのように見えましたが、風で倒れるという被害が相次いでいます。

湖にも石灰を投入して中和作業を行いました。湖は中性になりましたが、魚は生きられないままです。湖への石灰投入も失敗です。

土壌から溶け出すアルミニウム

土壌には8%ものアルミニウムが含まれています。このアルミニウムは中性では溶けません。

動植物の体にアルミニウムは一滴も使ってきませんでした。

近年このアルミニウムが大量に溶け出す環境になってきてしまいました。

土壌中のアルミニウムは酸にもアルカリにも簡単に溶け出します。中性のpH7から10倍下がったpH6までが安心できる値です。中性から100倍下がってpH5になるとアルミは溶け始めます。

現在普通に降っている雨はpH4ですから、中性から1000倍もアルミニウムが溶け出します。

土壌は長い間、酸性雨を受けてゆっくりと中和能力を失い、やがて土壌も酸性に傾き、現在は土壌もpH4台を示すようになってきました。

アルミニウムは中性値から1000倍も溶け出してしまいます。

アルミニウムが溶け出すと、いろいろの問題を引き起こします。

植物の細根を傷つけ、生長に支障をきたします。

川や湖に流れ込めば魚に問題をおこします。カナダの川からサーモンが流れてきたことや、北欧の湖でトラウトなどの魚が死に絶えるなど多くの問題を引き起こしています。

対策としては北欧の湖で石灰を投入して中性にしました。魚をはなすと30分で浮きあがってしまいます。エラ呼吸ができないのです。

湖が中性になってもアルミニウムが溶けたままでした。

土壌の中には実を作る大切なリン酸がありますが、このリン酸がアルミニウムと結びつき、リン酸が使えなくなってしまいます。山でドングリをならすことが出来なくなっています。

石灰で中和しようとするとアルカリにもアルミニウムが溶け出しますので悪い結果になります。

アルミニウムが人間の体に入ると、血液中のリン酸を失い、骨をもろくし、脳細胞を傷つけます。

立ち枯れに炭がなぜ効くのか

アルミニウムイオンを簡単に吸着し、再びアルミニウムを眠りにつかせてくれるのが炭です。

アルミニウムイオンは、実を作るのに大切なリン酸と結合してリン酸アルミとなり、リン酸が養分として使えなくします。

炭は微生物の棲みかになって、リン酸アルミを分解し、リン酸が再び使えるようにしてくれます。こうしてドングリをならすことが出来るのです。

炭はカルシウム、カリウム、マグネシウム、ナトリウム、リンなどのミネラルがバランスよく含まれています。この“バランスよく”というのが大切なことです。炭は失われたミネラルを土壌中に還元し、強酸性化した土壌を優しく中和してくれます。

群馬県前橋市の敷島公園は全国百名公園の一つに数えられています。

アカマツ、クロマツの混交林で、樹齢は90年を超えています。

行政は松枯れが続く中で、農薬散布を行ってきました。そのかいなく毎年毎年枯れ続けていました。

「森林(やま)の会」は2000年に、萩原弥惣治前橋市長に炭による松枯れ対策を提案しました。市長から「是非、炭を撒いてほしい」というメッセージが届きました。

皆さんからカンパをいただいて初年度に1.5ヘクタールに3トンの炭と木酢液を撒きました。次年度も1.5ヘクタールに同量の炭と木酢液を撒きました。

枯れはピタリと止まりました。

中には90%も枯れの進んだアカマツも含まれていましたが元気になりました。

2年目には萩原市長が駆けつけ「えらいことが起こりました。松が一本も枯れなくなりました」と挨拶してくれました。

炭を撒く前の土壌は、大森禎子博士の測定でpH3.8でした。超強酸性の土壌でした。

街の中の松林がこれほどの強酸性土壌であることにびっくりしました。

新聞各紙は大きく取り上げ、NHKも取材に入りました。

炭を撒いた所がリング状に盛り上がり、ミミズが集まりモグラが追いかけました。

土壌を測定するとpH6.4という値で、理想的な土壌になりました。

会津の国有林を借りうけて

森びとプロジェクト委員会は林野庁に対してナラ山を貸してほしいと申し入れをしました。

林野庁は「ナラを助けた人はいないので貸すことが出来ない」と一度は断ってきましたが、会津の国有林を12ヘクタール借りることが出来ました。

樹齢90年という高齢なコナラを主とする広葉樹林です。すでに56%のコナラに虫が入り、専門家は2年から3年のうちに枯れると断定しました。

6区画に区画して、炭を撒く区と撒かない区を交互に設定しました。

隣あった区画に影響がでないように25mほど空けて設定しました。

2011年の10月に炭を撒きました。炭は約700度ほどで焼いたスギ、アカマツの炭です。

炭撒き区に撒いた炭の量は、ヘクタール当たりに換算すると6トンになります。

標準量の倍ほど撒きました。

1年後に観察すると、全ての区画に虫がいなくなりました。虫が確認できたのは一本だけでした。炭を撒かなかった区にも虫がいません。

虫穴からは樹液を吹き出しているナラが多くなっています。

炭を焼け!炭を撒け!

農山村には空き家がいっぱいです。役場に連絡すれば紹介もしてくれます。村は暖かく向かい入れてくれるはずです。

大自然があなたのフィールドです。ここで暮らしてみて下さい。一人ではと思う人は何人かで共同生活もいいでしょう。広い家が丸ごと一軒手に入るわけですから。

山ではまず間伐です。山には戦後植えたスギ、ヒノキが唸っています。間伐を待っているのです。

間伐は補助金が出ます。その倒した材を搬出すれば補助金率が高くなります。

搬出は大型機械が必要になりますから、すぐには取り掛かれません。

そこで考えられるのは、その場で炭窯を築いて炭に焼くことです。炭窯を築くときも補助金が出ます。

この炭を行政が買いとって“野にも山にも炭を撒く”運動に結びつけていくのです。

国策で行なう時がきました!

間伐を行ったことで水が15%程増えます。

山は炭を待っています。すり減らしてしまったミネラルを補充してやります。微生物との共生が始まり、元気を取り戻します。

放射能の降り積もった山の除染にも炭は力を発揮します。吸着し微生物の力を借りて安全なものに原子転換してくれます。

炭はミニダムになって水を15%程増やします。

間伐、炭焼き、炭撒きのセットでアルミニウムを吸着し、放射能も吸着し、磨いた水を都市に30%も流してくれます。

間もなく水不足の世紀が到来します。その時間は10年を切っています。今から初めなければ間に合いません。

水は森が作ります。

森は生命維持装置。

森は国家なり。

青年よ大志を抱け!

そして定年退職をして人生の仕上げに山の暮らしを選んでみてはいかがでしょうか。

“大自然が俺の仕事場さ”

21世紀、新しい生き方を探してみてはいかがでしょうか。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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