舩山信一の人間学的唯物論―1―

はじめに

 この論稿は一九九八年から一九九九年にかけて刊行された『舩山信一著作集』(こぶし書房刊)の第五巻『西田・ヘーゲル・マルクス』(一九九九年三月刊)に寄せた解説です。舩山 信一(一九〇七年七月二九日 – 一九九四年三月一六日)先生は私が立命館大学大学院生の時に師事した先生で、日本を代表する唯物論哲学者の一人です。この著作集は故西川富雄先生等に監修していただき、校正作業を梅川邦夫、保井温、服部健二、故藤田友治の弟子四人組が担当しました。西川先生やこぶし書房の編集委員にも来ていただき白浜の藤田友治の別荘に籠って校正作業を行ったのが大変なつかしく思い出されます。

( 1 ) 舩山「人間学的唯物論」とは何か?

 この第五巻に収録した諸論文は、『へーゲル哲学と西田哲学』(未来社、一九八四年刊)から「「絶対弁証法」の観念論的性格」を除いたものに「フォイエルバッハとマルクス及びへーゲル―人間学的唯物論のために」(初出は 『季報・唯物論研究』第一五号と第十六・十七合併号に所収、一九八四年)と「私のプロレタリア文化活動時代」(同誌第四号、七・八合併号、第十・十一合併号に所収、一九八二~三年)を加えたものです。これらに収録された諸論文は舩山の「人間学的唯物論」の形成に重要な役割を果たしていたり、あるいはその理解に重要な手掛かりを与えてくれるものです。(本解説では「私のプロレタリア文化活動時代 」 にはふれません。)

 まず舩山の「人間学的唯物論」の内容を私なりに概略的に説明し、その意義と問題点をはっきりさせることにしましょう。

 舩山の「人間学的唯物論]という語感から、「人間」とは何かについての唯物論的な議論を期待されては困ります。

 むしろ「唯物論」の正しい立場が、主体を身体的存在としての人間と捉え、かつ客体も自然的諸事物並びに身体的存在としての人間及び、人間が構成する社会や歴史であると捉える立場です。ということは主体である人間も、他の主体からは客体として捉えられます。つまり主体であると同時に客体でもあるのです。そして客体である人間も同時に実践主体ですので、客体であると同時に主体でもあるのです。これを「主体即客体、客体即主体」と舩山は簡潔に表現しています。

 舩山哲学では「超越」というターム(用語)が重要です。主体は単なる「意識」や「自己意識」ではありません。優れて身体なのです。人間ですから心的機能を持っ身体と言った方が正確です。ともかく主体が身体である以上、客体は身体に対して超越的な存在として相対しています。これが「外への超越」です。もし近代哲学に一般的な傾向に従って、「意識」や「自己意識」を主体と置きますと、客体も意識に現れる意識内容に過ぎなくなります。ですから「意識」や「自己意識」を主体と置く立場は、舩山に言わせますとすべて観念論だということになります。

 また主体は意識に還元できません。意識から超越したところに身体的な主体が存在するということです。これが「内への超越」です。このような超越によってはじめて主体的対象的な存在構造ができます。この「内への超越」なしに主体を意識と混同しますと、どうして主体が客観的実在と対象的に関わるのか、その必然性が出てきません。実在間の関係として主体・客体関係を捉える事によって、対立物の統一や矛盾による弁証法的な関係が捉えられるのです。

 このような「人間学的唯物論」に対して、あまりに常識的過ぎて新鮮味がないという批判があるかもしれません。ところが舩山自身はそれが実際には唯物論者の中ですら決して常識にはなっていないこと、それどころかマルクスやレーニンの唱えた根本的な命題とすら厳しく対決する命題だというのです。そのことについて「こぶし文庫」の小冊子[場 』 N03 に、私は「舩山先生の繰り言」と題して次のように関説しています。

「「人間の本質は、現実的には、社会的諸関係の総和(アンサンブル)である。」というマルクスの規定は、人間を社会的関係に還元して捉えており、生身の身体的主体として捉えていないから誤りだ。」

「「物質は意識から客観的に独立した存在である。」というレーニンの物質概念は、意識との対置で捉えられた存在として捉えられている限り、客観的観念論と変わらない。」

 もう四半世紀以上前になるが院生の我々に口癖のように繰り返されていた。当時の私はマルクスやレーニンの別の叙述によってそんな誤解は氷解すると考えていたので、舩山先生のそのような批判は、マルクス・レーニンから殊更距離をとって転向に固執する虚勢のように浅く捉えていた。

 でもテーゼというのは一人歩きするものであり、関係に還元して人間を捉える見方は人格的主体の軽視をもたらし、人格無視の官僚主義体制を生んでしまう。また感性の基体としての身体を主体即客体と置かないかぎり、意識現象に還元する現象学を克服することはできない。舩山先生はこのことを念頭に繰り言されていたのである。

 実際この四半世紀の内に、関係還元主義や現象学主義が、いわゆる「弁証法的唯物論」をスターリン主義というレッテル貼りで退ける議論と手を携え、自称マルクス主義哲学者の中でも盛んになった。だがいわゆる唯物論の論争は、政治主義的なレッテル貼りや流行哲学からの援用では、何ひとつ決着がつく筈はないのだ。

 近年「社会主義」世界体制崩壊と共にマルクス主義が思想としての寿命が尽きたという議論があります。それに便乗して唯物史観や弁証法的唯物論も根本的に問違りていたという議論が次第に、自称マルクス主義者の中でも支配的に成りつつあるようです。いったんそういう流れが起こると、我先にという感じになります。古い教条を守っていることがとても後ろめたい気分になるものです。

 その点舩山は戦前に転向経験という免疫があります。彼は政治的にマルクス主義を棄てました。また党派的な意味での「弁証法的唯物論」も棄てました。しかし哲学としては弁証法も唯物論も一度も棄てたことはありません。戦後も彼はマルクス主義や党派的な「弁証法的唯物論」には復帰しませんでしたが、弁証法や唯物論に対する信念は一貫しています。そしてフオイエルバッハの人間学的唯物論から学んで弁証法的唯物論の唯物論的基礎を固めました。

 彼は戦後の唯物論者の論争に対しても、人間学的唯物論の立場から、人間主体の主体性を軽んじる当時正統派とされていた俗流客観主義的唯物論を批判し、返す刀で人間主体の身体性を軽んじるか、対象の側の実体的な主体性を無視する主観的な唯物史観主義、主体的唯物論、実践的唯物論を批判しています。そして実在としての人間同士の関係、人間と自然との関係に基礎を置かず、それらを共同主観的な意識に還元する廣松渉の事的世界観も批判しています。その上、唯物論者の中でも最近は極めて評判が悪い「模写説」や「自然弁証法」を死ぬまで堅持しました。

 つまり舩山はこと哲学に関する限り、たとえどんなに時代遅れと言われようが、その理論を唱えた人物が政治的にどんなに大きな犯罪を犯し、人類の敵とされようが、あくまで理論自体が正しいかどうかで真理性を判断したのです。

 残念なことに戦後の唯物論の論争も論敵をきちんと論破して、発展したわけではありません。外国から新傾向の理論を輸入して、それを焼き直したものも多かったのです。また特定の理論と特定の政治傾向を結び付けて攻撃されました。例えば「弁証法的唯物論・自然弁証法・模写説」を唱えるとスターリン主義者だと非難されたのです。たしかに共産党の御用哲学化したいわゆる「弁証法的唯物論」はかなり杜撰で幼稚な図式主義だったとしても、自然や論理における「弁証法」も「唯物論」的世界観も、対象認識に伴う「模写」の契機も永い哲学史的伝統を踏まえたもので、決してスターリンに悪用されたことによって無効になるわけはないのです。その点決して時流に流されず、あくまで自らの知性で持論を貫いた舩山は尊敬に値します。

 とはいえ近代世界においてマルクス主義が果たした負の役割は甚大なものがあり、その理論的遺産についても徹底した批判が行われるべきでしょう。でもその批判が内在的な批判でなく、しかもそれに代えて登場するのが、より浅薄でお粗末なものであってはいけません。

 舩山の人間学的唯物論では「人間」が身体的存在として捉えられており、身体的存在であることで主体的対象的だとされていました。しかし「人間の身体とは何か?」この点の議論は、感性的存在であるという以上は、それ程展開されていません。

 人間は歴史的、社会的存在であり、巨大な生産・流通・消費機構を持つ存在です。またその他の政治的・文化的・社会的なさまざまなシステムに統合されて存在しており、主体としての意識もその中で再生産されています。その意味で人間は、直接の肉体以外に非有機的身体として自然的、社会的諸事物からも構成されているわけで、意識の内容もそのような諸事物およびその諸関連から産出されるわけです。そうしますと対象的に働きかける主体としての身体に、社会的諸事物や社会構造全体が含まれることにもなります。このような身体概念や人間概念の拡大によって舩山の人間学的唯物論を批判的に継承しようというのが、現在の私の課題なのです。(続く)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study523:120702〕