IPPNW(核戦争防止国際医師会議)ドイツ支部の小児科医、アレックス・ローゼン博士は彼の論文*「WHOのフクシマ大災害リ ポートの分析」の中で、「また、WHOの研究調査には、この原発大災害が人々に及ぼした心理的および社会的影響について何も言及されていない。」と、WHO(世界保健機関)の報告書を厳しく批判しています。確かにローゼン博士が述べたように、フクシマ被災者の方々に及ぼされた心理的そして社会的影響は、大変に重大な問題だと思います。私自身も、「フクシマ被災者の方々に及んでいる、特に心理的なストレスは、私達にとって計り知れないものに違いない。でも、こうした重要な問題について注意を払っている人がいるのだろうか?メディアはどうなのだろうか?」などと、考えをめぐらすことがありました。
そうした中、最近のことですが、この「フクシマ災 害の後:メルトダウン寸前の家庭(After Fukushima: families on the edge of meltdown)」と題された「The Guardian-オンライン」の記事が目に留まりました。記事の筆者、アビゲイル・ハーワース氏は、郡山市に住む、二人の幼い子供を持った「ノムラ夫妻」に焦点をあて、原発災害後、彼等が体験してきた出来事を基に、放射能という有害物のために彼等がこれまでに耐えてこなければならなかった精神的苦難、ストレス、そしてこれからも続いていくであろう不安と憂慮に満ちた彼等の生活を、見事に浮き彫りにしています。
原文へのリンクです。:
http://www.guardian.co.uk/environment/2013/feb/24/divorce-after-fukushima-nuclear-disaster
概説: フクシマ災害の後:メルトダウン寸前の家庭
フクシマ原子力大災害から2年後、ある新たな現象が増加してきている。
英国:The Guardian新聞-オンラインニュース(2013年2月24日付)
筆者:アビゲイル・ハーワース(Abigail Haworth)
もしかしたら、ノムラ・ケンジとアイコ夫妻が、あのバースデーケーキの出来事について、笑える日が来るのかも知れない。
それは去年の秋のことだった。福島県郡山市に住む介護福祉士のアイコは35歳の誕生日を祝っていた。その日、彼女の夫ケンジは、彼の仕事場である郵便局からの帰り道、自分で見つけた、とにかく一番大きなサイズのケーキを手に入れた。ケンジはアイコを驚かせたかったのだった。ケーキにはホイップクリームが詰まっていて、ピンク色をしたバラの花々でデコレートされていた。その時を思い出しながらアイコは、「どうしても、そうせざるを得なかったのです」と言う。「ケンジの顔は微笑で一杯でした。でも、ケーキを見て一番最初に私の口から飛び出してきた言葉が、『クリームは安全なの?』 だったのです。」
ノムラ家の住まいから56キロ離れた福島第一原発でトリプル・メルトダウンが起こった2011年の3月以来、ノムラ夫妻は地元生産の酪農食品やその他の食物を買うことを避けてきている。ケンジ(42歳)はアイコに、クリームの生産地をチェックするのを忘れてしまったことを告白した。「大丈夫だよ。お願いだからちょっと食べてみて。今度だけ、ね。」と、ケンジはアイコに懇願した。しかし、アイコは食べることを拒んだ。彼女は自分の子供たちにもケーキを食べさせようとはしなかった。黙然と、ケンジはフォークを取り出してきて、独りでケーキを食べた。ひとかけらも残すことなく...。2日間、二人は口を利かなかった。
2万人の人々の命を奪い、25年来における世界最大の原子力災害をもたらした、あの東北日本大震災・津波から2年が経とうとしている。ノムラ夫妻が住む郡山は人口33万7千人の、内陸の商業中心地であり、そのすぐ近くにある山々が揺らめいて幽かな姿を見せている。郡山は恐るべき津波を免れることができた。
しかし、フクシマ第一原発で起こった複数の爆発に続き、広範囲に拡散された放射性粒子の雲を逃れることはできなかった。フクシマ原発から大気中に放出された総放射線量は(誰が推算のために資金提供したのかに依るが)、1986年のチェルノブイリ原子力事故中に放出された放射線量の18%から40%であった。ーしかも、人口密度が10倍も高い日本の区域に放散されたのである。原発事故の結果、郡山の放射線レベルは法で定められた限定値よりも30倍から40倍高いレベルに急上昇し、市はセシウムや他の長寿命の放射性核種によって放射能汚染された。そして、これから何十年もの間、郡山市は汚染区域として存在していくことになったのである。
ノムラ夫妻には二人の幼い娘がいる。ー3歳のサクラちゃんと15ヶ月のコトちゃんである。夫妻は災害後の危機を通してずっと、これまでのところは、どうにか自分達の結婚と家族を結束させてきた。しかし、この過去2年間の間、彼等は新しく生まれてくる赤ん坊のために(事故が起こったときアイコは妊娠中で、コトを身篭っていた。)、そして別居を強いられた時期、以前よりも遥かに不健康で不安に感じられる環境での生活に対応していかねばならなかった。
福島中の200万人の住民の家庭生活に及んだストレスは計り知れないものであった。夫婦間の不和が非常に広まっていったため、このような夫婦別れの現象は特別な名称を持つようになった。:「原発離婚」である。
これに関しての統計は未だない。しかし地元の「いわき明星大学」の窪田文子(くぼた・のりこ)臨床心理学教授は、このようなケースが多数あることを確認している。「人々は、低レベルの不安を絶えず持ち続けながら生きています。夫婦関係にひびが現れてきても、彼等にはそれを修復するだけの精神力がないのです。」と彼女は説明する。夫婦間が引き裂かれていくのは、-汚染区域に留まるべきか、汚染区域を去るべきか、放射線の危険性について何を信じたらよいのか、妊娠しても安全なのか、子供たちを守るための一番良い方法は-、などの困難な問題が原因となっている。「このように繊細な事柄についてお互いに同意できないとき、中道というものが見つからないことが多いのです 。」と、窪田教授は付け加える。彼女は心理相談センターでカウンセリングもやっている。
さらに今は、窪田教授が「災害ハネムーン期間」と呼んでいる、惨害の直後に人々が団結してお互いに助け合ってきた時期は終り、長期に亘る心的外傷の段階へと入ってきている。「地域中に、自殺、鬱病、アルコール中毒、ギャンブル、家庭内暴力などの増加が見られるようになってきました。」と心理学者は述べる。子供たちも影響を免れてはいない。2012年の終りには、福島の子供たちが初めて、日本で肥満率第一位にランクした。これには、どうやら「やけ食い・慰め食い」や汚染を避けるため屋内で過ごす時間が過度に長くなったことが理由となっているようである。「精神的健康の観点からすれば、今が非常に重大な時です。」と窪田教授は述べる。
何よりも口に出すのがはばかられることは、福島の市民に対する差別問題が日本社会の中で起こってきていることである。被曝犠牲者に付けられた社会的烙印は、広島、長崎に原子爆弾が落とされた余波として、被爆者たちが仕事をみつけることができなかった、そして女性は「汚染されている」という恐れから結婚することができなかった戦後に遡る。残存している、そのような愚昧な認識不足は決して普遍的なものではないが、それは知らぬ間に進行し徐々に社会へと浸透していくものである。福島からの人々が輸血することから除外されたり、車の窓ガラスを打ち壊されたり、または求職の申し込みの際に体内のセシウムレベルを示す医療証明書を提出するように要請されたりした話がある。
ノムラ夫妻に会うために、郡山市センターから少し外れたところにある木造のレストランに着くと、彼等はちょうど昼食中である。凍りつくような冬の日だが、レストランの中には炭火ストーブがあって、心地よい炒り胡麻の匂いがしている。彼等は畳床に置いてある低いテーブルに向かって静かに食事をしているが、途方もなくあどけなく愛らしい女の子たち、サクラとコトは両親の体のそこいら中をよじ登り這い回っている。
「このレストランは私達にとっての新しいサンクチュアリなのです。」とアイコは言う。「銀河のほとり」と呼ばれるレストランは、以前は日本健康食レストランであったが、現在は体にとって更にもっと良いものを提供するレストランへと変換した。:非放射性が保証された食事である。「ここで食べるとリラックスできます。料理しなくて済みますし、心配もしなくてよいからです。」と、明るい色のセーターとスカーフに身を包んだアイコは語る。「それに、食べ物も美味しいし...。」
豆腐バーガーや黒胡麻パン、オーガニック味噌汁、そしてその他のメニューを作るのに、多大な努力が払われる。質朴風に作られた仕切り壁の裏には、ガンマ・スペクトロスコピー測定器を操作するダイヤルやスイッチの付いたハイテック金属パネルが隠れて置かれてある。それは、産業用サイズの「Magimix(マジミックス-《フードプロセッサーのブランド名》)」に似た外観をしているが、器の目的は致命的潜在性を持つ放射性アイソトープ、セシウム137を検出測定することである。
ブルーのバンダナをしたエネルギッシュな五十いくつのレストラン主、アリマ・カツコは、「測定器に30分間かける前に先ず、全ての食物の皮を剥いて刻まなければならなりません」と説明する。「私達が料理するのに使う全ての食物のサンプルが検査され、そしてまた繰り返して再検査されます。」とアリマは述べる。「労力の要る仕事ですが、私としては、人々がここで食べるときには、何らかの安心感と安らぎを皆に与えたいのです。」
このようなレストランは他に類のないものであるが、同様の測定器を持った多数の市民グループがショッピングセンターに臨時事務所を設けて、そこで人々が食料品から庭の土まで全てを自己検査できるようにしている。「もう誰も政府を信用していません。」とアリマは言う。彼女は、当局によって安全であると断言された牛肉、米、野菜の供給品が、実際には高レベルの放射能で汚染されていたことが分かったと謂う、役人の無能さを示した最近のケースを挙げる。「自分自身しか頼ることができないのです」と言うアリマに、アイコとケンジも同意する。
昼食が終った後、アイコとケンジは、安全に関する、まちまちの情報が原因となって数え切れないほどの口論をしてきたことを私に告げる。「最後にはお互いに大声で叫びあっていました。」とアイコは言う。今、彼等は自分達の健康そして娘たちの健康を自分達自らの手で、出来うる限り、自助努力していくことを約束しあった。「いっそ私達家族全員でここを立ち去ってしまったほうがよいのですが、そうできる経済的な余裕がありません。」と静かに、ケンジは言う。「僕が自分の仕事をあきらめなければならないことになります。今の経済では新しい仕事をみつけるのは難しいのです。」
郡山は他の放射能汚染の影響を受けた多くの市町村と同じように強制避難区域外になる。政府は、原発から30キロ圏内を越えた場所における放射線が健康に及ぼすリスクは極小であると布告し、自主的避難する人々への援助を提供しなかった。「政府は、被災地域をこれまで以上に零落させることになる汚染区域からの大集団移動を誘発することを恐れているのです。」とケンジは言う。
ノムラ家は戸外ではマスクをつけ、歩いていく代わりに車を使う。洗濯物は屋内で乾かし、蒲団も屋内に干す。彼等は水道水、魚類、海藻、酪農食品、地元生産の米を避ける。殆どの市民がそうであるように、彼等も外部被曝量を測定するためのポータブル放射線量計(人気のあるホームブランドは「ミスターガンマ(Mr Gamma)」)を所有している。郡山の殆どの区域は洗ったり表土を取り除いたりすることによって除染されたが、高放射線がまた風雨に運ばれて戻ってくる可能性がある。遊び場から駐車場に至るまでありとあらゆる場所で、新たな放射能汚染が集中した「ホットスポット」が定期的に発見されていることで、憂慮が絶えない。
原子力災害が発生した日の夜、当局スポークスパーソンはリポーターに告げた。:「放射能漏れはありませんし、これから漏れることもありません」と。 水素爆発が始まったときも当局は、事故の過酷度をそれほど重大ではないと主張し続けた。
原子炉(複数)が爆発したとき、ノムラ夫妻は途方もない危機に瀕していた。その時、ちょうどアイコは自分がコトを身篭っていることに気付いていた。まだ妊娠5週間であった。もう一人の子どもを授れるという喜びは急速に、掻き乱された絶望へと変わっていった。「私達は、放射線が特に、未だ生まれてきていない胎児にとって危険であることを知っていましたから、怖さで一杯になりました」とノムラ夫妻は述べる。
政府から引き続き発せられる安心させるような言葉に鎮められたせいもあって、アイコがサクラちゃんを連れて南方へ逃げることになるまでに、およそ一週間かかってしまった。これは、ヨー素131からの被曝を防ぐには遅すぎた。(甲状腺に付着する放射性アイソトープ、ヨー素131の半減期は凡そ8日間である。)
チェルノブイリの子供たちの間で発生した何百という甲状腺ガン罹患ケースの原因はヨー素131にあると信じられている。2013年2月現在、福島の133,000人の子ども達が甲状腺検査を受けたが、その内42%に異常な甲状腺のう胞や結節が見つかった。「3ケースのガン罹患が確認され、他の7ケースには『80%の悪性腫瘍の危険性』を持つガン疾患の可能性がある」と謂う。この問題が、これからも更にエスカレートしていくことは避けられないであろう。サクラちゃんは未だ甲状腺検査を待っている状態である。
アイコはサクラちゃんを連れて大阪の友人の所へ避難した。ケンジは郡山に残った。高度の放射能汚染のニュースがメディアを占めていたその時、アイコはケンジに、彼も郡山を立ち去るようにと嘆願した。「私はケンジに仕事のことなんてどうでもよいからと言いました。私にとってお金のことなんてどうでもよかったのです。」「そしたらケンジは私に対して猛烈に怒り出したのです。」とアイコは述べる。
ケンジは彼が20歳のときから郵便局で働いてきた。:彼はアイコに「自分の同僚を職場に残していくことは同僚を見捨てるようなことじゃないか」と言った。アイコは「郡山に居る何人かの人達は私に、郡山へ戻るようにと圧迫を加えてきました。彼等は、もし死ぬようなことになったら、皆で一緒に死ぬべきだよ、って言うのです。これが彼等の考え方なのです。」と語る。
2011年11月、妊娠期間の末期を迎えたアイコは大阪を去り東京へ移った。首都にはもっと多くの胎児への放射線影響に関する分野での専門家が居た。それにケンジがアイコを訪ねてくるのにもっと近い距離になる。しかし、彼等の3年間の結婚は崩壊寸前の状態にあった。「私達は自分達の結婚をうまく機能させたかったのです。でもそれはとっても不可能に思えました。私達のどちらもお互いの意見を変えようとする心構えがなかったのです。」
-首都にたった独りで、ヨチヨチ歩きの幼児を引き連れて、妊娠の真っ只中にあった原発事故避難者のアイコ-彼女はもう殆ど忍耐の限界点に達していた、とアイコは言う。コトちゃんはお尻に「不思議なアザ」をもって生まれてきたが、そのほかは健康のようであった。アイコとケンジは大いに喜んだ。三日月の形をしたアザは非常に稀であったため10人の専門家が、それを検査しにやって来た。「その中の誰も、このアザが何なのか確定することができなかったのです」とアイコは言う。「お医者さん全員が一度に私の部屋にやってきて...。自分達がまるでモルモットのように思えました。」 専門家達はこのアザに関しての解答を未だ持っていない。
コトちゃんが数ヶ月になったとき、アイコは自分のほうから折れて郡山へ戻った。「子供たちにとって父親から離れているということは、ジプシーのような生活をしているようで、余りにもダメージがありすぎたのです。」 郡山の雰囲気は、アイコがそこを離れた2011年の3月の頃とはかなり違ってきている、と彼女は言う。以前は、米作り、そして魚介類や野菜の生産をしていて、日本における最も豊かな農作地域の一つであったフクシマは、今、経済的復興をしようとして試みている。日本人の社会的相互作用が細かく調整されている社会においては、地元生産の食物を買わないことを認めること、そして放射能に対しての恐れをちょっと口に出すことでさえもタブーなのである。近くにある都市、いわき市には、ウルトラマン・タイプの仮装をした「じゃんがら」と呼ばれるスーパーヒーローがいて、子供たちのための催し物に登場している。「じゃんがら」の大敵は、放射能についての苦情を言い、地域を訪れるのは安全でないと-風評被害を広める-馬鹿者と愚痴っぽ い人 達である。
アイコは、地域を再興させ悲観的な否定性を払いのけたいとする願望は理解できる。-しかし、原発事故が未だに引き起こしている大災害や危険性を軽視する代償を払ってまで、ではない。彼女は政府と東電に対して怒っている。また自分自身にも怒り、福島で原発と結託した全ての人間に対しても怒っている。「私達みんなに責任があります」と彼女は言う。「原発が建設されることに賛成投票したのですから。私達は原発がもたらす物質的利益が欲しかったのです。」 そしてアイコは、彼女の子供たちが将来、子供達自身の問題である風評被害というものに直面するのであろうかという事を、ひどく憂慮している。
更に、ノムラ夫妻が持つ最大の懸念は娘達の実際の健康に関してである。体の組織に浸入しDNAを損傷させる低放射線被曝がもたらす重大な健康被害は、何年間も現れることがない場合が多い。大惨事から2周年目が近づいて、夫妻は彼等が自分達の家族を再建していること、そして彼等の故郷が徐々に甦ってきていることを嬉しく思う。しかしまた、時の経過というものは好ましくない意外な展開をもたらす。
「原発事故から完全に回復することは不可能です。」とアイコは言う。「災害の周年日がくる度にケンジと私は思うことでしょう。:「この年には、私達の娘達の内の一人が病気になるのだろうか?」と。
(ノムラ夫婦の娘たちの名前は彼女たちのプライバシーを守るために変えられている。)
以上
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(注)*「WHOのフクシマ大災害リポートの分析」へのリンク:
http://www.fukushima-disaster.de/fileadmin/user_upload/pdf/japanisch/WHO-Analysis_Alex-Rosen-IPPNW_Japanese.pdf
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye2228:20130408〕