英語の学校へ-はみ出し駐在記(56)

スマホや電子辞書など考えられなかった時代、辞書は紙の辞書だった。机の上で使う辞書はいくら小さくても、出先で立って使うには大きすぎる。豆単では心もとない。当時、携帯用英語辞典といえば三省堂の『GEM』が定番だった。日々の持ち歩きに耐える装丁をと思えば革張りになる。ちょっと高いがしょうがない。

 

明日にもニューヨークに赴任しろという赤紙のような辞令をもらって、一週間で荷物を整理して慌しく赴任した。そのためだけではないが、『GEM』を買い忘れた。下宿や車のバタバタも落ち着いて、日本の本屋で『GEM』を取り寄せてもらった。これで分からない単語が出てきても、慌てることもなくなるだろうと期待して、ズボンの後ろのポケットに入れて歩いていた。

 

実際持ち歩いてみると、必携の『GEM』はろくに役に立たない。革張りの装丁で立派に見えるが、中味は豆単に毛の生えた程度で、単語が載っていたとしても単語の使い方が分からない。定型化した筆記試験なら語彙さえ多ければなんとかなるかもしれないが、英語での日常生活には何の足しにもならない。

 

ポケットに入れて歩くのさえ面倒になって使わなくなってしまった。分からないことがあれば、辞書など引くより訊いてしまった方が早いし、間違いない。フツーはそう思うだろうし、そう思っていた。ある程度のところまでは、そうして言葉を拾えばいい。

 

言葉を拾うための最低条件は、恥ずかしがらずに人に訊くことと、聞いたことをなんとか理解(想像?)することだろう。会話の流れに棹さすことなく、分からないことを訊いて理解できるようになれば、あとはどれだけ色々な意味のあるケースに遭遇できるかになる。

 

夕方の英会話学校では、六クラスの下から二番目のクラスにいた。その程度の者がポンとアメリカにきて、アメリカ人の日常会話についてゆける訳がない。たとえアメリカ人と話ができるようになっても、それは相手がこっちに合わせて話をしてくれるからであって、アメリカ人同士の話には入ってゆけない。どこか学校に行ってきちんと英語を勉強しなければと思うのだが、どうしたらいいのか分からなかった。

 

ボブ(下宿の前の住人)が、週末にジャック(下宿の大家)の芝刈りの手伝いをしたりして英語を拾ったと言っていたのを思い出して、大家と話す機会を増やした。

 

ある日、辞書を引くのも面倒で、ジャックに「everythingは単数名詞か複数名詞か?」と訊いた。(その程度の英語のレベルだった) &nbspジャックが「Everything is」「Everything are」「Everything will」「Everything has」。。。何度かもごもご繰り返して「Everything is」だと教えてくれた。「じゃあ、everythingは単数か?」と訊き返したら、自信がないのだろう、またもごもごを繰り返して、今度は「Everything will」だと言う。「それは未来形で単数か複数かという問いに対して答えになっていない」と言ったら、またもごもご繰り返して、一階にいるおばさん(ジーン)を呼んだ。ジーンに確認して、「Everything is」と教えてくれた。

 

当時、今も大して変わらないだろうが、アメリカでは高校卒業者(義務教育終了)の十パーセント近くが、氏名の他に何かちょっと何か書ける程度で文盲に近いと言われていた。英語の不自由な日本人が聞いていると、立派なとまではゆかないにしても、ちゃんと英語で話しているように聞こえる。それでもジャックのようなアメリカ人がフツーにどこにでもいる。どの程度の英語なのか、ちょっとした文章を書いてもらえば分かるが、会話からでは分からない。日本人でも教養のある人なら分かるのかもしれないが、油職工崩れには分からなかった。

 

ジャックに週末通える英語の学校がないかと相談した。近くの高校で開かれている市民講座を見つけて、相談に行ってくれた。出張から帰ってきたら、「あの講座は移民してきたばかりの人たち向けのもので、トムにはレベルが低すぎてダメだ」「もうちょっとレベルの高い講座を探してみるから、ちょっと待っててくれ」と言われた。「急ぎでもなし、そんなにムキになって探さなくてもいいから、適当なのがあったら通いたい」と伝えた。

 

数週間後にNassau Community Collegeの土曜日の英語講座を探してきてくれた。翌週の土曜日、早速ジャックに連れられて担任講師に相談に行った。なぜそこまで熱っぽくと思う口ぶりで「トムは話すのは今一だが、文章はしっかりしている」「単語があるべきところにある文章で、オレよりいい」と紹介してくれた。あるべきところにある?何を言わんとしたのか後でわかった。ジャックはgrammarという単語を知らなかった。

 

土曜日だけの英語の講座だが、そこはコミュニティカレッジ、学生登録やらなんやら入学手続きをして、聴講生でしかないが大学生になった。しっかり勉強しなければと何回か授業に出てがっかりした。クラスはもう何年もアメリカに住んでいる外国人で、日常会話にはたいした不自由はないが、文章を書くのはまだという人たち向けだった。

 

毎週トピックを与えられて、エッセイを書いてくる宿題がだされた。出張先のモーテルで文法の参考書も見ながら一所懸命書いた。提出されたエッセイから講師がいくつか選んで、エッセイの構成から始まって、ここはという箇所を選んで文法や表現方法を懇切丁寧に説明してくれた。大したことが書けるわけでもないが、クラスのなかで最もきちんと文章を書ける一人だった。書いてきたものを教材として使われるのはいいのだが、日常会話の修得には間接的な効果しかなかった。

 

会話をおろそかにした日本の英語教育のひずみのせいで、アメリカで英語を勉強しようとしたときに、適当な講座が見つからない。高校までなら六年、大学まで行っていれば教養課程も含めて八年も勉強してきたのに、日常会話がままならない。それをアメリカ人に話すと、そんなに何年も勉強してきて、なぜフツーの日常会話が不自由なのかと不思議がられる。

 

日本の英語教育-先生も含めた関係者の責任だと思う。文字を持たない民族もいることを思えば、言葉は聞いて話すことがベースにあって、読み書きはその上に乗っているものだろう。こんなところで愚痴ったところで何にもならないが、英語教育のエライ先生方、高尚な反論(正論?)でもおありかな?わけの分からん御託やいい訳は聞きたくないが、反論があるのなら是非聞かせてもらいたい。

 

日常会話のレベルを上げようとして通い始めたが、大した効果もないし、三ヶ月も経たないうちに行かなくなってしまった。行かなくなって数週間後には、大学のコンサルタント担当者から電話がかかってきた。ドロップアウトを救い上げる専任の担当者までいて、一度相談にきて欲しいと丁寧な電話を何度か頂戴した。組織化されたアメリカの教育体制では、ドロップアウトするのも楽じゃない。

 

我流の悪い癖がついてしまうと、矯正するのが大変で手間もかかる。日本の英語教育、言語を習得するという本質を教える側の都合で無視した、国を挙げての我流と言っても言い過ぎじゃないだろう。グローバリゼーションが進むなか、我流でしか存在し得ない英語教育の関係者やそのありよう、言ってみれば英語教育のガラパゴスの珍獣じゃないか(失礼)?珍獣の一例が実用英語技能検定だろう。絶滅危惧種に指定されるようなことはないだろうが、利権もあるだろうし、絶滅した方が社会のためだったとしても、そうそう簡単に絶滅するとは思えない。次の世代の若い人たちの貴重な時間が、珍獣どもの都合で無駄に使われるのだけは防ぎたいのだが、。。。

 

p.s.

六十年代から七十年代にかけて、アメリカのリベラルな若い人たちのなかには、大学でではなく『Monthly Review』で国際政治や経済学を勉強したといっている人たちもいると、多分『世界』の記事だと思うが、読んだ記憶があった。

 

大きめの本屋をみつけては『Monthly Review』はないかと聞いたが、どこでもそっけなく知らないと言われた。ある日マンハッタンを歩いていたら、学問の雰囲気をきどった古めかしい店構えの本屋があった。ここならあるかもしれないと思って訊いたら、吐き捨てるような口調で、「うちはRed bookは置いてない」と言われた。『Monthly Review』があることは確認できたが、どこに行けば手に入るのか分からなかった。

 

コミュニティカレッジに入学したときに、図書館の使い方の説明があったのを思い出した。図書館で見つけて、裏表紙にあった発行所の電話番号をメモした。職工になりそこなった日本人が電話するようなところじゃないんじゃないかという気後れもあったし、電話では話が通じないかもしれないという不安もあって電話するのをためらった。

 

何度もメモを見てはどうしようかと思っていたが、最後は話が通じなくても、もともとじゃないかと電話した。丁寧な言葉でゆっくり話してくれた。会員制だった。恐れ多くて正会員を躊躇して賛助会員になった。くすんだ赤い表紙の小冊子のような『Monthly Review』が下宿に届くようになった。確かにそれはRed bookだった。最初の一冊目を手にして嬉しかった。油職工崩れがこんなところまでこれたのかと、なんと言っていいのか分からない高揚感があった。でてくる単語に難しいものはあったが内容は平易だった。小説などよりよほど分りやすい。帰国してからも何年間は『Monthly Review』を送ってもらっていた。

 

コミュニティカレッジ、英会話の勉強にはならなかったが、『Monthly Review』を購読できるようになったのが成果だった。

 

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion5727:151016〕