荊州便り―気ままな写真日記(3) お見舞いをもらった!

著者: 土肥誠 どひ まこと : 中国長江大学教員
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<お見舞いをもらった!>         

3月11日、東北地方を中心に襲った地震は、過去最大級だとニュースで見た。地震直後に私が見た「中央電子台」という中国で最大のテレビ局のニュース番組は、日本の地震をトップニュースで流していた。            

地震のニュースを知って、大勢の学生たちが私の知り合いの安否を気遣うメールをくれ、おまけに、お見舞いまで持ってきてくれた。安全地帯にいる私がお見舞いをいただいて恐縮であるが、お見舞いをくれた学生たちへのお礼を込めて、今回は被災された方々や復興に向けて頑張っておられる方々に対する彼ら、彼女らの気持ちをぜひとも知っていただきたく、投稿する次第である。「日本の人たちを心配している」、「四川地震では助けてもらったので、今回は自分たちが何かしたい」、「早く復興してほしい」など、学生たちは私の家族や知り合いとともに、日本の多くの人たちに向けてエールを送ってくれた。お見舞いをもらったのはたまたま私であるが、このお見舞いは、実は日本で被災された多くの人たち、復興に向け努力されている多くの人たちにむけて送られたものだと私は考えている。そんなわけで、私は今回のお見舞いを何らかの形で報告すべきであると考えた。そして、ハタと思いついたのがこの「ちきゅう座」だったわけである。したがって、今回は学生たちのお見舞い報告が中心となる。      

前回の「荊州だより」の最後に、次回は上海に行った話を書くと予告したが、急きょ予定を変更する。ただし、私の頭の中が単純なせいであろうか。読み進めていくとかなり能天気な文章になっていると思うが、これは被災された方や復興に向けて頑張っていらっしゃる方々に対し、何らの他意を持つものではない。今回の地震で被害を受け、復興に向け努力している日本の皆さんに対する学生たちの思いを知ってほしいのである。文章力のない私のこと、なにとぞご寛恕願いたい。          

ともあれ、まずは今回の震災で亡くなった方にお悔やみを申し上げるとともに、被災された方々には心からお見舞いを申し上げる。また、被災地域をはじめとして、日本各地の一日も早い復旧を心から願っている。         

<ニュースで地震を知る>          

 荊州市にあるテレビ局とラジオ局から、先日発生した地震のことでインタビューしたいという話が来た。正直びっくりした。そういえば、長江大学に3人いる日本人教員の他に荊州で日本人を見たことがない。日本の様子を取材したいのであれば、まあこの3人の誰かだろう。そう考えて、引き受けることにした。ラジオ局は20分ほど、テレビの方は1時間ちょっとのインタビューであった。インタビューの内容自体は、今回の地震で家族や知り合いが被害を受けたか、今の状況はどうなっているのかというようなことが中心であった。私の親類縁者のほとんどは、幸い住んでいるところが関西なので無事であった。仙台在住の学会や研究会等でお世話になっている先生方ともなんとか連絡がとれた。長江大学の学生諸君にはお見舞いまでいただき、中国からの救援隊派遣にも感謝するといったようなことを答えておいた。インタビューを受けた日の夕方に荊州の地方局で放映されたようである。          

 日本の地震を知ったのは、インターネットであった。たしか、食堂で夕食をとって宿舎に戻り、インターネットを見たときだったと思う。日本で地震が発生し、甚大な被害が出ているという一報であった。その時はそう深刻なものだとは思えなかった。日本では地震はよくあることだし、第一甚大な被害とはどれだけの被害かがわからない。しかし、情報が入ってくるにつれて「これは大変なことになった」という恐怖と心配が私の全身を襲ってきたのである。      

 早速私の弟にメールをした。幸い、彼の生活する関西地方は、地震の影響は無いに等しかったとのこと。この直後から、日本へのメールはつながりにくくなった。それでも根気よく早朝深夜の時間帯を利用しながらメールを打ったところ、知り合いが多く住む東京の八王子、さらに都心部や神奈川県でなどでも交通機関は麻痺してはいるものの、少なくとも私の知り合いの地域では家屋倒壊等の甚大な被害はないらしいことがわかった。地震発生当初は、東京などでも食料などの日用品が不足し、停電も頻繁に起こって不安な日々だったとのことであった。         

 とりあえず、私は親族や知り合いが無事だったことに安心した。その後、地震発生の日から週明けまで、私は東北や北関東の被害状況や被災者の状況、私の日本の住居がある東京など各地の状況を知るため、私はインターネットにかじりつくことになったのである。          

<加油東北!加油日本!>          

 地震が起こった日から、震災の情報を得ようとインターネットにくぎ付けになっていると、学生から日本の家族の安否を心配する電話やメールが入るようになってきた。ひとつひとつ丁寧に私の家族は無事であることを伝え、安心してもらった。そしてその翌週の月曜日、学生たちがそろってお見舞いの品をもって来てくれた。「日本の被災者の方々のご無事をお祈りします」、「震災に負けずに頑張ってください」、「日本は、かならず復興すると信じています」等々、励ましの言葉をもらいつつお見舞い品を手渡してもらった。(写真15)           

ここで少しばかり説明しておこう。長江大学文理学院外語学部は、各学年3クラスある。語学クラスのため、いわゆる大教室で講義をすることはない。私は、2年生と3年生の計6クラスの日本語関連授業を担当しているのだが、6クラスすべてのクラスからお見舞いをいただいた。ちなみに、中国の大学では、クラスを1組、2組と言わず、1班、2班という言い方をする。             

2年生の1班からは、しゃれた瓶の中に折鶴の入ったお見舞いをもらった。(写真16)渋めの色の瓶に色とりどりの千羽鶴が入っている。きっといろいろな店を回って探してきてくれたのであろう。         

2班からはイルカの彫刻が入った置物と寄せ書きの日記帳をもらった。(写真17)横にあるスイッチを入れるといろいろな色の光が出てきて、一定時間が経てば色が変わっていくというすぐれもの(?)である。           

       

(左 写真15。 中 写真16。 右  写真17。 )        

イルカの上に「祝福」という文字が見える。日本では祝福といえばめでたいときに使う言葉であり、震災のお見舞いに祝福とは何事だと思われる向きに、少しばかり説明しておかなくてはならない。中国語の拙い私が説明するのは内心忸怩たるものがあるが、『中日辞典 第2版』(小学館)によると、中国語で「祝」という文字は、「心から願う」、「祈る」という意味があるようで、さらに祝福という言葉を見ると「祝福你一路平安/道中のご無事を祈ります」という用例が載っている。すなわち、お見舞いの置物にある「祝福」という文字は、「被災者の無事と日本の復興を祈る」という意味に解釈すればよいのである。       

 日記帳のほうは、クラスでの寄せ書きであった。日本で被災した人を思いやり、復興を願うという内容のことが数多く書かれていた。       

2年生3班からは湖北省の名物であるお菓子をもらった。(写真18)きなこをベースに砂糖を加え、果物や野菜などを練り込んだものであろうか。いろいろな種類のお菓子が入っている。裏側は湖北地方の名所の絵がかいてあり、食べてしまうのが惜しいくらいである。(写真19)中身はというと、四角く切られて小分けされ、銀のパッケージで包まれている。(写真20)ためしに食べてみると、きなことあまり甘くない砂糖、そして練り込んだ果物などが口の中で混然一体と溶け合って、なかなかおいしい。まあ、これは置いておくと悪くなることが確実なので、日本を代表して(!)私がいただくことにする。
2年生だけでなく、3年生からもお見舞いの品をもらった。3年生1班は、ピアノ型のオルゴールであった。下の方についているねじを回すと、ベートーベンの名曲「エリーゼのために」が流れてくる。(写真21)少しばかり値の張りそうな代物であるが、小遣いの方は大丈夫だったのだろうか?話が脱線して恐縮であるが、中国の大学生は日本の大学生と違い、アルバイトをする人は少数派である。前回の「荊州だより」で書いた通り、学生は朝から夜まで勉強しなくてはならないので、学業以外のことにそんなに時間が割けないのである。もっとも、学生の学習意欲も日本の学生とは比較にならないくらい高い。みんな自主的に夜まで勉強している。まあ、大学にいる限り学内の寮に住んで、食事は学食で安く済ませ、遊ぶ時間もそんなにないとなれば、おそらくそんなにお金を使うこともないとは思う。しかし、だからといってお見舞い品を買うためには若干の出費は免れまい。ちょっと彼らの懐具合が気になるといえば、気になる。(写真22)        

      

(左から 写真18 写真19  写真20 )     

      

 (左 写真21   右 写真22 )   

3年生2班は、大きな豚のぬいぐるみであった。(写真23)この豚のぬいぐるみには、いわくがある。四川大地震の時、飼われていた1頭の豚が突然豚舎を逃げ出した。そこに地震が到来。豚舎は崩れ、飼われていた豚はことごとく豚舎の下敷きになって死んでしまった。ところが、その直前に逃げ出した豚だけは、豚舎の下敷きにならずに生き延び、今もちゃんと生きているそうである。これにちなんで、この豚に関係するものを持っていれば震災から逃れられると言われるようになり、「震災を跳ね返して復興してほしい」との思いを込めて彼女らはこのぬいぐるみをくれたのである。幸運の豚のいわれを書いたものを、学生がぬいぐるみのラッピングに貼ってくれていた。しかし、この幸運の豚のぬいぐるみ、かなりデカい。私の宿舎にあるソファに座らせてみたのだが、その大きさがわかるであろう。帰りに宿舎まで持って帰るのが大変だった。持って帰ったというより、抱えて帰ったというほうが正しい。しかし、よく見つけてくるものである。         

一転して、3年生3班の諸君は手紙をくれた。「日本の地震を知り、心が重くなった。はやく復興して立ち直ってほしい」というようなことが書かれてあった。みんなで辞書を引きながら一生懸命に書いてくれたのであろう。ありがたく受け取った。(写真24)       

 おそらく、各クラスが全員で小遣いを出し合って買ってくれたり、時間をかけて書いてくれたりしたのであろう。頭の下がる思いである。       

         

(左 写真23 右  写真24 )      

<鶴に願いを>        

 お見舞いをくれたお返しというわけではないが、お見舞いを持ってきてくれた後、時間に余裕のある学生たちには、私の宿舎の部屋で日本のお茶をご馳走した。(写真25)まあ、私のお茶はお見舞いの品に比べればたいしたことはないのだが、ちょうど実家がある宇治市からここ中国に持ってきたお茶があったので、お礼に淹れて出すことにした。学生に聞くと、全員日本のお茶は飲んだことがないという。それならばと、学生に日本のお茶をふるまったのである。「日本で宇治茶というのは高級なお茶なのだ」という講釈をたれつつ、人数が多いので紙コップでふるまった。もちろん、私の財力では宇治茶とてそんな高級な品が買えるわけはないのであるが、それでも宇治茶に関する一応の説明だけはしておいた。みんな「おいしい」とは言ってくれたが、中国のお茶に比べ少し味が薄いようであった。私の宿舎の部屋でお茶を飲みながら、みんなでひと時をすごした。
 
 この日の夕方、3年の学生から電話がかかってきた。渡したいものがあるということだったので、それでは夕食を食べながらということにして出かけて行った。そこでもらったのが、例の幸運の豚である。文理学院正門で待ち合わせをしていたら、昼に宿舎でお茶をごちそうした黄君たちとバッタリ会ったので、誘って一緒に食事をすることにした。おいしい料理を食べながら、ビール片手にいろいろな話をした。余計なことではあるが、もちろん、食事代は私が支払った。(写真26)     夕食を終え、幸運の豚を抱えて宿舎に戻った。夜10時も過ぎたころだろうか。突然2年の王学瑋さんから電話がかかってきた。渡したいものがあるので、これから私の宿舎に来たいというのである。夜10時過ぎに何だろうと思いながらとりあえず待っていると、王さんと趙靓さんがほどなくやって来た。有志で千羽鶴を折ったので受け取ってほしいという。(写真27)授業が終わってから、わざわざ有志で千羽鶴を折って持ってきてくれたのであった。王さんたちの心からのお見舞いを、私はありがたく受け取った。(写真28)         

       

(左 写真25 右 写真26)      

  
(左 写真27 右 写真28)

  

<熱いまなざしの中で>   

 心配してくれているのは学生だけではない。長江大学の中国人の教員や事務の方々からも心配しているという言葉を多くいただいた。国際交流合作処という我々外国人教員の人事や待遇面を担当する事務の方からは、地震の後早速お見舞いの電話をいただいた。いつも酒を買いに行く商店のご主人は、ビールを買いに来た私を見るなり、お前の家族は無事だったのかと聞いてくれたし、近所のスーパーの店員さんも日本の地震を報道した新聞を見ながら、大変なことになったねぇ、と心配してくれた。たしかに、私が今回書いたことは、一地方都市の一大学のまわりの、私の近辺でのできごとにすぎないかもしれない。完全に主観的な物言いで恐縮だが、少なくとも、日本で起こった地震を荊州の人たちは大きな関心を持って見ている。中国最大のテレビ局である中央電子台も日本の地震をトップニュースとして扱い、今でも被災状況や原発事故の情報などを流しているのであるから、中国全土で今回の地震の関心は高いはずである。     

 日本の外から恐縮であるが、被災地の皆さんは、どうか希望を持って災害を乗り越えていただきたい。悲しみや不安を乗り越えて、復興を果たしていただきたい。ぜひとも、元気な街、活気のある地域へと再生を遂げていただきたい。海の向こうの大陸からも、被災の心配と復興への声援は起こっているのである。      

さて、今度は私が彼ら学生にお返しをする番である。私ができるお返しとは、おそらく授業をしっかりとやることであろう。わかりやすく、教える内容に妥協がなく、おもしろい授業を心掛けなくてはならない。「说起来容易,做起来难(言うは易く、行うは難し)」である。トホホ…。      

*写真はすべて筆者の撮影である。素人ゆえ、写真撮影が下手なのはご了承願いたい。      

 ただし、(写真15)は学生の王学瑋さん撮影。      

*学生諸君の名前は、勝手ながら中国の簡体字から日本の漢字に直させてもらった。ただし、日本語に変換できない名前はそのままにした。日本の読者諸賢に読みやすくするためである。学生諸君もご了承願いたい。      

*今回写真に登場してくれた学生諸君、登場はしなかったがお見舞いや励ましの言葉をくれた学生諸君や大学の教員、職員の方々、荊州市の人たちに心から感謝する。     

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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