藤沢さんの「素朴な不安」にうまく答えられるか分かりませんが分かりませんが答えてみます。
ミクロ経済では貨幣は消費すればなくなりますが(家計はその典型例)、マクロ経済においては貨幣は消費してもなくなりません。経済活動によって主体間を移動するだけで、つまり経済主体間を循環するだけでなくなりはしません。
仮に前者をミクロ経済原理、後者をマクロ経済原理とよんでおきましょう。
国の財政はマクロ経済原理が適用されますから、それを説明するためにミクロ経済原理が適用される家計を例に出すのは間違いです。
国の財政というのは、〈国民からお金を集め国民に分配する作用〉ですから、それによって、お金(貨幣)がなくなるということはあり得ません。
現在では、租税と貸出(国債の購入)が国民の支出となり、事業費と借入返済が国の支出となっています。
国民の支出が租税50・貸出50で、それを事業費50、国債返済50に分配すれば、国民の純資産も国家の債務も変わりません。
現在の国の借金1000兆円というのは、集めた額以上に支出(事業費としての支出)をした結果です。そしてその支出は事業費として国民へ分配され、国民の資産として蓄積されています。その額は1000兆円です。
仮に、国の債務が1000兆円増え2000兆円になれば、国民の資産も同じく1000兆円増え4000兆円になります。
したがって、「財政赤字を積み上げて国債を発行して、どこまで積み上げられるのでしょうか。発行され続ける国債をいつまで国内で消化できるのでしょうか」という問いには、どこまでも積み上げられる、国内で消化できる」という答えになります。
もっとも、そのような限界的な説明はここでは必要ないでしょう。
そのうえで、「積み上げられた借金は国民全員のものですが、資産国家といわれる資産は一部の人たちももの、あるいは一部の人たちが管理しているもので、国民全員のものではないでしょう」という問いは貴重なものだと思います。
ここで大事なことは、富裕層に偏った流れにならないように、お金の流れを調整する必要があるということです。税金にはどこからどこへお金を流すかを調整する作用があります。税金が必要な理由はそこにあるといえます。
小泉改革以降の新自由主義的税制政策は、消費税を導入、増税し、法人税を減税し、所得税の累進性を軽減し、政府の財政を均衡させるというものですが、これは完全にすべきことの逆の政策でしょう。