裁判員制度が施行されてから1年5カ月余りの時を経て、ようやく、というか、ついに、市民が市民に対して死刑を宣告するか否かの判断を迫られるときがやってきた。
日本では市民の大多数が死刑制度に賛成していると言われるが、その根拠として挙げられるのが、各種世論調査において死刑存置やむなしをいう回答が約8割にのぼるという事実である。このような数値にどれほどの意味があるのか自体疑わしいが、それは措くとしても、この数値は、自分が裁判員なった場合でも、被告人に対する刑罰は死刑がふさわしいと思えば躊躇なく死刑判決に賛成できる人が8割いるということを意味しないだろう。死刑制度があることを承知のうえで裁判官という職業を選んだ人と違い、一般の人がいきなり裁判員に選ばれ、判決を下せ、と言われた場合、仮に被告人が有罪であることに一点の疑いもなく、またその罪状と過去の判例から死刑は免れないと思うような場合でも、死刑判決を下すことに何の躊躇も葛藤も感じない人は少ないのではないだろうか。まして、死刑にするか無期懲役にするか人によって判断が分かれ、一人の人の中でも判断に迷うような場合はなおさらだろう。裁判官・裁判員の評議において、死刑と無期懲役に意見が分かれ、最終的な評決で多数決により死刑判決が決定した場合、無期懲役に賛成した人も、死刑判決に対するいわば「連帯責任」を負わされるだけでなく、裁判員法により死ぬまで評議の秘密を守らなければならないため、自分が死刑に反対だったと周囲の人に告げることすらできない。もしも評議の秘密を侵した場合は、6か月以下の懲役刑か50万円以下の罰金刑に処せられる(裁判員法108条)。さらに極端なケースでは、一人の(あるいは少数の)裁判員は無罪の心証を持ったにも拘わらず、多数決によって死刑判決に決定したような場合(さらに極端なケースでは、処刑後に冤罪が判明したような場合)、無罪の心証を持った裁判員はいかばかりの葛藤・心痛を被るのだろうか。実際、死刑判決が確定した後に再審で無罪を勝ち取った事件は免田事件や松山事件など何例もあるし、足利事件のように懲役刑から再審・無罪になった事件を加えれば、冤罪事件の数は飛躍的に増えるだろう。もちろん、事件の当事者や関係者が冤罪を訴えているにも拘わらず再審請求が通らない事件も数多い。その一つである袴田事件の第1審(1968年9月11日)で無罪の心証を持ちながら裁判官の合議で敗れ、死刑判決を書いた熊本典道元裁判官の人生は壮絶だ。
九州大学在学中に司法試験にトップ合格した熊本氏は、1966年11月、福島地裁白河支部から静岡地裁に転任になった直後に袴田事件の担当裁判官になる。このとき熊本氏は29歳、他の2人は59歳の石見勝四裁判長と39歳の高井吉夫判事補だった。袴田事件とは、同年6月30日に静岡県旧清水市で味噌製造会社専務宅で一家4人が惨殺・放火された事件で、同社従業員で元ボクサーの袴田巌氏が容疑者として逮捕・起訴された事件である。袴田氏は逮捕から20日間連続で1日12時間から16時間という異常な長時間にわたって威圧的な取り調べを受けたうえ、自白調書が45通もとられ、その供述内容が激しく変遷するなど極めて不自然であるばかりか、検察は犯行時の着衣をパジャマと断定していたのが、事件から1年2カ月もたってから血のついた5点の衣類が工場内のタンクから発見され、その5点を犯行時の着衣と変更するなど不審な点が多く、熊本裁判官は無罪と確信していたにも拘わらず、死刑を主張する他の2名の裁判官を説得できず、自ら死刑判決を書く破目に陥ったのである。この一審の死刑判決は、東京高裁が被告人の控訴を棄却し、1980年には最高裁も上告を棄却したため、このまま確定してしまう。熊本氏は死刑判決を書いた翌69年4月に裁判官を辞め弁護士に転身、一時は売れっ子弁護士として高収入を稼ぐが、無実の人に死刑判決を言い渡した自責の念は消えず、酒におぼれ、2度の離婚を経験し、1995年には弁護士登録も抹消し、自殺をしようと全国を彷徨ったらしい。2006年春、ホームレス同然の状態になっていたとき、一人の女性と知り合い、一緒に生活をするうちに袴田事件のことを告白、それが元となって2007年2月、報道ステーションで報道され3月9日には衆議院議員会館で初めて公的に謝罪した。もちろん、熊本氏がこのような人生行路を歩まねばならなくなったことに袴田事件がどの程度影響しているのかは本人を含め誰にもわからない。しかし確かなことは、彼が事件から40年以上も苦しみ続けたことである。
熊本氏は自らの意思で裁判官になり、死刑制度そのものには反対の立場ではなかったが、自分の意思に反する死刑判決を出したことで生涯苦しみ続けた。もちろんそこには彼個人の性格も関係していよう。しかし、今後、死刑判決と向き合うことになる裁判員の中には様々な人がいるだろう。死刑制度を含め、あらゆる殺人に絶対反対という人もいるだろう。また、「汝、裁くなかれ」という聖書の言葉を忠実に信仰している人もいるかもしれない。そのような人たちに多数決での死刑判決もありうる裁判員裁判への参加を強制したうえ、評議の秘密は一生口外するなと刑罰で威嚇することは、意に反する苦役からの自由(18条)、思想・良心の自由(19条)、信教の自由(20条)、表現の自由(21条)などを保障した憲法にも抵触する恐れがあるのではないだろうか。ところが、裁判員法は「良心の自由」に基づく辞退を認めていない。それでは、死刑制度に反対であるとか、人を裁きたくないなどの理由で、どうしても裁判員になりたくない人はどうすればいいのだろうか。私の考えを言えば、合法・非合法のあらゆる手段を使って、裁判員に選ばれるのを回避すればいいと思う。まず、裁判員の候補者に選ばれた人には、裁判所から裁判員選任手続への呼出状と質問票が送られてくるので、質問票への回答や、裁判員選任手続での質問に対する回答において、死刑制度には絶対反対である旨を表明する(あるいは逆に、被告人は絶対死刑にしようと思うと答える)など、裁判所に「不公平な裁判をするおそれがある」人物であると思わせるような回答をすれば、めでたく裁判員に選ばれない可能性が高いだろう。あるいは裁判員法第16条および「裁判員法第16条9号に規定するやむを得ない事由を定める政令」に列挙された辞退事由のどれかに該当することを強弁して辞退する、あるいはそれでも辞退が認められず、裁判員に選ばれてしまった場合は、公判期日2日目に病気で欠席する旨裁判所に連絡すれば、裁判員を解任されるだろう。
また、裁判員は引き受けたものの、自らの意思に反し、納得できない判決(死刑判決に限らない)が出てしまった場合、裁判員は勇気をもって、(個人のプライバシーにわたらない範囲で)どんどん「評議の秘密」を公表してほしい。そうでなければ、裁判員裁判の問題点が明らかにならず、制度を改善もしくは廃止することもできないだろう。もちろん、「評議の秘密」を侵した裁判員には刑罰が科せられる恐れがある。しかしこのような刑罰規定はそれ自体憲法に違反している疑いが極めて濃厚なので、是非処分の無効を訴えて裁判で争って欲しい。そのような裁判員制度の違憲性を問う訴訟が続出すれば、国会も制度の見直しに動かざるを得ないだろう。裁判では是非裁判員制度の憲法適合性を徹底的に検証してもらいたいものである。
<参考文献>
小田中聰樹『裁判員制度を批判する』(花伝社、2008)
高山俊吉『裁判員制度はいらない』(講談社α文庫、2009)
小田中聰樹『冤罪はこうして作られる』(講談社現代新書、1993)
浜田寿美男『自白の心理学』(岩波新書、2001)
尾形誠規『美談の男――冤罪 袴田事件を裁いた元主任裁判官・熊本典道の秘密』(鉄人社、2010)
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