西サハラの世界史的位置を考える――トランプの置土産を眺めつつ

著者: 板垣雄三 いたがきゆうぞう : 東京大学名誉教授
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*これは板垣雄三先生がオンラインセミナーで行われた講演のレジュメです。ここに先生のご許可を頂き掲載するものです。レジュメと、実際の講演ではずい分違っているかと思いますが、アラブ問題理解のために、皆様方のご参考に供したいと存じます。(編集部)

西サハラ・オンラインセミナー「西サハラは誰のものか? トランプ外交の負の遺産を越えて」2021/3/6[土]15:30~

主催:西サハラ友の会 共催:特定非営利活動法人 アフリカ日本協議会、科学研費補助金基盤研究(A)「トランスナショナル時代の人間と〈祖国〉の関係性を巡る人文学的・領域横断的研究」(代表:岡真理)

西サハラの世界史的位置を考える――トランプの置土産を眺めつつ

板垣 雄三

A]「西サハラ問題」解決への前進を阻んでいるのは何か

 新郷啓子『抵抗の轍 アフリカ最後の植民地、西サハラ』、インパクト出版会、2019年11月.

欧米中心主義の終局 そこで再検討を迫られる思考法

2021年2月国際刑事裁判所ICC襲う激震 パレスチナをめぐる戦争犯罪裁判着手決定

主任検察官交替 Fatou Bensouda(ガンビア)→6Karim Asad Ahmad Khan(英国)

加盟国会議[会長O-Gon Kwon]の選挙で[アイルランド、スペイン、イタリアの候補者を押さえ]

 国家の裁判権免除法理と国際人権法との衝突 元徴用工の賠償請求 韓国大法院判決と日本国

 国際法 条約・使節・公館・旅券・Capitulations(対仏1536、対英1579) イスラーム法スィヤル

 主権・法人 国際司法裁判所ICJによる西サハラの帰属根拠の調査 バイア/ザーヒル

 国際連合、国民国家の虚像 とぐろ巻く植民地主義・人種主義・軍国主義

               Rogue state(ならず者国家)、構造調整、regime change

             旧宗主国の領域ごとのナショナリズム(変形cuius regio, eius religio)

■パレスチナ問題に振り回される世界における西サハラ問題

  トランプが暴露したモロッコ国家とイスラエル国家の共同利害 問題持続と治安支援

  隠微だが大規模なイスラエル移民送出、モサドの活動受容、ベン・バルカ誘拐事件

  オスマン帝国から/また中東諸国体制から/別置されたモロッコ その特殊な位置

  サハラウィが抱えるパレスチナ人とは異なる条件(被占領・分断・難民化・離散は共通でも)

サハラウィ・アラブ民主共和国SADRとモロッコ人とに対して、テルアヴィヴ大モシェ・ダヤンセンター准教授

Bruce Maddy WeitzmannはAmazighité vs. ʕUrūba: Ethnicity in the Maghrib, Routledge Handbook on the

Modern Maghrib, George Joffé (ed.), London: Routledge, 2021.Amazigh Politics in the Wake of the Arab

Spring, Austin: University of Texas Press, 2021.を公刊しようとしている.

B] ベルベル人の世界 サフラワが拠って立つ歴史的・文明的基盤

■歴史的な目印

  ヘブライ語聖書ヨナ書1:3 タルシシュ逃避行 11世紀ラビのラシーの注解ではタルシーシュ海

ユグルタ戦争(前111~105、ヌミディア王ユグルタ、マウレタニア王ボックス、ローマ側はマリウスやスラ)

 サルスティウス〔栗田伸子訳〕『ユグルタ戦争 カティリーナの陰謀』、岩波文庫青版499 ポエニ戦争→帝政成立の過程

 ベルベル人[ヒッポ(アンナバ)の]アウグスティヌス、母モニカ アフリカ人意識 『告白』『神の国』

  カラウィイーン大学 イドリース朝のもと859年ファースで創立(イドリースィー1100-65、

イブン・マイムーン1135-1204、イブン・アラビー1165-1240、イブン・ハルドゥーン 後出、レオ・アフリカ

ヌス 後出、アフマド・ブン・イドリース1760-1837、ムハンマド・アルカッターニー1873-1909、アブドルカ

リーム・アルハッタービー1882-1969、アッラール・アルファースィー 後出、ファーティマ・アルカッバーイ

ー1932-、らが関係者. ジェルベール・ドーリヤック938?-1003[教皇シルウェステル2世]を加える説も.

 イブン・ハルドゥーン1332-1406トゥーニスで預言者ムハンマドの教友フジュル・イブン・アディ・アル

キンディの子孫として生れ、名はムハンマド・アブー・ザイド・アブドッラフマーン・ブン・ムハンマド・ブ

ン・ハルドゥーン・アルハドラミー。マグリブ各地での経験・観察をつうじ社会・国家・文明の基礎理論を固め社会学の先駆者となる。アサビーヤ(結合の絆)ʕasabīyaという概念が注目される。「族」的結合やタリーカ(神秘主義タサッウフ諸教団)の結合。晩年はカイロに定着、ダマスクスを包囲したティムールとも会見した。

イブン・ハルドゥーン〔森本公誠訳〕『歴史序説』全4巻、岩波文庫、2001.

 レオ・アフリカヌス1494-1554 本名アルハサン・ブン・ムハンマド・アルワッザーン・アルファースィー、

アンダルスはグラナダ生れ(陥落後の混乱の中で家族はファースに移ったので、ほぼ完全にファースの人)のベルベル人旅行家・外交官。カラウィイーン学院で学び、若くしてティンブクトゥへの使節団に参加、サハラ南縁のソンガイ帝国を見聞、ついで訪れたイスタンブルからエジプトのナイル河谷を南下、トゥーニスに戻ったところでスペインの海賊船に囚われ奴隷にされ、ローマで教皇レオ10世に認められて解放され改宗させられてヨハンネス・レオ・デ・メディシスの名をもらう。彼はオスマン帝国対策の情報を求められるが、医学用語辞典を執筆したボローニャをはじめイタリア各地を遍歴の後、トゥーニスに戻り、仮の姿からムスリムに復帰して没。この間1550年Della descrittione dell’Africaが出版され、ヨーロッパでのアフリカ地誌の基本情報となる。

 シェイクスピア「ヴェニスの商人」(1596-98の間に書かれた)に登場するモロッコ王子  

ポーシャに求婚するモロッコ王子・アラゴン大公・バサーニオの3人がクジ引き金銀銅の箱選びに挑

戦させられ、前2者がそれぞれはずれの金・銀を選んでバサーニオが勝つ話。エリザベス女王時代の

イングランド社会はモロッコをいかに見ていたか。勝山貴之「地の果てからの来訪者と『ヴェニスの商人』」、

「同志社大学英語英文学研究」84号、2009年3月、pp.23-55.  http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011692

セルバンテスが言う『ドン・キホーテ』の原本 第1部(1605)、そして裏付けの第2部(1615)

 第1部の序で自分はオリジナルな著者でなくラマンチャの資料庫で見つけたと言い、第9章ではシデ・ハメテ・ベネンンヘリによる「ドン・キホーテ・デ・ラマンチャの物語」と題するアラビア語の手稿に基づくと述べ、世人にドン・キホーテが衆知されていた第2部では、第44章でベネンヘリに自分はベルベルだと言わせている。

余部福三『アラブとしてのスペイン』、第三書館、1992.

■マグリブ最西部で展開したスルターン国・王国の王朝

 イドリース朝 789~926 預言者ムハンマドのいとこで娘婿アリーの子ハサンの系列の子孫イドリースがマディーナでの反乱に失敗し、はるばる逃れて来てベルベルのアウラバ族の支持を得てひらいた王朝。シーア派色は強くない。首都ファース。東方のファーティマ朝に滅ぼされ、さらにアンダルス側の後ウマイヤ朝が征服。

ムラービト朝 1040~1147 ベルベル遊牧民のサンハージャ部族連合を中核とし、リバート(修道場)で熱烈な修行をするムラービトゥーン(修道士たち)が特徴的な存在。サハラやサヘルの西部一帯から北アフリカ・アンダルスまで拡がる地域を、長距離交易と機動的軍事力が支えるスンナ派国家として統一した。首都はマラケシュ。

 ムワッヒド朝 1130~1260 モロッコのアンティアトラス山脈高地に定住するベルベルのマスムーダ族出身の学者イブン・トゥファイルがバグダードなど東方遊学から戻って、タウヒード(神の唯一性)を強調する運動を興し自らマフディ(救世主)と称えると、彼を奉じるマスムーダ族の運動がムラービト朝を倒し、マラケシュを首都に建国、アンダルスまで支配した。マラケシュとコルドバとを結びイブン・ルシュドを抱えるこの国家は、その学術・文化においてヨーロッパから讃仰される存在だったが、内部分解とレコンキスタ運動の圧力とで衰えた。

 マリーン朝 1244~1465 ベルベル遊牧民のザナータ族が主導するスルターン国。首都はファース。砂糖輸出などヨーロッパとの交易盛ん。カスティーリャに臣従するナスル朝のグラナダ王国の生き残りを支援。マリーン朝自身もムワッヒド朝の束の間の再興1465~71に倒れる。

 ワッタースィ朝 1472~1554 ザナータ族内部の陰謀に満ちた抗争から生まれるスルターン国。首都は同じくファース。アブー・アブドッラー・アルブルトゥカーリーをはじめ、君主はカトリック勢力に対して宥和的。

グラナダ陥落後の離散者受け入れ。地中海・大西洋沿海都市がポルトガルの手に落ち、殊に西サハラではそこから内陸の奴隷狩りガ行われ、カナリア諸島はその収容拠点となる。サアド朝の南からの圧力により衰退する。

 ド朝 1549~1659 移住アラブ遊牧民系の王朝で、自称するシャリーフ(預言者ムハンマドの末裔)の権威とシャーズィリー教団の組織力に拠り、サハラの彼方ニジェル河彎曲部のティンブクトゥにまで伸びる領域を支配。

オスマン帝国が組み込まず放置したマグリブ地域となった(1571年レパント海戦の敗北で西進を阻止された面もあるが、交雑するベルベル領域の支配を敬遠した)。その結果、サアド朝独自の対ヨーロッパ外交があり得た(前記「ヴェニスの商人」で問題となるモロッコ像とも関連)。スルターン国の首都はマラケシュだったが、1603-27年の継承をめぐる内戦でマラケシュとファースとの2つの権力が対立、モロッコの南北問題の起源となる。

 アラウィ朝 スルターン1666~1957国王1957~現在 人為的なシャリーフ権威に拠る支配という点では前王朝と同種だが、中央集権志向(中央政府マフザンの権力の及ぶ場bilād al-makhzanとそれ以外の言わば監禁地域bilād al-sibā’という二分法思考で前者の拡大を追求)とその反面の黒人奴隷軍団jaysh al-ʕabīdによる権力保障という、この王朝独自のスタイルを産んだ。しかし、18世紀後半以降は部族的次元での自治が強まる。19世紀フランスのアルジェリア植民地化に対して、アブドルカーディルが率いる抵抗運動を応援しようとして抑止され、20世紀初めフランス・スペインによる保護国という形での植民地化の徹底には、それへの抵抗の高まりとの間で抜け目なき中間ブローカー機能を体得し(1930年「慣習法」適用を看板に掲げるベルベル勅令に示されるように)、形式上の「独立」「立憲制移行」後も「西サハラ問題」を道具立てとして国際的庇護を確保する綱渡りを操作する。

■植民地主義への闘いの系譜 思想的根拠と運動スタイル

アッシャイフ マー・アル-アイナインal-Shaykh Mā’ al-ʕAynaynの場合

   モハンメド・ムスタファー・マー・アルアイナイン 1830/31〔ワラタ〕~ 1910〔テズニト〕

父 モハンメド・ファーディルはカーディリーヤ教団メンバーで、それに属すファーディリーヤ教団を興す兄 アッシャイフ サアド・ボーSaʕd būh カーディリーヤ教団の尊敬されるマラブー、モーリタニア・セネガル以南の征服を進める仏当局と接触、協力姿勢で感化・説得の影響力もつ。弟のジハードには止めるよう助言。

1859 ティンドゥーフのオアシスに移住、遊牧民的野営の教場の名声が各地から多数の学生を集める。

1887 モロッコのハサン1世、彼をティンドゥーフの代官(カーイド)に任命。

1898 スマーラでリバート(修道場)建設、するターンアブドルアズィーズは援助(資金・資材・職人・武器など)

1904 マー・アルアイナインのジハード宣言、サハラ諸部族はガーズィー(信仰戦士)活動へ。サアド・ボー反対

 タンジャの仏公使館が発行する週刊アラビア語紙「al-Saʕādaアッサアーダ」は、〈サハラのシャイフ〉を中傷してシーア派とし、スルターンとの関係の分断を図る。

1905 スーフィズムの研究者としてフランスの対ベルベル工作に当たっていたザヴィエ・コッポラニ(1866-1905)、コルシカ人の両親からアルジェで生れ、植民地行政官として活動)のモーリタニアでの暗殺事件(5/12)。

1910 マラケシュを制圧したマー・アルアイナインのジハード軍は、ファース進軍をフランス軍に阻まれ、壊滅。

マー・アルアイナインはアガディール近くのイズニトで没。短い高揚期はモロッコ事件第1次・2次の中間。

ハーッジ・オマル・ブン・サイード・トル Hājj ʕUmar bun Saʕīd Taʕlの場合

オマル・ブン・サイード・トル 1794~1864 モーリタニアの直ぐ南、セネガル川沿い、フタ・トロ

Toucouleur(モロ・黒人混血)、ティジャーニー教団員、戦士集団指揮者、西アフリカ政治指導者

  セネガル反仏抵抗の英雄 Khalifat khatim al-awlīya(全聖者たちの代理人)/Qutb(宇宙の基軸)/等の称号

   1828 マッカ巡礼

1830 帰路ダマスクスへ、滞在中エジプトのイブラーヒーム・パシャと交流

1831-37 ソコト滞在 ソコト・カリフ国スルターンのモハンメド・ベロと密接な交流。強い影響を受ける。

1852 ギニアのフタ・ジャロンでジハード宣言 すでに準備整う。仏軍の武器で武装した人員、欧人助言者。

対象は、堕落したムスリム、ヨーロッパ人侵攻者、Futa ToroやFuta Jallonその他の地元支配者たち。

1857 セネガルのメディナ城塞では、立て籠もった仏軍を包囲したが、仏セネガル総督として西アフリカ支配に辣腕ふるうことになるフェデルブ将軍の増援部隊到着により、失敗に終わる。

1862 前年のニジェル河右岸のセグーを解放したことにより、ティンブクトゥから西アフリカ大西洋沿岸内陸部一帯にかけての政治的統合が出現した。このような状況が維持されれば、1884-85年アフリカ分割を定めたベルリン会議は、様相の異なるものになったかもしれない。ハーッジ・オマル・トアルは、マー・アルアイナインの兄のアッシャイフサアド・ボーに連絡を取って協力を求め、断られたりしていた。スペイン領サハラの後背地に目を向けなければならない。

■〈ワタン〉のとらえ方

 watan  郷土/祖国/ホームランド  住みなし暮らす「場」 主体的に拠って立つ場所

 watanīya  愛国主義/民族主義/ナショナリズム/結束する国民を創り出そうとする運動

   〔板垣私見〕グローバルなmuwātin革命における市民決起の連帯[意識]の「場」へ

 balad<bilād  村・町・国<或る領域的(政治・社会的)な地域空間 帰属感/意識と結合

 turāb  地面/土地/「天と地」の地 物質的・物理的・景観的・風土的な観察対象、感覚

マー・アルアイナイン:turāb al-beidān 白色の大地 モーリタニア・西サハラ・モロッコ・アルジェリア

南西部・マリ北部・など

ハーッジ・オマル:ジハードの地 モーリタニア・西サハラ・モロッコ南部・セネガル・ガンビア・ギニア・

マリ・ニジェル・ナイジェリア・など

ベルベル世界の問題としては、西サハラのサハラウィたちにとって、「ワタン」はこれからどのように捉え返されていくであろうか。半世紀のサフラワの課題を打開・解決するために、

  • 歴史的にベルベル(アマジグ)が自らを発展させてきたその多様性の現実把握
  • モロッコの社会と国家の変革のために、モロッコの「同胞」との関係の結び方
  • サフラワの「ワタン」を地球化する方途についての議論が進められなければならないのではないか。

C]モロッコの変革、アルジェリアの変革、世界の変革へのヒント

■モロッコに押し寄せる「列強」の取引とその係累の連帯責任

 今日の事態を招いたフランス・スペイン両国家の責任

 英仏協商(エジプトとモロッコ分配)と桂タフト協定(朝鮮とフィリピン分配)、ドイツ モロッコ事件

■モロッコ「鉛の時代」と「公正和解委員会」

 なぜ、西サハラやサハラウィが無視・軽視されるのか

■二つのヒラークの意味 [砂の戦争(モロッコ・アルジェリア戦争、1963.9~64.2)の後]

 2016年10月~17年6月 モロッコ、リーフ抗議運動

 2019年2月~20年10月 アルジェリア「革命」

■西サハラとリーフ

 1950年代が包蔵していた「可能性」、1958年のモロッコ解放軍とイスティクラール党

メフディ・ベン・バルカとムハンマド・バスリー アルジェリア・エジプト

西サハラでの仏・西軍打破(イフニ・スマーラ)とリーフ民衆、そしてウフキール将軍

1920年代アブドルカリーム・アルハッタービーとリーフ戦争・リーフ共和国の伝統

人民勢力国民連合UNFPからベン・バルカ抹殺へ  ムハンマド・バスィーリー

D]日本社会にとっての西サハラ

琉球 アイヌモシリ 在日コリアン

私市正年・佐藤健太郎編『モロッコを知るための65章』、明石書店/松井健・堀内正樹編『中東』(講座・世界の先住民族:ファースト・ピープルズの現在4)、明石書店/中野暁雄・堀内里香編訳『モロッコのベルベル語による民族誌的語り』、イスラム文化研究第106集ベルベル研究、東京外国語大学アジアアフリカ言語文化研究所/P・ラビノ—〔井上順孝訳〕『異文化の理解:モロッコのフィールドワークから』、岩波現代選書59/ITEAS「紛争と危機管理」研究班編著『西サハラをめぐる紛争と新たな文脈:協議による西サハラ問題解決への新たな希望』、Parade eBooks/石原忠佳『モロッコ アラビア語 会話と文法』、大学書林/中野暁雄『南西モロッコ・ベルベル調査研究報告1 アンティアトラス山村における集団の機能と構造』、『AA言語文化研究』No. 19/

堀内正樹『モロッコのイスラーム:聖者信仰の概要と事例』、『民族学研究』50(3)/深沢安博『アブドルカリームの恐怖l horror de Abdel-Krim: リーフ戦争とスペイン政治・社会の動揺』、論創社/江里光照『モロッコのリーフ戦争とアブドゥルカリーム:ワタン防衛のスペイン賄賂とドイツスパイ資金』、創英社・三省堂書店/アブデルケビール・ハティビ〔沢田直編訳・福田育弘訳〕『マグレブ複数文化のトポス:ハティビ評論集』、青土社/白谷望『君主制と民主主義:モロッコの政治とイスラームの現代(ブックレット《アジアを学ぼう》別巻11)、風響社/斎藤剛『〈移動社会〉のなかのイスラーム:モロッコのベルベル系商業民の生活と信仰をめぐる人類学』、昭和堂/四方田犬彦『モロッコ流謫』、ちくま文庫/ブノア・メシャン〔河野鶴代訳〕『アフリカの二つの夏:中東六日戦争とモロッコの未遂クーデター』、筑摩書房/村松剛『アルジェリア戦線従軍記』、中央公論社/山田吉彦『モロッコ』、岩波新書青版76/ローザ・ルクセンブルク「モロッコをめぐって」〔野村修・高原宏平訳〕、『ローザ・ルクセンブルク選集』2,3、現代思潮新社.

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study1158:210317〕