西日本豪雨・水害の甚大な犠牲は安倍を告発している
――住民の命と安全をないがしろにしてきた積年の自民党政治が招いた人災、安倍首相による早期救援の放棄・妨害が人的被害を拡大
(1)広域にわたる豪雨・水害と想像を絶する被害
2018年7月、西日本一帯を襲った豪雨は恐ろしい状況を生み出した。ここ36年来の災害で最大最悪の水害である。
7月5日から8日にわたる西日本を中心とする豪雨災害で17日午後1時時点の警察庁まとめで死者が14府県で223人。さらに行方不明者や連絡途絶者は朝日新聞の17日午後7時の時点での調べで少なくとも15人とされている。
この災害の大きな特徴は、現時点での死者223人中、広島県での死者112人、岡山県での死者61人、愛媛県での死者26人と、この3県で死者の約9割を占めることである。今回の豪雨は、瀬戸内海周辺の多くの県を巻き込んだものである。しかし、なぜ広島県、岡山県、愛媛県というこの3県に集中したのだろうか。
災害関連死を含め死者数は増えるであろうことはまちがいない。
また負傷者、被災者、避難者の数は、これまでの公式発表ではまったく触れられていないが、膨大な数に上っているであろうと思われる。
今回の豪雨では、山から平野まで懸念されていたあらゆるタイプの災害が広い範囲で多発した。大雨特別警報が出されていた11府県(岐阜、京都、兵庫、岡山、広島、高知、愛媛、山口、福岡、佐賀、鹿児島)に加え、滋賀、鳥取、宮崎をあわせ14府県で死者が出る大規模水害となった。大雨特別警報が一時に11県に出されたことも、気象庁史上初めてである。
今回の豪雨での物的被害の実態の全体像は、ほとんど明らかにされていない。内閣として実態掌握もほとんどやられていない状況と思われるし、そもそも掌握能力がないと思われる。あるいは、あまりにも凄まじい現状なので、反響を恐れて報道していないのかもしれない。
しかし、メディア報道で部分的にせよみえてきているものは、東日本から九州を結ぶ物流の「大動脈」であるJR山陽線が、東広島市で線路の土台がえぐり取られたため、完全に断たれたことである。JR芸備線(広島~松江間)の鉄橋は無残にも崩落した。寸断されたJR在来線の復旧は数カ月以上かかる見通しであり、鉄橋再建には1年を要するとのことだ。
JR貨物の全国輸送量は一日約9万トンであるが、今災害による運休でこのうち3割が直接的影響を受ける。
道路も、国土交通省発表で現在、全国で計582区間が運行止めとなっているが、うち344区間は被害多発の広島、岡山、愛媛3県の県道という。
物流を担う鉄道、道路がこうした惨状に陥っているのをみると、住民、家屋、地域にどれほどの被害が生み出されたのか、今後どれだけの影響をもたらすのか、想像を絶するものといわなければならない。
(2)地球温暖化が直接間接に豪雨をもたらした
たしかに、今回の西日本の記録的豪雨をもたらした要因として、気象庁開設以来の特殊な気象条件はあった。
それには二つの要因がある。梅雨前線の停滞と活発化である。そして温かく、湿った空気が多量に流れ込んだということだ。
梅雨前線の停滞はオホーツク海高気圧と太平洋高気圧に挟まれた形で起きた。活発化は、台風7号から変わった温帯低気圧が影響したとみられる。また温かく湿った空気の流入は、太平洋高気圧の勢力が強まって南風が流れ込んだうえ、東中国海付近の水蒸気を多く含む空気が南西風に乗ったためだという。この間、地球的規模で大問題とされている地球温暖化の影響で台風7号がそうした空気の塊を西日本に運んできていたということである。
このような気象要因が重なり、8日までの72時間降水量は22道府県119地点で観測史上最多を更新した。7月上旬の総降水量(全国)も19万5520・5ミリになった。気象庁の記録上、1982年以降の旬ごとの数値では平均の4.5倍になり、過去最多となった。またこの期間、積乱雲が線状に連なって豪雨をもたらす「線状降水帯」が発生した。広島県では6日夜、岐阜県では8日未明に発生した。大変な大雨になると気象庁は判断していた。
以上のことからも明らかなように、今回の西日本豪雨は、集中豪雨をもたらす多くの要因が重なった結果ということがいえる。しかし、多くの学者や気象庁の関係者がいっているように、地球温暖化が生み出されている中で、こうした事態は今後、日本のどこでいつ起こっても不思議ではないのである。
(3)あまりにも深刻な被害の実態――広島県、岡山県、愛媛県
しかるに、今回の西日本豪雨にともなって発生した前代未聞ともいうべき大災害はほんとうに避けられないものだったのか。まったく否である。わかっているかぎりの被害実態をみるならば、歴代の自民党政権による大資本優先、住民軽視、住環境整備後回し、福祉切り捨ての政策が引き起こした人災といわなければならないのである。
痛恨の極みである。
- 広島県:過去の痛恨の被害を教訓化しなかった宅地造成
広島県の被害は、山林の真下に住宅が密集して建てられ、そこに猛烈な勢いで下る土石流に襲われたことから始まった。日本は国土の7割が山林といわれている。近年、日本中いたるところで山林と平野との間に里山=緩衝地帯を作らないで山裾に密集した住宅地をもろに造成するということをやっている。じつは山からの斜面崩壊による住宅被害ということは、同じような条件の場所で、全国各地で起こっている。そのことは問題化してきたが、広島の場合は、山の土が花崗岩でできていることがより悲惨な事態を生み出した。
花崗岩は風化して崩れやすい真砂土(まさど)と呼ばれ、手で握ったぐらいで粉々になるきわめて脆い土壌である。山から直下の斜面崩壊によって砂と化した真砂土を含む水が谷を猛烈な勢いで下る土石流を生み、住宅を襲った。この土石流は時速20~30キロであり、家の中に突入し、人を呑み、下に流れていく。花崗岩の中の風化していない部分はコアストーンと呼ばれ、直径3メートルにもなる巨岩が住宅を潰した。雨のピークが過ぎてからも斜面崩壊が起きており、上流で溜まった土砂が川を堰き止めてできた土砂ダムが時間が経って決壊した。
広島の山のこうした脆さは、以前から知られていた。1999年6月の集中豪雨でも新興住宅地などで土砂災害が発生し、32人が犠牲になった。2014年8月にも豪雨で山頂からの土石流が住宅地を襲い、77人が犠牲になった。
その土石流を起こした谷間は郷土史で長きにわたり“蛇抜け(じゃぬけ)”あるいは“蛇落地悪谷(じゃらくじあしだに)”といわれ、降雨が一定量を超えると、大蛇のように山中から土石流が発生して住宅をなぎ倒すので「住むべきでない場所」として伝承されていた。しかし近年、行政がむりやり宅地造成を行い、県営住宅などを密集して建てた。そして4年前、同じようにまるで大蛇がうねって落ちていき、抜けていくような道が発生し、多数の住居と住民が押しつぶされたのだった。
その痛恨の教訓はいったいどこにいったのだろうか。
花崗岩でできた山の裾野のいたる所に、じつは県は歴史の記録を何も教訓化せずに、長年にわたり宅地造成を続けてきたということだ。
広島県によると、県内に砂防ダムが約2000基、治山ダムが約7500基も設置されているとのことだ。うち66か所は2014年の土砂災害後に建設されている。しかし、これら1万基にもおよぶダムは、今回の豪雨には、新たに造られたものも含め、ほとんど無力だった。
非常にもろい花崗岩でできた山、管理されていない山林、里山のない山林の直下に造られた住宅群という構造は、地球規模の気象激変にまったく耐えられないことが、またしても明らかにされたのだ。
瀬戸内海周辺はもともと降雨量が少なく、そのため山肌に沿って農業用水のための溜池が全国でも集中しているゾーンであるが、これまでの気象条件とはまったく違うゲリラ豪雨などが全国いたる所で起こってきているなかで、災害対策の考え方を抜本的に変えなければならなかったはずである。しかし、そうしてこなかった行政の責任は大きい。
- 岡山県:河川の氾濫、堤防決壊、宅地水没は想定されていた
岡山県も山は花崗岩でできたといわれる。しかし、山岳周辺部での人命にかかわる被害ということは報道されていない。宅地造成の状況がちがうのかもしれない。実際報道されている被害の実態と死者の発生状況をみると、県全体の死亡者61人中、51人が倉敷市真備町地区の河川の堤防決壊と周辺宅地の水没化によるものである。ちなみに、真備町は27パーセントのエリアが冠水・水没した。この悲惨な被害も、人災としか思えない。
平野部にある真備町は、小田川と高梁川(たかはし)川の合流部にある。ここからの氾濫が度々起きてきていた。そのため大規模な河川工事が喫緊の課題であった。
実際に氾濫した場所をみてみると、あまりにもひどい。小田川と高梁川の合流部近くで決壊が始まったのだが、もともと本流の小田川のほうが水位は高い。その上、信じられないことに二つの川が合流したすぐ下の川幅が狭くなっている。そのため、一定の水量を超えると合流部分から、支流である高梁川はウォータバック現象を起こし、水が上流に逆流して氾濫するということがこれまで繰り返し起こっていたのだ。加えて、川幅が狭くなっている箇所のすぐ下流で川が強くカーブしているのである。山からの流水量が桁違いに増えた今回、そのことによって逆流した高梁川の水が周辺の低地に一気に広がったのである。
6日21時50分、平野部の倉敷市真備町に小田川氾濫警戒情報が出る前に、午前11時30分、市が市内全域の山沿いに避難準備、高齢者等避難開始を発令し、避難所を開設した。19時30分、市が市全域の山沿いに避難勧告を出した。だが、山からの出水→山沿いの避難勧告→平野部での川の氾濫は、あっという間に進んだ。川の氾濫とは、すなわち山沿いだけでなく市の全域で避難しなければならない非常事態なのだ。
考えてもみてほしい。
こうしたかつて経験したこともない豪雨が地域全体を襲っているなかで、これまでも度々氾濫してきた場所は、予測できないほど大変な惨状になることは自明の理ではないか。豪雨は山から川を通って平野に必ず流れ込むのだから。
しかし倉敷市で真備町に避難勧告が出されたのは、6日の22時である。その2時間半後、7日午前0時半、国土交通省が小田川の氾濫発生を関係機関に連絡した。真備町に住む、かろうじて逃げられた63歳男性によると、未明に床上浸水したと思ったら、30分後には濁流が2階の高さにまで来たと証言している。夜中に避難勧告が出され、真夜中に川が氾濫する事態――これでどう逃げろというのか、どう避難しろというのか。避難などできない。町は浸水・冠水し、死者の多くは高齢者だった。
日本特有の要介護老人の在宅介護方針が強力に推進される中で、自宅にいた高齢者は、2階にすら避難することができず、水に?まれたという。
また、ロイター通信によると、岡山県真備町の川の合流地点の河川工事は1968年から計画されてきた。長年にわたる住民の強い要望にもかかわらず、国は優先度が高いと認識してこなかったのだ。
倉敷市のハザードマップは、降雨量の少ない地域であることを前提につくられている。しかし同時に、河川が短く、急な斜面を流れていることから、いったん大雨が降ると洪水が起こる危険があることも、明らかにされてはきていた。実際、度々氾濫があったにもかかわらず、この問題は軽視されてきた。
住民の強い危機感に押され、2010年にようやく河川整備計画がつくられ、今秋に着工される予定だったという。しかし、間に合わず今回の事態を引き起こした。もっとも被害の大きかった地区に避難指示が出されたのは堤防が決壊するわずか4分前だったという。水の深さは最大で4・8メートルに及んだ。
2年前に作られたハザードマップでは、地図上で真備町の大部分は紫色で塗られている。洪水が起こった場合、浸水する可能性が高いことを示すものだ。そして今回、その通りになった。しかし、真備町の住民にはこのハザードマップは周知されていなかった。あまりにもむごい現実である。
- 愛媛県:国交省管理のダムの緊急放流に強い疑念
愛媛県では、豪雨により増水したダムから一度に大量の放流をしたことが下流にある肘川の氾濫につながった。地元では、こうしたダムの放流が適切でなく、人災だったのではとの疑念が渦巻いている。
この肱川にある野村ダムでは、7日午前6時20分に流入量とほぼ同じ量を下流に流す緊急操作を実施、安全基準の6倍を超える1秒間に約3700トンもの水を放流した。その下流の鹿野ダムでは午前7時35分に同じく緊急操作を実施したのである。二つのダムを管理する国交省四国地方整備局の担当者は、「(緊急操作を実施したことで)川の氾濫は予測できたが、避難を促すのは市の役割」と居直り、責任を転嫁している。しかも、ダムのある大洲市の住民向けに国交省が緊急速報メールを配信したのは、大量放水開始から2時間20分後の午前8時40分だった。
今回の西日本集中豪雨で、ダム管理をする国交省は、このような緊急放流を8か所で行った。こうした緊急放流は昨年までの10年間に40回しかないが、8か所もの同時実施はきわめて異例のことだという。ダムの緊急操作の難しさを「ちょうどよく運用するのは神業」と河川工学専門家の京都大防災研究所の角哲也教授は語っている。にもかかわらず、ダムの決壊を防ぐためということだけで、川の氾濫を分かったうえで、安全基準の6倍を超える水を一回で一挙に流したということだ。人災以外の何ものでもないではないか。
実際、鹿野ダムから1・5キロ下流に住むIさんは、スピーカーから「放流します。川岸に近づかないで」と流れるのを聞いたが、約1時間後に氾濫した水が自宅に迫り、慌てて高台に逃げて助かった。しかし、ダムが増水することは、5日に気象庁が記録的な大雨、厳重警戒を呼び掛けた段階でわかっていたにもかかわらず、段階的に放水することをせずに、ダムが満水するまで何もしなかったことが問題ではないか。
肱川氾濫によって大洲市で5人、西予(せいよ)市で4人、計9人が死亡した。
今回の西日本豪雨では、“土砂洪水氾濫”という新概念の水害ネーミングも生まれた。直接には広島県呉市天応三条地区で、山裾から広範な平野にまで土砂が前代未聞の範囲で広がり、住宅地を襲いつくした水害をさすが、それに近い状況はいたる場所で起きていたのではないか。このような新しい水害のネーミングが生まれるほど、豪雨の爪痕には凄まじいものがある。
(4)気象庁警報の5日時点で迅速な対策をとらねばならなかった
今回の西日本豪雨が人災にほかならないことについて、気象庁の予報・警戒発表、豪雨被害の実態およびそれへの政府・行政の対応の信じられないひどさを時系列的に追うことで明らかにしたい。
まず前提認識であるが、6月28日から7月上旬まで72時間降水量は22道府県119地点で観測史上最多を更新していた。7月上旬の総降水量(全国)19万5520・5ミリは、比較できる記録が残る1982年以降、旬ごとの数値では平均の4・5倍に上り過去最多となっていた。それに加え7月に入り台風7号が日本列島に迫った。広範囲で雨が降り、各地の地盤は緩みに緩んでいた。
どれほど深刻な被害がもたらされるか十分に想定されたのであり、政府たるもの、危機感をもって身構え、即座に対処行動を発動しなければならなかった。
《5日》
・朝から全国的な大雨。
・13時20分:大雨災害にたいして京都市右京区で約2800人に避難指示。
・14時:気象庁が記者会見。「8日にかけて東日本から西日本の広い範囲で記録的な大雨となる恐れがある」と厳重な警戒・避難を呼びかけた。24時間の雨量が400ミリに達するとの予報も出した。
・22時までに京都、大阪、兵庫3府県の約11万人に避難指示。各地で避難勧告が相次ぐ。
・15時30分:気象庁の予報に応じ、内閣府で関係省庁の課長級による災害警戒会議開催。小此木防災担当相が緊急性のため異例の出席。←まったくのポーズだった。
・16時:菅官房長官が記者会見「本日も全国的な大雨で警戒が必要な時期が続くことから、先手先手で対策を打っていきたい。」←じつは大嘘。
・20時28分から赤坂自民亭に安倍首相が初の参加。自民党閣僚ら40人がどんちゃん騒ぎ。
・22時58分:片山さつき参院議員のツイッター「安倍総理初のご参加で大変な盛り上がり!」。
・23時45分:西村官房副長官のツイッター「地元秘書から地元明石・淡路の雨は山を越えたと報告あり」。これにたいし、ネット上で「同じ時刻で関西では、アラームが鳴りっぱなしで滝のような雨でした。秘書からどんな報告をうけていたんですか」と批判。
《6日》
・01時10分:京都府が災害派遣要請。自衛隊出動。←だが動かず、待機しただけ。
・03時30分:高知県が災害派遣要請。自衛隊出動。←同上。
・09時56分:福岡県が災害派遣要請。自衛隊出動。←同上。
・10時30分:気象庁が記者会見。「大雨特別警報を発表する可能性がある」と厳重な警戒を呼びかけ。
・17時10分以降、福岡、佐賀、長崎など8県に大雨特別警報が出る。同警報が出たのは計11府県。死者・行方不明者が相次ぐ。NHKラストニュースで「死者18人に達し、行方不明者多数。自力で避難中に行政の避難指示を聞くという声集中」と報ずる。
・21時以降、広島県、岡山県が災害派遣要請、自衛隊出動。←動かず、待機。
《7日》
・早朝から多くの県で次々と災害派遣要請が出される。
・10時52分:西村副長官がツイッターに「現在、自衛隊員2万1000人が人命救助など活動中」と投稿。ネット上で「待機中で活動していない自衛隊員をあたかも活動したと喧伝するのは悪質」などの批判。
・10時58分:小野寺防衛相が「自衛隊員約2万1000人が待機態勢中。中部・西部方面隊員約650名が被災地で活動中」と発表。前述のネット上の批判が事実であることが判明。
・11時:菅官房長官が臨時記者会見。「死者4名、心肺停止4名、行方不明2名」と発表。今回の大水害について初の被害実態報告。←なんという対応と掌握の遅さか。しかも被害実態を過少に発表した疑念あり。
・午後から安倍首相、官邸でなく東京富ヶ谷の自宅で翌朝まで過ごす。←豪雨・水害とそれによる甚大な被害に背を向ける首相とは何なのか。政治家失格。
《8日》
・08時:各省庁の局長級が集まる。非常災害対策本部(本部長=小此木防災相)を設置。
・09時2分:首相、官房長官らが出席し、非常災害対策本部会議開催。だが20分で早々と切り上げた。←最初の大雨特別警報発表から約40時間も経ってからようやく第一回目の首相出席の非常災害対策本部が開かれるという、信じられない初動対応の放棄、内閣たる責任の放棄。
・午後には安倍首相は自宅に帰った。
このような初動対応の圧倒的な遅れについて、安倍首相は「政府一丸となって発災以来全力で取り組んできた」と大嘘をつき、赤坂自民亭に出席したのを質問されて、「いかなる事態にも対応できる万全の態勢をとった。初動対応に問題はなかった」と強弁。菅も後の13日の記者会見で同じことを言う。
・09時30分:菅官房長官が臨時記者会見。「死者48名、心肺停止28名、行方不明7名」と発表。
・10時40分:ようやく小野寺防衛相が「本日、2300人の隊員が救助活動等を実施」と発表した。それは待機中の自衛隊員のほんの一割でしかなかった。しかも、それら自衛隊の活動は当然のことながら、災害後の瓦礫処理・給水・遺体発掘の事後処理が大半となった。
・14時29分:首相は自宅に帰る。←36年間で最大という水害が起きた非常時に、議員会館で宴会をするは、前日に続き2日も続けて昼から首相官邸にもいずに自宅に帰ってしまう首相、自宅から出てこない首相とは、いったい何なのか。
首相の現地視察は、厳しい追及の中でようやく11日、岡山県に行った。しかもその後、「股関節周囲炎になったので、視察にはもう行かない」と平然といった。これが首相か!
しかし、こう言いながら、自民党とブルジョアジーの利害がかかったカジノ法案と参院6議席増という法案の強行採決に全力を投球しているのである。
以上の事実経過が示していることは、“激甚災害”という、国として最高度の災害と認定された西日本豪雨・水害にたいして、発生当初から背を向け対策を放棄し続けた安倍その人とその内閣の姿である。国の頂点と中枢が対策を放棄するということは、単に放棄にとどまらず、各種の緊急救難対策の発動を妨害することになるのであって、著しい失政であり、犯罪的ですらある。
6~7日がもっとも激しく土石流が各地で暴れまわり、人々を?み込み、殺しつくしていた。その7日と翌8日、首相はほとんど自宅に引きこもり続けた。これは豪雨・水害対策の陣頭指揮をとるべき首相がそうしなかった「空白の2日間」である。
欧州・中東訪問中止の決定は何と9日午前にまで持ち越された。それに引きずられて、8日になってやっと非常対策本部が設置される有様であった。
そのようなポーズだけの非常対策本部だから、6日01時10分に各地から災害派遣要請が出始めてから待機態勢に入った約2万1000人の自衛隊員は、少数の方面隊派遣を除き、本格的には10日に雨があがってから出動したのである。
自衛隊の出動は法的には国内の災害に限り所轄行政の要請があれば可能である。その際は、公共性・非代替性・緊急性の三要件を満たすものとする。そうした緊急対応性をもたなければ防災対策などとれたものではない。
しかし今回はその法的システムに完全に合致するケースであるにもかかわらず、自衛隊を動かさなかったのである。まったく動こうとしなかった安倍首相への忖度政治がここでも働いたのか。ちなみに、防衛相の小野寺は、赤坂自民亭に出席していたほどのお粗末な防災意識の持ち主なのである。
こうして振り返ると、5日の気象庁による避難警告が政府中枢で迅速に応答され、行政的に実施されていれば、ほとんどの人的被害は避けられたはずなのだ。
(5)住民の懸命の自主的活動が命を守った
最後に二つの貴重な体験記を紹介する。
豪雨が引き起こした土石流は、山間の集落である東広島市黒瀬町の洋国(ようこく)団地でも、一戸建て49戸のうち約20戸を大破・半壊させた。しかし、犠牲者やけが人はゼロであった。今回の災害では奇跡と言われている。事実経過を具体的に追ってみよう(朝日新聞2018・7・18)。
6日朝、洋国団地は激しい雨音に包まれていた。この団地では、2011年の東日本大震災をきっかけに団地自治会による自主防衛活動が行われていた。4年前の広島での土石流による77人死亡事故以後、年2回、土砂災害を想定した避難訓練を続けてきた。被害状況が自分たちの居住環境と酷似していたためと思われる。災害時に自力で避難するのが難しい住民について、避難を助ける担当者5人をあらかじめ決めていた。そのため、6日中に団地の住民約95人のうち足の不自由な高齢者、「障害者」など三分の一は避難を終えていた。
団地を土石流が襲ったのは、その翌朝、午前5時半ごろだ。自宅にいた人たちも常日頃からの訓練であらかじめ避難道をこしらえたり、ハザードマップを常時携帯する行為をとっていた。団地の物的被害は相当のものだが、死傷者ゼロ、人的被害はゼロだったのだ。
この洋国団地も含め、山からの土石流の発生について、メディアでは、行政から避難勧告が出たということはまったく報道されていない。住民の側からもそれが出たという声がない。今の行政の能力では避難指示を出すどころではなかったということなのだろうか。
もう一つは甚大な浸水被害を受けた岡山県倉敷市真備町でのこと。多くの住民が取り残され、水かさが少しずつ増してきて、屋根やベランダに避難しているとき、水上バイクで約15時間にわたり、約120人を救助した町出身の29歳の若者がいた(朝日新聞2018・7・19)。
7日昼過ぎから、若者は免許を持つ水上バイクで、友人とともに避難者たちを次々と救出。バイクに乗りながら、「じいちゃん、命がけで助けたんじゃけん、長生きしてくれよ」と声をかけ、次々と救出したという。全員を高台の森泉寺まで運んだ。彼らは翌日午前4時まで救出活動を続けた。助け出された人は「昼過ぎに119番や110番で救助を頼んだが、助けは来なかった」と証言している。自衛隊など姿も見えなかったのである。
救出された人たちは全員、この青年らの行為がなければ、命を失っていた可能性大なのである。
この二つの実例にあるような住民の自主的な対応が多くの人々の命を救ったことは、じつに貴重な教訓である。しかし、それは安倍政権のあまりにも傲慢な住民軽視の政策を鋭く告発するものでなくて何であろうか。
今回の事態を生み出した地球温暖化は、今や全世界の民衆の力で産業と生活のあり方を変えていくことを切実に求めているのではないか。パリ協定の国際的批准を阻んでいるのは誰か。アメリカ・トランプ政権と日本の安倍政権なのである。
2018年7月、これほどの人災としか言いようのない西日本豪雨・水害の甚大な災禍にたいして私たちは、人命無視と対策放棄の安倍政権を糾弾し、住民の命と安全を第一に考える政治をつくらなくてはならない。安倍政権打倒へつなげなければならない。
本来、過酷な自然災害がもたらす危険が予測されるのに事前対策を放置し、かついったん災害に襲われたとき人命保護、被災住民救援の対策を怠るならば、それは政権の運命を左右する問題になるのである。
韓国で2014年4月に大型旅客船セウォル号沈没事故が起こったとき、朴槿恵大統領(当時)の「空白の7時間」に人々の怒りが噴出した。大惨事の犠牲者を悼む深い悲しみが共有され、それが重要な契機となって、朴打倒のうねりが発展し、ついに朴罷免・退陣を実現するろうそく革命となったのだった。韓国人民のこの民主化運動・ろうそく革命に学び、安倍の「空白の2日間」に象徴される安倍内閣の、人災をもたらした犯罪的な対応を真正面から追及しなければならない。
西日本の被災地で苦しみ、悲しみ、憤る人々に可能な限りの支援を寄せよう。駆けつけられる人はボランティアに入ろう。せめて周りから義援金を募り、被災地へ送ろう。そのなかから、安倍政権糾弾、追及、打倒のうねりを盛り上げよう。
2018年7月19日