許紀霖著『普遍的価値を求める 中国現代思想の新潮流 』(中島隆博/王前監訳、法政大学出版局、2020年・令和2年)を一読した。
私=岩田は、本書を全面的に評価する上で必要な現代中国思想界についても、社会思想一般についても貧弱な知識しか持ち合わせていない。従って、本書を一読して異和を感じた所だけを論ず。
中国大使館「誤爆」の意味は何か
許氏は、自国近年のナショナリズム・国家主義を排し、新しい普遍性に立脚する東アジア共同体秩序を「EU式の運命共同体」(p.3)に似せて追及する。
中国ナショナリズム批判の個所に私が専門とするユーゴスラヴィアが登場する。「1999年、中国のユーゴスラビア大使館が爆破されてから、中国のナショナリズムは高まり続け、……」(p.104)。「1999年にユーゴスラビアにある中国大使館がアメリカによって『誤爆』されて以降、中国ではナショナリズムが疾風怒濤の如く勢いづき……」(p.227)。
1999年3月24日から6月9日、78日間連続の米英主導NATOの対セルビア大空爆は、許氏が尊重する普遍的価値を名目に国連安保理の決議抜きで断行された。そんな中で、ベオグラードにある中国大使館が直撃爆弾三発で大破され、中国人記者三名が殺され、かなりの人々が負傷した。仮に、中国大使館ではなくて、日本大使館が爆撃され、日本人記者三名が殺害されていたら、日本の対米ナショナリズムもまた燃え上がっていたろう。当然、自然である。大使館が理由もなく、外国の空軍によって爆撃されてさえも、自国民衆の怒りのナショナリズムが炎上しない国があるであろうか、ない。
米英は、対セルビア空爆の際も「普遍的な文明の基準を用いて世界を説得し、自らの合理性を証明しなければならないのだ。」(p221)と言う許氏の標準・基準を満たすように努力した。北米西欧のリベラル市民社会人や左翼知識人は、私の著書『社会主義崩壊から多民族戦争へ』(御茶の水書房)、『二〇世紀崩壊とユーゴスラヴィア戦争』(御茶の水書房)が批判したように、米英NATOの言説を無批判に受け容れた。現場の諸事実を殆ど知らない、ないし知りたくないからだ。
中国ナショナリズム批判の文脈でユーゴスラヴィアにおける中国大使館空爆に言及するのではなく、許氏が尊重する普遍的諸価値をはぐくんで来た歴史ある米国が何故かかる愚行を演じ、しかもおよそ説得力に欠ける「誤爆」などと言う弁明に終始したのかを問う論脈で、すなわち米英普遍主義の暗部にメスを入れるコンテクストでこそ言及されるべきであったろう。本書は、「『これが中国の主権であり、他人にとやかく言われる筋合いはない』と言った決まり文句で自己弁護」(p220)する中国への批判としては傾聴に値する。だがしかし、自己の善行も悪行もすべて「普遍的な文明の基準を用いて世界を説得し、自らの合理性を証明」(p.221)する北米西欧に対する第三者としての具象客観的な眼差しに欠ける。
ではあるが、次の文章の如く、抽象主観的な批判の眼はたしかに持っている。「様々な枢軸文明、民族文化が共存する国際社会において、西洋文明の人権基準を万民法の核心的価値とするのは、あまりに強すぎる実質を持たせているように見える。というのも、国民国家の内部には厚みのある公共の理性が必要だが、国際社会では薄い最低限の倫理を確立することしかできないからだ。」(pp.65-66) その通りだ。
「博愛」は近代的価値理念か
許氏が説く「東アジア共同体には魂が必要である。それは創造が待たれる新たな普遍的価値のことだ。」(p.85)について考察する。
従って、許氏が「新たな普遍的価値」を具体的にどのように記述しているか、を見てみよう。「新しい普遍性は、自由、権利、デモクラシー、平等、博愛、富強、幸福、和睦などの価値の組み合わせです。」(p.ⅶ)「フランス革命がかかげた自由、平等、博愛という核心的価値」(p.127)「文化多元主義は、様々な文化の間に質的な違いがあることを認めた上で、お互いの間で相互に理解することができ、最も重要な価値、すなわち自由、平等、博愛、公正、調和など現代の社会において様々な民族や文化が共有する核心的価値には共約可能性があると考える。」(p.222、強調は岩田)
要するに、許氏の言う「新しい普遍性」や「新たな普遍的価値」は、1776年アメリカ独立革命、1789年フランス革命に誕生し、1848年フランス二月革命で定式化された近代の三理念、自由(Liberte、Liberty)、平等(Egalite、Equality)、友愛(Fraternite、Fraternity)
を要としている。許氏の弱点は、Fraternityを博愛と理解している所にある。我が日本においても、明治以来Fraternityの訳語として博愛と友愛が用いられて来た。かつては博愛が優勢であったと思われるが、近年は友愛に統一されつつあるようだ。Fraternityの意味は、Brotherhood、すなわち兄弟であること、兄弟愛であって、実は友愛(Friendship)よりも血縁的であり、より濃密である。とは言え、漢字的には友愛に兄弟愛の意味もあるから、Fraternityを友愛と訳してもかまわない。
しかしながら、博愛と訳すとなると、Fraternityの原義をはるかに逸脱する。博愛とは「博愛之謂仁」と言うように「ひろく分け隔てなく愛すること」であるが、Fraternityは、「分け隔てる」原理であって、血縁・地縁にからみつく人情であり、その拡張は、言語、伝説、歴史、習俗、人種、そして生活空間を共有する人間集合、いわゆる民族を限界とする。このようなFraternityの内部でLibertyとEqualityを実質化する事、それが近代国民国家成立の意味である。個々の民族国家、国民国家の外側では自由や平等は言辞にとどまる。最初の近代国民国家であるアメリカは、WASP、White白人、Anglo-Saxonアングロサクソン、Protestant新教徒の移民集団が建国した連邦国家である。歴史が許せば、自分達の力で近代社会に参加出来ていたかも知れなかった北米の諸部族原住民は、WASPの近代文明化のプロセスで殆ど根絶されてしまい、アフリカから奴隷として輸入された黒人達にとってかわられた。
以上のように、本来「ひろく分け隔てなく愛すること」ではない友愛Fraternityを本書では例外なく、「ひろく分け隔てなく愛すること」である博愛としてしまったが故に、許氏は、近代性モダニティの内的構造に迫った分析を提供出来ていない。許氏のモダニティ言説を例示しよう。「17世紀以降、宗教改革、科学革命及び産業革命によって、まず西欧において、新しい枢軸文明が生まれました。これがモダニティです。このモダニティは、全世界を席捲しましたが、同時に自己分解して、内部の敵まで育んでしまいました。資本主義と社会主義という二つの大きな価値と秩序の対抗は、まさにモダニティの自己矛盾がもたらしたものです。」(p.ⅳ)「元来、ナショナリズムはモダニティの内在的要求であったが、・・・(p.54)「モダニティはもはやキリスト教文明だけのものではなくなり、様々に異なる枢軸文明、ないしローカルな文化と互いに結び付くことが可能な、多元的モダニティとして現れている。」(p.63)「モダニティが意味するのは、自由、権利、民主主義、博愛、富強、幸福などを含む一連の価値である。」(p.219、強調は岩田)
ここで、私=岩田によるモダニティの内部構造分析を提示しておこう。そのためには、分析に使用する諸概念は、許氏のように哲学的・思想的用語にとどまってはおれない。経済学、経済人類学、経営学、社会学、政治学等に及ぶ。
人間一人一人、あるいは一つ一つの家族が自給自足で今日言う所の私的財も公共財も生産し消費できるのであれば、社会経済システムは必要ない。勿論、そんな自給自足の条件下で文明は誕生しない。それなりに大規模な社会的分業・協業が文明生活の条件である。
経済人類学者カール・ポランニーによれば、社会的分業・協業を実現させている三つの社会的統合因子が人類社会に貫通して働いていると言う。交換Exchange、再分配Redistribution、互酬Reciprocityである。近代以前、これら三因子は、親族関係、婚姻制度、宗教施設、祝祭行事、家産王朝体系等の慣習的・習俗的諸制度の中に埋め込まれた形で、embeddedの形で働いていた。カール・ヤスパースの言う所の枢軸時代、キリスト紀元前数百年の時代に、洋の東西一斉に同時に普遍を指向する世界宗教・世界思想が誕生した。私=岩田の流儀で解釈すれば、交換(Ex)、再分配(Red)、そして互酬(Rec)の働きが目覚めた時代である。
但し、目覚めたが、いまだ同じ寝床に三因子は横たわっている。このような枢軸時代を第一次文明化と呼ぶことにする。許氏は、枢軸時代に成立した古代中国文明の「天下主義」を生かした東アジア共同体の「新天下主義」創成を希求する。好感が持てる着想である。
第二次文明化、すなわち本格的文明化が北西部ヨーロッパと北米において、17世紀以来の助走期間を経て、18世紀後年に成立する。私=岩田は、この本格的文明化を近代化と呼び、その内実を交換(Ex)、再分配(Red)、互酬(Rec)の三統合因子が離床する事、すなわちdeembeddedする事と見る。すなわち、北西部ヨーロッパと北米において、世界に先駆けて、先ず社会的統合因子の交換(Ex)が離床、すなわち完全覚醒し、自立し、制度化、機構化する。資本主義市場経済の成立である。資本主義中枢地域から遠いアジア、アフリカ、南米の経済社会生活は、資本主義中枢の植民地として丸ごと政治軍事的に征服され、部分的に資本主義化されるが、相当部分は前近代的に交換(Ex)、再分配(Red)、互酬(Rec)の前離床的作用の下にとどまる、あるいは植民地本国の政策によってとどめられる。それ故に近代化した、文明化した植民地本国の学者知識人達は、植民地を現地調査して、近代化以前の社会的統合因子であるExchange、Redistribution、Reciprocityを発見し観察し、経済人類学なる学問分野を樹立出来たのである。
資本主義中枢地域において、資本主義的近代化の中下層階級である近代的賃労働者階級の中から、また資本主義的近代化によって衰亡させられつつある前近代的貴族層の中から、反資本主義の社会意識が生まれ、前近代社会を否定しつつも、資本主義ではない未来社会を志向する強力な社会革命運動が生まれ、社会的力量を増大させて行く。それが社会主義・共産主義運動であり、その理論的根拠は、主に没落しつつある旧貴族層出身者の革命的知識人によって提供された。私=岩田の20世紀後半的観点によって整理すれば、近代資本主義が交換の離床、自立化、機構化であったように、近代社会主義には再分配の離床、自立化、機構化の系列と互酬の離床、自立化、機構化の系列が観察された。集権制計画経済と労働者自主管理協議経済である。
これら二系列の社会主義は、資本主義中枢の周辺である資本主義的近代化が始まってはいるが、未熟で前近代性の濃厚なロシア、東欧、バルカン半島で現実化した。その結果、資本主義的西と社会主義的東の対抗する世界が生まれた。
私=岩田は、交換の近代化・文明化の主価値理念を自由、再分配の近代化・文明化の主価値理念を平等、互酬の近代化・文明化の主価値理念を友愛と見る。三つの近代的価値理念は、三位一体として働いているのであって、個別ばらばらにではない。資本主義市場経済の価値理念はL⊃(E,F)。社会主義計画経済の価値理念はE⊃(L,F)、社会主義協議経済の価値理念はF⊃(L,E)。ここで一言注意しておく。友愛(Fraternity)の近代的役割の二重性のことである。資本主義か社会主義かを問わず、近代国民国家・民族国家を創成する鍵理念としての役割と近代的経済システムの一つである協議経済の主価値理念としての役割とを同時に果たす価値理念、それが友愛である。
許氏は、全く気付いておられないが、古代枢軸時代に出現した洋の東西の普遍的価値すなわち愛、慈悲、正直、正義、仁義忠孝礼悌智信などと近代ヨーロッパが生み出した近代的価値理念、すなわち自由、平等、友愛との間に大きな質的差異がある。前者の場合、諸価値が何か特定の経済関係を表現しているわけではないのに対して、後者の場合、近代的社会経済システムの三パターンを代表しており、かつ近代的経済システムの回転によって再生産され続ける事である。従って、近代的価値を議論するならば、価値や理念の抽象概念上の知的操作にとどまっているわけには行かない。社会的分業協業の編成様式の作動特性を考察せざるを得ない。
私=岩田は、この問題を以下の14次元のそれぞれで分析する。すなわち、①経済人類学、②近代的価値、③所有制、④経済メカニズム、⑤経営管理様式、⑥分配様式、⑦近代的人間類型、⑧権利・責任のあり方、⑨社会心理、⑩人間関係、⑪社会構造、⑫政治的決定様式、⑬家族関係、⑭システムの象徴死。
以上、結論的に言えば許氏のモダニティ論議は社会科学的内実に欠けるのだ。
英米近代化の客観的歴史条件を論ず
許氏は、英米を特段に評価して次のように書く。「西洋国家の中で、イギリスとアメリカが繁栄し続け堕落しなかったのは、頼りになる文明と制度によって縛られているためである。ドイツと日本が一時繁栄を極めたものの最終的に敗北したのは、一方的に国家能力の拡張を追求し、人類の普遍的な文明に背を向けた結果である。」(p.244、強調は岩田)
ここに許氏の考察の非多面性がよく出ている。すなわち、英米が「人類の普遍的な文明に背を向け」なくて済んだ客観的条件、資本主義的近代化・文明化の助走期と跳躍期に英米が有していたが、後発資本主義国の独日に欠けていた客観条件が許氏の念頭に全くない。
アンガス・マディソン著・金森久雄監訳『経済統計でみる世界経済2000年史』(柏書房)を開いてみよう。表B-2(p.271)の人口統計から英国、そして英国の植民地であった米国、カナダ、オーストラリア・ニュージーランドにおける紀元1500年以降19世紀初までの人口変動を引用する。
英国:1500年-394万2千人、1600年-617万人、1700年-856万5千人、1820年-2122万6千人。
米国:それぞれ 200万人、150万人、100万人、998万1千人。
カナダ:それぞれ 25万人、25万人、20万人、81万6千人。
オーストラリア・ニュージーランド:それぞれ 55万人、55万人、55万人、43万3千人
更に、表1-7d(p.39)から英国の人口純流出の数を見ると、1600-1700年 71万4千人、1700-1820年 67万2千人、1820-69年 554万8千人、1870-1913年 641万5千人。
「アメリカ大陸の人口が1500年の水準に回復したのは18世紀前半になってのことだった。」「北米とブラジルでは相対的に少数の先住民がほとんどあるいは完全に消滅したのに対して、旧スペイン植民地では先住民は下層階級として残存している。」(p.19)「米国とカナダ圏では、ヨーロッパ人の植民は17世紀に始まり、18世紀に急速に膨張した。その当時にも奴隷の大規模な輸入があった。先住民は殺戮されたり、ヨーロッパ人の居住地の外へ追放されたりした。1700年には先住民はこの地域の人口の4分の3を占めていたが、1820年までにその比率はわずか3%に低下してしまっていた。南部ではもっぱらプランテーション農業が集中的におこなわれ、奴隷が労働力の主要な構成要素になっていた。北部では、白人植民者が圧倒的に多数を占め、主に家族農業に従事していた。」(p.42)
上記の引用文では、ヨーロッパ人、白人一般とぼかされているが、資本主義的近代化・文明化の先進的担い手、アングロ・サクソンかつプロテスタントの人々こそ、すなわち許氏が言う「頼りになる文明と制度によって縛られている」人々こそ、先住民根絶と奴隷貿易の主体・主力なのである。
自由主義的であれ権力主義的であれ、近代化・文明化は、社会内部の矛盾・対立を惹き起こす。前近代社会のエリート層は、その特権を保守せんとして激しく抵抗するし、生成しつつある資本主義的文明社会の資本賃労働関係もまたきびしい階級対立を生み出す。英国の北米への植民的進出と米国独立後の西部大開拓=先住民根絶は、かかる生成期の高内圧を外部へ開放する絶大な効果を発揮した。かかる減圧装置がなかったとすれば、資本主義的近代化・文明化の進行は社会的矛盾の激化、すなわち旧社会の貴族層・地主層の抵抗と新しい資本賃労働関係に起因する階級対立とが錯綜する矛盾の激症化によって内破されるか、強権主義的な今日言う所の開発独裁に頼ることになっていたであろう。
幸いなるかな、英国本国の下層民衆は、北米植民地に脱出し、国家能力にあまり頼らず、自力で、自発的に、民主的に、先住民を殺害・追放しつつ、そこに自分達の新天地を見出し、アメリカ合衆国を創建する。英国本国の没落貴族・地主達は、北米のような移民植民地以外のインド・ビルマのような帝国植民地の統治者・行政官僚と言う新しい役割を見出す。すなわち国家能力の担い手になる。
以上に説いた客観的条件が、歴史的に存在したからこそ、英米は「人類の普遍的な文明に背を向け」ずに済み、「頼りになる文明と制度」を創造し、堅持できたのだ。
英米仏の近代的価値理念は、かかる犠牲の上に生を受けたからこそ、人類普遍の神宝なのだ。
独日の後発資本主義国は、英米の有していたかかる客観的条件がなかった、あるいは、英米によってブロックされていた。それ故に、日本帝国は、歴史ある旧文明国朝鮮をむりやり植民地化し、満州国を建国し、中国への侵略戦争に狂奔した。ドイツ帝国は、過剰な人種的民族主義・狂気のナチズムを生み出し、ユダヤ人根絶を企画し600万人を殺し、東ヨーロッパとロシアにドイツ人だけの生存圏を築き上げようとスラヴ人の絶滅を企画し、2700万人を殺した。
私=岩田は、独日近代文明の否定しがたい負相・汚面を直視するとともに、英米近代文明史の本性をも美化せずに凝視する。
令和2年10月1日(木)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔study1139:201004〕