誰だって、楽しい方がいい

著者: 藤澤豊 ふじさわゆたか : ビジネス傭兵
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ビデオクルーが、こんどは仕事で来る。もう半年ほど前になるか、上海からミルウォーキーに戻る途中で東京の事務所に立ち寄った。廊下ですれ違って、無言というのもイヤで軽く声をかけた。事業部を訊いたら、本社のCorporate Communicationsだった。そんな部署、聞いたこともなかった。何をしているのか想像もつかない。事業部のマーケティング・コミュニケーションズなら仕事で直接関係するが、本社のコーポレート・コミュニケーションズ、響きからしてかなり遠いい。仕事で付き合うことがあるとも思えない。会ったことすら忘れていた。

廊下でコーヒーカップを持った上司につかまった。

「トム、この間マイク・クラークっての来ただろう」

ちょっと時代遅れの感のある上司にトムというニックネームで呼ばれていた。しょっちゅういろんなのがくるから、仕事で直接関係する人たちの名前ですら覚えきれない。ましてやすれ違いざまに話したのなんか覚えちゃいない。

「えぇっ、そんなの来ましたっけ」

「あれ、おまえ廊下で立ち話してなかったか」

廊下で立ち話はいつものことで、組織をとばして下りてくる仕事で振り回されていても、社長となんか座って話したのは数えるほどしかない。今だってこうして部長と立ち話してる。

できるやつにやらせるしかないと考えてのことだろうが、アメリカ人の社長は組織なんか気にしない。気にしないのは勝手だが、こっちは動きにくくてしょうがない。いてもいなくてもというより、実務で走っている者にはいないほうがいい役員や部長にも立場ってものがあるだろう、としたくもない心配までしてしまう。

「えー、どこの事業部ですか」

「ビデオクルーだ。ほら上海からミルウォーキーに帰る途中で寄ったやついたろう」

そんなのいたっけ?思い出せない。

「ビデオクルーって何ですか」

「なんですかって、お前。サクセスストーリーのビデオマガジン見たことあるだろう。上手くいった客に頼んで、撮影にいくやつらだ」

ビデオマガジンは見ていたが、外注に作らせているものだとばかり思っていた。

「へー、そんな部隊まで持ってんですか」

「でもお前、間違いなく廊下で話してる。お前ことだから、抜け目なく顔つなぎをしてると思ったんだけど、まあ、いいや。そいつが、こんど京都のゲーム屋の倉庫の撮影にいくから、通訳も兼ねてマーケティングから一人付けてくれっていってきた」

抜け目なくってのはないだろう。あんたと一緒にするなっての。まして、そんな雑用までこっちに振らないでよって思いながら、

「京都だったら、大阪(支店)から誰かいけばいいし、なにも東京から出っ張ることないじゃないですか」

そんなアシスタントみたいな仕事で、京都まで二泊三日はもったいなすぎる。

「まあ、そういうな。相手はビデオクルーとはいえ、コーポレート・コミュニケーションズだ。コマーシャルマーケティングとして顔をつないでおく必要もあるし、お前行ってこい」

もうあちこちに顔がつながりすぎて、もうこれ以上は勘弁してほしい。

「でも、今二泊三日はきついですよ」

今抱えている仕事の負荷の今なのだが、その今の意味がわからない。仕事という仕事は社長から直に来てるから、上司の部長も役員も、なんで走り回っているのかなど知ろうともしない、ただのお飾り管理職だった。

「今じゃない。来月末だから調整つくだろう。オレたち、製品事業部とは仕事になるようになってきたけど(誰のおかげだと聞きたくなる)、これからのことを思うと、コーポレート・コミュニケーションズともしっかり顔をつないでおいた方がいい」

「itineraryとお前の分も入れて三人分のグリーン車の切符だ。四時過ぎだから、昼飯食って一服したらホテルにいって二人をピックアップして……」

「なんでまたグリーン車なんですか。そんなに偉いやつらじゃないでしょう」

「行けば分かる。日程に余裕はあるから、いつものように詰め込まないでゆっくりしてこい」

なんで帝国ホテルなの。京都との行き帰りはこっちで手配したが、京都についてからはビデオクルーが直接顧客と日程を組んでいるし、仕事で出る幕はない。朝から晩まで時間は長いが、お付きのような通訳で気楽な出張だった。

ホテルについて、荷物の量にたまげた。私物のバッグは日本仕様より大きいもののアメリカ人には普通の大きさだった。ところが撮影機材が半端じゃない。ビデオカメラだけでも何台もあるし、三脚から銀レフやパラソル……、まるでスタジオ一つ持ち運んでいるようなものだった。

あきれるほど慣れている。ほいほいという感じで夜逃げのような荷物をかかえて、新幹線に乗ったら、

「ちょっと荷物、見ててくれ」、

と言い残して二人で出て行った。何分もしないうちに缶ビールを抱えて帰ってきた。

旅慣れているのだろう、長旅の疲れなどどこにも見えない。席について、世間話をしながら飲みはじめた。

このエネルギーはどこからくるのか。なんてヤツらだと思いながら訊いた。

「いつもこうして撮影に走り回ってるのか」

二人で目を合わせて、年長の人懐っこいのが、

「いつもってわけじゃない。月に一回、多いときは二回かな。撮影したあとの編集もあるし、そんなに表に出てるわけにもいかない。まあ、帰ればサポートもいるけど……」

「撮影も大変だろうけど、あの機材を運ぶだけでも勘弁してほしいな。オレにゃできない」

「そりゃそうだ。こんな仕事、やりたくてやってるやつはいない。もしいたら、そいつはオカシイ」

それを聞いたもう一人が手をたたいて笑いながら、

「でもオレたちも、そのオカシイやつの仲間じゃないか」

二人で大笑いしながら、

「オレたちは、コーポレート・コミュニケーションズのオカシイコンビだから、二人で世界中あっちへこっちへ、ジプシーみたいなもんだ」

ジプシーはもうちょっと身軽だろう。あんな荷物抱えて、まるで苦力じゃないかと思いながら、

「ところでこの仕事、もう長いんか」

「うーん、オレがもうすぐ四年で、ラリーお前は」

「オレは二年半を超えたところかな」

「なんでまたこんな大変な仕事を……」

「知らないところにいって、知らないことを知るっていいことだろう」

「でも疲れちゃうだろう」

「確かにな、でもこの仕事は行く先行く先、みんな上手くいってて、ハッピーじゃないか。ハッピーな人を撮影するって、ハッピーをもらえるような気がするだろう。楽しんで仕事して金もらえるんだから、いい仕事ないじゃないか」

「言ってることは分かるけど疲れるな」

「マイクもオレも元はテレビ局のビデオクルーだった」

「そりゃまた大変だな。毎日毎日ニュースで走りっぱなしで、そのうち倒れて終わりってことにならないんか」

「そこまで走れればたいしたもんだ。みんなやってて、やんなっちゃうんだ。わかるか」

わかるかって、わかるわけないじゃないかという顔だったのだろう。

「テレビのニュースって、明るいニュースもあるし、きれいな話のこともある。でもほとんどは悲惨な事故とか事件の現場だ。やばくて近寄れないなんてもあるしな……」

「フジサワさん、想像してみてくれよ。交通事故で血だらけ、消火活動で大騒ぎの火事場、洪水で山火事で、ドラッグマフィアの抗争なんてのにでもなったら、特殊手当てもらったって現場にいくだけでもごめんだ。危なくてやってられない」

「オレたちみたいにテレビのビデオクルーやってたのからみたら、この仕事は天国だ。おいそうだろう、ラリー」

「そんなこと、いちいち聞くな。人間だれしもきれいなもの、楽しいこと、うれしいことに囲まれていたいと思ってるんだ。でも、社会っての、そこまで汚いか、醜いか、なんでそんなに貧しいんだって、なんでそんなに危ないなんだってのばっかしで、そこから逃げられやしない。だからこそ、楽しい方に、美しい方に、きれいな方に……。誰だって楽しい方がいいに決まってる」

「そりゃそうだ、彼女だってきれいなほうがいいし、彼氏にしたってかっこいいイケメンのほうがいいだろう。ものだってなんだった同じだ。きれいってことはそれだけで周りの人たちを幸せにする」

言われてみればその通りで、現実逃避ということではないにしても、誰だってきれいで楽しいほうがいいに決まってる。どこにいくったって、汚くて危ないところなんか、誰も行きたいとは思わない。どうせいくのなら、きれいなところに行きたいし、会う人にしたって、楽しいヤツのほうが、内実はわからないにしても、いいに決まってる。いつも問題抱えて文句たらたら、口を開けば反対しかでてこない、しかめ面して七面倒くさいことばかり言っている(立派な)人より、多少小ずるくたって、だらしなくたって格好よく楽しいヤツのほうがいいって、普通の人たちは思う。

真綿で首を絞めるような、抜け出ようのない泥沼に首まで入り込んだ生活に明け暮れれば、誰だってできれば、なんとかしてきれいな、楽しいところにと思う。思ったところでどうなるもんでもないこと、わかっていても思わずにはいられない。思えるものなら、思っていられるのならまだいい。思えなくなったらと思うと怖い。

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion8167:181121〕