護憲運動への疑問

我々が批判している「緊縮リベラル」(取り合えず旧オミンスの後継者たちと言っておく)を含む「進歩的知識人」は、本気で民衆に訴えかけようとしているのか疑わしい。

このグループの中には、憲法学者などを代表する所謂「護憲運動の活動家」がいるが、このようなグループのメンバーである憲法学者がある時、私のいた南京大学にやって来て「日本語科の学生と法学科の学生」を対象に講演会を行った。そのテーマは「日本国憲法第9条」。さすがというかやはりというか代り映えのしないテーマであった。

言ってることは想像つくのであまり期待しないで聞いていたが、聞き始めると「期待できない」どころか「馬鹿じゃないか」と思う内容だった。

何しろここが中国だということをまったく無視して、「憲法9条はかくかくしかじかで素晴らしい」と言うだけ。そう言うことが、中国の若者にとってどんな意味があるのか。中国は、人民解放軍という巨大な暴力装置を持っている国で、少なくても建前上は、全中国人民はそれを誇りに思っていることになっている国だ。そんな国の若者に、「軍備を廃止しなさい」と勧めるつもりなのか。それとも、「日本は軍備のない特別な国だから理解してほしい」と言いたいのか。

前者ならばまったくのお節介だろうし、党員の若者ならば、「反日運動のネタができた」と「日本のブルジョアジーの手先による平和転変思想の宣伝」と騒ぐ可能性すらあるだろう。後者ならば、「日本って可笑しな国だ」で終わりである。でも、ともかくこの両者の場合は、あまり意味のない話とは言え、いちおう「話の目的」はあるのでまあいいかもしれない。

ところが、この時の先生の話は「目的」さえわからなかった。ただ「憲法9条はかくかくしかじかで素晴らしい」だけなのである。お釈迦様の言う「相手を見て法を説け」を完全に無視しているわけである。

当然、日本の大学でもまったく同じ内容を話しているのだろう。学生たちが右傾化しているとか政治に無関心であるとかという状況を完全に無視して、一方的にしゃべるだけだと想像できる。

そうであれば、「人を説得する」ということはできず、当然その結果、「護憲運動」は「平和万歳」をただ唱えるだけの自己満足の運動に終わってしまうだろう。