―的場昭弘・佐藤優共著『国家の危機』を読んで(KKベストセラーズ、2011年6月5日刊)―
熱のこもった討論の書である。
「序章 東日本震災をマルクスで読み解く」がその熱を如実に示している。
佐藤優氏はこの震災という危機を、①マルクスの環境論の観点から、地代論をとりあげ、さらに②「(フランスの)マルクシストでも原発を容認している人たちが多勢いる」わけを問う。問題提起として非常に適切である。
まず①の「地代=土地所有」問題は、評者のみるところ、福島原発の被災者の強制退去(疎開)=土地喪失(疎外)によって、職・生活を奪われ人間関係を解体されたという現実問題にかかわる。国家の存在意義は国民の生命・財産を守ることにあり、国民はそのための資金を租税で負担する。これは契約関係である。福島原発は国策であり、その事故は人為的であるから、自分の土地から退去を強制された人々はその損害補償を要求できるだけでなく、納税の義務もないのではなかろうか。
ジレッタイくらい義援金がいまなお被災者に配分されていない。或る民放テレビ報道では、2011年6月6日現在、或る義援金総額2,513億円ある。その民放のキャスターは「なぜ配分しないのか。一刻も早く配分せよ」と叫んだ。義援金を預かる者は《被災者に配分することができる額になるまで、配分を待っている》と弁明するかもしれないが、そうだろうか。義援金は銀行など金融機関に預金されているのだろう。いま災害復興のための資金が不足している。借り手は沢山いる。この配分遅滞は、その資金が支払準備金(担保)となって膨大な利子を生む「信用創造」[擬制(架空)資本]のメカニズムと、無関係であろうか。いま、銀行の支払準備率を25%とする。預金者利子は義援金であるから無利子である。その義援金2,500億円(端数切捨)は、貸付利子率(年)3%とすると、2,500×[(1/0.25)-1]×0.03=225億円の貸付利子を生む。1年間、義援金を配分しないと、これだけの利子が生まれるのである。これは誰の収入になるのだろうか。義援金をなかなか配分しない理由がここにないだろうか。「ない」と主張するためには、「即刻配分」で実証するほかない。要は、こうして生まれる利子の金額それ自体ではなく、このメカニズムを知ることである。
的場氏は佐藤氏の①地代の質問について、『資本論』では、地代は資本主義以前から存在してきたものであるから、資本主義にとって「外部」であり、『資本論』という資本主義の論理を解明する立場からは「排除する対象」となってとみる。的場氏は「土地所有=地代」だけでなく、さらに「貨幣」も「宗教」も「国家」も「外部であること」という。的場氏は主要な存在を「すべて外部性の相の下に」みるのである。佐藤氏もこの視点を「目に見えない《外部》を読み解く文法」(5頁)の重要性を力説するというかたちで共有している。
的場氏が地代だけに外部性をみるのは的確であろうか。近代市民社会は資本と土地所有という別々の夫から受精=受胎(重複妊娠superfetation)して成立したのである(『経済学批判要綱』(いわゆる)「資本制生産に先行する諸形態」)。マルクスが絶対地代を『資本論』の収入諸形態の最後においたのは、絶対地代そのものだけでなく、絶対地代を含む、おおよそ近代的私的所有の収入の無根拠性=「仮象」を暴露するものである。地代でも、「差額地代」は(資本投下にもとづく)土地生産性の格差という、一見するとブルジョア経済的に合理的な根拠(=仮象Schein)をもつが、「絶対地代」論はそのような根拠「さえ」なしに、近代的私的所有者が「合法的に」強奪する剰余労働を暴露するものである。
佐藤氏の②の質問について、的場氏は、原子力発電は、フランス・マルクス主義者を含めて「フランスの国のあり方[=国是]」になっているとみて、フランス共和制史の説明することに絞っている。やや肩すかしの感がある。日本のマルクス主義者(Marxist)、マルクス者(Marxian)にとっても、この原発問題は思想的実践的試金石になっている。このような事態になって、反原発の経験蓄積は主に彼らとは関係のない人々によって担われてきたし、担われていることが鮮明になっている。
この「序章」で注目すべきなのは、神学を専攻した佐藤氏が問題提起した、天皇の被災地への見舞い「ビデオ・メッセージ」の意味である。佐藤氏によれば、その意味は、天皇がいまの事態になって「ビデオ・メッセージ」で「国のために死ねとか、国民国家のために死ねという命令」をテレビで出したことにある。それを受けて「その翌日から自衛隊のオペレーションが活発化してゆく」(23頁)ありさまに注目する。迫真力のある指摘である。的場氏はその指摘を「それこそ統率権ですよね」と受け止める。このような議論が本書全体に貫徹すると、大変な書物になったと思われる。もっとも、この「序章」は《3.11》の後の討論である。そのあとの部分はそれ以前の討論の記録であろう。議論環境に断層があるのである。むしろ、機敏にこの「序章」をつけたことを評価したい。
「第1章 変質する国家」では、その冒頭につけられた「第1章の論点」に、「国家は市民社会がつくりだした。だから、市民社会さえあれば国家はなくてもいい。ブルジョア(市民)革命とは国家を市民社会の内在的な論理に引き入れること」(32頁)とある。ここでも国家の「外部性」が確認される。第1章のタイトルから推して、現代国家が資本主義の国際化に随伴して「国際国家」に変質している実態が解明されるのかと期待して読むと、そうではない。対論のほとんどはフランス近代史の話題である。これは的場氏の専門が近代フランス思想史とマルクスにあることからして、或る必然性がある。「国家の超克は可能か」という本質的な問題についても、貨幣・宗教の「外部性」とともに国家の「外部性」が確認される(的場氏。102頁)。ただ重要な点と思われるのは、20世紀初頭から国家は「大きな国家」になって「債務が国家をつくる」ことを指摘していることである。豊富な財源を集めビジネスに活用するために、自国は強大な核武装をしているのに、「某国は核武装しているから正義の戦争をしかける」といって、膨大な戦争予算を組み、国民から税金と取る、といったことが思い起こされる。戦争は兵站(logistics)を前提とする。偶発しない。計画的である。
民衆の担う剰余労働を収奪する手法として「租税と資産所得」がある。今回の東京電力の原発被害補償の基金は何かをめぐって、東電資産か、税金かの「鐔(つば)競り合い」がもう始まっている。「東電資産」といっても東電にあるのは負債だけで、それを保証するのが原発国策=日本国家である。つまり国民の税負担となる。その意味で佐藤氏が、マルクスには租税論があるか、と的場氏に尋ねているのは鋭い。的場氏はマルクス経済学批判体系プラン問題で予定されていたと答えている。
本書では「国家」に「市民社会」が頻繁に対置される。本書はマルクス学からする国家論である(実際の内容は国家論に限定されていない)。市民社会については、日本のマルクス研究史では膨大な研究蓄積があるのに、本書では、言及すら、されていない。不自然である。的場氏がその研究蓄積をまったく知らないとは考えられない。内田義彦・平田清明・望月清司などの諸氏の研究は無視してすむものであろうか。外国の思想・研究の動向に敏感ではあっても、国内で無視し合うのでは、日本の「輸入文化性」・「タコツボ性」は日本のマルクス研究でも妥当することになってしまう。いま、中国では、平田清明氏の『市民社会と社会主義』を筆頭に市民社会学派の研究をふくめて、戦後日本のマルクス主義研究の翻訳が活発におこなわれている。
国家を市民社会と対置して論じる以上、市民社会の理論的足場固めは不可欠であろう。念のためいえば、市民社会といっても一義的ではない。「市民社会=ブルジョア社会=資本主義社会」というナイーブな等式は歴史上、一貫して成立しはしない。成立するのは、第1次市民社会においてだけである。しかもその市民社会は原蓄国家に相対する初期近代市民社会である。女性を二次的存在扱いする社会であり、奴隷制と両立する市民社会である(拙著『啄木と秋瑾』社会評論社、2010年参照)。清教徒革命(名誉革命)・フランス革命・アメリカ革命(独立戦争)・明治維新がそうである。
「第2章 マルクスと宗教性」は短い対論ではあるが、マルクスの「経済学批判」を理解するうえで、きわめて重要な論点が指摘されている。教えられることが多い。この問題については通常、「宗教は阿片である」というマルクスの言明が蒸し返されるが、ここでは、マルクスがユダヤ教からプロテスタントに改宗したこと、マルクスの宗教知識の内容、プロテスタンティズムの類型など密度が濃く詳しい。この点は「第4章 『資本論』を読む」で的場氏が、マルクスが価値形態論でしめす「リンネルと上着」の例が「マルクスの生まれた町[トリーア]のカトリック教会には聖衣というのがあります。聖なる上着です。これはイエス・キリストが羽織っていた上着と言われるもので、リンネルでできている上着です」(226頁)と紹介しているように、『トリーアの社会史』の著者ならではの貴重な知識を披瀝している。「眼から鱗が落ちる」とはこのことである。マルクス価値形態論、いやもっと広く、価値論を基礎理論とする『資本論』全体が単なる経済学書ではなくて、キリスト教を中心とした宗教批判の書であることが分かる。宇野弘蔵の『資本論』の「科学的」読み方が当時のコミンテルン史観に偏向した読み方に対抗するものであったという合理的根拠(経済学の科学としての純化、政治からの分離)があったとしても、宇野理論からは、マルクスの経済学批判が宗教への批判書でもあったという意味が捨象されている。この一面性は指摘しなければならない。『ドイツ・イデオロギー』(1845~46年)におけるフォイエルバッハ批判=決別が、《宗教批判は経済学批判に前進=深化しなければならない》という当時のマルクスの確信を記すものである。
他方、佐藤氏が紹介する「キリスト教におけるサクラメント」の分類(134~5頁)も、マルクス価値論を考える上できわめて示唆的である。「パンが本当のキリストの肉になり、ブドウ酒が本当のキリストの血になる」と考えたカトリックの「実体変質説」がプロテスタントではつぎのような「聖餐」に変わるという。ルター派では、パンもブドウ酒も「一部はキリストの肉・血になるが、残る一部はパン・ブドウ酒のままにとどまる」と考え、ツヴィングリはパンもブドウ酒も「単なる象徴(シンボル)」にとどまると考える。これに対して、カルヴァンは「見た目の現象」ではパン・ブドウ酒そのままに留まるけれども、「信仰をもって」パンを食べブドウ酒を飲めば、それらはキリストの肉と血になると考える、というのである。
これを読んで評者が考えたことを記す。「パンそのもの・ブドウ酒そのもの」をマルクスのいう「使用価値」に、「キリストの肉・血」をマルクスのいう「価値」に置き換えれば、まさにカルヴァンの聖餐観こそ、財を商品に転化するブルジョア的思惟であろう。「物=使用価値」としてのパン・ブドウ酒に「信仰=価値」を観る者こそ、ブルジョア経済的人間である。カルヴァンの主張した「信仰をもって」という条件が深く内面化し日常化すれば、パン・ブドウ酒には本来的にキリストの肉・血が内在している、と実念論的に(realistic)当然視するようになる。こうなると、カトリックの「実体変質説」と同質なものに転化している。マルクスは『資本論』で、プロテスタント的資本主義が危機(恐慌)になるとカトリック的に戻ると指摘している。経済的価値とは、物に内在している価値であると信じて疑わないのがブルジョア的日常生活である。マルクス(主義)者も含めて、天動説を信じているかのような空間像を思いえがいて生活しているように、価値実念論的に行動している。ツヴィングリの象徴説はノミナリズムであり、本書でも論じられているベイリーの価値論に対応するだろう。
ここで言及すべきなのはカントである。カントは、単に「思惟する」にすぎない「私(霊魂Seele)」自身が「実在する」と思うのは、人間理性の超越論的な「すり替え」であると批判した。「観念性を実在性に転化する」ことを「誤謬推論(パラロギスムス)」であると批判した。マルクスは『資本論』で「商品の霊魂(Warenseele)」が経済学者を通じて実念論的に語る事態を指摘した。マルクスは《プロテスタントのカントさん、あなたの批判する誤謬推論はじつは資本主義で日常化していますよ》、と批判したのである。つまり、カントのいう「誤謬推論」=「仮象(Schein)」は単に思念の内部だけに留まらず、実在し再生産され当然視されている事態である。マルクスの経済学「批判」はこのような「カント第一批判への批判」を含んでいる。価値の転化形態である貨幣があたかも「外部から生成するかのようにみえる」のは、人間の理性の超越する本性による。パン・ブドウ酒という「実在物」に信仰という「観念」を注入することは、ヘーゲルが『法=権利の哲学』で「人格が物に私有意志を注入すれば、物は物件(Sache)になる」と主張したことに対応する。貨幣のみならず、宗教・国家が外部から生成=現存するかのようにみえるのは、人間の「無意識に観念を実在にすり替える理性」(仮象)に根拠がある。無意識にそうするから、物に宿る価値なるものがどこか分からない外部から降臨した物である、と錯誤するのである。カントの名前は『資本論』には出てこない。「ない」から無関係であるとは考えないのが研究者である。
「第3章 社会主義はなぜ失敗したのか」に移ろう。このタイトルも魅力的である。佐藤氏は、現存した社会主義国でキリスト教が体制とうまく共存した思想的根拠を、フスの千年王国思想がマルクス主義思想と類似していることに求めている。佐藤氏は「キリスト教が貧困の問題や疎外の問題に取り組まないが故に、その機能をマルクス主義が果たしている」(163頁)とみる。かつてキリスト者・矢内原忠雄が苦闘した問題である(『マルクス主義とキリスト教』)。戦時中の「ものみの塔(the watchtower)」などを除けば、ほとんどの宗教家が大政翼賛会に参加した。浄土真宗も日蓮宗も神道天皇制権力に癒着した。宗教の権力志向問題は社会主義国家において、どうであったのであろうか。
どういうわけか、肝心の社会主義失敗の原因は明確になっていない。的場氏と佐藤氏の現存した社会主義国に滞在した経験が豊富に語られて、それなりおもしろいが、アルコール漬けになった社会主義国労働者の実質「平均三時間労働」を肯定的に語るのは、ソヴィエト全面批判へのユーモラスな反論としても、読んでただ苦笑するだけである。本書でも少し言及されているが、入国者に「米国ドル・西ドイツマルク」を当地(例えば旧東ドイツ)の通貨に様々な場所で強制して交換させるシステムを評者も経験した(1986年秋。ベルリンの壁崩壊の3年前)。そういう無理難題を強制しないと、維持できなくなっていたのである。
東ドイツへ列車で入国するとき、各車両の前後から機関銃で武装した兵士が物々しい仕草で入ってきて、パスポートをチェックする。いままで和やかであった社内は、一瞬にして凍りつき、静寂が張り詰める。東ベルリンの「マルクス・レーニン主義研究所」を訪れると、分厚く高く大きい鉄製のドアのまえに、機関銃で武装した兵士がガードしている。当該研究所への招待状を見せても、無表情である。東ベルリンから西ベルリンへ往復するときに、迷路のような木製通路を高く立つ塔から機関銃で武装した兵士が銃を構えて睨んでいる。そのような檻のなかに、「三時間労働の楽園」が存在したのである。現存した社会主義国のなかに良いものがあったことは確かであろう。それは、そのようなシステム「ゆえに」ではなくて、そのようなシステム「にもかかわらす」存在したと判断すべきではなかろうか。いや、やはり、「ゆえに」である。快適な勤労への動機づけができないシステムは強権組織となる。これは国家という組織だけのことではない。
この点は、的場氏の「第1章」における注目すべき、つぎの重大発言に関わる。「自分たちの事項要求の合理性が、翻って自分たちの精神の合理性に返ってこないのはなぜなのか・・・。相手に対しては合理的変革を要求するが、自分たちの精神には合理性を要求しない。・・・これまでの社会主義も共産主義の運動にもそれは言える」(62頁)という発言に深く関わる。そのような人間は、無意識に、理性の超越する思惟にまかせて、自己の立場を高い外部に据え下界を睥睨し思惟する存在になっていないだろうか。それがまさに貨幣・国家・宗教が「外在」する根拠ではなかろうか。「(他者を含め)すべてを対象性(=価値)の相の下に観照する」ブルジョア的構えが存在の核心を無意識に外部化=超越化する。自己の超越化と存在核心(貨幣・国家・宗教)の外部化とは対称的である。超越的外部は超越する自己の反照である。キリスト者は肝心な個所にくると、周囲を見渡し賛同をもとめ、厳かに「神の名において」と超越する。そのたびに、私はマルクスを思う。マルクスの「批判」は逆に、超越するかにみえる存在を内生したものとして再把握することを意味しないだろうか。
さて、本書で一番長い「第4章 『資本論』を読む」は、的場氏の『超訳《資本論》』(全3巻)の内容の核心を知るうえでも、興味深い。冒頭の「第4章の論点」で、『資本論』の佐藤氏の「宇野弘蔵的・関係論的読み」と的場氏の「実体論的読み」を対照するとあるが(214頁)、佐藤氏は的場氏への聞き役になっている。佐藤氏は、宇野の価値論は「関係論的」であるとみているようであるが、宇野原理論では、商品所有者の間の商品交換が各自所有する商品の使用価値が取引相手の欲望を満たすかぎりでの関係=「流通形態」と、その流通形態が「労働生産過程」を「外部」からつかむという二段階で設定されている。宇野にとって、「労働生産過程」で労働者が生産手段に対象化する労働力の「人間の頭脳・筋肉・神経・手などの生産的支出」というのが価値の実体である。宇野原理論ではこの「関係=流通形態論」と「実物的実体論」とがセットになっている。かつて廣松渉氏と宇野派の経済学者との間で行われた価値論争の焦点は、廣松渉氏の価値実体=「関係の第一次性」と宇野派の労働生産過程=実体論(「人間労働力の支出」)との間の論争であった。より詳しくみれば、宇野の価値論はノミナリズムの流通形態論とレアリズムの実体論との二重性をもっている。佐藤氏のように宇野の価値論を「関係論的」と限定するのは、いささかズレを生むのではないだろうか。実際、「労働力の生産的支出説」は中国の「社会主義市場経済」における価値計算可能性の理論的根拠を与えようとする研究にもなっていた。もっとも、いまでは「社会主義市場経済」という用語も、評者のかつての予見どおりに、ほぼ消滅した。
的場氏は『資本論』第1部の冒頭文節の「巨魔的な商品集合(ungeheure Warensammlung)」(評者訳)の形容詞ungeheuer をオットーが『聖なるもの』で問題にしたことに関連づけて、「畏れ多い商品集積」と訳すべきであると主張している。的場氏の先の「リンネルと上着」が「聖衣」とむすびついているという指摘とともに、示唆に富む指摘である。
しかし、名詞「Warensammlung」は「商品《集積》」と訳して、正確に理解できるのだろうか。その語彙のすぐあとに、「個々の商品はその富の要素形態(Elementarform)として現れる」とある。「要素」に対しては、「集積」でなくて「集合」であろう。資本主義的生産様式が支配する社会では、ほとんどの富は商品形態をとる。商品は「集合」であり、かつその「要素」である、とマルクスは言明しているのである(ちなみに『経済学批判』では「集合」にAggregatを当てている。この語法はカントにならっている)。「商品とは、商品諸要素によって生産された商品集合である」というスラッファ的な命題を言明しているのである(むしろ、スラッファの『商品の商品による生産』が、マルクスの商品(集合かつ要素)を実物経済(使用価値)のタームに変換したものである)。冒頭商品の以後の考察、すなわち、商品の二つの要因(使用価値と交換価値)への分析(第1節)、使用価値・交換価値の具体的有用労働・抽象的人間労働への分析(第2節)、価値形態(第3節)、商品物神性(第4節)、交換過程(第2章。以上で「商品関係」は「商品=貨幣関係」に転化する)は、諸商品が何を根拠に如何に結合(=接合articulate, gliedern)して、商品集合を構成しているかの論証である。集合と要素(接合肢)との関係の論証である(カントも「第一批判」で、要素=接合肢(Glieder)がなす集合(Aggregat)を語る)。この商品の二重規定(集合・要素)は『資本論』体系を構成する基本論理である。
商品所有者(AとB)の間の二つの商品(Wa, Wb)の間の直接的交換関係がその原型である。Aにとって、販売は、①商品(Wa)の使用価値の交換相手への手放し(自分自身からの分離・外延)であり、かつ②交換相手からの価値の受け取り(自分自身への結合・内包)である。同時に進行するAの購買は、③相手から商品(Wb)の使用価値を受け取り(結合・内包)であり、かつ④相手への価値の支払い(分離・外延)である。二つの商品(Wa, Wb)がなす商品集合は、
「①AのWa販売(使用価値の分離・価値の結合)=②BのWa購買(使用価値の結合・価値の分離)」
「③BのWb販売(使用価値の分離・価値の結合)=④AのWb購買(使用価値の結合・価値の分離)」
の①・②・③・④の要素=接合肢が構成する。このような一面の「分離=外延」と他面の「結合=内包」の巨大な重層的接合関係が商品集合=資本主義商品世界である。接合肢を①→②と③→④を逆方向で結ぶ、直接的商品交換は「メビウスの帯(Moebius band)」の上の運動と同値である。すなわち、その表面の或る個所から前進する運動は必然的に裏面に反転し(①→②)、さらにその裏面から表面に再反転して出発点に復帰する(③→④)。商品世界は「前進運動(progress)と後進運動(retrogress)の逆方向への進行」で構成される。そこでは前進運動は「前方から」出発点に再帰する(rueckbeziehen)。
②と④は「自己から価値を分離し、使用価値を結合=再生産する運動」である。その運動は価値交換を媒介にして「商品」になる。商品は「自己を自己に結合し包摂する後進運動」=(a)「自己を要素として内包する集合」である。これが『資本論』冒頭の命題「商品は集合、かつその要素である」の最も基礎的な意味である。①と③は「自己から使用価値を分離し、価値を結合=蓄積する運動」である。この運動は価値自体を具体的に体現する形態=「貨幣」を生む。使用価値という「実在性」から自己を分離する「価値=商品関係それ自体」の自立運動は「観念性」そのもの、「空(empty)」である。その「空」を要素とする集合が貨幣である。「自己を使用価値から分離し外延する前進運動」=(b)「自己を要素として内包しない集合(空)」を要素とする集合=「空集合(empty set)」である。これは「ラッセルの空集合」と同値である。
単純商品交換関係における上記の「使用価値の結合=再生産」と「価値の結合=蓄積」がいかにして「商品と貨幣へ分離するか」はマルクス価値論が論証している。要点は「価値形態の第2形態から第3形態への移行」と「交換過程」との異同・関連をいかに理解するかにある。この点は廣松渉氏と宇野学派との論争点であった(『アソシエ』No.19、2007年掲載の拙稿を参照)。本書では宇野学派と廣松学派が論じられている。両学派では、この点が厳しい論点になっているのだから、この点についての的場氏と佐藤氏の見解が披瀝されてもよかったのではなかろうか。
「商品は集合であり、かつ要素である」という事態は、商品関係が「結合=内包」と「分離=外延」の二重性を相互に「襷(たすき)かけ」に含んでいることをしめす。的場氏の力説する「貨幣の外部性」は「商品の内部性」の反照形態である。商品関係のこの二重性こそ、貨幣に外部性を賦与する根拠である。流通形式①(商品―貨幣―商品[W1―G―W2])は買う(G―W2)(=内包)ための売り(W1―G)(=外延)である。目的の買いが行われず売りに留まることから、もう一つの流通形式②(貨幣―商品―貨幣[G1―W―G2])が生成する。これはいうまでもなく貨殖(G2―G1=ΔG)を目的とする流通形式である。ここでは貨幣は使用価値を目的とする内包的取引を媒介し、それから自らを分離し自己増殖を目的とする、優れて外延的な形式である。これが「外部性」をもつ貨幣の存在根拠である。商品の使用価値を獲得しようとする内包的な流通形式①なしに、外延的な流通形式②は存在しない。貨幣の外延性(外部性)は商品交換から内生しそれに条件づけられた運動形態である。
因みに、日本では鎌倉後期までは関西では「米」が、関東では「絹」が「物品貨幣」であった。その後、「北宋銭」が外来し江戸幕府成立まで流布したが、江戸幕府が「金銀」を本位とする貨幣制度を確立した。貨幣は何処とも分からないところから生成するのではない。外部に超越すると見える現象には、その対極に内包する力が作用している。この隠れた力を見つけることがマルクスの「批判」であろう。人間の神への信仰が神の人間への睥睨の根拠であることを解明する課題と同じように。
的場氏が「ungeheurer」という形容詞を「畏れ多い」と商品世界に「平伏す」ニュアンスで訳すのは、マルクスの観点とはズレテいないだろうか。ungeheure Warensammlung を批判的分析しようという問題意識を提示するのが、『資本論』冒頭文節である。商品世界の住民も、その世界に嬉嬉として生活している。いや、それは一種の宗教世界ですよ、とマルクスは語り始めるのである。評者は「巨魔的な商品集合」と訳す。
マルクス価値形態論に関する議論で、的場氏は「金が先回りをして待っている」(228頁)という。「金は生まれながらにして貨幣ではない[ペルーの例]が、貨幣は生まれながらにして金である」というマルクスの規定をどのように考えるのであろうか。貨幣が不明な外部から生成したものであるとすると、国家・宗教がそうであるように、貨幣・国家・宗教の廃絶などということは人間の課題にはならないことになる。しかし、貨幣・国家の死滅の経験は、例えば満洲国崩壊でも経験している。アメリカが日本「本土」にも導入しようとした、沖縄の「Bドル」は廃貨となった。「金」との兌換性のある「日本円」は明治国家が制定した。
的場氏は「明確な始原をおくことなど、『資本論』の論理のなかでは不可能だ」(231頁)ともいう。すると、マルクスの冒頭商品論・原蓄論は不可能なことをおこなったことになる。評者は、冒頭商品は論理的始原であり、そこから第7編前半までの論証(価値論・転化論・剰余価値論・労賃論・資本蓄積論)が資本主義的生産様式の構造分析の理論基準であり、その構造分析を理論基準にして、資本主義的生産様式の歴史的生成過程(原蓄過程)を執筆した、と考える。マルクスの始原論は先に指摘した「前進と後進の二重過程」において担保されている。つまり、構造分析の始元=単純商品から前進する歩みは商品資本(商品諸要素で生産された商品集合)という螺旋運動上の出発点に再帰(後進)するのである。単純商品論と原蓄論という二つの始原論は資本主義理解の基準になる。
生成したイギリス資本主義国家は、マルクス原蓄論でいう名誉革命体制であろう。われわれにとっての問題である国家は資本主義国家であろう。いわゆる現存した社会主義国家は資本主義国家の「後」の国家ではない。強力なブルジョアが生まれなかった国の、あるいは生まれても外国帝国主義につぶされた国の原蓄国家の亜種(anomaly)であろう。中国が改革開放以後になって財産法・労働法などの市民法・労働法を制定しているのは、それ以前の体制が資本主義の前期的段階にあったことを例証する。そのような中国を分析するには、マルクス地代論につけられた原蓄論などが参考になる。
この第4章でなによりも評者が刮目したのは、佐藤氏と的場氏が廣松渉編『ドイツ・イデオロギー』について語っていることである。的場氏は「今回の岩波文庫の翻訳、小林(昌人)君がやった翻訳もそうですが、著書としては読みづらい」(281頁)という。佐藤氏は「古在(由重)さんが[翻訳を]やったアドラツキー版の翻訳を岩波書店は止めるべきはなかった」(同)と応える。その発言を受けて的場氏は「そうなんですよね。アドラツキー版のほうがストーリーがわかるんですよ」(282~3頁)と同調する。佐藤氏は、廣松渉氏はリヤザーノフ編集の三木清訳『ドイツ・イデオロギー』[岩波文庫1930年]を読んで「あれっ、違うじゃないか」と気づいたことを隠している。「廣松さんのところでおかしいと思うのは、彼は絶対に三木清訳を読んでいるはずなのに、これに対する言及がないですね。・・・あの辺は非常に政治的ですよ」(282頁)と指摘する。的場氏は廣松渉編『ドイツ・イデオロギー』は「ほかの研究者に対して新しい問題提起をできていない。あれではしょうがない」(283頁)という。
しかし、このような廣松渉編『ドイツ・イデオロギー』評価は、少なくとも評者にとっては不正確である。評者は『経済学批判要綱』の共同体=原蓄の原型は『ドイツ・イデオロギー』に存在することを論証した(「『ドイツ・イデオロギー』の編集問題・原蓄論・物象化論」『情況』2003年4月号参照)。それを踏まえた報告を南京大学との共催の或るシンポジウムで報告した(「廣松渉編『ドイツ・イデオロギー』の『資本論』形成史上の意義」『情況』2007年5月号別冊参照)。故いいだ・もも氏は、評者の2003年『情況』論文が公表された直後、「読みましたよ、いままで分からなかったことがはっきりしました」と手紙に書き送ってきた。『ドイツ・イデオロギー』編集問題という、国際マルクス研究界が共有するマルクス研究の重要課題のひとつは、廣松渉編『ドイツ・イデオロギー』から始まるのである。いま、東北大学の大村泉氏のグループが『ドイツ・イデオロギー』の執筆過程を重層的に確認することができる「ONLINE版」を鋭意準備中ある。
いわゆる「唯物史観」(『経済学批判』に対するエンゲルスの書評での用語)が確立したのは『ドイツ・イデオロギー』においてであるという、マルクスの『経済学批判』「序文」での証言の意味を解明するためにも、その基本テキストを文献学的に確定することが不可欠である。「ストーリーとしての読みやすさの優先」はその解明の障碍になってきたのである。現在の課題は、『ドイツ・イデオロギー』のテキストの確定にある。廣松渉編『ドイツ・イデオロギー』がアドラツキー版に読みやすさで劣ると見て事足りると判断するのは、いささか、唐突であり、安易ではなかろうか。
廣松渉氏は「(『経済学・哲学草稿』の)疎外論から(『ドイツ・イデオロギー』の)物象化論へ」という「パラダイム・チェンジ」を主張して一世を風靡した。評者は『ドイツ・イデオロギー』にも「疎外」という用語が肯定的に用いられていること[的場昭弘・他編『新マルクス学事典』「疎外」項目(内田弘執筆)を参照]、それ以後の『経済学批判要綱』でも『資本論』でも「疎外」と「物象化」がペアになって用いられていること、このような文献上の諸事実をもって、その廣松渉図式に疑問を提示してきた。
ところが、的場氏はいまや、廣松渉氏が力説した「物象化論」でなくて、「疎外論」であるという。的場氏によれば、廣松渉氏の物象化論の現実的根拠は1970年代の「個々の人間の個人的な分裂」と「中産階級化」にあったが、それらは「本来の資本主義社会のなかの系譜ではなかった」(284~5頁)という。いまや「収奪」が問題となったので「もう物象化論では意味をもたない。・・・疎外論のほうが力がある」(285頁)、「物象化論から疎外論へ」舞台は旋回したとみる。的場氏によれば、資本主義の歴史は本来、貧困史である、資本主義の経済的繁栄は例外状態である、したがって、勤労者の貧困は疎外論で解けるが、彼らの富裕化は物象化論でしか解けない、というのである。
しかし、的場氏のいう「人間の個人的分裂」は『経済学・哲学草稿』でいう「疎外さえた労働」の第4規定「人間の人間からの疎外」に相当する。仮に(仮に、である)、的場氏とのいうとおりであるとしても、勤労者の貧困化=「疎外」の同時代の対極には、財産所有者の富裕化=「物象化」がある。的場氏のいう意味でも疎外論の時代は物象化論の時代でもある。マルクスは『経済学・哲学草稿』「疎外された労働」で、その対極に財産所有者の富裕を指摘している。的場氏のように一面的に考えると、富裕者の《無い袖は振れませんよ》という弁解を後押しすることにならないだろうか。的場氏の疎外論は、批判対象が不分明な「外部主義」に陥っていないだろうか。的場氏の貨幣論・国家論・宗教論も同じではないか。
元来、マルクスの「疎外」概念は、『経済学・哲学草稿』のマルクスからして、廣松渉氏が主張したようなフォイエルバッハ的な実念論的概念(「人間なるもの」)ではない。疎外は近代的私的所有者が所有物を他人に譲渡=分離することを意味し、物象化は疎外=分離されたものが別の物に結合しその形態で現象する事態を意味する。
疎外(分離)と物象化(結合)は「対概念」である。学位論文準備中(1840年)のマルクスはアリストテレスの『デ・アニマ』(De Anima=Psycheologie.「心理学」ではない。従来の『草稿』訳では「心理学」と誤訳している。「生命能力発生史」である)を研究し、疎外を「分離(chörismos)」、物象化を「結合(synthēsis)」と規定している(『情況』2009年6月号掲載の拙稿「質料因根源論としての《マテリアリスムス》」参照)。マルクスはすでにそこで、人間の行為事実(Sache)が自立し、それとは無関係の概念に結合して虚偽に転化する事態を、思惟(nous)の恣意的な作用ととらえている。当然、この評注にはカントの「誤謬推論」が控えている。学位論文の主題は(詳論は別の機会に譲るが)「カント・アンチノミー批判」である。そこでの「原子」は「集合、かつ要素」である。『資本論』冒頭商品の『資本論』形成史上の出発点は学位論文の「原子」である。
さて、「第5章 マルクスの可能性」で的場氏は、マルクスが「労働力概念」を発見するきっかけは「利子がまさに労働力商品の一つのモデルだ」(303頁)と直観したことにあり、その概念上の成立は『賃労働と資本』(1848年)以後のことであるという。すでに第4章で的場氏は「当時(1844年の『経済学・哲学草稿』で)マルクスはまだ商品に労働が介在していることに半信半疑で、何もわかっていない」(220~221頁)と発言していた。果たして、そうだろうか。
実は、マルクスは『経済学・哲学草稿』執筆と同時に取った「スミス『国富論』ノート」で、スミスのいう資産収入「地代・利潤・利子」を「剰余価値(Mehrwert)」に還元しているのである(『アソシエ』No.17, 2006年掲載の拙稿205頁上段、参照)。この『アソシエ』書評論文で指摘したように、マルクスは「スミス『国富論』ノート」(1844年)で、賃金労働者にとって等量の労働(賃金)は、資本家にとって不等量(利潤)であるという記述に注目し、その不等価物=「剰余価値」が財産所有者に利潤・地代・利子で配分されることを把握していた。『経済学・哲学草稿』(同年)では「労働」を「商品」と規定し、『ドイツ・イデオロギー』(1845~46年)では「労働の物件化=物象化」を指摘し、『哲学の貧困』(1847年、第1章第2節)で「労働力」用語をもちいて、「労働力は売買される限り、他の一切の商品と同じように一つの商品である」と規定する。その第3節b「労働の剰余」は事実上、剰余価値論である。
以上をふまえて、『経済学批判要綱』(1857年)では、つぎのように論じるにいたる。商品交換から始まる「労働と所有の分離(=「疎外」、すなわち「労働と所有の同一性」の解体)」こそが、他人の剰余労働を領有する根拠である。等価交換は不等価交換(他人の剰余労働の領有)を潜在し顕在化する。この事態は、ブルジョア的理性にとってなんらおかしくはない、通念である。
マルクスが『要綱』領有法則転回論で等価交換は必然的に不等価交換=「仮象(Schein)」に転回するというとき、ヘーゲル『法=権利の哲学』でいう「仮象」=詐欺論を念頭においている。それだけではない。そもそも価値という、すぐれて観念的なもの(Idealitaet)は、商品所有者が交換関係においた自己の商品および他人の商品(実在物Realitaet)に本源的に内在すると思念することから発生する。カントはこのすりかえ(quidproquo)を「誤謬推論」とみて、それを「仮象」と規定した。こうしてマルクスの価値論は、ヘーゲル「詐欺論」とカント「誤謬推論」を批判的に継承していることが判明する(詳論は拙稿、The Philosophic Foundations of Marx’s Theory of Globalization, Critique 56, May 2, 2011を参照)。
マルクスは『要綱』「貨幣に関する章」末尾で「自由・平等・労働・所有」を論じる(『資本論』では「自由・平等・所有・ベンサム」)。そのとき、フランス二月革命の成果が1848年11月のフランス共和国憲法に「自由・平等・友愛をスローガンとし、所有と労働を基礎とする」と掲げられた理念が、資本主義経済ではどのような事態に帰結するかを論証しているのである。その論証が「資本に関する章」の領有法則転回論である。その結論は、自由で平等な取引(等価交換)は不自由で不平等な事態に「合法的に帰着する」というものであった。その事態では、「自由と不自由」が、「平等と不平等」が、「等価交換と不等価交換」が、両立し併存する。そのいずれも正しいという「二重真理の事態」であり、しかも相互に相手を否定し合う「アンチノミーの事態」である。カントのいう「二律背反」は、たんに理性思惟の思惟(観念性)の問題ではなく、ブルジョア経済で現実存在(実在性)に転化している、というのである。マルクスは学位論文の主題を『要綱』に、さらに『資本論』に継承し発展する。『資本論』でも商品は「原子」と言い換えられている。
『資本論』には、いまだに透視されていない深淵がある。マルクスは、経済学批判の記述法を意図的に巧みに隠した、とエンゲルスに伝えていた。(以上)
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