買収した方がいなくなった

爆撃機やミサイル誘導装置の開発製造から始まってスペースシャトルのプライムコントラクターでもあった米国の防衛産業コングロマリットが従業員二万人弱の米国の産業用制御機器専業メーカを買収した。コングロマリットはいくつかの防衛産業事業体を中核におき、傘下に半導体や印刷機械などの事業体を抱え当時優良企業の一つに列せられていた。

 

産業用制御機器メーカは創業者の末裔が所有し、歴代社長は程度の差はあれ創業家の財務管理人の立場で経営にあたっていた。長期的な視点に立った堅実な経営方針と一時は九十八%にもおよぶ従業員定着率を誇った超のつく優良企業だった。それでも末裔にしてみれば経営に対する責任が負担だったのだろう。負担を一掃し資産家として悠々自適な生活を求めてなのか、会社を売却すべく競売にかけた。

 

欧米の数社が応札した結果、落札したのは防衛産業コングロマリットだった。傍目には防衛産業を中心に事業展開してきた会社が何を思ってのことに見えただろう。買われた方の社員もいったいこれからどうなるのだろうと不安がつのった。買収されたにもかかわらず、日本支社の社員には今までと何も変わらない日々が続いた。会社の公式ルートで流れてくるのは明るい将来を確約する常套句しかない。誰も信じない。意味のある情報は日本に駐在していた米国人経由で噂話しとして抜けてきた。首にストローを刺されて、これから血を吸われるという悪い冗談のような話もあったが、一年以上経ってもこれという変化はなかった。

 

制御機器メーカの米国本社の社長が交代した。ただこの交代は買収前から予定されていたもので、財務管理人の社長から生え抜きのNo. 2が昇進したに過ぎなかった。それから半年以上経って、もう、何も変わらないのか、何が変わるのかというみんなの興味もなくなってきたころになってやっと変化が始まった。買収した側のコングロマリットのCEOが引退して買収された会社の社長に昇進したばかりの元No. 2が買収した会社のCEOに就任した。

 

その後、経営トップの入れ替わりが続いた。No. 2が自分の腹心-買収された側の経営陣-を次々と買収した側の経営陣に登用した。数ヶ月のうちに買収した会社の経営陣が買収された側の経営陣によって置き換えられた。

 

随分経ってから社名が変更になった。買収した側の社名が先にきて、その後に昔ながらの社名が続く、やたらに長い扱いにくい社名になった。買収された専業メーカは生産ラインが必要とする制御機器製品であれば無いものは無いと豪語していたが、それでもあちこちに抜けや弱点を抱えていた。経営陣も変わって落ち着き始めたと思ったら防衛産業の事業体の売却が始まった。売却して得た資金で抜けや弱点を補うべく欧米の産業用制御機器専業メーカの買収が進められた。買収されて買収する側にまわって同業者を買収していって、それまで競合していたメーカがまるで異父異母兄弟のような家族になった。

 

役員入れ替わりのニュースの度に日本の従業員は耳を疑った。米国の従業員も似たような気持ちだっただろう。普通に考えれば、誰も自分を解雇するために買収はしない。なぜ、買収された側の経営陣が買収した側の経営陣として抜擢されるのか。

 

フツーではちょっと説明がつかない。ここで誰が買収を決定したのかを考えるとこれしかあり得ないという一つの答えがみえてくる。最初の買収、それに続く事業体の売却、売却で得た資金でその後の買収。。。この基本戦略を決めたのはコングロマリットの経営陣ではない。決定したのはコングロマリットのオーナ、防衛産業で一代を築き、死の商人とまで言われた銀行だった。

 

ソ連が崩壊し、防衛産業が花型だった時代が終わろうとしていた。技術開発に膨大な資金を要し、技術開発で後れをとったり、コストで負けて万が一入札に失敗すれば存続すら危うくなりかねない防衛産業から平和な時代の民生用制御機器に資本を移動することを決定した。

 

防衛産業の経営に長けた人材が民生用の産業用機器のメーカの経営にも長けているという保証はない。ないというより不向きだろう。資本のロジックでみれば、買収した側の経営陣を買収された側の経営陣で置き換える方が理にかなっている。それでも最初の買収だったからだろうが、次の体制への移管にはじっくり時間をかけて要らぬ混乱を避けた。その後の買収では、業界に精通した買収された側の経営陣が当って、堅実な買収が進められ、買収後に買収した企業の既存事業体への組込みは早かった。

 

買収した側が解雇され買収された側が経営陣として登用される。一見して常識では考えられないが、資本のロジックでみれば、それこそが常識に過ぎないのだろう。

 

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