1. マニュファクチュア
社会的労働の組織化の段階として、協業につづくのはマニュファクチュアである。
マニュファクチュアにかんするマルクスの記述をよむのは、ある意味でたのしい。(むろん、それとは正反対の気分にさせられる個所も多々ある。)時計マニュファクチャやガラス・マニュファクチュア、さらにはインドの太古的な共同体、こういったものを描写するマルクスの文章は、生気にあふれている。
そこには、あらゆることに関心をむけ、考察の眼をはしらせる探究者マルクスがいる。このような知的好奇心は、ある程度まで当時の知識人に共通なのかもしれない。しかし、マルクスの徹底ぶりは、やはり感嘆にあたいする。
こうした考察の成果は、本文のなかに、たくみにおりこまれる。そして、それが、叙述に奥行きと説得力をあたえている。
たとえば、インドの太古的な共同体との対比で、マニュファクチュアの「作業場内分業」という資本制的事象は、歴史的な脈絡のうちにおかれる。これによって、資本制的な「作業場内分業」の相対化が可能になる。こうしたやりかたは、マルクスがもちいる批判的手法の典型といえるだろう。
寄り道がながくなりすぎた。議論の本筋にもどることにしよう。ここでの主要な対象は、「相対的剰余価値」の源泉となる社会労働の組織化である。そして、「社会的労働」は、この連載の開始当初からの関心の対象である。ともあれ、マルクスの叙述をおいかけることにしよう。
2. マニュファクチュアの発生
「マニュファクチュアは二重のしかたで発生する。」ひとつは、「いろいろな種類の独立手工業の労働者たちが、おなじ資本家の指揮のもとにあるひとつの作業場」にあつめられるという形態である。
それ以前は、「あるひとつの生産物」は、完成するまでに、独立の手工業の各段階を順番に通過していかなければならなかった。たとえば、「馬車にメッキすることは、たしかに、馬車がつくられてからでなければ不可能である。」
しかし、ひとつの作業場に労働者たちをあつめるなら、「たくさんの馬車」を同時につくることができる。この場合、「あるものが生産過程のまえのほうの段階を通っているあいだに、いつでも他のどれかがメッキされているということが可能である。」
これは、まだ単純な協業でしかない。「やがてひとつの重要な変化があらわれる。ただ馬車の製造だけに従事している指物工や錠前工や真鍮工などは、自分の従来の手工業を全範囲にわたっていとなむ習慣といっしょに、そうする能力も、だんだんうしなってくる。他方、かれの一面化された動作は、いまでは、せばめられた活動範囲のためのもっとも合理的な形態をあたえられる。」(第1巻 356ページ)
目をひくのは、「重要な変化」という表現である。ひとつの「専有機能」にしばられた「部分労働者」がつくりだされる。この「変化」は、マニュファクチュアが完成するうえで不可欠の契機である。
マニュファクチュア発生のもうひとつの道は「労働の分割」である。「いろいろな作業をおなじ手工業者に時間的に順々におこなわせることをやめて、それらの作業をたがいにひきはなし、孤立させ、空間的にならべ、それぞれの作業をべつべつの手工業者にわりあて、すべての作業が、いっしょに、協業者たちによって同時におこなわれるようにする。」
こうして、「商品は、いろいろなことをするひとりの独立手工業者の個人的な生産物から、各自がいつでもひとつの同じ部分的作業だけをおこなっている手工業者たちの結合体の社会的な生産物に転化する。」(第1巻 358ページ)
作業は、いったん分割されたあとも、さらに細分化・分立化されていく。この場合も、行きつく先は、労働者が「ひとつの作業場にあつめられる」ケースとおなじである。労働者は、ひとつの「特殊作業」を専有機能とする「特殊労働者」と化すことになる。
作業の特殊化の程度は、「労働の分割」のケースのほうが、はるかに徹底している。いずれにしても、作業の特殊化は、機械の出現にむけての重要なステップ、したがってまた資本制の完成にいたる途上の重要なメルクマールである。
3. マニュファクチュアのふたつの基本形態
マニュファクチュアの基本形態は、ふたつに大別できる。このふたつは、2でみたふたつの発生のパターンに対応している。
「異種的マニュファクチュア」では、製品は、「独立した部分生産物の機械的なくみたてによってつくられる。」(第1巻 362ページ)これは、「独立手工業の労働者」たちが「ひとつの作業場にあつめられる」パターンに対応している。
これにたいし、「有機的マニュファクチュア」には、「独立した部分生産物」は存在しない。製品は、「たがいに関連のあるいくつもの発展段階、すなわち一連の段階的諸過程」での諸操作によって、その「完成姿態」をあたえられる。
これは、発生のパターンでいえば、「労働の分割」に対応している。そして、マルクスは、こちらを「マニュファクチュアの完成された形態」とみなす。それは、「有機的マニュファクチュア」では、「分業の原則」が明確に作用するからである。
ここにも、マルクスの姿勢が明確にみてとれる。マニュファクチュアは、くりかえしになるが、資本制が完成にむかう途上の重要な階梯である。「有機的マニュファクチュア」がうみだした「分業の原則」は、「機械と大工業」によって全面的な展開をみる。「有機的マニュファクチュア」が完成形態とされるのは、このためである。
マニュファクチュアは、どちらのタイプであれ、「元来は分散していた手工業を結合」し、「製品の特殊な生産段階のあいだの空間的分離をちいさくする。」それぞれの段階を移行する時間は短縮され、「移行を媒介する労働」も減少する。
「空間的分離」の縮小と時間の短縮が完全な実現をみるのも、資本制の完成をまってである。しかし、「空間的分離」の縮小と時間の短縮がいくばくでも実現されれば、むろん生産力は増大する。
とはいえ、「空間的分離」の縮小と時間の短縮は、それ自体としては、マニュファクチュアに固有ではない。それらは、そもそも、すべての協業に共通の特質である。くりかえしになるが、マニュファクチュアでは分業の原則がはたらく。これが、たんなる協業からマニュファクチュアを区別するのである。
「有機的マニュファクチュア」では、「分業の原則」がはっきりとみてとれる。たとえば、「縫い針マニュファクチュア」では、「針金」からの「縫い針」の作製は、「72種から92種」の作業に分割されている。(第1巻 364ページ)
「部分労働者」をうみだすのは、この作業の細分化である。
この細分化にともなって、「熟練労働者と不熟練労働者とへのかんたんな区分」が出現する。習熟というものをさほど必要としない「簡単な作業」が、「専有の機能として固定」されるからである。
そうした作業は、「細分化」の以前には、「もっと内容が豊富ないろいろな活動契機」ときりはなされていなかった。ひとりの労働者が、内容豊富な活動とあわせて、単純な作業もおこなっていたのである。
こうして、大工場の機械の体系のもとでの労働が視界にはいってくる。そこでは、労働のほとんどが「簡単な作業」と化すことになる。
「独立手工業の結合」、あるいは「労働の分割」のどちらの道をとろうとも、マニュファクチュアの「最終のすがた」はおなじである。「人間をその器官とするひとつの生産機構」がそれである。
4. 「部分労働者」と「結合全体労働者」
くりかえしになるが、マニュファクチュアのもとでは、労働者は、もっぱら、細分化された作業のひとつだけをおこなう。
「一生涯おなじひとつの単純な作業に従事する労働者は、自分の全身をこの作業の自動的な一面的な器官に転化させ、したがって、おおくの作業を次つぎにやっていく手工業者にくらべれば、よりすくない時間で、その作業をおこなう。」(359ページ)
結果として、「よりすくない時間で、よりおおくが生産される」ことになる。すなわち「労働の生産力がたかめられるのである。」(同上)
作業の細分化は、必然的に道具にも影響をおよぼす。それまでのように、ひとつの道具が、いろいろな作業につかわれるということがなくなる。細分化された作業に適合するように、諸道具も分化し、「それぞれ特殊な固定的な形態があたえられる。」
「マニュファクチュア時代は、労働用具を部分労働者の専有な特殊機能に適合させることによって、労働用具を単純化し、改良し、多種類にする。」そして、このことが、「単純な諸道具の結合からなりたつ機械の物質的諸条件のひとつ」であるとマルクスは指摘する。(362-361ページ)マニュファクチュアは、こうして、完成された資本制のための条件をもうひとつ創出するのである。
マニュファクチュアそのものにもどって、そこでの部分労働の結合・組織化の原理についてみておこう。
それぞれの部分労働者が生産するのは、「部分生産物」である。(「独立」しているか否かの相違はあるが。)それは、いくつかの「発展段階」をへて、完成した製品になる。したがって、その各段階では、つぎのような関係が成立することになる。
「ひとつの労働者群がべつの労働者群に、その原料を供給する。一方の労働者の労働の成果は、他方の労働者のための出発点になっている。」こうして、労働者たちは、直接的な相互依存関係のうちにおかれる。(366ページ)
マニュファクチュアでは、社会的労働の組織は、おおきく高度化するのである。
生産過程の各段階では、「一定の労働時間では一定の成果がえられる」ことが経験的に確定されている。また、個人の標準的な仕事量は、それぞれの段階でことなる。
ところで、生産を間断なく進行させるには、所定の時間内での各段階での成果が量的に均一になるようにする必要がある。このため、段階のそれぞれにわりあてる人員数を調整することがもとめられる。
このようにして、各段階に必要な人員数が決定・配置されることで、「たがいに補完しあういろいろな労働過程は、中断することなく、同時に、空間的に並行して進行すること」が可能になるのである。(同上)これが、マニュファクチュアでの労働の組織化の原理である。
「多数の部分労働者」の結合は、「全体労働者」をつくりだす。マルクスは、「部分労働者」と対比させ、「全体労働者」の特徴をつぎのようにえがいている。
「部分労働者」は、くりかえしになるが、「ただ一面的な特殊機能にしか役だたないような労働力」、「自然的に確実にこの機能をおこなう器官」である。「全体労働者」は、これらの器官を結合し、それぞれの特殊機能だけを使用する。そのため、「全体労働者は、すべての生産属性をおなじ程度の巧妙さでそなえており、それらを同時にもっとも経済的に支出することになる。」(369-370ページ)
5. マニュファクチュア労働における「強制」
このような組織化された「全体機構」にあっては、製品の一日の生産量も、あらかじめ想定することができる。この想定を現実のものとするためには、つぎのことが必須の条件になる。すなわち、各労働者が、自分の作業に必要時間だけをついやすことである。
この条件をみたすことで、一定の時間内での所定の量の「部分生産物」の生産が可能になる。あらためて確認するなら、これが、つぎの段階での作業が支障なく進行するための前提である。そして、どこかの段階での支障は、生産過程の全体の停滞という帰結をまねくことになる。
必要時間だけで作業を遂行するという条件から、おのずと労働の強度がきまる。そして、各労働者が、一定の強度で連続的に作業することは、生産過程に規則性と秩序をうみだす。これによって、生産過程の連続性が確保されることになる。
マニュファクチュアの労働者たちの直接的な相互依存の関係には、したがって、強制の関係がふくまれている。これは、いってみれば技術的な強制である。
マニュファクチュアの組織のありかたが、作業手順や労働の強度をはじめとして、すべてを技術的に決定している。生産過程の中断のない進行をささえているのは、このような技術的な強制なのである。
「強制」は、資本制できわめて重要な機能をはたす。しかし、マニュファクチュアの「強制」と資本制のそれは、おなじではない。
「商品生産一般」では、各個の生産者は、競争という「外的強制」によって、「商品をその市場価格で売らなければならない。」そして、「市場価格」を決定するのは、「その商品の生産に社会的に必要な労働時間」である。(366ページ)
これにたいし、マニュファクチュアでは、まだ競争という強制がはたらくことはない。ここでの規定的要因は、技術的な強制である。ある商品の生産に必要な労働時間は、あらかじめ、生産過程で決定されている。そして、これがそのまま「市場価格」に反映されるのである。(同上)
6. マニュファクチュアと「相対的剰余価値の生産」
あらためて確認しておけば、マルクスのマニュファクチュアの分析は、「相対的剰余価値の生産」という論脈のうちにおかれている。この本来のテーマについて、みておこう。
「マニュファクチュア的分業は、労働用具の専門化、部分労働者の形成、ひとつの全体的機構のなかでのかれらの組みわけと組みあわせ」によって労働を組織化する。この「社会的労働の組織」が「あらたな社会的生産力を発展させるのである。」(386ページ)
生産力の上昇は、すでにみたように、資本制のもとでは、「相対的剰余価値」の源泉である。マニュファクチュアでの生産力の上昇についてかんたんに検討しておこう。マルクスはつぎのようにしるしている。
マニュファクチュアは分業の一形態であるが、「この分業は、協業のひとつの特殊な種類なのであって、その利点のおおくは、協業の一般的な本質から生ずるのであり、協業のこの特殊な形態から生ずるのではないのである。」(359ページ)
前回、協業の利点として9つの項目を列挙した。そのうち、マニュファクチュアでの生産力の上昇にとりわけ寄与するとおもわれるのは以下である。
③ 生産規模にくらべて空間的生産場面をせばめる
⑥ おおくの人びとの同種の作業に連続性と多面性を押印する
⑦ いろいろな作業を同時におこなう
⑧ 共同使用することで生産手段を節約する
⑨ 個々人の労働に社会的平均労働の性格をあたえる
マニュファクチュア的生産を組織することは、これら5つの利点を現実化することである。うらがえせば、これらを実現する諸条件がととのっていなければ、マニュファクチュアは実現できない。そして、これら5つが生産力の上昇に寄与する度合は、労働者の「部分労働者」化による上昇よりもはるかにおおきいというのが、マルクスの認定である。
「相対的剰余価値の生産」ということで、つぎのようなケースも想定される。マニュファクチュア的生産の現場で、労働の細分化のあたらしい方式が案出され、それを採用した資本が「特別剰余価値」を獲得するという事態である。これもまた、おもに上記の⑥や⑦にかかわる改良によるとみることができよう。
「相対的剰余価値の実現」には、つねに「労働者の犠牲」がつきまとう。マニュファクチュアの労働者に強要される犠牲は、「部分労働者」となることである。かれは、特定の「部分機能」の「自動的な一面的な器官に転化」され、生涯そこにしばりつけられる。
さらに、マルクスは、マニュファクチュアの作業が、「手工業的」であることにも注意をうながす。このため、マニュファクチュアの生産過程は、「科学的な分解」をうけつけない。ここに、マニュファクチュア的分業の限界がある。
産業の歴史は、いってみれば、マニュファクチュアにおいて、ひとつの袋小路につきあたる。マニュファクチュアは、手工業的基礎にもとづくというその特殊性のゆえに、終焉をむかえることになる。それとともに、労働者が「部分機能の終生かわらない器官」に転化させられることもなくなる。しかし、労働者が苦難から解放されることはない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔study1384:260324〕











