賠償請求権と集団的自衛権 その保有と行使

『朝日新聞』(夕刊、226日)に「強制連行の中国人元労働者ら日本企業を集団提訴」が大きく報道された。第二次大戦中に中国から強制連行され、日本各地の鉱山等で労働を強いられた中国人元労働者や遺族等が損害賠償と謝罪広告を雇用企業(三菱や三井の諸会社)に求めて、北京市第1級人民法院に訴え出た。提訴が受理されるか否か、に関心が集まっている。27日の『朝日新聞』朝刊に菅官房長官の発言「日中間の請求の問題は個人の請求権の問題を含めて(72年の)日中共同声明後、存在しない。」(下線は岩田)、そして外務省のコメント「過去にも……同様の提訴があり、中国の裁判所は受理しなかった。中国政府が日中関係や日本企業の投資に配慮して自粛を働きかけたのでは。」(下線は岩田)が報じられている。

以上の報道を読んで、30年ほど前の記憶が甦って来た。たしか、1980年代中半頃、当時まだ存在した雑誌『経済評論』(日本評論社)でこの問題にも関連する座談会があって、どう言う訳か、専門外の私も引っ張り出され、次のような意見を述べた覚えがある。「中国は、1972年の日中共同声明で、〈賠償請求権の放棄〉を明記する提案をしていた。ところが日本の外務官僚の強い抵抗にあって、〈権〉の落ちた〈賠償請求の放棄〉が明記された。それ故、中国は〈賠償請求権〉を放棄していない。中国政府が〈賠償請求〉しないにしても、中国の民間人は、賠償請求権を行使することが出来るかもしれない。」

手元に当時の『経済評論』がないので、あらためて矢吹晋著『チャイメリカ』(花伝社、2012年)「第11章 外務省高官は、いかなる国益を守ったのか」(pp. 231~267)を読んで勉強した。毛沢東・周恩来の〈賠償請求権の放棄〉提案を潰した「愛国者」は、高島益郎外務省条約局長であった。田中内閣の大平外相は、日中交渉が終了して帰国した当日、1972930日、自民党両院議員総会において、日中共同声明第五項についてこう説明した。「第五項目は、賠償請求の放棄であり、日華条約でこれが放棄され、日本はこれを受けている立場に立っている。従ってこれは中国側が一方的に宣言し、日本側はこれを率直に評価し、受ける立場をとった。もし中国が『賠償請求権の放棄』という言葉にかかわると、私どもは厄介な立場になるところだったが、『賠償請求』という言葉にしてもらい、『権』という言葉はついていない。」(矢吹著、p. 225

要するに、日本側の要求で、中華人民共和国は捨てるつもりだった請求の権利を温存できた訳である。それ故、政府がこの権利を行使しないとしても、強制連行された中国人元労働者や遺族は権利を行使できる、と北京の裁判所が判断する余地はあるだろう。

日本国においても、集団的自衛権を保有しているが、権利行使はできない、と言う解釈が「権利は、……の場合、行使できる。」へ移行しつつある。中国において、「賠償請求権は、……の場合、行使できる。」に移行しても不思議はない。そうなった場合、1952年の日華条約(台湾島)と日中共同声明(中国大陸)の効力関係が再燃するのであろうか。

ところで、日本の大企業は、アメリカにおいて不公正競争違法の訴訟や欠陥製品生産責任の訴訟を仕掛けられ、敗北して、何百億円、何千億円の賠償金支払いを余儀なくされて来た。その敗北が日本にとってどれほどの不正義であったか、私にはわからない。しかしながら、強制連行労働裁判が日本企業の敗北に終ったとしても、その不正義性はより小さいであろう。むしろ、敗北が我々日本の正義かもしれない。日本社会が対中国人民関係で残して来た歴史的債務を法的に完済して、尖閣列島問題で堂々と直立する一助となるであろう。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
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