原田は1940年2月29日に生まれ、昨日2011年、7月19日71歳で亡くなった。
足立区に生まれた。
本所工業高校を経て俳優座養成所を卒業し俳優座座員となるがお金が無く団費滞納で、また、俳優座の体質を批判し市原悦子、中村敦夫らとともに1971年退座。
彼は作品に恵まれた。特に黒木和雄監督の「戦争レクイエム3部作」には全て出演するだけでなく黒木の偏愛を受けた俳優だった。
「竜馬暗殺」
「祭りの準備」
「明日」
「スリ」
「美しい夏キリシマ」
「浪人街」
黒木監督以外の特筆すべき仕事
「戦後在日50年史 在日(1998年映画、監督呉徳珠) ナレーション
「実録・連合赤軍 浅間山荘への道程(2007年映画、若松孝二監督) ナレーション
「魚影の群れ」相米慎司監督 ラストのブルース
原田との出会いは19歳の時であった。黒木監督の「キューバの恋人」を観て胸打たれた私は104で、電話で「黒木和雄、東京でお願いします」と交換手に告げたら板橋区の蓮根に一件あります、といったので、私はかけてみた。本人が出てきた、「黒木です」「高橋と申します、お会いしたいです」「はい、では明日新宿の喫茶店で一時に。ご飯を食べて来なさい。
黒木さんは原田芳雄を連れてきた。「この男は覚えておきなさい」
「原田芳雄と申します。高卒です」。
黒木「君は何になりたいの?」
私「シナリオライターか、女優です。」
黒木、「今まで見た映画で良かったものは?」
私「パルチザン前史」
黒木「君は女優になるのなら奈良岡朋子タイプだから、僕の秘書になりなさい」
「解りました」。
「原田は演技は凄いし根性もあるが寂しがり屋で混乱する男だから頼みます」
私「了解しました」
私はそのころ下北沢に住んでいた。電話もひいた。下北沢の「太郎」は原田がいつも飲んでる飲み屋だった。「原田さん八時以降は私風呂屋にいくから飲めないよ。」
原田は「相談事がある。この作品はどうしよう。」という。
私は「自分の皮膚感覚で決めて下さい。細かい資料は図書館でいくらでも調べてあげます。「図書館のカードを作りましょう」
黒木の青山葬儀場での偲ぶ会に行った。暢子夫人、志麻ちゃん。柄本明、小林薫、長瀬敏之、あと200人越えた。佐藤忠男もいた。
黒木和雄遺作「紙屋悦子の青春」が完成して亡くなって良かった。家族が負債を被らない。
原田芳雄も癌から来る肺炎を車いすで舞台挨拶し声が出ないから石橋蓮司が代読し、坂本順二監督の「大鹿村騒動記」は完成をみ亡くなった。
黒木和雄も亡くなり原田芳雄も亡くなった。
原田に、「ショアー」を説明したりベンヤミンを説明するのは骨が折れたが素敵な時間だった。
原田さん、もうお眠り。もう、飲んでもいいよ。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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