◆ 法相も首相も国会での審議においてまともな回答のできないことは新聞などの報道でも明らかだ。これは共謀罪法案が政党や政治家が考え抜いた法案ではなく、法務官僚や警察官僚などの要請ででてきたものである、と推定される。「戦争のできる国」への踏み出しのなかで、治安(統治)系の官僚がそれに対応するものとして要請したのだ。戦争という対外的な暴力や権力行使は同時に国内にも向かってもあわわれる。それは日本の太平洋戦争(15年戦争)に向かう過程で出て来ただけでなく、現在のアメリカ等が反テロ戦争に対応してやっていることである。アメリカやヨーロッパ諸国などが、権力の統制と監視を強めていることでも見て取れる。
安倍の「戦争のできる國」への踏み出しは集団的自衛権行使容認の実質化であるアメリカ軍との共同行動にすすんでいるが、これらは国内での国民支配の動きともなっている。自衛隊の国軍化や軍需生産の強化であるが、これは憲法の実質的な改憲(解釈改憲)の進展だ。国民の支配。権力統制の法的な対応、それが共謀罪である。憲法に明記されている思想・表現・信条の自由などの侵犯を容認するのが、共謀罪であるが、憲法の規定を刑法の規定として支えていた行為事実主義の変更である。現下の刑法においては犯罪の対象になるのは行為事実であって、人々の持つ思想や信条、平たくいえば、考えることや思う事はその対象ではない。人々が考えること、想像することは自由であり、それは人間のあり方に対する極めて重要な考えである。
それを現行の憲法や刑法の規定を犯す形の法が共謀罪である。名目はいろいろと変わるし、そこには必然も根拠もない。
◆ 政府の答弁を聞いていると、怒りを通りこして悲しみが、そして笑い出すほかなくなる。しかし、笑ってやり過ごすわけには行かない。まともな審議もなく、はじめから強行採決をすることを織り込んで政治日程で法案の成立を目論んでいる。国会は立法の府であり、立法は民主的であることは前提的なことだ、手続きの民主的な展開、そんなものとの対極にあるのが、強行採決である。僕らは国会と道を隔てた国会内のこの行為を黙って見ているほかないのか。
それは政府や権力側の常套手段としてあきらめに似た気持ちでみているだけか。僕らの国会を包囲してのこえは空しく響くだけなのか。そういう自問が絶えずやってくるが、僕らはそれを抱えながら意志表示を続けなければならない。そこにしか希望の道もないのだからだ。
◆ 5月15日~19日まで僕らは第二弾として国会前(議員会館前)での座り込み行動(13時~17時)を展開する。これが基本的行動である。国会前での集会や諸行動とは随時、合流する。5月16日(火)日比谷野音、19日(金)正門前集会(18時30分~)がある。強行採決の動きに対応した行動を展開する。国会前に駆け付けてもらいたい。行動を!(文責:三上治)
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