連載・やさしい仏教経済学―(12)「国民総幸福」をめざす国・ブータン/(11)ネパール仏教と世界平和への貢献

著者: 安原和雄 やすはらかずお : ジャーナリスト・元毎日新聞記者
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「国民総幸福」をめざす国・ブータン連載・やさしい仏教経済学(12)

 東洋の一角に「最小不幸社会」を国造りの政治理念として掲げている経済大国(?)があると聞く。よほど不幸が社会に蔓延(まんえん)しているのだろう。そうでなければ、この政治スローガンに意味はない。同じ東洋に「国民総幸福」をめざしている小国がある。ほかならぬチベット仏教国・ブータンである。「最小不幸社会」か、それとも「国民総幸福」社会か、そのどちらに魅力を感じるだろうか。
その選択はもちろん人それぞれだが、私なら「国民総幸福」の国造りに賭けてみたい、というよりは軍配を挙げたい。「最小不幸社会」を陰とすれば、「国民総幸福」には陽のイメージがある。国を挙げて「みんなの幸せ」を願って生きる、という前向きの姿勢が素敵ではないか。(2010年8月19日掲載)

 2010年4月来日したジグミ・ティンレイ・ブータン王国首相(注)は第23回全国経済同友会セミナー(「今こそ、日本を洗濯いたし申し候」というテーマで高知市で開催、企業経営トップら900名余が参加)の基調講演、さらに日本記者クラブ(東京・内幸町)での記者会見で、国造りとして目指している「国民総幸福」(GNH=Gross National Happiness)について詳しく語った。
(注)ブータン王国はヒマラヤ山脈東部に位置し、人口200万人程度の小国。チベット仏教が国教となっている。首相は、1950年生まれ。米国ペンシルヴァニア州立大学修士で、デンマーク、スウェーデン、EU、スイスなどの大使、さらに外相、内務・文化相を歴任、現在3度目の首相の座にある。趣味はガーデニング、ゴルフ、トレッキング(山歩き)。

 以下に全国経済同友会セミナーでの基調講演(『経済同友』・2010年6月号に掲載)を中心にその要点を紹介する。

▽ 国民総幸福とは(1) ― 四本柱の戦略で追求

 20世紀はGDP(国内総生産)崇拝主義によって人類史上最大レベルの富が生み出されてきた。GDPは、ある特定の時間・場所において、モノやサービスがどれくらい取引されたかを表す尺度だが、これがあたかも人間の幸せの尺度のように勘違いされていた。
 しかし最近の金融危機などで、富と呼ばれていた株や銀行の預金残高、豪華な家などが一夜にして全部消えてしまい、手にしたと思った富が幻想だったことに気がついた。手段と目標を混同し、人間を単なる消費者や数に置き換えてしまい、幸福な人生とは何かを考えることを忘れてしまっている。
 最近では多くの学者、政治家や一般の人たちが、幸福と物質的な富は別のものと考えはじめ、GDP中心の成長は持続不可能で危険な道であると考えるようになっている。

 国民総幸福(GNH)は、ブータンの国民全体の幸福を意味し、政府が目指すべき基本的な考えとして、国王が生み出した。幸福の実現は物質的なものと精神的なもののバランスを取って初めて達成される。
 政府は「GNHの柱」と呼ばれる、次の四本柱の戦略によって、国民の幸福を追求できるような環境を整えることに注力し、実行してきた。
(1)持続可能かつ公平な経済社会の発展
(2)ブータンの脆弱(ぜいじゃく)な山岳環境の保全
(3)文化・人間の価値の保存と促進
(4)良きガバナンス(統治)
 われわれは近代性と伝統、物質と精神、用心深い成長と持続可能性のバランスを取って運営してきた。

 しかしGNHそのものが精神論的な言説に終始していてはいけない。GNHそれ自体がある尺度を持って測定可能にならなければ政策プログラムに転化できない。そのため政府はGNHインデックス(指標)を確立した。その際は日本を含む世界の学者や実務家など様々な方に支援をいただいた。
 このインデックスは前述の四本柱を詳述しており、九つの区分に分けて分析し、それを72の変数で測定している。九つの区分は以下の通りである。
 ①貧困のレベルを測定する生活水準、②死亡率や罹患率を含む保健衛生、③教育水準と現状の関連性、④資源状況、生態系などの環境、⑤文化の多様性とそのしなやかさ、⑥人間関係の強さ・弱さを測る地域社会の活力、⑦国民の時間の使い方、精神的・情緒的な健康、⑧暮らしへの満足感、⑨統治の質

<安原の感想> 経済成長は持続不可能で危険な道
 ブータン首相の講演は、経済同友会の経営トップらを前にして、経済の基本概念・GDPへの次のような根源的な批判から始まった。これは明らかに仏教経済学的視点からの批判といえる。
・GDPがあたかも人間の幸せの尺度のように勘違いされていた。
・人間を単なる消費者や数に置き換えてしまい、幸福な人生とは何かを考えることを忘れてしまっている。
・GDP中心の成長は持続不可能で危険な道である。

 上記の「四本柱の戦略」のうち特に「持続可能かつ公平な経済社会の発展」は、それと根本から対立する「GDP中心の経済成長」にこだわり続けてきた日本の多くの経営トップらには大きな知的刺激となったに違いない。ただブータン首相を基調講演者としてわざわざ日本へ招いたことは、ブータンが国を挙げて取り組んでいる「国民総幸福」路線に経済同友会としても関心を抱いているからだろう。そこが保守的な財界人の総本山・日本経団連とはやや趣(おもむき)を異にしているところではある。

▽ 国民総幸福とは(2) ― 国民の97%が「幸福だ」

 ブータンでは大家族を社会の中で最も強い持続可能性のある経済的、社会的、精神的なセーフティネット(安全網)として、重要な社会資本ととらえている。福祉サービスは、豊かな国であっても、コストが高くつく。
 5年前に行われたブータンの国勢調査では、「そんなに幸福ではない」と答えた人の割合は3%、「幸福だ」と答えた人は52%、「とても幸福だ」は45%だった。ブータンではこれだけの幸福の度合がある。

 GNHのインデックスは主観的なデータに基づいており、幸福も主観的な考えだから、どんな社会もこれを基にして統治することはできない、という議論がある。しかし現実というものは基本的に主観的なものなのである。そして国家の主たる義務は、国民が幸福を追求できるようにすることなのである。

 日本が今回の経済危機で痛手を受けたとしたら、それはGDP中心の繁栄を手にした結果ではないか。日本は、成功の頂点を極めたわけだが、これを継続することはできない。日本人の知恵で、新しい経済、新しいやり方、新しい暮らし方を探り、早急に挑戦していくという強い意志が必要である。
 日本は、あの壊滅的な被害を受けた世界大戦の灰から立ち上がった国である。これほど強靱(じん)な回復力を見せた国民は世界にはない。そしてユニークな文化を持っている。規律、勤勉、尊厳、誇り、不屈の精神、イノベーションの力を持ち、世界から尊敬された国で、より持続的な価値を追求する能力があるはずである。
 日本こそ、ほかのどの豊かな国よりも真の幸福に向かって歩み、GNH社会を作っていくのに最も適した国だと確信している。

<安原の感想> 小国ながら堂々とした助言に試される日本
 まず「ブータンでは大家族を・・・セーフティネット(安全網)として、重要な社会資本ととらえている」という首相発言に注目したい。大家族を基盤とする社会の中での人間同士の温(ぬく)もり、絆、安心感などを連想させる。だからこそ国民の97%が「幸福」と答える国柄なのだろう。
 さて肝心の日本はどうか。家族が崩壊し、ゆがめられた個人主義、身勝手主義が横行している。温もり、絆、安心感などは願望の対象ではあっても、現実ではない。最近、百歳を超える高齢者の所在不明が続出する一方、幼児・児童虐待事件も後を絶たない。これが経済成長中心の豊かさを追い求めてきた経済大国・日本の成れの果て、ということなのか。

 ブータン首相は次のように指摘している。
 「日本こそ、ほかのどの豊かな国よりも真の幸福に向かって歩み、GNH社会を作っていくのに最も適した国だ」と。これは小国ながらいかにも堂々とした有難い助言ではないか。この助言を生かすには、日本国憲法の九条(戦争放棄、非武装、交戦権否認)と二五条(生存権、国の生存権保障義務)の理念を実現していくこと、貧困・格差の拡大と人権無視をもたらしたあの新自由主義(=自由市場原理主義)と完全に縁を切ること ― が不可欠である。 日本という国の英知と器量が試されようとしている。

初出:安原和雄のブログ「仏教経済塾」(10年8月19日掲載)より許可を得て転載
http://kyasuhara.blog14.fc2.com/

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  http://www.chikyuza.net/
〔study319:100819〕

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ネパール仏教と世界平和への貢献連載・やさしい仏教経済学(11)

 仏教の開祖・釈尊の生誕地は、ヒマラヤ山脈中部南麓に位置するネパールのルンビニである。そのネパールの国立大学には仏教経済学者が顔をそろえている。彼らの大きな関心事は「仏教と世界平和」である。「仏教は世界平和にどう貢献できるか」 ― このテーマをめぐる第2回ネパール・日本国際仏教経済シンポジウムが2006年12月、ネパールの首都カトマンズと釈尊の生誕地ルンビニで開かれた。
 席上、ネパールの仏教経済学者らは次の諸点を強調した。「社会に平和をもたらす就業の機会を保障することは国家の重要な責務」、「平和を伴わない繁栄は無意味」、「兵器経済が世界を恐怖に陥れていること」、「共生感は世界平和の確立に不可欠」などである。そこには仏教経済学の視点に立って、平和をつくっていく強い願いをうかがわせている。(2010年8月13日掲載)

 1回目(2000年12月ネパールで開催)に次ぐ2回目の国際仏教経済シンポジウムは日本ネパール国交50周年記念事業の一環として行われ、ネパールの首相から歓迎のメッセージが寄せられた。パネリストとして、ネパール側からナレッシュ・マン・バジラチャラヤ(トリブヴァン大学=ネパール国立大=教授)、トリ・ラトナ・マナンドール(同大学講師)、日本側から安原和雄(仏教経済フォーラム副会長、足利工業大学名誉教授)、辻井清吾(同フォーラム理事、元トリブヴァン大学客員教授)が参加した。

 まず日本側代表団の寺下英明会長(仏教経済フォーラム会長)が冒頭挨拶で「釈尊の中道、知足、共生の3つの教えを、利益優先の競争原理に基づく資本主義の中に組み込み、資本主義の暴走を制御する必要がある」 ― などを強調した。

 以下にシンポジウムでのネパール側のスピーチと採択された「ネパール宣言」(ネパール側が起草)の概要を紹介する。これによってネパールの仏教経済学者たちの主張の大筋を理解することができる。

▽兵器、アルコール、麻薬などの生産が平和を脅かす

 ネパール側のパネリスト、マナンドール講師は「仏教思想に基づく経済発展と平和」と題して、次のような問題提起(要旨)を行った。

 釈尊は、人々それぞれの能力にふさわしい就業の機会を保障することは国家の重要な責務であると説いた。就業機会がなくなると、社会を損なう悪行に失業者を追い込むからである。だから就業機会の保障は人々を幸せにするだけでなく、社会に平和をもたらすのである。

 様々な人々の健康と富が、いわゆる経済活動という名の兵器、アルコール類、麻薬、たばこなどの生産によって損なわれている。そこで世界がさらに大きな被害を受けないようにするためには倫理的価値の導入が不可欠であり、そのとき初めて人々は平和と繁栄を享受する生活を送ることができる。
 平和を伴わない繁栄は無意味である。この文脈で釈尊は義務感、清廉、高潔と並んで物質的価値と精神的価値との間のバランスをとるよう努力することを説いた。

 今日先進諸国は現代的な精密兵器を生産し、世界への支配権を確立しようと図っている。これら先進国の経済は発展途上国への兵器輸出によって潤い、兵器を土台とする経済が一般的になってきたが、そういう「兵器経済」(weapon based economy)が世界を恐怖に陥れている。

 倫理的価値を伴わない経済発展は国民の大多数にとって重荷となるほかない。だからこそ倫理的価値を経済活動に導入する必要がある。それは経済学と仏教思想を融合させることによって可能となるだろう。

<安原の感想> 「兵器経済」が世界を恐怖に追い込んでいる
 今日の世界が直面している多様な脅威のうち、見逃せないのは、就業の機会に恵まれない失業者の増大であり、一方、兵器生産増大による資源浪費である。どちらも社会や世界の平和を脅かすものとなっている。特に兵器生産への傾斜は、経済を「兵器経済」化させ、それが世界を恐怖に追い込んでいる。
 ではどうしたらよいのか。打開策は何か。倫理的価値を経済活動に組み入れることが不可欠であり、その実現のためには釈尊の仏教思想と融合した経済学、すなわち新しい仏教経済理論によってのみ可能だ ― という指摘は示唆に富む。

▽ 仏教の縁起説に立って世界平和をつくる

 ネパール側のもう一人のパネリスト、バジラチャラヤ教授は「仏教の縁起説に立って世界平和を読み解く」と題して、以下のように指摘(要旨)した。

 仏教の見解によると、あらゆる存在は ― 生物、非生物を問わず ― 他の存在との依存関係によって生成が可能であり、同様にその消滅は、他の存在の消滅によって生ずる。いいかえれば、あるものの存在が他の存在の原因となり、同様にあるものの消滅が他の消滅の原因となる。

 このような仏教の縁起説は以下の事実を明らかにしている。
・なにものもそれ自体では完全ではありえない。
・なにものも最高絶対の力の保持者ではありえない。
・すべてのものはそれぞれ、それ自体の価値と重要性をもっている。
・共生こそがこの世の存在の究極の真理である。
・それ故に何人も他者を無視したり、軽視したりはできないし、またすべきでもない。
・人々は他者の存在に敬意を払わなければならない。
・相互の尊敬こそがこの世の持続性を確かなものにする。

 上記の諸点は「相互に尊敬し合うことこそが平和をもたらすが、これに反しお互いに軽視し合うことは対立につながる」ことを示している。このことはネパールの政治の歴史をみても明白である。
 これまで各政党はお互いに無視したり、軽視したりして、政治的解決が不可能で、平和とは縁遠い状況にあった。しかし最近になって各政党はお互いの存在を認めるようになり、その結果、2006年11月21日、国民的和平協定が調印された。
 世界レベルでみても同じで、現在ごくわずかな国が戦争や核実験等を通して優越性を誇示しようとしており、それが平和を求める諸国に不満と混乱をもたらしている。

<安原の感想> 縁起説を土台に据える仏教経済学
 バジラチャラヤ教授はさらにこうも指摘した。
 「釈尊によって発見された縁起説は宗教哲学、信仰というよりもむしろ科学的真理である。政治家たる者たちは、世界平和のためにこの縁起説という科学的真理に目覚めなければならない」と。100%同感である。
 ネパールでは政府側と野党の毛沢東主義派(武装勢力)との間で武装闘争が繰り返され、2006年11月までの10年間に1万3,000人が犠牲になったとされる。その双方の間で和平協定が結ばれ、新しい制憲議会選挙も行われた。そのいきさつを縁起説を援用して分析したところがユニークである。

 わが国では「縁起が良い、悪い」などの表現が使われるが、これは転用であり、本来の正しい縁起説は仏教の根本教理の一つで、別名「空(くう)観」ともいわれる。それは次の二本柱からなっている。
(イ)諸行無常=万物流転(すべてはつねに変化し、移り変わること)
(ロ)諸法無我=相対依存(独自に存在しているものはなく、すべては他との相互依存関係にあること)
この縁起説が科学的真理である以上、社会科学としての仏教経済学も当然、縁起説を土台に据えなければならない。

▽ネパール宣言 ― 相互の軽視は対立を招き、尊重は平和をもたらす

 「仏教の世界平和への貢献」に関するシンポジウムの結果、採択された「ネパール宣言」(骨子)は以下の通り。

 戦争は大義もなければ、平和への打開策にもなり得ない。相互の尊重は平和をもたらすが、相互の軽視は対立を招く。釈尊は真理を述べている ― 「憎しみは憎しみによってはやまない。やさしい愛によってのみ憎しみは消える」と。
 生物と非生物とを問わず、あらゆる存在の共生は、仏教の中心概念となっている。縁起説を土台とする共生感(feelings of co-existence)は世界平和の確立のために発展させなければならない。

 人類は経済活動なしには生存できないとはいえ、様々な不公正な経済活動が行われ、それが多くの問題を招いている。釈尊の教え、すなわち仏教経済学に導かれる経済活動こそが、広範囲に及ぶ不公正な経済活動に歯止めをかけるだろう。
 殺戮(さつりく)用兵器、アルコール類、麻薬などの商取引は、全人類の健康、富そして道徳性を大きく損なうものであり、悪しき商取引といわなければならない。世界平和を促進するためには、このような不正な経済活動を国際レベルで防止しなければならない。

 基本的な仏教の教えは、世界の指導者たちにとって国や世界を平和のために運営する政策を立案するのに役立つだろう。「正当な政治的ビジョン」は世界平和の土台となるが、「悪しき政治的ビジョン」は災厄の根源であるというほかない。

<安原の感想> 共生の重要性を強調
 ネパール宣言でも縁起説が根底に据えられており、その上に共生の重要性が強調されている。さらにいかなる名目の戦争にも大義はなく、それは平和への道程を意味しないことを明記している。
 このシンポジウムでは、何よりも縁起説が信仰ではなく、科学的真理であることにそれなりの共通認識を持つことができたことは、今後、仏教経済学を普及させていく上で大きな前進となるだろう。

(付記)以上のスピーチとネパール宣言はいずれも英語で行われたが、その日本語訳の最終責任は安原にある。

初出:安原和雄のブログ「仏教経済塾」(10年8月13日掲載)より許可を得て転載
http://kyasuhara.blog14.fc2.com/

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  http://www.chikyuza.net/
〔study318:100813〕