週末、一人、何もない―はみ出し駐在記(17)

ボブの後を事後承認のようなかたちで入り込んだ下宿。当初大家は距離を空けていた。当然だろう。ボブの会社の同僚といっても、どんな人間なのか分からない。大家が信用してくれるようになるまでにひと月以上かかった。お互いに慣れて相談したり世間話もするようになったが、週末に大家と過ごす時間はしれている。

 

応援者のテイクケアで時間を潰されることもあったが基本は一人。極端に言えば、何をしても、どこをほっつき歩いていようが、下宿に帰ろうが帰るまえが誰に小言を言われる訳でもない。貯金など考えたともない。入ってきた金はみんな使ってしまう。大した金はなかったが、二十代半ばの一人者が好き勝手にほっつき歩くには十分だった。

 

今のようにインターネットがあるわけでもなし、情報ソースは大家からたまに見せてもらう地元のタブロイド紙だけだった。駐在員や長期滞在者向けの情報紙ぐらい探せばあったろうが、そこまでマメじゃない。出張先のモーテルでテレビを見たが英語が聞き取れないためついて行けない。やたらに多くて長いコマーシャルにうんざりしてチャンネルを回せば、元のチャンネルが見つからない。あちこちチャンネルを回しても、これといって見たい番組に行き当たることはなかった。吉幾三の歌ではないが、テレビもラジオも新聞もない。あっても使いようのない生活だった。

 

週末の遅い朝、起きれば腹がすいている。フツーの朝食を食べられるように買い置きをしておけばできたが、そんな自炊とも言えない自炊すらしなかった。チョイスはほとんどない。ちょっと走って近くのダイナーに行って定番の朝飯にコーヒーか、それともデリに行ってハムアンドエッグにコーヒー。デリでテイクアウトして下宿に帰って、一人でモグモグも気が乗らない。ダンキンドーナッツという手もないわけではないが、もうちょっとしっかり食べたい。ダイナーに行くかと思いながらもちょっと腹が空きすぎた。まずは冷蔵庫か冷凍庫にあるもので軽く腹ごしらえして。。。

 

7upにベーコン、キャンベルの缶スープにアイスクリームくらいしかない。気が向けばベーコンを一袋焼いて食べるが、それも面倒でまずアイスクリーム一箱か一カップ(一リットル弱)を食べてしまう。何しろ腹が減っているので食べ始めると食べてしまうまで止まらない。アイスクリームで一息ついたら、ダイナーの朝飯を忘れてしまう。

 

昼飯も兼ねてフラッシングの日本食料品店に買出しに行く。隣にすし屋と軽食屋があって、食料品店に入る前に軽食屋の匂いに引きずられてつい入ってしまう。日本語で注文できるということだけで、くつろいだひとときを味わえる。ろくに具も入っていないのに六ドル近くもする、たいして味わいようのない焼きそば、食べる度に損した気になった。ちょっと歩いたところに日本の本屋があって、毎月取り寄せてもらっている雑誌や本をピックアップ、オヤジさんとちょっと世間話をしてから食料品店にまわる。

 

卵焼きぐらいしかつくらない下戸の一人者、買出しといってもしれている。煎餅などの菓子の類にレジにあった確か五個入りの大福くらい。この大福の誘惑に負けないようにと思いながらも必ず負けてしまう。何か買うのであれば誰もが必ず通るレジに置いてあるところがにくい。駐車場から車を出しながら待てずに食べ始めてしまう。ズボンやシャツも運転席の周りも大福から飛んだ粉だらけになる。下宿に帰ってから食べればいいものをといつも思うのだが、下宿についたときには袋だけになっていた。

 

下宿に戻ってから今度は近所のスーパーマーケットに買出しに行って、夕食は近所のダイナーか“さっぽろ”という日本メシ屋。“さっぽろ”、女将の人を値踏みするような口ぶりがイヤで行きたくなかったのに、近いというだけでいつのまにやら行きつけになってしまった。

 

応援に来た三十ちょっと出た歳の電気屋が変わった人で、何はなくとも豆腐だった。どこに行っても夕飯の話になると豆腐がでてくる。幸いどこに行ってもあるチャイニーズにも豆腐がある。同行出張したときは客にチャイニーズレストランを教えてもらって連れて行った。おちょこ一杯で真っ赤になってしまう真性下戸で、豆腐さえ与えておけばおとなしい人だった。

 

“さっぽろ“、何を食っても上手くない店だったが、豆腐本位制神官の評価は高く、夕飯といえば”さっぽろ“という人だった。世間知らずというのか豆腐頭になってしまっているからなのか、”さっぽろ“の女将に、大きな声でここで一番美味いのは冷奴だと言われたときには焦った。いえいえ、いつも食べてる今日も食べてる”すき焼“も美味しいですよってフォローしたら、そうだろう豆腐が美味いだろうって余計なことを。無垢というのか常識はずれというのか、素面でこれだから連れて歩くのも気を使う。

 

日曜日にはちょっと走ってRoosevelt FieldというMallにでかけてうろちょろ。午後には下宿からHillside Avenueを東に行ってQueensに入ったところの寂れたX-ratedの映画館に行った。ついて行ける映画(テレビもだが)はX-ratedだけだった。英語が分からなくても画面さえ見ていればいい。何でも見せられるからだろう、日本のピンク映画のように凝った作りはない。目さえ開いていれば、ぼーっとしていても誰でも分かる。

 

上映されていた映画は毎週変わるから毎週行けた。一度土曜日にやることがなくてこの映画館に行ってしまって、日曜日をもてあました。独房のような半地下の部屋で、どうしたものかと思っていた。先輩駐在員のQueensのアパートの近くにあったX-ratedの映画館があったのを思い出した。やることもないしで、先輩のアパートの前に車を停めて、。。。まではよかったが、次の週の日曜日、いつもの映画館に行ってまいった。先週先輩のアパートの近くの映画館で上映していた映画がこっちの映画館に回ってきていた。二度見るような映画じゃない。駐車料金は払ってしまったがしょうがない。

 

英語が分からなくても付いて行ける映画のはずが、一度だけだが見ていて何がなんだか分からない映画があった。ちょっと見て今で言うシーメールだと気が付いた。見ていてどっちが男役なんだか女役なんだが分からない。そこまででもこんがらがったところに、俳優の中に両性具有者が何人かいた。もうどっちが男でどっちが女という話の世界を超えて、男でもあり女でもありの俳優が、大笑いしながらくんずほぐれつ裸の肉弾戦。見終わって感想はと聞かれても、なにがなんだか分からないとしか言いようがない。さすがアメリカのX-rated。でもそんな難しい映画はそれ一本きりだった。

 

一人で自由とはいいのだが、土地勘もなければ知り合いもいない。どこか行くあてなどある訳がない。何かスポーツや趣味でもあればいいが、汗臭いのは仕事だけで十分。前もって計画してなんてのもガラじゃない。行き当たりばったりのハップニング人生。何もなければないで下宿で本でも読んでるか、小汚い裏路地でも歩き回る方がよっぽど性にあっている。

 

誰に束縛されることも気兼ねすることもない。週末に一人、何もないが自由だった。おかげで良いの悪いのいうことなしに日本ではできない経験をできたし、日本にいるときより本も読めた。若気の至りの放電と将来への充電の時だった。

 

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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