出社初日に営業トップから聞かれた。知っていることなのだから確認と言った方がいい内容で、目的は確認ではなく人を小馬鹿にすることだったとしか思えない。「免許は持ってきたか。なにぃ、免許も持たずに駐在に来たのか、お前、。。。」
明文化した規定はなかったと思うが、海外支社に営業として赴任する人たちは半年くらい輸出子会社で海外営業業務の研修(オン・ザ・ジョブでしかないが)を受けるのが常だった。営業トップが輸出子会社にいたときに何度か仕事で振り回された。都合のいいように都合の悪いことを忘れるのが上手な人で、下の誰かが後始末に走り回ることになってもそれがあたり前としか思わない。まるでヒラメかなにかのように両目が上を向いてついている人だった。
仕事の付き合いで何度か飲みにもいって、こっちが運転免許をもっていないこと、車を転がすことに関心のない者であることを知っていた。知っていたというより、「お前もそのうちどっかにでるだろうけど、今更日本で免許をとるのも面倒だし、出た先でとればいい。そっちの方が安いし簡単だ。」と言っていたのが、初日の挨拶もすまないうちにわざわざ言ってきた。ベテランの営業マンに聞いても上司に聞いても同じことを言われた。フツーに考えれば、運転免許も持たずに米国駐在はないが、持ってないものが慌ててとってゆくのなら、行ってから現地でというのが時間的にもコストの上でも妥当な選択になる。それでも受け入れる側にしてみれば、そりゃないだろうというのがフツーの反応だろう。言いたくなるのも分かる。
車がないとアパートも借りられない。借りたとしても通勤できない。車を買うには運転免許がなければならない。何もましてまずは運転免許。運転免許をとるには、日本も同じだろうが、筆記試験をパスした後に実地試験をパスしなければならない。国際免許の有効期限は一年間で、それ以降は米国の運転免許をとらなければならない。この場合も同じように筆記試験と実地試験をパスしなければならない。米国の運転免許は州ごとに発行されるので、州を超えて引っ越すと引越し先の州でまた筆記試験に実地試験になる。
筆記試験を受けるには最寄りのMotor Vehicle (運転免許試験場)に行かなければならない。徒歩では行けない。バスや電車があるわけでもない。免許がないからMotor Vehicleに試験を受けにゆくのだが、車を運転できないとMotor Vehicleに行く方法がない。どっちが先だと言っててもしょうがない。先輩駐在員に連れて行ってもらって、試験を受けて帰ってくるしかない。
筆記試験は、この範囲からは四題、こっちからは三題。。。という設定のもとコンピュータからランダムに四択問題が二十問打ち出される。試験会場の部屋に入ると係員がレーターサイズ(変形A4の感じ)の表裏に打ち出して手渡してくれる。
八十点で合格だから四問まで間違えてもいい。本来であれば、運転の手引のような小冊子を読んで試験に備えるのだが、駐在員でそんな面倒なことをするヤツはいない。歴代駐在員が受けた試験問題(過去問)が一センチ以上の厚さの束になって残っていた。八十点台のはない。ほとんどが百点、悪くても一、二問間違えてるものしかない。モーテルで一晩問題を見て答えを見ていれば、問題が何を問うているのか分からなくても、答えがどれかを覚えてしまう。覚えようと努力をするようなものではなく見ていれば覚えてしまうという類のものだった。
会場に入って、試験問題もらって、何も考えずにさっさと四択から選んで。かかる時間は問題の文章の始まりのところを見る、正解の答えの始まりの文章を見つけて、そこにチェックを入れるだけ。一緒に試験を受けているアメリカ人は問題を読んで、答えを読んで、どれが正解か考えるからそこそこ時間がかかる。それを尻目に試験問題を持って係官に渡せば、その場で採点してくれる。百点以外をとるのが難しい。筆記試験をパスすれば、となりに運転免許を持っている人が同乗すれば車を運転できる。
フツーの人は知合いの車でちょっと練習して実地試験を受けに行くのだが、先輩駐在員にはその労をとれる人がいなかった。General AffairsがDriving schoolなるものを手配してくれた。日本と違って運転教習所があるわけではない。おんぼろ車の助手席にハンドルとブレーキを付けた変な車で先生?が事務所に来て、彼が助手席に座って、事務所の近所から果ては高速道路まで運転の練習をさせられた。いいカモがきたと思ったのだろう、実地試験にゆくまで何日もかかった。ニューヨークといっても郊外、余程何かの障害でもなければ誰でも運転できる。道は広いし、交通量もしれてる。ぶつかろうにもぶつかるものもない。ゲームの運転の方がよっぽど難しい。
国際免許を持ってきたとしても、赴任すると即運転免許をとるのがフツーだった。一年間あるのだし何も慌てることもないのだが、取りたいという気持ちがあるとのIDとしての免許証がないとなにかと不便なのでとることになる。
十年以上経ってクリーブランドで生活していた。オハイオ州の運転免許はとったが、短期のつもりだったので車はリースしていた。どういうわけかニューヨークのときよりよく捕まった。おまわり(さん)に免許証の提出と求められたとき、オハイオ州の免許は取ったばかりだったので、つい国際免許証を出してしまった。思わぬ使い方があるのに気が付いた。
小冊子のような国際免許証のどのページを見ていいのか見当がつかないのだろう。ページをめくりながら、何時帰る?と聞かれる。今週の土曜日とでも言えば、気つけて運転しろと言われるくらいでチケットをもらわないで済む。残念ながら国際免許証の有効期限は発行後一年しかない。でも小冊子の体の国際免許証、有効期限の切れた国際免許証を出しても分かりやしないと思うが、ばれたときのゴタゴタを考えると試す勇気はない。
赴任したばかりで英語で四苦八苦している状態でとるものだから歴代駐在員のなかには語り継がれる笑い話を残してゆく人がいる。
英語がほとんど分からないから歴代駐在員の過去問を文章の最初の数文字だけを模様のように丸暗記した。問題用紙をもらって問題も答も読まない。最初の箇所を見て正解を選んでチェックするだけだから時間という時間がかからない。
あっと言う間に終えて係官のおばちゃんに。どうみても不慣れな東洋系の頭の良さ?にびっくりしたおばちゃん、よせばいいのに凄いねって褒めた。褒められたのだからどんなもんだとでもいう態度をとればよかったのだろうが、かなしいかな英語で言われても何を言われているのか分からない。きょとんとしているのを変だと思ったおばちゃん、新たな試験問題を打ち出して、これをやってみろと。また、さっさと終わらせて百点。何回やらせても八十点にいたらない結果はでないだろうが、英語ではほとんど何も分かっちゃいない。
Motor Vehicleに同僚に連れて行ってもらって、じゃあ受けてきますって廊下を歩いて行って隣の部屋に入ってしまった。なんか変だ。見たことにない問題がいくつかあった。それでも合格して、ちょっと経ってから事務所に郵送されてきた運転免許証を見てセクレタリーが驚いた。なんでバイクの免許をとってきたんだ。しっかりもののセクレタリー、Motor vehicleに電話して、「英語の不自由な日本人が一所懸命勉強して筆記試験に行って間違えた部屋に入ってしまったのはMotor Vehicleの部屋の案内が分かり難いからであって、部屋を間違えた日本人の責任ではない。バイクの免許は受かったのだから交通法規は理解している。自動車の免許に変更しても問題ないじゃないか。」
何日もしないうちに自動車の運転免許証が届いた。数日後、“No turn on Red ex Bus”という標識のある交差点で”BusをバスではなくBusinessと思って右折して捕まった。アメリカの道路標識は結構文字が多いので最低限の英語が分からないと分からない。字は小さいしこっちは動いているからあっという間に通り越して。。。は日常茶飯事。間違って、迷子になって一つひとつ拾ってゆくのだが、何度も間違って行ってたところは間違わないと行き方が分からないという笑い話のようなことも起きる。
ちょっと信じられないだろうが、七十年代末のニューヨーク州の運転免許証は厚手の紙製で写真もなかった。間違って洗濯機で洗ってしまうと免許証はくしゃくしゃになって使えない。再発行してもらうことになる。写真も載ってないから、人のものを使っても分からない。よくそれでIDとして通用していたものだと、今になってみれば不思議でならないが、それだけのんびりしていたということだろう。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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