先月の上旬、ジョージアのテンギズ・アブラゼ監督の「祈り」、「希望の樹」、「懺悔」という三部作を神保町の岩波ホールで見た。私は初めこの三部作全体についてのテクストを書こうと思った。だが、宗教、政治、社会問題だけではなく、映像的な美やポリフォニー的音楽性などが複雑に絡みあったこれらの映画について短いテクストの中で考察していくことは不可能であると判断し、この計画を中止した。だがその代わりに、三部作最後の作品である「懺悔」と香月泰男のシベリア・シリーズとの連関性について考察していこうと思った。確かに、前者は映像記号によって創作された作品群の一つであり、後者は絵画記号によって制作された作品群であるという大きな相違点がある。しかし用いられている記号の違いにも係わらず、前者と後者には共通する基盤があるように考えられたからだ。それはテーマ的類縁性、連作による作品構築の過程で作られたものという形式上の同一性、過去の出来事に対する倫理的問題設定である。こうした問題設定の探究は用いられている記号の差異を超えて記号学的な地平を広げ、記号間の広がりを横断しながら、アブラゼの作品と香月の作品群とをある方向へ収斂させていくように私には思われたのだ。それゆえ、ここでは今述べた二つのものを比較検討していくが、その探究手順は以下のように行われる。最初に「懺悔」を巡る問題についての考察を、次にシベリア・シリーズに関する問題の考察を行い、三番目に過去の出来事に対する倫理的な責任という問題について考え、最後にこれらの問題を総合化していく。
「懺悔」について
岩波ホールが発行している「祈り」三部作についてのパンフレットを読むと、テンギズ・アブラゼ監督は1924年にソビエト連邦グルジア共和国クタイシで生まれている。クタイシはかつてのグルジア王国 (975-1122) とイメレティ王国 (1260-1810) の首都で、現在はジョージア第二の人口を誇る都市である (ウィキペディアによれば2014年の人口は147635人である)。その後、彼はモスクワにある全ロシア映画大学を卒業し、共同監督作品を含め10本の映画を制作し1984年に死去した。「祈り」三部作というのはアブラゼがそう呼んでいたために付けられた名称であるが、三つの映画の連続性はテーマ的な繋がりに依拠している。この三部作の一作目の「祈り」は1967年に、二作目の「希望の樹」は1976年に、三作目でアブラゼの最後の映像作品となった「懺悔」は1984年に制作された。「祈り」は1973年にサンレモ国際映画祭グランプリを、「希望の樹」は1977年に全ソビエト映画祭大賞など多くの賞を、「懺悔」は1987年度カンヌ国際映画祭審査員特別賞など多くの賞を受賞した。
この三部作について、はらだたけひでは『グルジア映画への旅:映画の王国ジョージアの人と文化をたずねて』(以後副題は省略する) の中で、「3作品は、人間社会の不条理もさることながら、社会的暴力を描き、そのなかで人々が犯す過ちを描いています。それは人々の怠慢、欺瞞、権力への固執と恐怖であり、それらを生む人間の暗部にまで到達しています」と述べ、また、「『懺悔』は、独裁者の権力への妄執とともに、人々の熱狂や欺瞞が誤った体制を作り、自由な心をもつ人々を抹殺し、暗黒の時代が長く続いたことを示しました」と述べている。このはらだの批評は正しい。だが、私は「懺悔」の中で示されたテーマの中で、権力によって行われた悪政への抵抗、犯された罪とそれに対する罰という二つの問題を特に強調したい。何故なら、この二つの問題は記号表現方法の違いを超えて、香月泰男のシベリア・シリーズにも通じる間テクスト的なテーマだからである。さらにこの二つの問題は、「3作品はたくさんの考えによって互いに繋がっています。しかしその中心にあるのは倫理の問題です」というはらだが『グルジア映画への旅』の中で引用しているアブラゼの言葉が表しているように、三部作の中核ともなっている問題だからである。
「懺悔」はスターリン体制下のジョージアが舞台になっている。ソビエト政府の、つまりはスターリンの政策に忠実に従い、多くの市民を収容所や処刑場に送った市長ヴァルラム。彼の死と共に彼の罪が語られていく。しかし問題は彼の罪だけに止まらない。自分の父が、自分の祖父が犯した罪を抱えてしまう息子と孫。一人の人間の罪がその人間だけの罪として弾劾されるとは限らないのは何故か。さらには、誰かが犯した罪が何故他者の存在性に影響を及ぼしてしまうのか。こうした問いが問題となるのである。塚原史は『人間はなぜ非人間的になれるのか』の中で、フランソワ・リオタールの『ポストモダンの条件』に言及しながら、「近代社会の「知の英雄」が「大きな物語=メタ物語」の創造をつうじて自己正当化のための言説を追求してきたとすれば、一九七○年代頃から欧米の高度資本主義社会に起こった知の状態の変化は、「(近代の) 科学や文学や芸術のゲームの規則に生じた諸変化のあとの文化の状態」に対応している、彼 [リオタール] は言う」と指摘している。さらに、「(…)これらの変化を「大きな物語の危機」と結びつけて、「極端に単純化するなら、〈ポストモダン〉とはメタ物語への不信のことだ」と語っている。大きな物語への不信は近代世界が作り上げた理性中心主義的倫理への不信でもある。近代が発明した人間という普遍的存在の持つ理性という絶対的概念への神話はヒトラーやスターリンという独裁者による全体主義政治体制によって脆くも崩れ去った。それは理性が絶対的に正しくそれが独裁者によって壊されたということなのではなく、理性中心主義自身の中にヒトラーやスターリン体制へ通ずる何かが初めから内包されていたという問題なのである。
この点に関連して、ここでは「懺悔」の中に描かれた倫理問題の中心にある他者の罪を抱え込むことの重さについて考えてみたい。先ほども述べたように市長ヴァルラムの市民に対する罪を贖うために孫のトルニケは自殺し、息子のアベルは父の墓を掘り返しその遺体を山から放り投げる。非人間的な体制下で非人間的な行為を行った肉親の罪を償うために何故罪を犯した人間の子や孫が苦しみ、懺悔せねばならないのか。人間的であることを取り戻すためにか。いや、それは違う。普遍的な人間性など実は存在しないのだ。理性中心主義の下で「人間」という近代ヨーロッパの偉大なる発明品は絶対的価値を有していた。人間が理性を持ち、自由と平等と友愛とを実現する崇高な装置であると見做されたからである。だが、ミシェル・フーコーが『言葉と物』の最後の箇所で断言した言葉を待つまでもなく、この装置はその内部に非人間的な悪の種子を孕んでいたゆえに、滅びゆくものであったのだ。何故ならば普遍的な存在は個別的な存在なくしては存在できないものであるからだ。全体が個別に優先するのは理念上の問題であり、今、ここにいる私にとっては国家や社会よりも実際に目の前にいるかけがえのないあなたこそが重要であるからだ。この理念的システムを超えた生の情動を踏みにじった者への罰はその者に及ぶだけではなく、その者を愛する者すべてにまで及ぶ。何故ならこの罪はシステムに係わる以上に情動に係わるものであるからだ。
シベリア・シリーズについて
香月泰男は1911年に山口県で生まれ、1932年に東京芸術大学美術学部の前身である東京美術学校に入学し、卒業後に一歩ずつ画家としてのキャリアを積んでいったが、1943年に召集され、満州の関東軍に配属される。幸いにして戦闘に参加することはなく、終戦を向かえる。だが香月の所属部隊はロシア領に輸送され、シベリアに抑留され、二年間強制労働に従事させられる。極寒の地での過酷な労働。次々に死んでいく仲間。そんな日常の中にも存在するシベリアの自然の美しさ。そうしたイメージが繰り返し、繰り返し香月の内面に浮き上がってくる。この体験を基に創作された57枚の作品群がシベリア・シリーズである。なお、『シベリア鎮魂歌―香月泰男の世界』で立花隆が指摘しているように、シベリア・シリーズは最初、「シベリヤ」と表記されていたが、1973年以降、香月は「シベリア」という表記に統一している。それゆえここでは書籍のタイトル以外は「シベリア」と表記する。
シベリア抑留に関係する絵画は数多く描かれている。佐藤清の『画文集 シベリア虜囚記』や山下静雄の『「画文集」シベリア抑留1450日』では、抑留者の日常生活が絵と文とで詳細に描写されている。後者の本の手記と絵についてロシア語翻訳家の長勢了夫はこの本の解説の中で、「《徹底したリアリズム》が山下静夫の最大の特徴である」と述べているが、こうしたリアリズム性は佐藤の絵にも共通して見られるものである。不合理な命令を受け、消費財のように使い捨てにされた抑留者の苦難の生活を克明に記録するという側面では大きな意味のある数多くの絵を佐藤も山下も残したことは確かである。だが、香月の絵は彼らの絵とはまったく異なっている。
香月のゴーストライターとして立花隆が書いた『私のシベリヤ』の中で、香月の言葉として立花は「私のシベリヤ・シリーズは、純粋絵画の見地からは邪道といえるかもしれない。私はこれらの絵を単なるフォルムと色を表現手段とする芸術作品という視点から鑑賞されてほしくない。いかに写実からはほど遠い作品であろうと、そこに描かれた一本一本の線、一つ一つの色面は、それぞれに現実にあった情景がもとになって生まれたものである」と書いている。この言葉からも理解できるように香月の作品はリアリズムからは程遠い作品であるが、シベリアの体験がなければ生まれなかった作品でもある。さらには、第二次世界大戦がなかったならば生まれてこなかったという意味で、戦争画の色彩を強く持つ作品でもある。だが、それは個人的な体験をはるかに超えた邪悪なスターリン体制への告発という方向のみに、過酷な環境下での強いられた労働への怒りという方向のみに、死んでいった仲間たちへの追悼の思いという方向のみに収斂していく作品ではない。
一般的に言って、リアリズム作品はある出来事への正確な描写力があればあるほど高い評価を受ける。だがそれは美術的側面での完成度というレベルとは別の基準である。美術的な完成度を問うならば、佐藤や山下の作品はシベリア抑留という歴史的出来事のベースを失えば多くの意義を失い、その価値は低下するだろう。逆に、もしもピカソの「ゲルニカ」がリアリズム作品として創作されていたならば、出来事の描写としては大きな意味を持ったであろうが、美的表現としての衝撃力は弱まっていたであろう。アンソニー・ブラントは『ピカソ <ゲルニカ> の誕生』の中でデュラー、ミケランジェロ、ジャン=デュヴェ、ブリューゲル、エル・グレコといった『黙示録』や「最後の審判」に関する絵画創作を行ったヨーロッパの画家の系譜を挙げ、彼らはこれらのテーマの絵を「(…) 世界の悪とそのたどるにちがいない運命のシンボルとして描いた。これらの作品の中で画家たちが関心をもったのは自然の美とか人間の気高さを示すことではなく、反対に世界の悪と人間の獣性を示すことであった」と述べ、さらに、「そこで彼らは思いのままに創造された宇宙の醜さを強調したり、人間の形をねじまげたり、暗い本質を現す怪物を発明したりした」と述べている。そして、ピカソの「ゲルニカ」がこの系譜に連なるものであることを強調し、さらに、「彼 (著者注:ピカソ) はもっと乱暴にねじ曲げ、もっと極端なやり方で人間や動物の肉体を打ち砕いたのである。恐怖の表現はピカソが拠り所としたモデルに見られるより、『ゲルニカ』において、はるかに深いものとなった」と語っている。このデフォルマションはリアリズム絵画によっては表現しきれなかった現実の出来事の根底に潜んでいる中核を捉えたものだったのではないだろうか。この中核の表現によって「ゲルニカ」は時間的な限界を超え、出来事の意味を絶えず問い続ける作品となった。
香月のシベリア・シリーズにも「ゲルニカ」のデフォルマションに通ずる問いかけが存在する。だが、シベリア・シリーズは連作絵画作品であるだけではなく、作品一つ一つに作者の言葉が添えられているという特徴がある。『別冊太陽 香月泰男:<私の地球> を描き続けた』の中の「長大な変奏曲」というテクストにおいて立花隆は、シベリア・シリーズが、「(…) 絵画と言葉の双方のパワーが相乗効果を持って作用しあう、メディア・ミックス的作品になっている、絵と言葉を合わせた現代の絵巻物といってもよい。全体がたった一つの主題「シベリアと戦争と人間」をめぐって繰り返しかなでられる長大な変奏曲のような作品といってもよい」と書いている。絵画記号のみならず言語記号も用いたこの香月の作品シリーズはその絵画的抽象性と言語記号による補強によって、深遠な物語空間を構築し、出来事そのものの持つ限界を超える作品群となっているのだ。さらに、シベリア・シリーズの絵画的側面だけに注目してみても、このシリーズを構成する作品すべてにはレリーフのような厚みと刻印するようなタッチが存在している。それはある光景を描写するのではなく、忘却できずに残った心象風景をはっきりと現実世界に刻み込むための創作行為を香月が行ったことを示している。この問題は重要であるがここではこれ以上は触れず、後続するセクションで詳しく論じていく。
消し去ることのできない過去の出来事
スターリン政権下の政治的犠牲者への鎮魂。「懺悔」にも、シベリア・シリーズにもこうした側面が存在している。だが、この問題以上に私が考えなければならないと思う問題は、消し去ることができない過去を持ち続けるとは何か、他者の罪や痛みを自らが抱えるということが何故起きるのかという問題である。二つ前のセクションでも語ったことだが、「懺悔」の市長ヴァルラムの息子であるアベルと孫のトルニケはヴァルラムの犯した罪を抱え、その罪をどのようにして贖罪できるかと考え、苦悩する。香月のシベリア・シリーズ創作の一つの大きな動機は死んでいた仲間の抑留者への後ろめたさと罪意識であった。こうした罪意識は単純な問題として解決できるものでは決してない。
ハンナ・アーレントは『エルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告』(大久保和郎訳) の中でbanality of evil (悪の陳腐さ) について語っている。この言葉は平凡な市民の意識の中にも隠されている悪を的確に提示する概念であるが、悪の問題は無批判的に権力者に従うことによって意識することなく悪を行うという側面だけが強調されるべきではないものである。自らの悪を意識できずに罪を犯すことは大きな問題であるが、他者の悪の責任を抱え込んでしまうということには更に過酷な不条理さが内在しているからである。ジョルジュ・バタイユは『生贄』の中で「時間の存在は、存在するものとしての時間の客観的位置すらも必要としない。陶酔のなかで確立されるその存在は、悟性が価値として、また同時に固定した対象として己に授けることに努めてきた諸々の対象の逃亡と瓦解を意味するものに他ならない」(生田耕作訳) と述べ、さらに、「諸々の事物の存在、<私>にとって死刑執行準備の意味をそなえた――一種不条理な影を投じる――諸々の事物の存在は、その存在がもたらす死を閉じ込めることはできず、それを閉じ込める死のなかにそれ自体も投じられる」と述べている。これらの言葉は、主体的行為とは客観性の名の下で自己を自己としてのみ認識することなのではなく、自己を超えて他者の存在へと向かってしまい、死さえも他者との関係性によって決定される特性を持った主体の悲劇的側面を表わしているように私には思われる。アイヒマンはユダヤ人である他者をモノとして代用可能な部品として、焼却すべきゴミとして考えた。だが、「懺悔」のアベルもトルニケも香月も他者をかけがえのない存在として捉えた。それゆえに自らの内部に消し去ることができず他者を抱え込んでしまったのだ。不条理。確かにそうだ。だがそれは避けることができなかった犠牲的な生き方でもある。
「懺悔」のアベルは幻想の中である男と対話し、最も重要な問いとは、「自分は何者なのか。なぜ生きているのか。自分の存在価値は何か」であると語る。この問いは自らの存在理由を問うものであるが、その存在理由は我だけに係わるものではない。アベルは罪深い父親の存在を受け継いだ存在でもあるのだ。この事実に目を背けて生きてきたアベルの目を再び現実に向けさせたのは息子のトルニケであった。祖父のヴァルラムによって両親が収容所に送られ死んだケラヴァン。「彼女に詫びるべきだ」とトルニケはアベルに言う。良心の痛みは幻想世界での謎の男との対話を生み出す。それでもなお父親の罪を認めようとはしないアベル。トルニケは一族全体の罪を担い猟銃で自殺する。祖父の罪を何故孫が贖罪しなければならないのか。トルニケの犠牲は避けられないものだったのだろうか。この映画にはもう一つ重要な点が存在する。それはアブラゼ自身がスターリン体制下で市民の弾圧を実際に目撃したことだ。目撃し、それを告発しようとして映画を作ってもフィルムの公開は許されなかった。それだけではなく自らの命さえも危険なものとなった。そうした経験がこの映画には反映されているのだ。怒り、悲しみ、苦悩そして鎮魂の意味が、香月のシベリア・シリーズと同様にこの映画にも込められている。だがそれ以上にこの映画に対して感じることは、記憶に刻み付けられるように作られた物語的な強靭さである。
香月のシベリア・シリーズのレリーフ的なタッチについて詳しく見ていこう。歴史的に重要な出来事を後世に伝えるために石碑が建てられることがよくある。ある出来事を紙に記録する場合、紙は石よりもはるかに脆い。それゆえ出来事の記録は失われる可能性が石碑よりもはるかに高くなる。また、刻み込むという作業は塗る作業よりも力が必要であり、筆を使って描く場合の軽いタッチというものを許さない。香月がレリーフのように絵の具を厚塗りし、まるでキャンバスに刻印するようなタッチでシベリア・シリーズを制作したことには意味がある。それは自らの記憶に、さらには多くの見手の記憶に刻み込むために取られた手法だからである。しかし、それらの絵は忘れ去ることができない出来事を昇華させるようにあくまでも静かな響きを奏で、思い出の風景を浮き彫りにさせるものである。ケネス・クラークは『絵画の見かた』の中で、「瞬間的なものを永続させることができるであろうか。一瞬の閃光を、その強烈さを失うことなしに長く輝かすことができるだろうか。突然の啓示のもつ衝撃が、大画面をつくり上げる複雑な手続きを経たのちにもなお、生きつづけるということは可能であろうか」(高階秀爾訳) という問いを発し、こうした問いに肯定的に答えられる唯一の作品と言い得るものとしてフランシスコ・デ・ゴヤの「マドリード、1808年5月3日」を挙げている。確かに、ゴヤのこの作品は衝撃的な印象をわれわれに与える。出来事の強烈さゆえに。だが、この絵は出来事の強烈さを凝固させてはいないだろうか。一瞬を記憶に止める力を有する絵ではあるが、そこで時間は止まってしまい、見手はその出来事以上に進むことができない。ゴヤの意図を汲むだけに止め、それ以上の広がりを求める必要はないかもしれないが、この絵の中には爆発音が聞こえるだけで静かで柔らかな調べが流れていないことに対して違和感を抱いてしまうのは私だけであろうか。香月は連作として、さらには抽象的な表現方法を取ってシベリア・シリーズを描いていった。そこには一瞬のフォルテよりも静謐な調べが続く旋律によって過去の物語を語り続けようとする香月の意志が表明されているのではないだろうか。
「懺悔」とシベリア・シリーズに通底する大きな表現的特徴は、ある記号表現がその記号の枠組みを超えて他の記号表現に近づいていくという超越性をどちらの作品も有しているという点にあると私には思われる。「懺悔」は映画作品であるゆえに、そこでは映像記号のみならず言語記号や音楽記号も用いられているが、それらの記号が収斂する映像記号には音楽記号に内在する多声性が谺しているように私には思われる。シベリア・シリーズも先ほど引用した立花の言葉にあるように音楽的な作品である。立花は「長大な変奏曲」と形容していたが、私には微かに流れるポリフォニーに思える。いずれにせよそこにも絵画記号を超えた音楽性が存在している。この記号表現のカテゴリーを突き抜けた超越性は歴史的な出来事という事実性のカテゴリーをも超え出る動態的力ではないだろうか。
スラヴォイ・ジジェクは『事件!』の中で「(…) 事件とは何よりも、原因を超えているように見える結果のことである。そして原因と結果を分離する落差によって、事件の空間が開かれる」(鈴木晶訳) というように「事件」に対する定義づけを行っているが、ここで述べられている「事件」という語の原語はeventであり、この語はもちろん「出来事」という意味も有している。日本語に関して言うならば、事件と出来事の意味的な類縁性を強く主張できない場合も存在する。だが、「懺悔」の中で起きた出来事と香月がシベリアで体験した出来事は「出来事」=「事件」として定義づけられるものである。ジジェクの指摘に戻ろう。「原因を超えた結果」や「原因と結果を分離する落差」とはどういったことか。それは出来事がどうして起きたのかという原因よりもその結果が体験者の記憶に深く刻まれたものであり、体験者はその出来事を繰り返し思い出し、決して忘れることができず、しばしばその出来事によって苦しめられ続けるもののことである。ケラヴァンによってヴァルラムの遺体が墓から何度も掘り起こされ、彼が住んでいた家の庭に置かれるという事件=出来事がなかったならば、アベルやトルニケは過去の忌まわしい事実に苦しめられることはなかっただろう。香月もシベリアに送られなかったならば、あれ程過酷な体験はしなかったであろう。出来事の深刻さが彼らの存在理由を脅かしたのだ。
アルベール・カミュは『シージュポスの神話』において、「(…) 多くの人びとが人生は生きるに値しないと考えて死んでゆくのを、ぼくは知っている。他方また、自分に生きるための理由をあたえてくれるからといって、さまざまな観念のために、というか幻想のために殺しあいをするという自己矛盾を犯している多くの人びとを、ぼくは知っている (生きるための理由と称するものが、同時に、死ぬための見事な理由でもあるわけだ)。だからぼくは、人生の意義こそもっとも差し迫った問題だと判断するのだ」(清水徹訳) と語っている。この言葉は、「自分は何者なのか。なぜ生きているのか。自分の存在価値は何か」というアベルの言葉に反響している。だが、他者の罪ゆえに自らの存在理由を問わなければならなくなった場合、どのようにして私は私の存在理由を問わなければならないだろうか。また、私が他者の罪を担わなければならない場合 (それは私が他者の罪の責任を担う犠牲者=生贄となってしまうことであるが)、他者の責任を担うということは倫理的側面でどのように理解されるべき事柄であろうか。他者のための犠牲者=生贄としての死は高貴な神聖さの彩に包まれたものである。そうわれわれは断言できるだろうか。香月のシベリア・シリーズにそうした神聖さを探し求めることはできるだろう。だが「懺悔」のアベルとトルニケの物語はどうだろうか。罪の重さに押し潰されていった男たちの悲劇の物語ではないだろうか。そこに神聖な輝きなどは存在してはいない。
他者の罪を抱えるということは過去の出来事をすでに分類され、停止した不動のものとして定めることではなく、過去の出来事が今もなお今として動いていると見なすことである。イヴ・ボンヌフォワは『イヴ・ボンヌフォワ詩集』の中にある「世界の高み」(清水茂訳) という詩の中でこう詩っている。
私は出ていく、
空には無数の石がある、
私は聞く
いたるところに 水嵩の増した夜のざわめきを。
ほんとうだろうか、友らよ、
ただ一つの星も動かないというのは?
ボンヌフォワの詩句は、夜空の星と同様に、過去の出来事も不動のものとして凝結してしまったものなのではなく、多くの声が重なり合うことによって動いていくものであることを示しているのではないだろうか。そして、アブレゼの「懺悔」と香月のシベリア・シリーズは記号連鎖が織りなすポリフォニーが創造することの歓喜を表すだけのものなのではなく、たとえそこに神聖な光がなくとも、他者のために生きることにも、他者のために死ぬことにも大きな意味があることを表しているように私には思われる。記号表現の枠組みを超え、レクイエムとしてのポリフォニーを響かせること。それは他者の声の上に自らの声を重ね合わせことによる贖罪のレリーフに微かな息吹を吹き込むことである。過去の過ちを語る言葉にも厳粛な旋律を響き渡らせるために。
初出:「宇波彰現代哲学研究所」2018.10.23より許可を得て転載
http://uicp.blog123.fc2.com/blog-entry-305.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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