機会があって、ジャン=ジャック・ルソー著『告白』を読んだ。ルソーは、言うまでもなく、社会思想、教育、文学など様々な分野に「近代」を用意した思想家、作家として知られ、日本においても、民権思想、近代告白文学(私小説)に大きな影響を与えているが、今回、私は、(恥ずかしながら)はじめて『告白』を読み、改めて、それが近代文学の起源に位置するものであると同時に、特定のジャンルに分類されることを拒む「奇妙な自伝」(桑瀬章二郎)であることを確認することとなった。
何より、①フランス革命以前にこのような<私>に重きを置いた特異なエクリチュールがあったということ、②そのような<私>は、18世紀フランスの啓蒙期に、同時代の哲学者、公衆など公共的世界との対立をへて析出し(水林章)、「孤立と引き換えに自己を唯一無二の存在として樹立しようと」(野崎歓)して形成されたものであること、③一方で、このような、同時代の公共的世界に見放された自己は、未来の読者という想像的他者を要請することでかろうじて<私>を形成するような寄る辺ない自己であり、近代の病である精神病を随伴していたようにも読めること、④こうした自己の生み出した<私>の思想はフランス革命とその後に影響を与えたが、その女性観やテレーズとの関係は、革命後すぐにフェミニズムの先駆者であるメアリ・ウルストンクラフト(『女性の権利の擁護』)によって批判されている(水田珠枝)こと、など、今更のように驚きをもって読み、思考を刺激させられた。
しかし、これらについては、まだ言葉が追いつかないので、今回は、近代ロマン主義者たちの想像力の源流となったレ・シャルメットの回想(自然に溶け込む体験をしたサン=ピエール島での体験も、ルソーはレ・シャルメットを思い起こさせる、と書いている)に注目し、それについて一つの視点を与えることで、この特異なエクリチュールにとりあえずのアプローチをすることにしたい。
0、 はじめに
フランス文学者、中川久定は、近代文学、ロマン主義文学の起源と目される、ジャン=ジャック・ルソー(1712-1778)の自伝『告白』の「方法」の一つの特徴として、「意識の二重化作用」をあげている。これは、『告白』のヌーシャテル原稿の前書きのなかの文章「受け取った印象の記憶と現在の感情とに同時に身をゆだねて、私は魂の状態を二重に、すなわち事件が私の身に起こった瞬間と、それを記述する瞬間の両時点において描くつもりだ」から引きだしたものである。
ここで中川は、ルソーの言葉を「過去を書くといっても自分はいわゆる客観的な書き方はしない。…もし過去の楽しい瞬間を思いだせば、自分は現在においてもまた恍惚となる。…逆に苦しいときを思い出せば、現在の文体もまたおのずと苦しみに満ちた文体になってくる」と解釈し、こうした「意識の二重化作用」のひとつの例として、レ・シャルメットでの幸福な日々の回想、愛人のヴァランス夫人が「あら、蔓日日草がまだ咲いているわ」と言った三十年後に、蔓日日草を目にして、とたんに三十年前の記憶がぱっと心によみがえり、「あっ、蔓日日草だ」という言葉を吐くという美しい回想をとりあげ、ルソーが、こうした意識の二重化作用を、自覚的な方法として自分の魂の歴史を描き出した文学史上最初の人である、という意味のことを書いている。その意味で、シャトーブリアン、ネルヴァル、プルーストへと関わらせてもいる。
本稿で、私は、中川がルソーの言葉から引きだした、この「意識の二重化作用」という視点に注目して『告白』を読解することにする。
しかし、私は、ルソーの、過去と現在の「両時点において描く」という言葉を、中川のように、「もし過去の楽しい瞬間を思いだせば、自分は現在においてもまた恍惚となる…」という意味には取らない。『告白』は、喜ばしい過去の記述においても、不幸な現在の影を落とした記述になっている場合が少なくないからである。というより、『告白』は、全編を通じて、過去の記述に不幸な現在が侵入しており、読者は、いずれ不幸になる未来を予告されながら過去の記述を読むことになるのであり、ルソーの過去と現在の「両時点において描く」という言葉はそういうありようを指して言っているように思えるからである。その意味で、中川の読み取った、意識の二重化作用としてのレ・シャルメットの回想は、むしろ例外的だと言える。
そこで本稿では、ロマン主義的想像力の源泉と目されもするレ・シャルメットの回想を、フロイト=ラカンの精神分析的見地、つまり、過去の記述は現在時によって構成されるフィクションであり、語ることは、想起することが不快な外傷的体験をめぐって展開しているという考え方を採用して読解を進めたい。その意味では私のとる視点は、「意識の二重化作用」というより「意識と無意識の二重化作用」ということになるかもしれない。
1、レ・シャルメットの回想
『告白』は二部構成で、第一部と第二部で印象はかなり異なる。第一部は、露出症的行動やマゾヒスト的快楽やリボンの窃盗について少女に罪を着せたことなど、露悪的ともいえる事実の告白がある一方、生まれてから30歳でパリに旅立つまでの若き日々、とりわけ、先の中川の言及にあるようにヴァランス夫人との幸福な日々はみずみずしく美しく描写されており、読者に明るく鮮やかな印象を残すものになっている。第二部になるとそうしたありようは影を潜め、敵に迫害されているという意識が時折前面に出る形で(実際国外逃亡の憂き目にあっているのだが)、パリに出て社交界や哲学者たちの世界で知己を得たあと、著述における成功によって一躍名声を獲得しながらも、結局国外逃亡にいたるまでが描かれる。第一部は、他者によってゆがめられた自己像に対抗して「よいこともわるいこともおなじように率直にいい」、ありのままの自分を描くという目的に沿った記述になっているのに対して、第二部は、それよりもむしろ敵の陰謀の告発といった印象が強く、それだけに読者には第一部のレ・シャルメットの情景が印象深いものとして残るが、いずれも、『エミール』が禁書になり逮捕命令が出て国外逃亡を余儀なくされていた時期に書かれたものであることはここで確認しておきたい。
では、レ・シャルメットの幸福な日々の回想について書こう。
『告白』第一部によれば、ルソーは、ヴァランス夫人とママン、坊やと呼び合う関係を経て、1736年から数年の間(二十代の半ば)を、レ・シャルメットという田舎の隠れ家で、彼女の愛人として幸福な日々を過ごしたことになっている。この頃については、以下のように、ルソーの記述は美しい。
「時代と日付の思いださせるかぎりでいうと、ここを手にいれたのは一七三六年も夏の終わりごろだ。ここで寝た最初の日から、わたしは夢中だった。「ああ、ママン!」したしい友を抱き、感動と歓喜の涙で彼女をぬらしながらわたしはいった。「これこそ幸福と無邪気のすみかです。もし、わたしたちがここで、その二つともにめぐりあえないのなら、どこをさがしたってむだです。」
「ここでわたしの生涯の、短い幸福の時がはじまる。真に生きたといいうる資格をさずけてくれた、平和なだがつかの間の時が、ここにやってくる。ああ、貴重な懐かしい時代よ、わたしのために、楽しい時の流れをもう一度はじめておくれ。現実にはあっという間に流れ去ったその時間を、できることならわたしの記憶のなかで、もっとゆっくりとくり返しておくれ。」
そして、その幸福な日々を、具体的に以下のように綴ってもいる。
「わたしは日の出とともに起きて幸福だった。散歩をして幸福だった。ママンを見て幸福だったし、そばを離れて幸福だった。森や丘をかけめぐり、谷間をさまよい、本をよみ、ぼんやりし、庭の手入れをし、果実をつみ、家の手伝いをしたが、いたるところ幸福はわたしにつきまとった。」
「「毎朝、夜明け前に起床」し、「散歩しながらお祈りをあげ」、ママンの「目覚めを待」ち、朝食にはミルクコーヒーをとる。「一、二時間もおしゃべりをしてから、昼食まで本を読む」。ポール=ロワイヤル、ロック、マルブランシュ、デカルト…。「正午前に読書をやめ、食事の用意がまだのときは、友である鳩をたずねるか、庭の手入れをする」。そして、「自分たち二人のことをしゃべりながら、たのしい食事をした」。「週に二、三度、天気のいい日には、家の裏の木陰の涼しいあずまやに行って、コーヒを飲む」。「わたしたちは野菜や花を見まわったり、二人の生活のことを語ったりして、小一時間もすごすのだが、そんな話によって、わたしたちの生活はいっそう楽しいものになるのだった。庭のはずれには、もう一つ小さな家族がいた。蜜蜂である」。午後、「また読書にもどる」。歴史と地理…。」
このようにルソーのレ・シャルメットについての記述は、美しいだけでなく、詳細をきわめる。ルソーは、「この楽しい時期の間にわが身に起こったすべてのこと、この時期を通じてしたり、いったり、考えたりしたことのうちで、記憶に残っていないものはなにひとつない。それ以前や以後のことも、ときおり思い出しはする。だがその思い出にはむらがあり、ぼやけている。しかしこの時期だけは、いまもなお続いているかのように、そっくり思い出すことができる」と書き、ありありと思い出せること、記憶の欠落がないことが真の記憶である証拠のように考えていることが伺われる。
だが、果たしてこの記述は、ルソーのいうように真の記憶といえるのだろうか。「事実」というには美しすぎないであろうか。それを考える際、考慮すべきことが二点ある。
一つには、すでに述べたように、ルソーがこれを書いている現在は、『エミール』が禁書となり、国外逃亡を余儀なくされた苦しい時期だということである。ルソーは書いている。
「若いころはつねに未来にむかい、いまは過去へとむかうわたしの想像力は、これらの楽しい追憶によって、永久に失われてしまった希望のうめあわせをしてくれるのだ。未来には、わたしの心をそそるものはもうなにひとつない。ただ過去の回想のみが、わたしをよろこばせることができる。そして、いまのべている時期のいきいきとした、真実味あふれる回想のおかげで、かずかずの不幸にもかかわらず、わたしはしばしば幸福に生きることができるのだ。」
これは、中川が意識の二重作用(の自覚)の例としてあげている文章でもあり、中川のいうように「過去の楽しい瞬間を思い出せば、自分は現在においてもまた恍惚となる」ととらえられるものでもあるのだが、ここでは、回想された過去が、もはや未来の希望もない苦しい現在から押し出されるようにして形成されたユートピアなのだということを、ルソーがはからずも語ってしまっていることに注意しておきたい。
もう一点は、中川によれば、興味深いことに、夫人と過ごしたとされるレ・シャルメットの一軒家は、当時の賃貸契約書を参照すると、ルソーの記述する1736年ではなく1738年、夫人に捨てられたあとで借りていた家だとする研究があるということである。これが事実だとすると、絶望に打ちひしがれていた時期に住んだ家を舞台に、この上なく幸福な日々を投影していたことになる。また、当時の手紙を参照して、ヴァランス夫人の心変わりの事実の露見を半年ほど遅くし、愛の喪失を実際とは異なるシチュエーションにおいて記述しているという研究もあるという。
以上を総合すると、ルソーのレ・シャルメットの回想は、事実に忠実ではない可能性が強いことになる。これをいかに考えるかが本稿の主題であるが、私は、レ・シャルメットの回想を、ルソーが言うように、記憶の欠落もなくありありと再現できるから真実であるととらえるのではなくて、精神分析学的見地からみて、言い表しがたい抑圧された外傷(的事実)を覆う、「遮蔽想起」(かつて隠蔽記憶と訳されていた)であり、現在時が構成するフィクションであるという仮説を唱えたい。
なるほど、ルソーはレ・シャルメットでそのような記述に近い体験をしたのであろう。
しかし、こうした記述は美しいが、美しすぎるのであり、精神分析的に考えれば、記述する現在時の耐え難い不快な事実と、ママンと呼んでいたヴァランス夫人との愛の喪失というやはり耐え難い不快な事実(それは自らの誕生と引き換えに母を失った外傷的事実の反復でもある)を遮蔽して打ち立てられた美しい虚構と考えるのが妥当なのではないだろうか。
ヴァランス夫人に捨てられたと外傷的事実をもちながらも、まぎれもなく幸福だった、あの時期の思い出を材料にして、外傷的事実を示す時間の上に美しい情景を投影することで、そして愛の喪失体験を事実とは微妙にずらすことで、その衝撃を弱め、同時に、国外逃亡という執筆時の不快な事実をも避ける形で、架空の時空に構成されたユートピアだと言えないだろうか。
2、フロイト=ラカンの遮蔽想起の概念
ここで、フロイト=ラカンのいう「遮蔽想起」についてふれておこう。先に書いたように、かつては「隠蔽記憶」と訳されていた概念である。ドイツ語は、Deckerinnerungen。英語ではscreen memory、フランス語ではsouvenir-écranとして訳語が定着しているが、近年(2010年)、日本では、『フロイト全集3』(岩波書店)において、「遮蔽想起」の訳語が採用された。
遮蔽想起(隠蔽記憶)とは、ラプランシュ/ポンタリス著『精神分析用語辞典』によると、「特別な鮮明さと内容が一見無意味なことの二つが特徴である幼児期の記憶。…隠蔽記憶は、症状と同じく、抑圧されたものと防衛との間でなされる妥協形成である」とある。
「特別な鮮明さ」はよいとして「内容が一見無意味なこと」、「幼児期の記憶」というところに引っかかる人もいるだろう。しかし、ここではとりあえずフロイトのテキストに戻ろう。
フロイトのあげる遮蔽想起の例は以下のような幼年期の記憶である。
「男は、牧場で、従兄とその妹と、黄色いタンポポを摘んでいる。従妹の摘んだ花束が一番きれいなので、男と従兄は彼女を襲い、彼女からそれを奪い取る。従妹は泣きながら、牧場の上方にある農家に走って上がり、農夫から大きな黒パンをもらう。男と従兄はそれを見るや否や花を投げ出して、自分たちもパンをもらいに行く。このパンはとても美味しかった。」(筆者要約)
それは、「花の色があまりにも全体から浮き立っていて、パンの美味しさも幻覚のように誇張されているように」思える「特別な鮮明さ」をもった記憶でもある。
この情景に対するフロイトの解釈(実は自己分析)は、こうである。この情景は、現実に起きた出来事に忠実なものではなく、「後の時期の印象と思考の代理をしている」「遮蔽想起」であり、抑圧されたものを思い出そうとする力と、それに対する抵抗、防衛との間でなされる妥協形成の産物である。
実は、男は、17歳のときに田舎に帰った際、ある少女に夢中になり、「もしも私が故郷にとどまって田舎で成長し」、「彼女と結婚していたら」、というファンタジーをもったことがあるのだが、その少女と初めて会ったときに着ていた服の色が黄色だったというのである。そして少女からその花を奪うというのは処女を奪うという意味でもあるという。
また、上記の記憶に出てきた少女についても、後に再会し、恋に落ちたわけではないが、自分の暮らしのために、父と叔父が結婚をたくらみ、自身も結婚を考えないわけではなかったという。パンが美味しかったというのは、あの少女と結婚していたのなら、生活はいかに快適であったか、の象徴的表現だとしている。
そしてフロイトは「両方の空想はお互いの上に投射され、一つの幼年期想起がそこから作られました」とし、次のように書いている。
「おまえがこの少女とあるいはあの少女と結婚していたならば、お前の生活はずっと快適なものになっていただろう」という命題(以降、反実仮想命題と呼ぶことにする)において、条件節は、自らを支配する性的素質と矛盾し不快なものなので、無意識的なものにとどまり、「不愉快なものを比喩的に表現して条件節からとりのぞき」、「パンのための学問という中間表象を利用することで」、帰結節が、意識されてもかまわない光景として視覚化されたものだ、と。そしてフロイトは「このような空想を作り出すことで、両方の―処女を奪うことと物質的な快適さへの―抑え込まれた欲望をあたかも実現してみせたこと」になると書き、見かけは無邪気な幼年期記憶に、「人生において最も強力な二つの原動力」である「空腹と愛」に関する抑圧された欲望を読み込むのである。
ちなみに、論文は、次の一文で終わっている。
「幼年期想起は言い表されているように心に浮かんだのではなくて、その時に形成されたのである。歴史に忠実であろうとする意図からはほど遠い一連の動機が一緒になって、想起の形成と選択とに影響を及ぼしたのである。」
このように、遮蔽想起は、フロイトにきちんと戻ってみても、幼年期の記憶であり、今回問題にしているレ・シャルメットの回想に関係づけるのは問題があるように見えるかもしれない。しかし、ラカンは、フロイトの遮蔽想起について以下のように簡潔にその本質を指摘している。
「歴史の想起という言い方をしました。遮蔽想起という用語について与えるべき意味はこれ以外にないからです。この用語はフロイトの考え方、フロイトの現象学においてきわめて重要です。遮蔽想起はただの静止画像ではなく、歴史の中断であり、歴史が止まって凍りつく瞬間であり、同時に歴史がその続きをヴェールの彼方に示す瞬間です。遮蔽想起はひとつの連鎖全体によって歴史と繋がっています。遮蔽想起はこの連鎖の上での停止です。この点で遮蔽想起は換喩的です。なぜなら歴史はその本性からして続いていくものだからです。そこで停止することによって、連鎖は、それ以降遮られてしまった続きを、不在の続きを示すのです。つまり、フロイトがはっきり述べているように、これは抑圧に関わる問題です。」
ラカンはここで、遮蔽想起とは、何よりも「歴史の想起」なのだと言い、連続する歴史の連鎖を停止させるヴェールであり、抑圧に関わるものであることを語っているが、それが幼年期のものだとは言っていない。フロイト自身も「遮蔽想起」のテキストの中で、パラノイアの女性の幻覚とヒステリー者の症状について言及し、遮蔽想起と同様の機制を読み込んでいた。そもそもラプランシュ/ポンタリスの辞典も、隠蔽記憶の機制を「症状」一般と同列に置いている。したがって、この議論は、幼年期の記憶に限定する必要はないと結論づけても問題ないのではないだろうか。
それでは、もう一つ、「特別な鮮明さと内容が一見無意味なことの二つが特徴的な」という部分についてはどうだろうか。レ・シャルメットの想起は、「特別な鮮明さ」をもつが、明瞭な意味をもつ光景であり、「一見無意味」というのはあてはまらないという印象をもつ人も多いかもしれない。
しかし、フロイトは、「抑圧された思考と欲望が幼児期記憶へと避難する」のは、それの「無邪気さ」のためだと書いている。つまり、遮蔽想起とは、抑圧された内容を背後にもちながら、それ自体は、意識の上で想起してもかまわない無邪気で無害な想起なのであり、その意味において、遮蔽想起は「一見無意味」な外観をとる、といってよいのではないだろうか。
実際、レ・シャルメットの想起は、意識化されて申し分のない美しく鮮やかな想起である。ルソーはこれを「無邪気と平穏のうちにすぎさった青春のあまい追憶」と呼んでいる。しかし、先に見たように、それは、現在時の逃亡生活と、美しい記憶が途切れる先にある愛の喪失という外傷的体験という内容を抑圧したと考えられる美しい幻想である可能性が強いものだった。
まとめよう。先に、ラカンが、「遮蔽想起」とは「歴史の想起」であり、連続する歴史の連鎖を停止させるものであると語っているのを見たが、その遡行点は、それ自体、事実に忠実なものではなく、抑圧された外傷的な時空をさし示す換喩であり、フェティシュであり、ヴェールだといえるものである。そこに遡行せしめたものは、「もし…だったら~だったかもしれない」という反実仮想命題の条件節の背後にあるそれとは矛盾する事実、外傷であり、遮蔽想起は、そうした反実仮想命題においてリビードが充足される虚構の記憶、つまり、意識されてもかまわないように改ざんされた帰結節の視覚化だったのである。
ここで注目したいのは、ルソーが、絶筆となった『孤独な散歩者の夢想』において、ヴァランス夫人との日々を再度想起し、次のように書いていることである。
「ああ、彼女が私の心を満たしてくれたように、私にあの人の心を満たすだけの度量があったなら、彼女とともに静謐で甘美な日々を生きることができただろうに。いや、私たちは確かに、静謐で甘美な日々を過ごした。だが、こうした日々は、あまりに短くあっという間に過ぎ去ったのだ。その後待っていた運命はなんと過酷であったことか。あの日々を思い出さない日はなく、そのたびに歓喜とせつなさが胸によみがえる。」
最初の一文が、「私にあの人の心を満たすだけの度量があったなら、彼女とともに静謐で甘美な日々を生きることができただろうに」という反実仮想命題であるのは興味深い。そしてそのあとの文章において、いや、実際に甘美な生活を生きたのではあるが、それに続いたものは不快で過酷な現実であった、ということが語られており、それは、本稿における分析に組みする視点を提供してくれるものとなっている。
つまり、『告白』第一部執筆の時点では「私にあの人の心を満たすだけの度量があったなら」という条件節は、別の青年にヴァランス夫人の愛を奪われたために、また、国外逃亡の憂き目にあう現在時の不快な事実を隠し持っているために、さらには現在テレーズという長年連れ添った女性がいるために抑圧され、「彼女とともに静謐で甘美な日々を生きることができただろう」という帰結節が、レ・シャルメットの記憶に避難し、改ざんされて輝きを放つ―それが、『告白』におけるレ・シャルメットの回想なのである。
以上、私が、レ・シャルメットの回想をフロイト=ラカンのいう遮蔽想起であると考える理由である。
(後編へ続く)
初出:ブログ「宇波彰現代哲学研究所」2020.7.13より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔study1130:200715〕