野上俊明さんの書かれた「わが雑学・三浦梅園のこと」を拝読し、改めて野上さんのご造詣の深さに感服した次第です。この小論はある意味での哲学史の趣をもっている立派なもので、大いに勉強させられました。心から感謝いたします。
さてわが身を改めて振り返ってみると、どういう意味か「郷土意識」とか「郷土愛」とかに全く縁がないのに気がつかされます。
これは私の出自が、大分県でも別府市という観光地で、そもそも独自の風土・慣習をもっていない(あるいはほとんど希薄である)所為にもよるのではないかと思います。別府は、その規模はともかくも、その精神風土上は立派な都会であり、東京などと同じく特色があまり見受けられません。
最初に上京して、高円寺に下宿した時、「なんて田舎なんだろう」と感じたのを覚えています。下宿のおばさんが、「あなたの田舎には、ハイライトは売っていますか」と聞いてきた時には思わず笑ってしまいました。日本がどこにあるかを知らないアメリカ人と同じ程度に東京の人は地方を知らないんだなあ、と。
学生の頃、友人と二人で伊豆修善寺から松崎まで歩いたことがありました。松崎の民宿で出会った見知らぬ方(何でも日本中を旅行して歩いている方だと言っていました)と話をしていて、その方が「九州は日本中で一番良かった」というのを聴き、「僕も九州出身です。別府です」と言ったら、「別府は良くなかった」と一言で片づけられました。
別府は「都会ズレ」しているとのことでした。なるほどな、と妙に納得したことを覚えています。
僕の郷土意識はそんな程度で、とても野上さんのような高尚なことは考えられませんでした。
今でも実家があり、母親が健在で、妹(弟夫婦も住んでいますが、専ら妹が住む実家に寝泊まりしている)がいるから帰る程度で、他には何の感慨もありません。
時々、大分県について何か尋ねられることがありましたが、大抵、一番最初に思い浮かぶのは、「大横綱・双葉山定次と西鉄ライオンズのエースだった稲尾和久」でした。
今回、郷里というより単なる出身地でしかないかもしれませんが、大分にゆかりの偉い方々に関して大変なご教示を頂いたことに深く感謝いたします。
最後に、この中で、私の紹介を「ちきゅう座を主宰している一人」とお書きになられていましたが、私は単なる呼びかけ人の一人であり、「主宰者」は会員全員です。たまたま「運営委員」の大役を務めているにすぎません。
フランス革命史を追っかけていて、「愛国心」という問題について考えています。この際の「愛国心」は、どうも私たち(少なくとも私)がこれまでに考えて来た、多分に「国家主義」の匂いのするものとは異質のものではないだろうか、と思い始めています。
2019.7.2 記