都知事選に思う~なぜ、東京はオリンピックを中止できないのか

 

オリンピックは、今

都 知事選“主要3候補”の政策論議は実らないまま、選挙戦は終盤戦に入ってしまった。投票日は二日後に迫った。参院選の当時は、舛添問題を執拗に報道しなが ら、国政選挙報道自体を自粛していたテレビ、とくにNHKの対応には、このブログでも触れたように、重大な問題を残した。都知事選において、主要候補が出 そろって、これまでとは違う方向性が見出せるかもしれないという期待はあったが、見事に裏切られてしまった。各新聞やテレビ局は、それなりの工夫をしなが ら、テーマごとに各候補に質問している。しかし、その回答が、いずれも似たような、曖昧なものだったり、権限のない国政にかかわるものだったりする。ある いはキャッチフレーズやパフォーマンスだけで、実態をどれほど把握し、財政的な裏付けをどうするかが聞こえてこない。街頭にしても、個人演説会にしても、 敵失を喜ぶネガティブキャンペーンは見苦しい。

私 は都民ではないが、都民にはぜひ考えてもらいたい都政の課題がいろいろある。私には、どうしてもが、そのうちの一つ、オリンピック問題が気にかかるのであ る。三候補のうち、小池は、「情報公開をして、民間から寄付も大事な財源」、鳥越は「情報公開をして、見直しコンパクトなものにしたい」といい増田は「復 興五輪の原点に立ち返りたい」とも答えているが、いずれも、現実的な施策には結びつかない。

やや旧聞に属するが、参院選のさなか、あるミニコミ誌の電子版に寄稿したものがあったので、若干、手を加え、あらためて記事としたい。そもそも、オリンピックの原点に立ちかえって、考え直せないのか、と思ったからである。

そして、リオのオリンピックが近づき、アスリートたちが現地入りしているが、治安や衛生状態が心配されている。さらには、ロシアのドーピング問題も不明瞭なままに、なし崩し的に参加・不参加が決められてゆく。そんなところでメダルを争って何の意味があるのだろうか。

「底なしの疑惑の宝庫五輪かな(さいたま 高本光政)」

表題は、6月9日 の『毎日新聞』の読者川柳(「仲畑流万能川柳」)の入選作だ。東京オリンピックに、これほどケチがついているというのに、なぜ、「東京オリンピックをやめ てしまおう」という機運にならないのかが不思議なのだ。というより、これほど今の安倍政権の失政が明らかであるのに、ほかに選択肢がないからと支持率が下 がらず、無関心層が劇的に減ることもない。その構図と似てはいないか。

オリンピックの招致活動において、その報道、明らかな世論操作によって、東京オリンピック開催が決まっていく、実に見苦しい経過を知ることになる。さらに、安倍首相がIOC総 会でのプレゼンで「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで 及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません」とスピーチし、質疑で放った「福島の汚染水は、完全にコントロールされている」(2013年9月7日)との虚言を忘れることができない。

そ れまで、東京での開催を危ぶんでいた人たちも、東京に決まった以上、最善を尽くそうではないか、などという大きな声に流されて、多くの国民は取り込まれ、 アスリートたちは利用されているのを知ってか知らずか「きれいな色のメダルをとるため頑張りたい」などと抱負を語るのを見るのは、やりきれない。そして、 保守層はもちろん、「革新的」な野党に至るまで、企業もメディアも色めき立っている。もはや「スポーツの祭典」などでもなく、「国威発揚」と「利権政治」 の温床になってしまっているにもかかわらず、である。

開催決定までと決定後の不祥事が続く

過去のことを水に流すのが、日本人の美徳なのだろうか。思い返せば、東京オリンピック決定までも、いろいろ取りざたされたではないか。2011年6月石原都知事が東京への招致を表明、2011年3月11日以降は、具体的な施策もないまま、東日本大震災復興のための「復興五輪」が声高に叫ばれ、2011年9月1日締め切りの立候補に名乗りを上げた。2012年2月17日、国立競技場建て替えを決定した。しかし、世論はそれほど甘くはなく、2012年5月、IOCの日本での世論調査では、東京開催賛成が47%、反対23%、どちらともいえない30%であったのである。ちなみに、いわば開催国の国民支持率は、当時、マドリード78%、イスタンブール73%とは大きく隔たっていた。大震災、原発事故で、オリンピックどころではない、というのが日本国民の大方の気持ちだったのではないか。これに、危機感を覚えたJOCは、立候補ファイル提出の13年1月7日までに、必死のメデイア戦略を展開しての招致活動を続けた。同ファイルには、どこにも東日本大震災も、復興の文字も出てこない。記載された国内支持率は2012年11月現在66%に上昇したものの、それでも他の2都市には届かないことが明らかとなった。その後も2012年から13年にかけて、新しい猪瀬都知事、メダリストらを動員しての年末年始の活動をメデイアに幾度となく登場させている。

立候補ファイル提出後は、以下のような社説が続き、以降、国際キャンペンが解禁となった。一部のメデイアが若干の懐疑を示しつつも、東京オリンピックGO!のモードに切り替わった。

1・9産経:東京五輪招致 国を挙げて発信力を競え

1・9東京:社説:東京五輪招致、足元の支持を広げたい

1・10朝日:東京五輪招致、成熟都市と誇るなら

1・10毎日:五輪招致、東京だからを示せ

1・11日経:五輪開催で日本を元気に

1・13読売:東京五輪招致、日本の総力で実現したい

2013年3月IOC評価委員の東京視察がなされ、その先々での報道が活発化、6月のIOC世論調査における国内支持率は、東京70%、マドリード76%、イスタンブール83%と東京は上向いた。そして9月7日IOC総会におけるプレゼンがなされ、翌日、開催地「東京」が発表された。9月10日 の全国紙は、一斉に以下のような社説を掲げ、テレビでは、どの報道番組も、バラエティも、東京オリンピックに沸いた。あるプレゼンテイタ―の「お・も・ て・な・し」のジェスチャーがもてはやされもした。また高円宮妃のプレゼンは、皇室の利用ではないかの声は、その後、すぐにかき消された。

朝日:東京五輪―成熟時代の夢を紡ごう
日経:国や都市の未来を考える五輪に
読売:2020年東京五輪 復興と経済成長の起爆剤に
産経:2020年東京五輪 成功は世界への約束だ
東京:2020年 東京五輪 成功の条件 原発事故を封じ込めよ

10月15日、国会では、「2020年東京五輪に向けた努力を政府に求める決議」が衆参本会議で採択され、反対は参院の山本太郎一人のみだった。パフォーマンスとの見方もあったが、私には至極まっとうな対応に思われ、全会一致、同調圧力の恐ろしさを感じたのだった。その後の顛末は、まだ記憶に新しい。

2015・7・17 予算大幅増のザハ設計案撤回
2015・9・1  エンブレム佐野案模倣で白紙撤回
2015・12・22 隅研吾設計案発表
2016・4・25 新エンブレム野老案発表
2016・5・11 JOCの不正振り込み疑惑発覚

2016年5月11日には、英ガーディアン紙、BBCが、JOCがIOC委員国際陸上連盟ラミン・D関係者に1・6億円振り込みをした件をフランス当局が捜査していることを伝えた。代理人として「電通」の名が浮上し、5月31日の参院内閣委員会の山本太郎議員の質問で、竹田日本JOC会 長は、認めるに至ったが、電通への依頼は信頼に足りるとした。その後は、新聞・テレビの報道は、「舛添都知事公私混同事件」の異常なほどの報道が展開さ れ、この裏金問題も、甘利元経済再生大臣の裏金問題もどこでかき消された印象が強い。テレビ・新聞が報じなければ、週刊誌や月刊誌に期待したいが、タレン トの不倫や病気を追いかけるのではなく、オリンピック裏金疑惑を徹底取材に奔走してもらいたいという思いもある。

東京オリンピックという名のもとに、まるでオリンピックが聖域のようになって、どの政党やメディアも「やると決めた以上は・・・」はと、立ち止まることなく2020年 に突き進むとしたら、やはり恐ろしい。安保法制、沖縄の基地問題、憲法改正問題、原発事故の収束・原発再稼働・廃炉、さらには、保育・介護の拡充、貧困・ 格差という政治的な課題が「さて置き」され、「オリンピック」のためならばという「大義名分」となってしまうことには、警戒しなければならない。都民はも ちろん国民は、これまでなされてきた情報の隠蔽や操作を見抜く力、いざとなっても、まず責任を取らない権力のシステムを監視しなければならない。私たちの 覚悟と責任は重い、とつくづく思う。

 

初出:「内野光子のブログ」2016.07.29より許可を得て転載

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/06/post-167c.html

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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