長崎の平和祈念式典をボイコットした非礼  韓国通信NO752

長崎市がイスラエルを招待しなかったため、G7(先進国首脳会議)6ヵ国が平和祈念式典参加を見送った。原爆犠牲者を慰霊し、世界に反核、平和を訴える式典が彼らにはこれほど軽いものだったのか。核兵器禁止条約へ後ろ向なG7の正体を暴露したようなものだ。日本政府がG7の一員としてボイコットをしなかったのは幸いだったが、唯一の戦争被爆国として彼等の非礼に抗議、参加を強く求めるべきだった。これでは同じ穴のムジナではないか。

<記憶を継承する>
戦争体験を語る人たちが少なくなった。人口の9割に近い人達は直接戦争の体験がない。もはや「戦前」とまで言われる状況下で戦争を知らない後期高齢者たちは何をすべきか。
軍事費の激増と軍備の拡張、過当競争が生んだ格差社会と貧困。国民に負担を強いる政府。87年前の盧溝橋事件前夜との酷似。二度と戦争をしてはいけないと父母から教えられ育った私たちはその教訓をどう継承して次の世代に伝えたらいいのか。
また8月がやってきた。余生をどう生き、何をすべきか悩む。
沈黙を破って被害と加害の戦争体験を語る人たち。加害者としてPTSD、心的外傷後ストレス障害に苦しむ人たち。ガイドとして被爆体験伝える人。遺言のように語られる声に心を傾ける今年の夏。
私の祖母は105才で亡くなるまでノーモア・ヒロシマ、ナガサキの折り鶴を作り続けた。鶴は毎年、仙台の東一番町通りの七夕飾りになった。祖母の足元にも及ばないことに気づかされる。
手許に置かれた月刊『マスコミ市民8月号』、友人から送られてきた雑誌『戦争と性』、歴史地理教育7月増刊号『出会い つながり ともにつくる東アジアの世界』、『週刊金曜日特集―戦争は静かにやってくる』を読んで過ごす毎日。私に何がきるのか。

<8月3日>
毎月3日、駅頭で1時間のスタンディングを続けている。
連続ドラマ、『虎に翼』のワンシーン。「負けるとわかっていても戦争に反対できなかった」、「みんなそうだった」。ヒロインの寅子が、「ひとりでも、言うべきことは言うべき」と静かに語ったひとことに感動。炎天下の駅頭に向かった。
その日は手賀沼の花火大会の日だった。前日に用意した20枚のビラを若者たちに配った。去年の花火写真をあしらった小さなビラに-「花火を見ながら考えて欲しい。100年前の関東大震災の時に我孫子で3人の朝鮮人が殺されたことを」――と手紙のように書いた。大人たちがビラには手を出さないご時世に、「ありがとうございます」と元気な挨拶が返ってきた。受け取った小学生くらいの子供が親にビラの説明をしている光景に感動した。その夜、ド・ドーン!と上がった花火を見て、彼らは手紙を思い出してくれただろうか。

後日談である。
料理教室の仲間との昼食会でのこと。月一回、男の料理教室に参加するようになってから1年になる。昼間からビールを飲み、各人の近況話に花が咲いた。私は3日前のスダンディングとビラまきの話をした。「初めて知った」と驚く仲間に、虐殺事件について少し説明しなければならなかった。
今、権力者たちは都合の悪い歴史を意図して消そうとしている。だが、はじめから知らなければ記憶の継承はあり得ない。去年注目を集めた福田村事件は、以前から知る人ぞ知る事件だった。地元住民たちの努力によって歴史の真実が掘り起こされ、作品が映画化され実を結んだ。
長年住んでいる高齢者さえ知らなかった事件をもっと多くの市民たちに知ってもらいたいと思った。
わが町我孫子は白樺派のふるさと。史跡をめぐりにやってくる人たちが結構多い。「北の鎌倉」という看板には疑問があるが、でかける機会があったら、ぜひ虐殺事件があった八坂神社も訪ねて欲しい。
神社で献花をするようになってから四年になる。慰霊にあわせて広島と長崎の平和記念式典と同じように、憎しみのない平和な社会を願う気持ちで続けてきた。史跡巡りの人も、通りがかりの市民にも、虐殺事件を思い出して平和への思いをあらたにしてほしいと願っている。

<鄭周河さんが長崎へ>
韓国の写真家鄭周河さんが長崎の平和祈念式典に参加するために日本にやって来た。夏休みは毎年、学生を連れてベトナムへ自転車ツアーをしてきた彼だが、大学を定年退職した今年は甥を連れて自転車で玄界灘を渡った。65才の自他ともに認める「オジイチャン」である。この暑さのなかでの自転車旅行とはスゴイ。
式典会場内の集会で挨拶を求められ、ドイツ語でスピーチしたらしい。これにも驚いた。
式典にG7各国が参加しなかったことにショックを受けたようだ。参加者が思ったより少なかったことに心を痛めたという。届いたメールの最後に朝鮮人と韓国人の慰霊碑が別々にあるのを見て、祖国分断の現実を長崎の地であらためて感じたと書き添えられていた。
彼は福島原発事故直後から南相馬を撮り続け、『奪われた野にも春は来るか』という写真展を日本各地で開催して注目された。その後も福島を訪れ、写真を撮り続けた。放射能を浴びて生き続ける牛たちの飼育を続ける牧場主をテーマに、命の大切さと生きることの意味を追い続けた。
彼は今、牛をテーマに新たな写真集を企画している。写真集の舞台は福島県浪江町にある吉沢正巳氏が経営する牧場だ。この牧場は、絵本『希望の牧場』(森絵都作、吉田尚令絵、岩崎書店)で紹介されている。上記の写真はその表紙絵である。
絵本の最後は―
「オレは牛飼いだから、エサをやる。きめたんだ。おまえらと ここにいる。意味があっても なくても」という牛飼いの言葉で結ばれている。
牧場の牛に希望はあるのか。人類の未来に希望はあるのか。重いテーマに写真家はどう立ち向かい、表現したのか注目したい。

初出:「リベラル21」2024.08.17より許可をええ転載
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