関東大震災と1930年代思想  ─復興の精神と日本の帰路─                                                                              

著者: 三上 治 みかみおさむ : 社会運動家・評論家
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6月20日                            

 誰もが思うだろう、遅すぎやしないかと。復興基本法のことである。復興基本法成立に時間がかかったにしても、具体的な復旧作業が進んでいればこういう批判の声は出てこなかったのであろうと思う。具体的で現実的な復旧策ということとある程度の長期的視座をもった復興構想とが区別されて考えるだけの政治的力があれば、人々の不満や批判は出てこなかったと推察される。具体的な例をあげれば福島原発の暴発を防ぐことや、放射線汚染に対する対策などでこれは超党派的な処置ができたはずである。これと原発の今後や、エネルギー政策は区別しつつ対応すればよかったのである。このことは大震災に対することでもあるはずで、復旧への具体的対応策は遅れていてそれとは関係なく復興策が議論されているだけのような印象だった。具体的な対応もある程度の視座を持った対応も中途半端で基本的なところで腰が定まっていなかったのである。具体的な対応策としては梅雨時被災地対策が火急のことだが、復興については時間をかけて取り組むべきでありそれに腰を定めるべきである。                                                        

  今度の東日本大震災を関東大震災と重ねて考え、その復興構想をイメージしようとする動きがある。関東大震災は1923年に起こったが後藤新平の構想によって復興は割合スピーディに進んだと思われる。現在でも後藤新平のような政治家を待望する声も出てくるが、同時にその不可能性や否定もある。僕は後藤のような復興構想に否定的であるし、また、彼のような存在が登場することはないと考えている。むしろ日本の戦前において日本社会の転換を意識し推進した1930年代の思想状況と関東大震災の関係に注目していいのではないかと思っている。例えば1930年代の思想のキ-ワードとなった日本精神などは関東大震災の直後に大川周明によって生み出されたものであり、それ以前はなかった言葉であると言われている(子安宣邦)。戦後の経済的な高度成長も左翼的・市民的運動を行き詰まり(「失われた20年」)の中で日本社会が転換を促され、「もう一つの世界」が模索される状況にあり、その中で東日本大震災は起こった。日本社会の転換の意識が浸透しつつある中でこの大震災は生まれているが、日本関東大震災の影響下で出てきた日本の転換の思想が注目されるのは人々がそこにある種の類縁性を感じるからである。多くの人は東日本大震災から1930年代のような日本精神論や日本帰路論が出てくることを警戒している。僕はそういうものにならないために日本帰路ということを思想的に構築したいと願っている。関東大震災と1930年代の思想に僕が注目しているのはそのためである。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0519:110623〕