[阿Qとは誰か] 魯迅の数多い小説のなかでも『阿Q正伝』が魯迅の代表作であることは、魯迅の大方の読者が認めるであろう。
ところで、肝心の阿Qとは、いったい誰なのか。魯迅自身、『阿Q正伝』の冒頭の「第1章 序」で、阿Qという名前について、いろいろ調べたけれど、いっこうに判然としないと指摘するだけである。
ただ、阿Qについて、「人はみな彼を阿queiと呼んだ」とあるから、最も正確な阿Qの名前は「阿quei」である。しかし、阿queiとはどのような意味か、魯迅は、一切指摘しない。魯迅の理解と魯迅文学の普及に貢献してきた『阿Q正伝』の翻訳者や研究者は、この問題にどのように答えてきたのであろうか。
その方々はおそらく、『阿Q正伝』の主人公である阿Qという名前は、魯迅が言うとおり「俗称」であって、それには深い意味があるとは考えなかったのであろう。
[農村ルンプロ・阿Q] そこで、『阿Q正伝』の主人公である《「阿quei」とは誰か》を解明するために、ここでまず『阿Q正伝』のあらすじを記す。
『阿Q正伝』に細々書いてあるように、阿Qは、或る村の無学の貧しい愚か者、笑われ者である。嫁もいない。彼の収入は、村の富者である依頼人に、日々のあれこれの雑役を頼まれ、それを行って受け取る、わずかばかりの手当である。ぼろをまとい、村外れの地蔵堂に一人で住んでいる。
[阿Qの精神上の勝利法] 阿Qは、自分に起こる出来事を自分に都合良いように変形して解釈し、内心で勝利する特技の持ち主である。魯迅は、阿Qのこの「精神勝利法」は「中国の精神文明が全世界に冠たる証拠かもしれない」と書く(高橋和巳訳『阿Q正伝』中公文庫、1973年、107頁。魯迅『吶喊』北京燕山出版社、2004年、60頁。以下、「高橋訳*頁;魯迅*頁」と略)。
[阿Qの末路] 阿Qは、あるとき街に出向いて、革命家が斬首される現場を目撃する。阿Qは、盗賊集団に盗品運びを手伝わされている最中、逮捕されそうになり、盗品の衣類などを持って村に逃げ帰ってくる。村人がうらやむその衣類を売って、一時は生活に余裕ができる。しかしその金も使い果たす。やがて実態は盗賊集団にすぎない「革命団」が村を襲う。阿Qは村の人々が「革命家」を恐れるのを知って、「革命も悪くない」と考えを変え、「革命団」に参加しようしたけれど、叶わない。
阿Qを散々蔑みながら利用し尽くしてきた村びとに、阿Qは革命団の一味として訴えられる。或る夜、阿Qが寝ている地蔵堂が自警団・警察・刑事などに包囲され、阿Qは逮捕される。裁判で革命団の一味と疑われ死刑を宣告される。
阿Qは、後手に縛られ幌なしの車に乗せられ、街中引き回しされて、死刑場に向かう途中、《斬首刑》に処せられるだろうと予想する。しかし実際は《銃殺刑》であった。
[殺され方にも見栄を張る阿Q] 阿Qは、目撃経験のある斬首刑で自分も処刑されると予想した。斬首刑ならば、徐錫麟(1873-1907)や秋墐(1875-1907)などの後を継いで、《革命烈士》として聖列されることになる。阿Qにとっては処刑にも序列があり、その序列に阿Qが斬首刑に見栄を張る動機があると、本稿筆者は推察する。
[斬首刑でなく、残念] 『阿Q正伝』の最後は、阿Qが銃殺刑になったことを残念がる村人の嘆きである。「ああぁ、銃殺刑でつまらなかった。阿Qは斬首されればよかったのに」。そう期待された阿Q自身、街で革命家が斬首される現場を目撃して、「すごい」と目をむいたのである。斬首刑を楽しむ人々、斬首刑を望む阿Q、救いのない暗愚の世界である。
[秋墐と魯迅] 魯迅は、「滅満興漢」をめざす、ナショナリスト女権革命家・秋墐をよく知っている。秋墐も同郷・紹興の出身者であり、同じ科挙官僚の系譜に属する。二人とも明治期の同じ頃に日本に留学で来ている。
魯迅は秋墐の「突進型の革命」に批判的であった。秋墐は、「粘り腰でじわじわ迫る魯迅型」とは対照的である。この点は、竹内実『コオロギと革命の中国』(PHP新書)が指摘する重要な違いである。《「粘り腰」で中国の暗部の根底まえ見据え、そこから中国を変える》。これが魯迅の思想である。
[小説「薬」が描く民国期の中国の暗愚] 秋墐といえば、魯迅の小説「薬」は、明らかに秋墐斬首刑に重ねて、暗愚の中国を描く。斬首刑で切断された死体から流れ出る血を含ませた饅頭を、肺病を患う子供に食べさせると、肺病が治ると信じる民衆を描く。その血の販売権は斬首刑の執行者にある。被斬首刑者の着ていた衣服を剥ぎ取り売りさばく権利も処刑者にある。それを競って買うために人々が処刑場に群がる。民衆は残酷な処刑を楽しみに見物する。文字通りの暗愚の世界である。
[《革命》でも変わらない暗愚世界] 辛亥革命(中華民国成立は1912年1月1日以後)にも関わらず、中国の暗愚を象徴する阿Qや彼を笑いものにする人々の思想体質は、全く変わっていない。『阿Q正伝』で「革命」が「遊びや稼ぎのチャンス」としてしか描かれていないのは、人が人を食い合う世界が依然として続いているからである。
[阿queiの含意の解明] このような愚かで残酷で暗い世界を生きて死んだ阿Q。その阿Qという名前は、その暗愚世界と無関係の名前であろうか。本稿筆者は、その問題を『阿Q正伝』に問いかけられた。
その問いに答えるべく、中国語辞典を紐解いた。
阿Qのより詳しい俗称は「阿quei」である。
まず、「阿」は愛称である。「何々ちゃん」といった意味である。
魯迅は[quei]を四声の区別なしで書いている。queiが一語である単語はない。
queiは、qūとeiに区分できる。
qūには沢山の単語があるけれども、小説『阿Q正伝』の上記のような暗愚世界像に適合する単語は、「qū屈」である。「屈」には、
[1] 折る、曲げる。
[2] 屈服する、屈服させる。
[3] 理に欠ける、筋が通らない。
[4] 悔しい思いをする、無実の罪を着せられる。
この4つの意味がある(『中日辞典』小学館、第2版、『プログレッシブ中国語辞典』三省堂、初版4刷などを参照)。
『阿Q正伝』が描く共食いの世界は、そのままでよいはずがない。上記の「屈」の[2][3][4]の意味は、当時の中国が暗愚の世界を自覚し反省するときに、当然沸き起こってくる思いである。
では、eiはどうか。それには「欸(ei)」が妥当する。
それには、つぎの四つの意味がある。
[1] ēi (一声) 何々ではないか。そうだよね。
[2] éi (二声) おや。
[3] ĕi (三声) えっ。
[4] èi (四声) はい。
そこで、「qū屈」の(2)、(3)、(4)の3つの意味をまとめ、「ei」の4つの意味に、それぞれつなげると、つぎの4つの意味が析出してくる(eiの意味の部分はボールド体で示す)。
(1) [qūēi] われわれは無実の罪を着せられている。そうじゃないのか。
(2) [qūéi] おや、われわれは無実の罪を着せられているのかな。
(3) [qūĕi] 驚いたな、われわれが無実の罪を着せられているなんて。
(4) [qūèi] そうか、われわれは無実の罪を着せられているのか。
本稿の筆者は、上記の(1)、(2)、(3)、(4)のうち、最初は、(1)のみではないかと考えた。いいかえれば、『阿Q正伝』当時(1921年公表)の中国は、阿Qが象徴するように、革命でさえ、盗みのチャンスに利用する暗愚に満ちている世界、救いのない世界である。中国の民衆は内外の権力から不当な扱いを受けている。根拠のない罪を着せられている。このことを、《暗愚中国の象徴である阿Q自身》さえも自覚するように翻身する。名前「阿Q」は、「阿qūēi」が孕む「憤激→翻身」で理解されると考えた。
[魯迅の問いの幅広さ、深さ] しかし、そのあと再考して、《魯迅は阿queiという名前がいったい何を意味しているのか、読者に謎をかけているのではないか》と考え直した。
魯迅は、答えをいきなり(1)に絞らないで、読者に、《いったい君は、いま、その4つの意味のうち、いずれを考えているのか》と問いかけているのではないか。いいかれば、魯迅は読者に、当時の中国の状態をどこまで深く認識しているか、その深さを問うているのではないか、と考えなおした。
[革命に向かう認識過程] その認識過程は、上記の四つの番号で記せば、
(2)の「気づき」→(3)の「驚き」→(4)の「納得」→(1)の「憤激」
という順序となる。
最後となる(1)の「憤激」は当然、中国の根底からの改革を促すことになる。魯迅は、そのような絶望的状況から希望のある国に中国を変革するために、中国人が立ち上がってくることを、『阿Q正伝』執筆で、こころ密かに期待したのであろう。
以上を要するに、本稿の問い、《阿Qとは誰か》の答えは、当時の中国人自身である。
[村の名「未庄」に隠された意味] 以上、人名「阿Quei」に魯迅が密かに込めた意味を解読してきた。それでは、そのような隠喩は、この人名「阿Quei」に限定されるのであろうか。実は、そうではないのである。これからみるように、他にも同種の隠喩が『阿Q正伝』には存在する。それは、『阿Q正伝』(1921年)の舞台の村の名前「未庄」である。「未庄(wèizhuāng)」は、単に阿Qたちが住んでいる村の名前であるだけでない。辛亥革命の後の中国=「中華民国」(1912年1月1日以後)がなおも蒙昧な状態にとどまり、辛亥革命がそれ以前の中国と基本的に同じ体質であることを示唆する。
[偽装革命としての辛亥革命] いいかえれば、1920年代の中国は、辛亥革命によって孫文(1866-1925)がその臨時大総統に就任したけれども、まもなく袁世凱(1859-1916)が孫文に取って代わってしまい、人間諸個人の「社会的な解放」にともなう「内面的な解放」からほど遠い、暗愚に満ちた世界が続く。魯迅にとって、辛亥革命は、中国の基本課題を解決しない「見せかけの革命、偽装の革命」であったにすぎない。中国は、なおも「革命の仮面」を被った先が見えない暗い国である。
実態は変わってないにもかかわらず、いや、変わっていないからこそ、あたかも変化したように見せかけて、虚勢を張る。上層の権力者だけでなく民衆も、自己を偽装して生きている。魯迅が直面した当時(1921年)の中華民国認識は、このように沈痛なものであった。
[阿Qも偽装する] 阿Qは喧嘩で相手に負けても、内心では勝つという「精神勝利法」で生きている。これは「偽装」である。「(何々を)装う、(何々であるかのように)見せかける」、あるいは「何々の仮面を被る」ことを、中国語では「偽装(wĕizhuāng)」という。
この「偽装(wĕizhuāng)」は、『阿Q正伝』の舞台である村の名前「未庄(wèizhuāng)」とは、四声の違いを捨象すれば、同じ音声(weizhuang)である。四声でみれば、村名「未庄(wèizhuāng)」の二語は「未(四声)・庄(一声)」であり、「偽装(wĕizhuāng)」の二語は「偽(三声)・装(一声)」である。
[《未庄から偽装へ》と連想する] 『阿Q正伝』で阿Qの「精神勝利法」を多様な悲惨かつ滑稽な具体例で読んでいるうちに、阿Qは「敗北を勝利に偽装する技に長けている、いいかえれば、偽装(wĕizhuāng)がうまい人物である」というイメージが浮かんでくる。
したがって、「偽装(wĕizhuāng)」する阿Qは、いかにも彼が住む村の名前「未庄(wèizhuāng)」にふさわしい人物である。このような連想が読者に働く。この二語が読者の心理で結合する《未庄→偽装》を、魯迅は密かに演出しているにちがいない。
[《未庄》は《偽装した村》] しかも、村の名前「未庄」は「《未(いまだ)》に本来の村=《庄》になっていない村」とも読めるから、この読みからも、村の名前「未庄」は、本来の村ではないのに、「《本来の村》の仮面をかぶっている村」・「偽装している村」という隠された意味が読み取れる。この読み方にも、「偽装」が存在する。したがって、「未庄」と「偽装」とが同じ音声「weizhuang」であることから、「未庄」から「偽装」へ連想=連結が発生するという読み方が補強される。
このように、四声が異なっていても、同じ音声(weizhunang)ならば、その二語の間を移動して、同じ音に異なる意味を含ませることは、中国語ではよくおこなわれている。
[《未庄》は《偽装中国》の象徴] 『阿Q正伝』の村の名「未庄」は「偽装」を含意する。いいかえれば、《阿Qたちの村「未庄」は、「偽装している村」である》という暗喩を、魯迅は村名「未庄」に含ませていると推定される。偽装の村・「未庄」は、魯迅にとって、偽装する同時代の中国の象徴である。
[偽装は二重だ] しかも、このばあい、「偽装」は二重である。
第1に、阿Qとは、いかなる事態を象徴する人物であろうか。阿Qは、自分の悲惨な「敗北」を心の中で巧みに「勝利」に読み替えて、自分を惨めな状態におとしめている者たちに、心密かに打ち勝つ。この「自己偽装」によって満足する。阿Qのこのような「精神勝利法」は、代表的な「偽装」の例である。
第2に、しかし、そのような偽装は未来永劫続くのであろうか。続いてよいのだろうか。これが魯迅のつぎの問いである。
なるほど、阿Qに限らず、他の人間も大なり小なり、阿Qとおなじ「精神勝利法」で自分の惨めな挫折を慰め、一時しのぎをして、生きている。しかし、誰もがそのような自己欺瞞を繰り返さないでは生きていけない事態が未来永劫続くとしたら、どうであろうか。自己欺瞞に生きるほかない、よじれた世界全体が根本的におかしいのではないか。このことに誰もいつまでも、気づかないのだろうか。仮面をかぶって生きることを、人間として「屈辱である(qūēi)」と思わないのだろうか。
魯迅がこの『阿Q正伝』で指摘しているように、阿Q自身、「屈辱」を痛覚しているのに、「精神勝利法」に逃げ込んでいるのだ(高橋訳104-105頁;魯迅57頁、58頁)。人々がいまの捩れた社会をまっとうな社会に改革できると見通せるなら、逃避行為である「精神勝利法」を捨てるのではないか。その可能性は、阿Qたちの村「未庄」にも存在するのではないか。このように内省する可能性は、阿Qをふくめ、誰にでもあるのではないか。
そうであるとすれば、「偽装」は二重である。
第一に、今までの生き方が偽装であるというネガティヴな意味をもつ。
しかし第二に、そのような偽装に生きるほかない現在の社会こそが、まっとうな社会の「歪んだ姿・偽装」であり、その転倒は直さなければならないというポジティヴな意味が潜在する。
[偽装と本体との反転可能性] 村の名「未庄(wèizhuāng)」は、このネガティヴな意味とポジティヴな意味との二重の「偽装(wĕizhuāng)」意味を含んでいると判断される。
なぜなら、偽装とは、或る本体(A)をそれとは異なる見かけ(非A)に変換することである[A→非A]。しかし、非AはAなしには存在することができない。「偽装・非A」には「本体・A」が潜在している[非A(A)]。これが偽装のネガティヴな状態である。
しかし、偽装の内部に閉ざされた本体Aは、その偽装の外皮を破って自らを顕現する可能性をもっている[非A(A)→A]。これが偽装のポジティヴな状態である。つまり、偽装という絶望状態にも、希望の可能性が秘められている。
[《阿Q》は《未庄》に連結する] 魯迅が凝視した「辛亥革命」挫折後の中国の普通の人々が、[②気づき→③驚き→④納得し→①憤激する]。この自覚・覚醒してゆく過程こそ、阿Queiのqueiの隠喩としての「屈欸」の意味である。この可能性は、『阿Q正伝』の舞台である「未庄」=「仮装の村」にも存在する。
魯迅が仕掛けたと推定される二つの暗喩、すなわち、「人名=阿Quei」および「村名=未庄wèizhuāng」とは、それぞれ、「屈(qū)欸(ēi,éi,ĕi,èi)」および「偽装(wĕizhuāng)」とに読み替えることが可能である。またそのように読み替えて理解してこそ、魯迅が『阿Q正伝』に込めた真の意味を解読することができるのである。したがって、「精神勝利法」で「偽装」して生きる魯迅の同時代の中国の人々が、自分に「屈辱」を痛覚するにいたる可能性を文学的に表現すること、これが『阿Q正伝』の主題である。
[絶望の極限からの希望] 魯迅は、『阿Q正伝』を含む小説集『吶喊』の「自序」で、絶望状態にも希望の可能性が潜んでいることを、つぎのような対話形式で指摘している。
(A)「かりに鉄製の部屋があって、窓もなく戸もなく打ち壊れそうになく、中に眠りこけている人が大勢いるとする。遠からずみな悶死するだろう。だが昏睡のまま死んでゆけば、瀕死の悲哀は感ぜずにすむ。いま君は大声をあげて、目覚めかかった数人を起して、この不幸な少数者に救うべくもない臨終の苦痛をなめさせようとしている。それで彼らに申しわけが立つと思うかね?」
(B)「だが数人起きてしまった以上、その鉄の部屋を打ちこわす希望が全くないとは言えまい」(高橋訳12頁:魯迅5-6頁。(A)(B)は引用者補足)。
この対話が象徴するように、自分たちが生きる現場が暗愚と煉獄の絶望状態であるとすれば、その事態を正面から見据えることによって、やっと阿Qのような生き方から解放され、人間解放の希望がほのかに見えてくるのかもしれない。
[付記:本稿のなかで検討した中国語の理解については、魯迅などの小説を中国語原文で読むことができる、或る旧友に検討してもらっている。このことを記し、同氏に謝意を表する。無論、その個所を含む本稿全体の文責は本稿筆者にある。] (以上)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion9192:191120〕