集団自衛権行使を容認することは67年間守り抜いてきた「新憲法という時代の精神」をぶっ壊すこと:大江健三郎

無謀無策なアジア太平洋戦争を起こし、甚大な被害を出して敗北した日本。戦争で死んだ人を記憶するとき「この人たちの犠牲があるから今の平和や繁栄がある」という言い方をする人がいるが、これには大きな問題がある。戦争で無駄死にさせられた内外の民間人も兵士も、後世の平和や繁栄のために死んだのではない。家族の幸せも生きていく喜びも全て奪われていった人たちの無念を思うと、「あの犠牲があるから今の平和がある」なんて失礼な言い方はできないはずだ。アジア太平洋戦争で無為な殺戮を大量に行った反省から日本国憲法が生まれたのである。「あの犠牲があるから今の○○がある」とどうしても言いたいのなら、それは日本国憲法であり、憲法を守り戦争や戦争準備をしないことによってしか、その人たちの無念と怒りと生きたかった気持ちを生かす道はない。それが、ここで大江健三郎氏がいう、「新憲法という時代の精神」であり、憲法9条の最後の砦である集団自衛権行使権禁止を解除するという違憲行為によって、国外で再び戦争ができる国になることは絶対許されないのである。戦争で殺された人たちの無念さを忘れず二度と同じ過ちを犯さないためにも。@PeacePhilosophy
2014年4月8日、東京・日比谷野外音楽堂で開かれた「解釈で憲法9条を壊すな!4­・8大集会」における大江健三郎氏の演説
http://www.youtube.com/watch?v=EP0HHWZMBAM

初出:「ピースフィロソフィー」2014.4.11より許可を得て転載

http://peacephilosophy.blogspot.jp/2014/04/blog-post_11.html

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion4805:140411〕