露呈する検察問題と全体の構造 9月23日
郵便制度悪用の文書偽造事件(虚偽有印公文書作成・同行使)に問われていた厚生労働省の元局長・村木厚子被告に対して大阪地裁は無罪を言い渡した。この裁判に関しては検察側のずさんな捜査が以前から指摘されており、無罪判決は予想されていたが、今度は検察による証拠の改ざんという恐るべき事態も露呈した。これは検察というシステムの持つ問題である。
この事件は障害者団体向けの低料金第3種郵便物制度を悪用し発送料を不正に免れたとして障害者団体(凛の会)が摘発されたことに絡んで発生した。「凛の会」は実体がないにも関わらず、障害者団体と認める証明書の発行を厚労省局長の村木厚子が指示したとして起訴されたのである。その際に、「凛の会」側からは民主党参議院議員の石井一の働きかがあったとされた。会側は参議議員を通して村木の上司に依頼し、村木が発行を指示したとされたのである。事件の核心は証明書の発行であるが、そこには二つの構図が存在した。その一つは政治家を通じて依頼(口利き)があったこと、もう一つは偽証明書発行指示である。この政治家を対象とするストーリは早い段階で消え、結局のところ事件は村木局長の証明書発行指示に絞られることになったが、ここでは検察の捜査はずさん出会ったが証拠となるデータの改ざんも行われたのである。
ここでしばしば語られるのはストーリ(構図)という言葉である。刑法ではある行為が犯罪として該当(該当要件)を満たす事実かどうかが前提としてある。この事実が捏造されたり、事実として告白(自白)したものが誘導されたものであったりすれば、これは検察[権力側]のフレームアップといわれる。これはストーリの基礎にある事実関係の崩壊ということになる。検察が描くストーリというのはこれだけではない。犯罪に該当する行為を訴追するか、どうかに検察の判断が働く。特に特捜部で扱う事件では政治的、社会的影響も強いからこの判断が重要になる。このとき検察の判断はもう一つのストーリである。
検察は国民にある役割を委託された存在(公僕)であれば、国家規範(憲法を最高法規とする諸法)によってその判断をすべきであり、特定の政党や機関(官僚)の意向や利害でそれをなしてはならない。国家規範という時、国家権力の担当者の意向ではなく、国民の意向(国民の国家権力への命令としての憲法)に沿ってということになる。これは検察(権力)の恣意的な判断(権力行使)を否定する。国策捜査や検察の暴走はこの検察のストーリ批判の言葉である。
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一艘の漁船で揺れ動かされる日中関係 9月23日
降って湧いたような厄病神とでもいうべき事件がある。人々は天災というべき事件ならある種のあきらめで済ますかも知れないが、これは人災というならなかなか納得が行かないだろうと思う。尖閣列島の周辺で発生した中国籍漁船の逮捕事件とその波紋である。この波紋は観光業者をはじめ多くの人々には突然降りかかってきた災害のようなものであり、戸惑いとともにやり場のない怒りにあるものと思う。僕はこれを日中の政府の対応力から生じる人災とみる。
日本政府の担当者と目すべき外相や官房長官、あるいは首相は冷静にということを一つ文句のように述べているに過ぎない。今回の事件は中国と台湾、そして日本がそれぞれ領土として主張している尖閣列島の周辺の海で起きた事件であるが日本側は領土問題に絡むことではない、と主張をしている。海上保安庁の監視船に対する公務執行の妨害をしたから我が国の法律において裁く主張している。これが領土権などで紛争のない場所での出来事なら何らの問題もない。しかし、お互いに領土権をめぐって対立しているならこういう主張は一方的ということになる。尖閣列島の領土権をめぐって日本と中国と台湾が争っていることが事実ならこの主張は一方的になる。そうなる必然性がある。この領土権について僕はどちらが正しいという判断をしない。1879年の琉球処分に至る過程で明治政府と清国政府が沖縄(琉球)の分割を交渉していた経緯を見れば、尖閣列島周辺の所属問題が浮上する必然は存在すると考えられるからである。近代の段階での国境の線引きがあちらこちらで紛争を生じさせることを僕は必然とみる。この線引きや確定が多分に曖昧な要素を持ったからである。だから、発生する国境問題をどう解決するかが問題である。軍事も含めて力関係において解決を図らんとすることは愚であることは明瞭である。どこに解決の道はあるか。それは国家主権という枠組みを超えた視座を持って問題の解決をすることである。国家主権同士の領土領有権を主張しないことである。例えば、これは尖閣列島などの領土問題が発生している地域では「領土権」の主張を棚上げして解決を模索すればいいし、様々の解決策が出てくると思う。近代的な国家主権という考えから脱しなければ、この問題は袋小路に入るか、予想もしない矛盾をその国家間関係に広げるだけである。誰もが愚かなことだと思っても領土という共同幻想が人々を呪縛してしまうのである。政府や官僚たちはこれを契機に他国の脅威を語り、自己の軍備拡大に結び付けようとする。沖縄や先島への自衛隊の配備強化の画策や動きに注意しなければならない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion146:100924 〕