平成8年・1996年の正月に私=岩田はこんな歌を詠んでいた。
こぞの新春(はる)
明治の杜の神前(かんまえ)に
いのりしことのなりにけるかも
ボスニアの
元和偃武(げんなえんぶ)を思うかな
東照(あづまて)る宮ぼたんの苑に
これら二首の趣旨は、岩田昌征著『ユーゴスラヴィア多民族戦争の情報像』(御茶の水書房、平成11年・1999年)第四章「旧ユーゴをめぐるヨーロッパ的偏見」の最終節「ヨーロッパ文明の厚化粧」(pp.138-139)に書いてある。平成7年・1995年末のボスニア三民族戦争の終焉。
今年の初詣は、露烏戦争の終結祈願を最優先にして、元和偃武を実現した家康公を祭る上野東照宮を最初に、明治神宮を次順にした。
旧ユーゴスラヴィア多民族戦争と露烏戦争との間に私=岩田に見えてしまう共通性は、旧ユーゴのセルビアと旧ソ連のロシアをめぐる「ヨーロッパ的偏見」、そして両者を裁く「ヨーロッパ文明の厚化粧」、すなわち「市民帝国主義」、「普遍的理念による厚化粧」だ。
権威指導主義のロシアと権威指導主義を半ば了解するセルビアに対して北米西欧が自由民主主義の「厚化粧」を武器として高圧姿勢で対峙する事が東欧バルカンの緊張の主因である。
日本インテレクチァルがヨーロッパ的知性・理性の言葉を駆使して停戦を訴えても迫力に欠ける。
それよりも、上野東照宮の神前に、すなわちヨーロッパが毎年毎年戦争を繰り返していた同時代に、元和偃武以来三百年平和を招来した歴史神家康の前で、あまたの情民常民が世界の令和偃武を祈念する、その方がはるかに世界的インパクトを有するであろう。
全世界情民常民は世界の平和の下でだけ生活が成り立つ。日本情民常民が露烏戦争の即時停戦を祈念し、そして日中戦争の未然防止を祈願するにふさわしい霊場はいくつもあろう。その伊呂波の伊が上野である。
令和6年1月7日(日) 大和左彦/岩田昌征
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