青山森人の東チモールだより 第205号(2012年4月6日)

言語論争に母語がようやく参戦

青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.com

第一回戦より決選投票の投票率が上がるか

 山岳部の住民に被害を出し都市部の河川近辺の住民を脅かした暴風雨は、先月の大統領選挙投票日前日に頂点に達してから終息に向かい、この二週間、高気圧の安定した天気が続くようになりました。いま東チモールは雨季から乾季の移行期を迎えています。

するとこれまで道をぬかるませていた泥が乾いてきて、今度は土埃となって道行く人びとの口と鼻を塞がせるという弊害が生じています。首都の道路工事は2008年ごろから本格的に始まりましたが、4年たってもう再工事が必要なほどに道路事情が悪化しています。東チモール政府は独立10周年記式典に備えて首都の道路の修繕に全力を挙げていますが、わたしの目にはこの工事とはごく一部の主要道路に限られ、自動車でしか移動しない海外からの要人・来賓客の目に良印象を与えようとする工事であり、路肩や路上で商売する庶民に主眼がおかれていない工事です。

さて、学校は4月2日から23日までのイースター休暇に入りました。公共機関や各職場も今週後半は休みとなります。休みを故郷ですごす人びとを乗せた地方行きのバスは、若い人たちを屋根にまで座せ満杯になって走り出します。学生たちは少なくとも16日の大統領選挙の決選投票を田舎で終えるまで、そのままそこで休暇をすごすことでしょう。

 天気も安定してきた、学生たちはもうすでに里帰りを始めた、となれば大統領選・第一回戦の投票日直前のように有権者が投票のために里帰りに殺到するがなかなかできないという混乱は避けられそうです。この混乱を回避するため投票規則を変更すべきだという声がジョゼ=ラモス=オルタ大統領をはじめとして政治家などからあがりましたが、時間が足りないということで、結局、今回は見送られました。しかし投票するために里帰りをしなければならない有権者は学生だけではありません。投票日直前に里帰りする人たちは依然として多数いることでしょう。同じ過ちをしないよう万全を期すようにとシャナナ=グズマン首相は選挙技術管理事務局に注意を喚起しました。決選投票の投票率が第一回戦より上がるかどうか、東チモール選挙制度の観点からも注目されます。もし、またしても有権者の負荷が取り除けないとなると、6月下旬の国会議員選挙にむけて投票規則の変更が本格的に検討されるかもしれません。

4月16日が大統領選挙の決選投票日であることを告知する看板。投票時間は同じく午前7時から午後3時まで。看板の中の顔写真は選挙技術管理事務局長。
2012年4月4日、ⒸAoyama Morito

言語環境の変化

 わたしが2000年代前半に下宿していた家に、イナンメタンちゃんという女の子がいます。女の子と思っていたら、もう16歳です。なお、「イナンメタン」とはテトン語(Tetun, テトゥン語)で「黒い母」という意味で、女の子の呼称としてこの国でよく用いられています。この子はいま日本でいう中学校に通っています。「ノーベル平和賞」学校という大それた校名にふさわしくなく、校舎は雨が降ると教室が水浸しになってしまうという劣悪な状態にあるそうです。

 「先生は何語を使っているの?」ときくと、イナンメタンちゃんは「ポルトガル語と英語」といいます。「テトン語は使わないの?」ときくと、「生徒と話をするのには使います」といいます。「数学を教えるとき先生は何語を話すの?」ときくと、「ポルトガル語」だそうです。英語は英語を教えるときに使うようですが、ほとんどの科目ではポルトガル語を使用し、生徒と話をするのにはテトン語を使う。ポルトガル語で教えるとき、テトン語をまったく使わずにポルトガル語のみを話すのか、その兼ね合いがわたしはよくわかりません。それはともかく、イナンメタンちゃんの話から東チモール言語環境の大きな変化がうかがえます。インドネシア語が登場しないのです。

数年前までは、インドネシア語で教育を受けた世代の教師がどうしても授業でインドネシア語に頼っていたものですが、ポルトガル語をいかに教室に定着させるか、テトン語の正書法をいかに確立させるか、この二つ公用語で苦慮しているあいだ、いつの間にかインドネシア語は、“お茶の間・娯楽言語”になってしまいました(ちょっと言い過ぎかもしれません)。衛星放送によるインドネシアの娯楽テレビ番組を、インドネシア語で教育を受けた両親や大人たちと一緒に、インドネシア語がよくわからない子どもたちが毎日楽しんでいるのです。2000年代の初め、学校教育へのポルトガル語導入の難しさを指摘するなかで、現実を踏まえてインドネシア語の柔軟な活用を提案する人は決して少数派ではありませんでしたが、いまや現実として教育現場におけるインドネシア語の存在は過去に比べ希薄になってしまったのです。

 言語環境の変化といえば、テトン語そのものの存在があります。テトン語の発展といっていいのかもしれません。1999年から本格的に書き言葉としての歴史が刻まれてきたことは大きな意義があります。去年、東日本大震災が発生してからしばらくしたったある日のこと、わたしが聴いているラジオ番組で、テトン語で何か早口でしゃべっているのですが、何を話題にしているかわかりませんでした。いつもより神経を集中させると、ようやくわかりました。なんと地震・津波発生のメカニズムを解説していたのです。科学的な話題をテトン語で解説する番組をわたしはそれまで知らなかったので、文科系の話題だろうという先入観をもっていたので、何を話しているか理解するまで時間がかかったのでした。このラジオ番組は銀河系の話もテトン語でしていました。やればできる自信がテトン語についてきたとわたしは確信しました。そして前号の『東チモールだより』でお伝えしたとおり、シャーロック=ホームズのテトン語訳が登場したのです。

テトン語に多く含まれる外来語としてのポルトガル語の理解を深めるためにポルトガル語を学習するという、ポルトガル語を補助的な公用語に転換させた方が得策と思われるくらいテトン語に貫禄がついてきました。

試験的な母語導入計画

 イナンメタンちゃんの母語はマカサエ語(東部の地方語の一つ)ですが、テトン語には不自由しません。しかしポルトガル語となるとチンプンカンプンです。東チモールの大半(たぶん90~95%)はポルトガル語を話せません。その東チモールの子どもたちに勉強を教えるために、侵略軍撤退後、東チモール人指導者たちはせっせとポルトガル語を教育現場に導入させ定着させようとしてきました。しかし完膚なきまでにうまくいきませんでしたし、これからもそうでしょう。努力すればするほど、無駄な努力が増え、ポルトガル語は教育の障害だとまで言われるようになりました。チンプンカンプンな言葉で勉強する子たちもたいへんですが、にわか仕込みのポルトガル語で教える先生もまた気の毒です。

 このような状況に対応するため、それならば、テトン語はもはや10年前のテトン語ではないのだから、テトン語を授業に定着させようではないか、これまで支払ってきたポルトガル語のための労力をテトン語に注いではどうか、という発想になってもよさそうですが、そうなりませんでした。なんと、テトン語を飛び越えてしまい、母語を試験的に教室で使う計画が進められたのです。

 日本の新聞では去年の秋ごろだったと記憶していますが(『朝日新聞』だったか?)、シャナナ=グズマン首相の妻・クリスティ夫人が、小学校でポルトガル語の使用を遅らせた方がいい、母語を大切にすべきだ、そういいながらも夫・シャナナとは日常的に英語で会話している、というような記事が載りました。母語導入計画の存在が背景にあったと思われます。

 事態の進展をわたしは正確に把握しているわけではありませんが、クリスティ夫人のこの発言以来、東チモールの言語問題に母語が参戦するという新局面を迎えたことは確かです。30ほどの言語が存在するという東チモールにおいて、ポルトガル語とテトン語、そしてインドネシア語と英語の四ヶ国語だけが言語問題の主な登場言語だったという歪んだ時代はめでたくも終わったのです。

 最近の新聞に載った言語論争から整理すると、2008年(?)にユネスコなどの国際機関の支援をうけて「母語を基本とする多言語教育計画」が東チモール政府の要請に基づいて立案され、去年、試験的な母語導入(12校のみ)の計画が発表されると、東チモールのファースト・レディとしてユネスコの東チモール委員長であり教育親善大使でもあるクリスティさんはこの計画の調停役を務めているというのが事態の流れです。

この計画が発表されると、外国人や外国機関がポルトガル語とテトン語を公用語とする憲法に違反するような計画を進めていいのかという批判があがり、それにたいしそれは誤解だ、事実が正しく伝わっていないと反論され、この計画にはシャナナ首相の個人的な思惑があるという意見にたいしては、シャナナ首相は「腹が痛くなるほど笑ってしまった」と切り返すなど、言語問題から脇道にそれた場外乱闘も含みながら、熱を帯びた論争を巻き起こしています。

ラモス=オルタ大統領はこの計画にたいし賛否を明確に表していませんが、試験的にやってみて結果を見ようではないかという立場です。まともな反対意見として、例えば、母語導入はかえって教育現場に重い負荷をかけてしまい問題解決になるとは思えない、二つの公用語を学ぶ弊害になる、さらには、地域個別主義をもたらすとか、子どもたちを孤立させる、などさまざまなものがあります。

本計画の全容をわたしはまだ把握していないので、なんとも言えませんが、なぜテトン語の本格的な導入を飛び越えて母語を導入する発想に至ったのか、その論理の飛躍ぶりにわたしはちょっと驚きます。逆に言えば、その論理の飛躍こそがこの計画の要なのでしょう。

なにはともあれ、ようやく東チモールの地方語が言語問題の論争に加わり脚光を浴びるようになったのは、この計画の手柄といえます。

~次号へ続く~

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0850 :120409〕