青山森人の東チモールだより 第211号(2012年5月6日)

異常気象は東チモールの歳入を減らす

青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.com

泣きっ面に蜂

東チモールにおける大雨は、この二ヶ月に限れば、大統領選挙の第一回目の投票がおこなわれた3月半ばにその頂点に達したと思われます。これを境にして季節は雨季から乾季へ徐々に移りながら、一週間のうち三日間だけ雨が降る、あるいは二日間だけ……と、しだいに雨の日が少なくなってきました。

ところが4月下旬の週は雨天の日が、降水量はそれほどでもないにしろ、増えてきました。5月4日(金)から曇りがちの天気となり5日(土)はまとまった雨が降りました。しだいに雨が少なくなるという季節の傾きに入ったのか、まだ入っていないのか、よくわからなくなってきました。

最近の東チモールの天候は読みづらい。こうなってきから、ああなるだろう、という経験・勘による“天気予想”は当たらなくなってきました。日本の四季の移り変わりと比較すれば単純な東チモールの季節な流れですが、複雑になってきたことはわたしでも感覚的にわかります。これがいわゆる世界的な異常気象の一端なのでしょうか。ともかく東チモールは異常気象よる大雨の被害を頻繁にうける深刻な事態が慢性的になってきました。

この異常気象の原因は地球温暖化であり、地球温暖化の原因は人間が排出する二酸化炭素であると唱えられる一方で、この二酸化炭素原因説には多くの専門家が疑問を投げかけているは周知のとおりです。

二酸化炭素説の真偽はさておき、オーストラリアではジュリア=ギラード政権が今年7月1日から「炭素税」なるものを施行することになっています。簡単に言えば、大気中に放出される二酸化炭素1トンにつき23豪州ドルの税金をかけ、2015年までに29豪州ドルに上げるというのがこの新税法です。この国の政治家や気象専門家が、二酸化炭素の排出が異常気象の原因であり、オーストラリアを含む世界中で発生する大洪水の原因であるという結論にどう達したのか、あるいは「炭素税」が地球温暖化防止に貢献するという結論に果たして本当に達したのか、そのへんのところはわたしはよくわかりませんが、新税の撤回・見直し論がオーストラリアの報道には多く見うけられます。個人・企業・団体に与える社会的・経済的影響の評価・分析が不十分だというのがその理由です。

さて、ここで問題にしたいのはオーストラリアではなく東チモールです。オーストラリアの新税法が東チモールの財源に影響するかもしれないのです。4月下旬にこの問題が東チモール側から提起されたとオーストラリアで報道されました。チモール海の「共同開発区域」(インドネシア占領時代は[チモールギャップ]と呼ばれた)における「バユ・ウンダン」ガス田などのガス開発から得られる利益の90%を東チモールが受け取り、それがいま東チモールの主な財源となっています。開発事業はオーストラリアが実施しているので「炭素税」が適用されると、東チモールの歳入が年間で数百万ドル~数千万ドルもの削減になるといわれているのです。アジアの貧国にとってこの収入減は痛い。二酸化炭素が異常気象をもたらす地球温暖化の原因だとしたら、化石燃料の消費が少ない鉱工業未開発国である東チモールは異常気象に加担していない地球にやさしい国として、世界中から憐れみの褒賞を受ける筋合いはあっても大金をふんだくられる筋合いはありません。東チモールは異常気象から大雨の被害をうけるだけでなく、今度は財源減少の憂きめにあうとしたら、まさに泣きっ面に蜂です。

日本と似ているオーストラリアの政治状況

「炭素税」についてオーストラリア国内で賛否両論があり、これによって物価が上昇し生活が苦しくなろうが、ジュリア=ギラード首相率いる与党労働党の支持基盤が揺らぎ次回の選挙に負けようが、それはオーストラリア国内の問題です。なにゆえにチモール海の波を越えて貧しい東チモールの財源に波及しなければならないのか、東チモール側としては納得がいかないことでしょう。

東チモールのアルフレド=ピレス天然資源担当長官はオーストラリア税法の一方的な自国への適用は受け入れられないとオーストラリアの新聞に語っていますが、当然です。オーストラリアの報道によれば、オーストラリア政府は「共同開発区域」における開発に関して「炭素税」が東チモールに波及することは認識していたものの、この件にかんして協議はなされていないという。ピレス長官の「一方的な」という表現はここから来ていると考えられます。

一年分の国家収入から数百万ドル~数千万ドルが引かれるという事態についてオーストラリア政府から東チモールへ説明の申し入れがあって然るべきです。それがないとなると、その態度は東チモールにしてみれば大国の横暴に映ることでしょう。東チモールとオーストラリアの関係はますます悪化していく予感がします。

冷え切った両国関係にあって希望の光をもたらしてくれそうな人物、オーストラリアの閣僚のなかで東チモールが最も歓迎する人物であったゲビン=ラッド前外相(元首相)は、いまは閣僚から身を引いています。ケビン=ラッドは今年の2月、訪問先のワシントンで突如、外相を辞任すると表明し、自分を首相の座から降ろしたジュリア=ギラード首相へのたまっていた恨みのマグマを噴出させるかのように、ギラード党首にたいして党首選の挑戦状をたたきつけ、党首・首相の返り咲きを試みました。党首選挙運動のなかでケビン=ラッドは「炭素税について選挙前の発言をしたのはケビン=ラッドではない」、「東チモール解決案(難民中継センターの東チモール建設案)やマレーシア解決案(オーストラリアがマレーシアに800人の避難民を送り、その代わりオーストラリアがマレーシアから4000人の認定難民を受け入れるという交換案)に関係したのはケビン=ラッドではない」などなど、支持率低下を招く政府の失態を自分のせいにされるのはもううんざりだとばかりに激しくジュリア=ギラードを攻撃しました。新旧両首相が党首選で対決するという異例の事態に盛り上がったかのように見えた労働党の内紛劇でしたが、ケビン=ラッドは三割の支持しか集められずあっさりと敗北し、党首選に立候補するときに約束したとおりジュリア=ギラード批判を止め、政治の最前線から退いたのです。

いま選挙をすれば労働党は大敗し政権交代が必至という状況と、政権与党内でゴチャゴチャ争っているという状況は日本とよく似ています。国民の人気が高いといわれるケビン=ラッドですが、党内ではその政治手法が批判され難しい立場に追い込まれるのも、日本の小沢・民主党元党首の状況に似ているといえるかもしれません。さらに、2010年の選挙前にジュリア=ギラードが「わたしが指導する政府では炭素税はない」と明言したのにもかかわらず、あっさりと180度ひっくり返り、炭素税がまさに実施されようとしている状況は、日本より少し先を行っているということでしょうか?

ケビン=ラッドが引っ込んだことはオーストラリアと東チモールの外交関係の観点からすると調整役を失ったことを意味し、もしオーストラリアが東チモールとの関係改善を望むならば、オーストラリアにとって損な出来事だといえます。

 オーストラリア与党の内紛劇は一応の幕引きをみましたが、来年には任期満了に伴う総選挙が待ち受けています。

ますます高くなるチモール海の波

そしてこれも「もしオーストラリアが東チモールとの関係改善を望むならば」という条件付きですが、タウル=マタン=ルアク新大統領の誕生はオーストラリアにとってさらなる難事かもしれません。シャナナ=グズマン首相と同じ様にタウル=マタン=ルアク次期大統領はオーストラリアの態度を好ましくなく観ていた人物です。いや、オーストラリアにとってシャナナ首相以上に、タウル=マタン=ルアク次期大統領は司令官時代にオーストラリア軍との折衝にあたりオーストラリア軍から直接嫌がらせをうけた経験があるだけに、東チモールとの外交関係を好ましい方向に回復させるうえでの好ましくない人物かもしれません。もちろん、タウル次期大統領は、シャナナ首相のようにあからさまに外交上ややきわどい言動(『東チモールだより第154号』[2010年6月14日]参照)をとるようなことはせず、表向きはあくまでも礼儀にのっとった態度をとることでしょうが。

このような環境のなかで「炭素税」によって歳入を減らされれば、東チモールはオーストラリアからますます気持ちが離れ、交渉が暗礁に乗り上げているチモール海の「グレーターサンライズ」ガス田開発の伴侶をオーストラリア以外に求めることが現実になることでしょう。

「メーデー」のこの日は祝日となっている。労働組合・団体の集会が各地で開かれた。写真のこの集会は平和裏に行われたが、この国の最高級ホテルである「ホテル・チモール」前の集会は、警察が届出なしの不法集会だとして解散させようとし、これに抗議した集会参加者は投石、ホテルやパトカーの窓が損傷をうけ、警察官2名とホテル警備員1名が負傷、集会参加者84名が拘束されるという大騒ぎになった。そもそもなぜかれらはこのホテル前の集会を企画したかというと、ホテルのお金を盗んだとして解雇された4人の従業員への連帯行動であった。かれらはお金を盗んだ事実はないと主張している。また集会にしても届出は提出しているので不法ではなく、警察が一方的に集会参加者を挑発したと訴えている。人権団体も警察の取り締まり方にやり過ぎがあったと批判している。なお、「ホテル・チモール」のポルトガル人支配人は妻子とともに翌日、騒ぎを恐れて、表向きは健康上の問題だとして、バリ島へ出国し、逃げた模様だ。4人の解雇が正当か不当か、白黒をつけなければならない責任者がこのざまではなんともならない。もし盗難が事実無根で不当解雇だったとしたら、誠意をもって謝罪すれば東チモール人はわかってくれるはずである。1975年、東チモール人の政党同士が内戦を始めるとポルトガル政庁はアタウロ島に逃げた。ポルトガル人は逃げないでもらいたい。

2012年5月1日、レシデレ地区の浜辺にて。ⒸAoyama Morito

~次号へ続く~

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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